メルトアップ

水科若葉

メルトアップ

 ベンチに腰掛け、アコースティックギターを構える。最低限のチューニングを行ってから、私は弾き語りを始めた。

 観客は一人。膝を立てて座る少年は、まぶたを閉じて静かに聞き入る。

 太陽は近く、空は赤い。吹きっさらしの屋上に、緩やかな時間が落ちていく。私は目を伏せて指を躍らせながら、お気に入りの曲を口ずさんだ。


「結局のところ、今と昔って何が違うんだろーな」

 いつかの雑談を思い返す。確か、風の強い日だった。

 同じようにこの日も、廃校舎の屋上に集まっていたのだ。

「そりゃまあ、人類が絶滅寸前で大変だーってのは分かるし、落ち込みたくもなるけどさ……けどよ。人間、いつか死ぬのは今も昔も変わらないわけだろ。だったらさ、今が平和じゃないからって、人生を観念する理由にはならないはずじゃないか? もっとこう、さ……こんな状況だからこそ盛り上がろう、みたいな空気になっても、おれはいいと思うんだよな」

 それは村で二人だけの中学生の、その一人である古池くんの台詞だった。彼らしい前向きな言葉を、私はゆっくりと咀嚼して、頭の中で解釈する。

「えっと……要するに、『また汚くなるからって、部屋を掃除しない理由にはならないはず』、みたいな話?」

「まあ……ざっくり言えばな」

 少し唇を尖らせながらも頷く古池くん。自分で理解しやすくするために話の程度を下げてしまうのは、私の悪い癖だった。

「分からない理屈じゃないけど……どうだろ。やっぱりイヤなことが可視化されてるっていうのは、やる気を失くすものなんじゃないかな」

 考えながら、ゆっくりと話す。

「ほら、部屋の掃除だってさ、私たちには小さな汚れまでは見えないからこそ、ある程度で『綺麗になったー』って気持ちになれるわけでしょ? もし、もっと小さな、掃除しても掃除しても取れない汚れがいっぱい見えちゃってたら、『どうせ綺麗にならないなら掃除しなくてもいいやー』って気持ちになっても仕方ない気がする」

 私のそんな返答に、古池くんは「むぅ……」と腕を組み、やがて諦めたように息を吐いて、空を仰いだ。

「あと九十七人か……」ぼんやりと呟く。「確かに、こう明確に数字にされると、厳しいもんだよな……」

 ゆっくりと背中から倒れ、屋上に大の字になった古池くん。その姿がなんだか哀れに見えて、私は慰めるように「佐藤さんの所の赤ちゃんが生まれれば、九十八人になるよ」と話しかけた。

「は、それでも九十七だよ」

 古池くんは両手を枕にしながら、鼻で笑う。

「うちのじーさんが先に死ぬからな」

「本当に死んじゃったら悲しい癖に、よく言うよね」

「ばか言え。あんな化石、死んでもなんとも思わねーよ」

 見え見えの強がりに苦笑する。古池くんのおじいちゃんっ子具合は、村でも有名だった。有名が故に持て囃された結果が今の反抗期とも言えるから、あまり深くは突っつかない。

 柔らかく、柔らかく。

「……ふん」

 私の視線を感じてか、古池くんはごろんと寝返りを打ち、私に背を向ける。そのまま、こちらに顔を向けずに、「おれ達、本当に絶滅しちまうのかな……」と、珍しい弱音を見せた。

「…………」

 無言で応じる。

 どこかで読んだ話だけれど……人類が最低限存続するためには、百人と少しが必要となるらしい。急激に人口減少している中で、その最低人数を割ってしまった現状からの、奇跡のⅤ字回復。

 現実的とは言えない……お世辞にも。

「……けどよ、一万年前は絶滅寸前から何とかなったわけだろ? POL技術……だっけか。同じように、今回も何とか出来ねーもんなのかなぁ」

「どうだろ……あれもあれで、結局問題があったし」

 POL技術。

 一万年前に起きた天体衝突から人類全員を救ったとされる、伝説の技術だ。人類滅亡に抗うために、人類が倫理観や道徳性を全て投げ出して、結果として生み出した科学の結晶にして叡智の果て。

 POL……意味は、『冒涜する命』。

「哲学的ゾンビってやつか。正直、おれには難しい理屈だけど……背に腹は代えられない、ってやつじゃないのかね」

「背に腹を変えちゃったから、こうなったとも言えると思うよ。結果論ではあるけどさ」

 端的に言えば、それは魂の物質化だった。

 感情だとか意思だとか、そういった人を人たらしめる、科学だけじゃ説明がつかない『何か』を個人からコピーし、別の容器にペーストする技術。人の本質は中身である、という言説が正しいとするならば、小さなSDカードに収められたその情報は、紛れもなく『人間』と呼べるものだった。

