第21話(前編最終話)
詳しい描写はありませんが、ショッキングな内容が含まれております。苦手な方はご注意ください。
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次の日。
綾音の家で朝食をいただいていると、ダイニングテーブルの正面にある壁掛けの大型テレビから、淡々と原稿を読む若い女性アナウンサーが聞き覚えのある名前と地名を口にするのを聞いて、ハッとする。
向かいに座る綾音も、ほぼ同じタイミングで反応した。
「これって、“ブライツ”の……」
「石島さんだ――――」
アナウンサーが口にしたのは十中八九、石島の本名。昨夜、うちの最寄り駅裏の駐車場で刺されて倒れていたところを発見され、病院に救急搬送されたと報道されていた。
私がサヤカさんたちに誘拐された場所。薄暗くて、人通りの少ない穴場。
ニュースを見て、やはり何かの間違いなんかではなく、本当に事件は起こってしまったのだと実感する。
容体は――――重傷。
重体じゃ、ない。
(命に別状はないということ……?)
ほんの少しほっとする。
でも、まだ分からない。刺された場所にもよるけど、もし内臓損傷があれば、感染症などのリスクも上がるし、命の保証はない。
一通りその傷害事件について報道された後、続けて昨夜高層マンションからの転落事故があったとも報道された。
「これも近くじゃん。やだね、物騒な世の中で」
「リョウちゃんは、昨日石島さんのところへ行ったのかな」
「そうじゃない? 仲間だったんでしょ?」
「うん……」
サヤカさんは、何故石島を刺したのか。
あの時。あの倉庫で。意見が尽く食い違ってはいても、石島はサヤカさんのことを思って言っていたように聞こえたけど――――。
犯人は捜索中であると報道されていたので、サヤカさんが刺したという情報は、ブライツ内部のみで共有されたのかもしれないと思った。仲間内の誰かが一緒にいたとか、目撃していて、それでいて警察には話していないという状況は十分あり得る。
でももし事実なら、被害者が生きているのだし、すぐに発覚するだろうけど。あるいは報道されていないだけで、もう特定はされているのかもしれない。
逃げることは出来ないはずなのに、サヤカさんは一体どうするつもりなのか。それを考えられないくらい、精神的に追い詰められていたんだろうか……。
もちろん、サヤカさんが犯人ではない可能性もあるけど。
でも、リョウちゃんのところに入った情報なのだから、信憑性はあるだろう。
倉庫でリョウちゃんや石島に向かって声を荒げていたサヤカさんの不安定な様子を思い出す。
サヤカさんには自分なりの理想があって、グループをその方向に導きたい意志が強く感じられた。
石島がそれに反対するから刺したのだろうか。
あまりに現実離れした出来事で、いくら考えても、その時のサヤカさんの心情なんて私には分からない。
それでもずっと考えてしまうのは、何だか嫌な予感がして、止められないからだ――――。
それから綾音の服を借りて、昼頃に一緒に家を出る。時間は早いけど、駅で綾音にお礼を言って別れ、一人電車に乗った。
遅くなるとお母さんが心配するから。……というのは建前で、朝のニュースを観てからというもの、何だか分からないけど不安で、じっとしているのが怖いからだ。
重大な何かを見落としているようで――――。
まだ昼なので、最寄り駅から家まではバスで帰ると母に連絡した。
電車に揺られながら、またもや懲りずにサヤカさんのことを考える。
サヤカさんはあの時、精神的にとても不安定に見えた。リョウちゃんたちが現れてからは特に。
他人から奪うことを躊躇しないサヤカさんと、他人を巻き込むことを避けるリョウちゃん。石島もおそらく後者。
リョウちゃんに近い理念を持ちながら、石島がサヤカさんの側に付く違和感。
そしてその後の傷害事件。
おそらく似たような過去を持つのであろう両者を、正反対の思想に分けた理由は何なのだろう。
そこで、リョウちゃんの育った環境についても考えてしまう。
リョウちゃんは、母親とその恋人に虐待され、挙げ句の果てに捨てられて、それでも一人で懸命に生きてきた。
リョウちゃんの受けてきた不条理な境遇は、その幼い心を深く蝕んだだろう。表には出さなくても。いつも飄々と振る舞う影で、一体どれだけの悲しみを隠していたのだろう。
リョウちゃんだって、いつ心が壊れてしまってもおかしくない状態だったと思う。サヤカさんのようになってしまう可能性だって、十分にあったはずだ――――。
本当に紙一重で、何かほんの少しの違いが、二人を大きく隔てたのだろうか。
心が痛い。
私の知らない世界に生きていたリョウちゃん。
知っているようで、私は何も知らなかった。
最寄り駅に着いて、バスの停留所へ向かう。土曜の昼間なので人通りも多く、ガラの悪い人たちの姿は見られなくてホッとする。
例の駐車場付近ではおそらく現場検証が行われているのだろうと思いながら、反対方向に歩を進めた。
バスに乗りこむと、突然スマホがブブッと振動した。
見ると、リョウちゃんからのメッセージだった。
(リョウちゃん――――っ!?)
