第2話

――私は生徒で、あの人は先生で、もし恋人になれば禁断の恋だった。


だけど、校舎の外で、生徒と先生としてではなく、出会ったとするならば、それでも、禁断の恋なのだろうか。



矛盾と抑えきれない焦燥を胸に孕みながら、私は先生じゃない先生と出会ったんだ。


校舎の外、ざわざわと人がひしめく繁華街。

先生じゃない先生と、生徒じゃない私。

焼けるように暑い夜だった。



学校が終わると私はいつも同じ場所へと足を向ける。

学校から二駅ほど離れた位置にある、繁華街。

ゲームセンターやカラオケもあり、色んな世代の人で溢れているけど、夜になると一転して色を変える街並み。


ずらりと居酒屋や水商売のお店などが並ぶ通りに、もはや使命みたいなものを抱いて向かう。

高校生の制服姿が歩いていても夕方の時間では大して目立つ事はない。


中にはカラオケやゲームセンターに遊びに来ている学生たちも多くいて、私はそれに紛れながら見慣れた店に足を踏み入れた。



「おはようございまーす」


声をかけると、一様におはようございますと返事が返ってくる。

その奥にいる一際華やかな女の人を見つけて、頬が緩む。


「ママ」

「ああ、梓。おかえり」

「すぐ着替えるね」

「ゆっくりでいいわよ。学校はどうだった?」

「うんっ。先生が相変わらずかっこよかった」

「ふふ、梓は最近先生に夢中ね」


着物姿のママは、いわゆるこのクラブの経営者、ママってやつで、私はこの店の手伝いに来ている。

髪を巻いて、ウイッグを付けて、綺麗な波のようなドレスを着て、厚めのお化粧をして、店に出る。


だけど、だからと言って、私はまだ高校三年生でお酒も飲めないから、お客さんの接待をするわけじゃなく、いわゆる雑用係だ。


下手な格好は出来ないから、ホステスさんと同じく、綺麗にしているけど、仕事内容はドリンクを入れたり、フルーツを盛りつけたり、お会計をしたり、そんなもの。

接待なんて私にはできそうにないから、仕事はそれほど難しくない。

自分の親がクラブのママだし、従業員はとても優しいし、お客さんにもママの娘って事を知られていて、誰も手を出しては来ない。


今日は淡い水色の膝上ドレスを着てみる。

胸元が開いているのが気になるけど、ママが若い子は露出しても醜くないから大丈夫と訳の分からないアドバイスを送ってくる。

私の家族は、ママだけ。

パパは私がまだ小さい頃に浮気をして離婚してからは、ママはこの店を始めて、私を一人で育ててくれている。


私は高校に入ってから、ここにバイトを兼ねて、ママの手伝いに来ている。

大人しか足を踏み入れないそこに、一人高校生が紛れているのはおかしいけれど、衣装や化粧など全てを整えた私は間違えるほど大人っぽく見えるらしい。

高校生だと一度も当てられた事はない。

二十歳以上と思われるのもどうなのかと思うけど、その方が助かっているからいいか。


「あずちゃん。こっちに氷持ってきてくれる?」

「はい。お持ちします」


ウエイトレスのような仕事をしながらも、考えるのはあの人の事だった。


ぼんやりとした照明の店内で、ムードな音楽が鳴り響く。

着物姿のママが、ビップなお客さんと談笑をしている。

ママの艶やかな綺麗さが一際店の中で目立つ。


私はママによく似ていて綺麗だともてはやされるけど、それがママへのお世辞だって事を知っている。

ママは年をとらない。いつまでも妖美なまでに綺麗だ。

パパを自分の元から失ってから、ママは天使になった。

私はそんなママを支えながら、生きていきたい。


ママに精一杯の事をしてもらって、県内でも有数の進学校に入れてもらった。

地元の国公立の大学に入れるくらいには、十分賢くしてもらった。

大学を卒業した後は何も考えてないけれど、ママのこのお店を手伝って、ママと一緒にやっていければいい。


「梓。もう時間だから上がっていいわよ。お疲れ。先に家に帰ってて」

「うん、分かった。ママ無理しないでね」

