リーサル・ハント!〜剣も魔法も使えない転生者。ユニークスキルで必死に日銭を稼いでいたら、最強チームにスカウトされました〜

苔川 古木

第1話 プロローグ

 一般的な日本人男性であったオオヨド・ヘイジは、人生で初めて絶体絶命の危機に瀕していた。


 ここは森の中にある、小規模の集落一つが入るくらいの平原。小川が流れ込み草花の茂る様子は、普通ならピクニックでもしたくなるような立地である。


 しかし拠点としている街からさほど離れていないにもかかわらず、木々に囲まれ周囲を見渡せない。まるでここだけ世界から孤立してしまったような閉塞感があった。


 そして何より、


「いやあ、嘘でしょ……」


 異形の怪物がさも当然のように闊歩するその光景は、とても受け入れられるものではなく、まるでここだけ異世界に来てしまったように思えた。


「いや、異世界なんだけどさ」


 などと言ってみたのは、この状況を冷静に分析しようというヘイジの、精一杯の努力の成果である。


 大きさが三トントラックくらいはありそうな巨体は、赤黒くメタリックな鱗に包まれていて、この土地に馴染む気が全く感じられない。


 六本の脚はいかにも筋骨隆々といった風で、人間など骨ごと引き裂いてしまいそうな鉤爪が付いている。所狭しとすべてのつま先に並ぶそのさまには、殺傷力に対して一切の妥協が無い。


 先の尖った尻尾は丸太のような太さで、薙ぎ払われたらひとたまりも無さそうだ。


 戦闘能力など疑うまでもないその姿を見て、ヘイジは表情を引きつらせた。


 少し平たい恐竜のような頭とそこに付いた二つの目は、先ほどからじっとヘイジの方を向いたままである。


「どうしよう、めちゃくちゃ異世界だよ……。そもそもあんなのが出るなんて聞いてないぞ」


 ここは街の人々も安全と認識している場所で、だからこそ怪物と戦うつもりなどさらさら無かったヘイジは、思わぬ遭遇に硬直してしまう。


 ヘイジは現実逃避気味に、自分の装いを見てみる。身を守れるような防具は身に着けておらず、荷物は貴重品が入ったウエストポーチだけ。あまり筋肉がついていないひょろりとした体に、汗でぺったりと張り付いたシャツとズボンがなんとも頼りない。


 加えて街の人間が使っている様な剣や魔法具も、残念ながら持っていない。


 これでは猛獣の前に裸で居るのと変わらないだろう。ヘイジはそう思うと、体の芯から冷えるような心地になった。ふと手足が震えていることに気付く。どこか浮ついていた頭が、現実を認め始めたようだ。


 ヘイジは湧き上がる恐怖を感じながらも、どうせこのままではらちが明かないと、この場から逃れるために動き出す。


「すまん失礼した。動くな。動くなよおー」


 ヘイジは怪物の背後を見やる。街道からここまで来るための脇道は怪物の向こう側にあり、とても辿り着けそうにない。仕方なく森の中へ逃げ込むことにした。


 すぐにでも走り出したいヘイジであったが、そんなことをすればむしろ怪物が追いかけてくるのではと思い、努めてゆっくりと足を動かす。


 怪物の目をじっと睨みながらそろりと木々の中へ退散しようとしていると、怪物がゆっくりとヘイジへ近づいて来た。


 脚と胴をしなやかに動かしながら、頭だけは上下させずにピッタリとヘイジをロックオンする怪物。ヘイジは場違いにも、おもちゃで狩りのまね事をする猫の姿を連想してしまう。


 とはいえ、それもあながち遠くないのかもしれない。相変わらずじっと目を合わせたままの怪物に対して、ヘイジは引きつった笑みを浮かべながら声をかけてみた。


「遊びたいのか? 俺をおもちゃにしてもすぐ壊れるぞ。やめとけって」


 反応がない怪物を見て、ヘイジは内心で苦笑する。先ほどからペチャクチャしゃべっても怪物が無反応なのをいいことに、恐怖を何とか押し殺そうと口だけはよく回るようになっていた。