通知に表示された名前を見ただけで、意図せず唐突にキスをした時の映像が頭に流れてきて、バスの中で一人慌てる。
(リョウちゃんにとっては大したことじゃないのかもしれない……。それもショックだけど)
何とか気を取り直して、ドキドキしながらそっと画面を開く。
『今、家にいる?』
(家……?)
メッセージを見て、何となく疑問に思う。
バスが発車したら、数分で家の近くのバス停に着く。
(でも、リョウちゃんはウチの近くには来たがらないのに。何で今……?)
そう思いながらも、その旨をメッセージで送る。
『じゃあ行く』
痛ましい事件があったにも関わらず、ドキドキと高鳴り始める不謹慎な私の心臓。
リョウちゃんに会えることは、もはやコントロールの利かない無意識の領域で、私を刺激するみたいだ。
住宅街の中心を走る道路沿いにあるバス停でバスを降りると、すぐ近くの住宅の外壁の側にリョウちゃんが立っているのが見えた。
ここはうちのすぐ近くだ。
(連絡をくれた時点で、すでにこの近くにいたのかな?)
ここで降りた他のバスの乗客が、リョウちゃんのいる方とは反対側に歩いていく。
私はドキドキしながら、たたっとリョウちゃんに駆け寄った。
(……あれ?)
そこで、少し様子がおかしいことに気付く。
バスが着いたことにはとっくに気付いてるはずなのに、リョウちゃんはずっとこちらを見もせずに、石の壁にもたれて下を向いている。
(昨日と同じ服だ――――)
そして、リョウちゃんの服装が昨日と全く同じであることに気付く。
(昨日、帰ってないの……?)
「リョウ、ちゃん……?」
すぐ近くまで近付いて、恐る恐る声をかけた。
――――その時、
手首を掴まれて、ぐいっと強い力で引き寄せられる。
そのまま私の体は、すっぽりとリョウちゃんの体の中に収まってしまった。
「リョウちゃんっ!?」
「サヤカが、死んだ」
私の耳元で、リョウちゃんは小さな声でそう言った。その声はかすれている。
――――え?
突然の思わぬ言葉に、頭が回らない。
「……え? 嘘。なん……で?」
(サヤカさんが……死……?)
その言葉の意味を理解しつつも、理解が追いつかない。
密着するリョウちゃんの体がずしりと重い。雰囲気で、計り知れない悲しみが伝わってくる。リョウちゃんの体は、少し震えている。
「自殺した。飛び降り自殺」
「――――え?」
そこで、今朝のニュースが唐突に脳裏に過ぎった。あの女性アナウンサーの、淡々とした声――――
『昨夜、〇〇駅前のマンションの敷地から、女性と見られる遺体が――――』
確か、あれもここの最寄り駅……
パズルのピースがピッタリとはまってしまったように、違和感の正体が明らかになって、サーッと顔が青ざめる。
体も震えてくる。
飛び降り、自殺……?
どうして? どうして、サヤカさんが。石島を、刺してしまったから――――?
リョウちゃんは、私を抱き締めた体勢のまま、何も言わずにしばらくじっと動かずにいた。体は小さく震えたままで、リョウちゃん自身、現実を受け止めきれずにいるのだろうと思う。一度会っただけの私でさえ動揺するのだから、かつての恋人のことであれば、そうなるのは至極当然だ。
周囲の住宅街に、人は歩いていない。私たちは二人きりで、肌寒い風が吹く中、バス停の脇でただひたすらひっそりと抱き合っていた。
やがて、少し落ち着いた声で、リョウちゃんはポツリと突拍子もない話を始める。
「東京にさ、俺の新しい保護者になる人が住んでて、前々からそっちに来ないかって言われてたんだ」
え……?
な、んの話……?
東京?
保護者?