「ありがと」


ママは慈愛に満ちた表情で私に微笑むと、席に戻って行ってしまった。

楽しそうにお酒を飲むママを見て私まで幸せな気持ちになる。

最後に恒例となっているごみ出しをしようと、今ある分のごみを手に取って、外に出た。


ママに外に出る時は少しの間でもサングラスをかけろとうるさく言われている。

ママに似た小顔を覆い隠すような大きな黒いサングラスをかけた。

むんとした熱気が感じられて、ひんやりとしたフロアとの違いに息苦しくなる。


夜の十時。

高校生がバイト可能と認められた時間までしか、ママは働かせてくれないし、外に出る時も学校の友達や、たまにこの辺りを見回りしている先生にバレたらまずいという事で、サングラスをかけさせられている。


そうじゃなくても、ドレス姿で厚化粧、茶色のブロンドのスーパーロングの私と、普段の学校の私と結びつく人はいないと思うけど。

普段の私は黒髪ショートで優等生っぽいイメージだろうし、まさかこんないかにも水商売っていう格好はかけ離れている。


それでも過保護なママにきつく言われるから言う通りにサングラスで暗くなった視界の中、片手にゴミ袋を抱えて外に出た。

店を出て外を歩く。

隣のビルの裏手まで歩かないといけなくて、そこまでゆっくり歩いていると、色んな人からの視線が突き刺さった。


派手なドレスに、サングラス、茶髪のブロンド、どれもこれもが私を繁華街の女にする。

ゴミ出しを終えて、店へと足を進めていると、いきなり腕を掴まれた。


「なぁなぁ、姉ちゃん。どこの店? 今から行くわ」

「……え?」


男の人二人に囲まれてしまった。

腕を掴まれているせいで走って逃げる事も出来なくて、くるりと後ろを振り返る。

どう見ても下品そうな顔をした男が二人にやにやと私を見ていた。

古びた靴、手入れされていない無精ひげ、ださい模様のネクタイ。


あからさまな男たちの容姿に眉を顰める。

そうだった、こういう露出のある服を着ている時は、上になにか羽織って行けってママにうるさく言われてたのに。

あーあ、また怒られちゃう。


「離して下さいっ」

「なに? 店教えてくれないなら、おじさんたちと今から飲みに行こっか」

「ちょっと離して!」


周りはなかなか助けてくれない。

興味深そうに、心配そうに見るだけで、足を止める事はなく、通り過ぎていく。


どうしよう。

ずりずりと少しずつ男たちに引きずられていく。

大声で叫ぼうかと悩んでいる時に、その人は現れた。


「おーい、やめとけ」


低いけれど、聞きやすいその声は、私の大好きなあの人を連想させた。

思わずその声の主を見上げる。



せ、先生!


目を見開くと、なにを思ったのか、先生は私に向かって笑うと、男の人に掴まれていた腕を掴んだ。


「手を離せ」


「チッ、なんだよ」

「愛想の悪い女は嫌われるぞ!」


若い男の人が助けに来た事によって焦ったのか、男たちは捨て台詞を吐いて去って行く。

周りからの冷たい視線にもようやく気付いたのだろう。

その様子を見つめながら、隣にいる先生を見上げた。



「大丈夫ですか?」


今も私の腕は先生に掴まれたまま。

そこはじわりと熱を持つように熱くなっていく。

蒸し暑い空気のせいで少し汗を含んだ先生の手が、私に触れていた。

その手をじっと見つめる。


「あ、すみません」


私の視線を辿った先生は、慌てて手を離した。

私はそれでもまだ自分の腕を見ていた。


先生は学校の時と少し違う。

無造作っぽくされていた髪も今は綺麗にセットされて、短めの髪は今風に四方八方に散っていた。


服もカッターシャツとスラックスの、スーツのジャケットを脱いだようないつもの格好ではない。

腕まくりもしていない。

Tシャツとダメージジーンズのラフな格好の先生が私を興味深げに見つめていた。

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