 SDカード一つにつき、十万人分。当時の世界人口がおよそ九十億人だったようだから……全て納めてしまえば、大体二百キログラムくらいにまで総人類は縮小される計算となる……凄い話だ。

「せっかく全人類を救ったのに、結局戦争で大半死んじまったってのは……無駄とは言いたくないけどさ、どーにも報われない話だよな」

「……古池くん、どうしたの? さっきから頭の良さそうな話ばっかり……風邪かな」

「う、うるせーな。おれだってたまには……おい待ておでこ触んな熱なんてねーったら!」

 むきーっとこちらを向いた古池くんに触れる。確かに風邪は引いていないようだけれど、そこには、しっかりと暖かさがあった。

「あのなあ……」半身を起こし、少しだけ顔を赤くしながら頭を掻く。「おれはお前と違って頭は良くないけどさ、それでもこのままじゃやべーのは何となく分かるんだよ」

「やべーっすか」

「やべーんだよ」

 至って真面目な表情に、心の中で少しだけ反省する。

「最悪、この僅かな人類で第四次世界大戦もあり得るわけだよ……可能性の話としてはな。そーならないためにおれに出来ることってなんだろーなーって、おれも考えてるわけ」

「……なるほど」

 まったくあり得ない心配、とも言えまい。何せ、第三次は自称真人間による突発的な暴走に近いものだったのだ。

 天体衝突と、それによる余波が最低限収まるまでの、数百年間。その間を宇宙ステーションでやり過ごした二百数名の宇宙飛行士の、その子孫たちは、地球に帰還して即、九十億のデータの移行作業を始めた。内容としては人工的に人間のモトを作り、脳にあたる部分にチップを埋め込むという、(倫理的にどうこうは置いておいて)当時の科学技術としては手間と時間こそかかっても難しいものでは無かったようだけれど……問題は、その後の拒否反応だった。

 物理的な話ではなくて、心理的な話。

 一千万人程まで人類が再生した時点で、それは起こった。

「『我こそは人間である』、か……それに拘った理由も、実はよく分かってねーんだけどな」

「拘りなんてそんなもんだと思うよ。誰にとっても」

「……言えてる。当人にとってどんだけ大事か、なんて、誰にも分かんねーもんなんだろーな」

 当時、チップで生き返った人々はNDと呼ばれていたらしい。それが『新しい天命』だったのか『死に損ない』だったのか、今となっては分からないけれど……そんなNDを、非人間として差別する人々が現れたのだ。

 とは言え、人間の中でNDでない人間なんて宇宙飛行士達の子孫しかいないわけで、果たしてND差別集団の中でNDでなかった人なんて、どれだけいたのか……

 或いは一人もいなかったのかもしれない。

「見た目も中身も殆ど変わらなかった訳だろ? ご飯を食べられて、おしゃべりだって出来て、女性なら妊娠も出来る。それでも差別が起こるってんなら、何をすれば、戦争の無い世の中ってやつになるんだろーな……」

「……そうだね」

 結局、第三次世界大戦は自然消滅によって幕を閉じることになった。多数の死者が出たのは勿論、戦争の一環で保存されていたチップがほぼ全て破壊され、使い物にならなくなってしまった。

 それが八千年くらい前の話。

 以来人類は緩やかな衰退を遂げ、今に至る。

 優しく静かな、ぬるま湯のような絶滅の道。

「……そう言やさ」

 指をくるくると回しながら、首を傾げて古池くんは言う。

「あとあとそんだけ問題になるんなら、逆によく、チップに移行する所までは行けたよな。記録上は全人類を漏れなく助けた……って話だったよな。けど、『俺はこのまま地球と心中するぞ』って人だって居てもおかしくない……つーか第三次を考えりゃ、居ない方がおかしくねーか?」

 鋭い疑問を投げかける古池くん。それ故に、心が重くなる。

「古池くん古池くん」

「……んだよ」

「想像してください。あなたは中学二年生です」

「……いや、実際に中二だけど、おれ。年齢的には」

「いいから」

 半ば無理やり促す。

「あなたは思想を過剰に先鋭化させ、社会への不条理と無秩序な全能感をはべらせた思春期モンスターです」

「はあ……」

「端的に言うと中二病です。自称サイコパスです」

「めんどくせー前置きだな……」

「さて、あなたは今、議論をしています。あなたは自身の意見を通したいですが、あなたの過激な意見は他人に嘲笑われ、賛同者は殆ど得られませんでした。この時、あなたは何を考えますか?」

 渋い顔でクエスチョンマークを浮かべる古池くんだったけれど、私の存外真面目な表情に文句をつぐみ、真面目に答える。

「えっと……要は、おれはやべーやつなんだよな? だったら……あれだ。反対意見を言うやつを全員ぶっ殺そうと考えると思う。実際やるかは置いといて……賛同者だけの状況を物理的に作り上げれば良いと考えるだろうな」