 ヘイジがふと進行方向を見ると、森まであと十メートル程の所まで近づけていることに気付く。思いのほか進めていた事への安堵で、少し表情が緩んだ。


 その瞬間、怪物が大きく跳躍した。


「あっ、死ん……」


 怪物は呆然と立ち尽くすヘイジの上を悠々と通過する。まるで翼でも生えているかの如き余裕のあるジャンプであった。


 そのままヘイジを飛び越えた怪物は、森へ入るのを阻むように目の前に着地する。ふわりとした安定感のある着地であったが、それに反して腹に響くような轟音が響いた。


 そしてヘイジの方に振り向くと、追い立てるように体を揺する。


「クソッ」


 ヘイジは慌てて、怪物から離れるように駆け出す。無我夢中で走っていると、反対側の森まであと少しというところで再び怪物が目の前に飛び降りた。


「こいつッ。やっぱ遊んでやがる!」


 ヘイジは再び踵を返すと、慌てて駆ける。どうにか平原の中央あたりまで離れたところで、背後を振り向いた。やはり怪物はゆっくりと近づいて来るのみで、その表情はまるでさっさと動けと言っているようだ。


 それを見て、今すぐ殺されることは無いのではないかと、ほんのわずかな希望を抱くヘイジ。


 とはいえいつまでも遊ばれることはなく、いずれは飽きた怪物にさくっと殺されてしまうのだろう。そんな暗い想像に脳が支配されるヘイジだが、恐らくそれは間違いではない。


「街道まで戻れるか?」


 仮に脇道に入れたとしても、街道までの道のりは見通しの良い一本道だ。怪物から逃げ続けられると考えるのは、ヘイジには楽観的過ぎるように思えた。


「やっぱり、なんとか森に駆け込む方が可能性あるか? でもなあ」


 街までそれほど遠くないとはいえ、森の中は随分鬱蒼としている。とても街まで辿り着けそうになく、踏み入ることすら気後れしてしまうヘイジ。


 そもそも森の中に入れたからといって、怪物を振り切れる保証はない。運よく逃げきれても、森の中を闇雲に走れば自分が今どこに居るかも直ぐに分からなくなるだろう。散歩と大して変わらない気分でここまで来たヘイジには、森を抜ける装備も技術も経験も無いのだ。


「くそう、やっぱ無理だ」


 必死に思考するも、ヘイジには詰んでいるようにしか考えられなかった。いかにも大自然の上位捕食者です、といった雰囲気の大型生物を前にして、ヘイジという小さな存在には為す術が無い。


 その理不尽な詰みの一手は、少し離れたところで立ち止まりヘイジをじっと見ている。なんとも余裕そうな様子で、ヘイジのことなど少しも脅威に感じていないことが窺えた。


 そんな怪物の悠然とした姿を見ていると、ヘイジは段々と腹が立ってきた。やけっぱちになりながら、震える声で怪物に叫ぶ。


「だ、大体、お前おかしいだろ!」


 そう、おかしいのだ。この腹立たしい状況において、言いたいことはいくつもある。なんで自分は裸同然の装備で街の外に出たのかとか。街の近場ぐらい安全にしてくれとか。街の連中は何してるんだとか。


 しかしそんなことよりも、もっと言いたい、問い詰めたいことがあった。不満をぶちまけるようにヘイジは口を開く。


「なんで中盤以降に出てくる特獣が、こんな初期エリアをウロウロしてんだよ!」


 それはこの世界で長い時を生きてきたであろう怪物にとっては、なんとも理不尽で不可解な不満であろう。


 ヘイジもこの世界に来て、そんなことを言っても仕方ないというのは分かっている。しかし理不尽なのはお互い様だ、と内心で毒づきながら覚悟を決めた。


「どうせ、殺るか殺られるかなんだ」


 右手に力を込める。といっても握り拳を作っているわけではない。


「お前のことだって、ゲームじゃ何度も倒してきたんだ」


 深呼吸をする。唐突に右手からずしりと重みを感じ、ヘイジはすこし安心する。重くなった右手を見ると、そこにはこの世界に全く不釣り合いな、鈍く黒光りする拳銃が握られていた。


「お前には、俺の経験値になってもらうぞ!」


 ヘイジは自分の背中を押すように大きく息を吐きだすと、半ば自棄になりながらも走り出した。


 ここはモンスターが跋扈する剣と魔法の世界。かつて日本に住むヘイジが、画面越しに親しんだ世界。


 そして、ヘイジだけが知る秘密を抱えた、誰も知らない新世界だ。

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