「そう、それ」

「……あ?」

「だからさ、全員ぶっ殺したんだよ。死んでいようと、データをコピーすることは出来るからね」

「…………」

 唖然とし、硬直。それから少しの静寂の後、古池くんはがっくりと項垂れ、ため息を吐いた。

「人間の非情さには恐れ入るな……思い付いてもやらねーだろ、そんなこと……普通に」

「まあ、合理的は合理的だよねー。最終的に命を救うっていう大義名分はあるし、データ化してから殺した記憶だけ消せばいいし」

「……結局、素直に滅びた方が世のため地球のためなんかね」

 膝を抱えて、むくれたように言う。一周回って本当に中二病みたいな意見に落ち着いてしまったけれど……真理の一環であることも、事実なのだと思う。

 人類は長生しすぎた。

 こんな終わり方も悪くないのかもしれない……それでも。

「……ねえ、古池くん」

「……なんだよ」

「好きな人っている?」

 古池くんは吹き出した。

「な、な、な……」

「いや、誰が好きかはどうでもいいんだけどさ」私は言う。「もしいるなら、早めにコクっちゃった方がいいと思うんだ」

 再び唖然。ただし今度は事情が呑み込めないというより、言葉を出そうにも出せない、といった感じだった。

「……なぜ、それを、今、言った?」

 しばらくしてから、やっとの思いで言葉を発する古池くん。

 ……これは、誰かいるやつだ。絶対に。

 二つ上の白川姉さんだろうか。

「人生のタスクをこなすのは、とっても大事なことなんだよ」

 噛んで含めるように、私は言う。

「人生にバッドエンドなんて無いけれど、それでも相対的により素晴らしい人生はあると思う。私は、最後に『いい人生だったなー』って思えることが、素晴らしい人生の条件だと思うんだ……例え悔いが残ろうと、残るまいと」

「…………」

「あんな成功をしたとか、こんな失敗をしたとか、全部。こんな世界だけど、やりたいことは、全部やった方がいいと思うんだ」

「お前……」

「それと、個人的に」にっこり笑う。「私は、古池くんが失恋して、泣いてる姿を拝みたいんだよ」

「……お前、悪魔だな」

 諦めたように息を吐く古池くん。

「けどよ、そーゆ―お前はどうなんだ?」

「……私?」

 首を傾げてしまい、古池くんをちょっとだけ怒らせる。

「あのなあ……おれにだけ言っといて、自分は何もしないってのはナシだろ。お前に好きな人は……居ないか」

「古池さん?」

「じゃあ、あれだ」指を突き付ける。「お前、ギターやれ」

「……ギターとな」

「いつかにやりたいって言ってたろ」

「……えっと」

 確かに言った。でも、あれは小説を読んで僅かに憧れた、という程度の話で、雑談のつもりだったんだけれど。

「やるな? やるんだな? よし!」

 半ば強引に決められる。けれども、私も告白を促した身だから、強くは言えない……それに、私にギターを強要する、ということは、彼自身も一歩を踏み出す、ということだ。

「いつか、村中の奴らを集めてお前のソロライブをやろう。その日に、おれも好きな人に告白する……どうだ?」

 笑顔でそう言われて、肩を竦めた。

「古池くん、ホントに好きな人いたんだ。ウケるね」

「ぶっ殺すぞ」


 思えば、そんな雑談がギターの始まりだった。

 六曲目を歌い終え、古池くんがぱちぱちと拍手する。それから目線で『次は?』と促され、私は七曲目を歌い出す。目線は手元の弦へ、ミスの無いように。

 ……ふと、雨が降っていることに気付いた。私もギターも、そして多分古池くんも、びっしょりと濡れている。

 問題なのは、それが強烈な酸性雨だったということ。ゆっくり、けれど着実に、私の指はじわじわと溶け出していた。

 あの日、私は古池くんに小さな嘘を吐いた。

 本当のことを言わなかったというか……NDが抱える純人間との差異について、具体的に話さなかったのだ。

 本来人の肌は常に弱酸性に保たれていて、それによって肌を守っているのだけれど……NDには、それが無い。故に酸性雨の影響をもろに受け、こうして溶け出してしまっているのだ。

 ――つい、ちらりと君を見た。

 古池くんは再びまぶたを閉じて、音楽に聴き入っている。雨で溶けだす様子も無く、音色だけを心へ響かせていた。

 ……止めたくない。

 どうしてか、そう思って、私は歌い続けた。

 ずるりと指先が落ちる音。幸い、雨と歌がかき消してくれた。

 沢山の幸せがありますように。

 そんな祈りとともに、私は半分の視界で、小さく微笑んだ。

「良い人生を」

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