突然のことで話が見えない。そんなこと、話してくれたことなかったから。
そして次にリョウちゃんが口にした言葉は、私をさらに混乱させた。
「俺、東京に行くよ」
「え……?」
リョウちゃんは、私に意見させてくれない。というより、こういう言い方をされたら、私が発言出来ないことを知ってる。
そして、不安になる私に、敢えて決意を固めたように、ついに私が一番聞きたくない言葉が、その形の良い薄い唇から容赦なく放たれる。
「さよなら、ルカ。それを言いに来た」
――――え?
さよ……なら……?
……なんで?
その振り下ろされた残酷な
言わなきゃ。
言わなきゃいけない。
自分の気持ちを。
リョウちゃんを、引き留めないと――――
「リョウちゃん。私、私ね、リョウちゃんのことが――」
「……ごめん」
私の決死の覚悟の告白は、先を読んでいたかのように放たれたリョウちゃんのたった一言によって、あっさりと遮られた。
「言わないで」
続けて発されたリョウちゃんの言葉に、有無を言わせぬ決意を感じて、私は口を噤むしかなくなった。
ああ。もう、リョウちゃんは決めてしまってるんだ。
いつもは飄々としてるけど、一度決断すると、それを覆さないリョウちゃん。
ついに、リョウちゃんのこれまでの我慢の限界が、サヤカさんの死をきっかけに訪れてしまったのかもしれないと思った。
夢の中の、縄の橋を渡るリョウちゃんを思い出す。
°.°『じゃあね、ルカ。俺は行くよ』°.°
待って。置いていかないで。
心からの言葉を言おうとするけど、喉元で止まってしまって、声にならない。
リョウちゃんが本当に限界の状態なら、この決断は自身を護るための最善策で、それを止める術などないのだろう。
他に方法があるのなら、そもそもこんな強硬手段は取らないはずだ。
心とは裏腹に、私の恋心程度ではリョウちゃんを引き留めることは出来ないと、頭の片隅で理解出来てしまう。
「全部終わらせたくなったんだ。ここでの出来事を全部ぶち壊して、まっさらになりたい。ルカのことも、全部過去として、忘れたい。どうせ俺たちはうまくいかない。後戻り出来なくなる前に、忘れたいんだ――――だから、」
°.°『さよなら』°.°
それからリョウちゃんは、サヤカさんの死は自分のせいだと言った。
もう、こんなことは終わりにしたいと。
お母さんがいなくなって、サヤカさんまでも、リョウちゃんの前からいなくなってしまった。最悪な方法で。
もう全てを壊して、なかったことにしてしまわない限り、前に進むことが出来ないのかもしれない。
コップから溢れ出る水のように、限界を迎えてしまったんだ。
今までいろいろなことを考え抜いてきたであろうリョウちゃんに、何も知らない私が偉そうに何かを言うことは出来なくて、ただ、涙を流しながらリョウちゃんを抱き締めることしか出来なかった。
(私といることは、リョウちゃんには重荷なんだ)
『お姫様の気持ちは乞食には分からないし、乞食の気持ちは、お姫様には分からない』
以前、リョウちゃんに言われた言葉を思い出す。
リョウちゃんは、確かに私と距離を置こうとしていた。
なのに、私がどんどん近づいていって、リョウちゃんを困らせてしまったんだ。
大好きな人に一生重荷を背負わせることは出来ないと思って、私はふっと肩の力を抜いた。
・
・
・
「グループは、どうするの?」
「ケリをつける。全部終わらせるよ」
バス停近くの戸建ての外壁の側に、二人並んで座って話す。
グループについて、何をどうケリをつけるのか分からないけれど、何となくサヤカさんの死には私の知らない事情があるのだと感じた。
リョウちゃんが納得する形で終わればいいと思った。
もうすでに、何台ものバスが停まっては人が降り、去っていくのを見送っている。
最期の時は刻一刻と迫っているのに、どちらともその引導を渡せずにいる。
チラチラと雪が降ってくる。
今年初めての雪が。
リョウちゃんは、体育座りのまま空を見上げて、ハァと白い息を吐いた。そして、まるでそれが合図であるかのように突然スクっと立ち上がって、「じゃあね、ルカ。元気で」と言った。
「またね」とは言わずに。
いつもの声で。
また、明日にでも気軽に会えるような調子で――――。
もう。そんなところが、リョウちゃんらしくて泣けてしまった。
一切振り返らずに去っていくリョウちゃんの後ろ姿を白く霞ませる初雪は、私の涙のように、降っては降っては、地面に溶けていく。
――――こうして、私の初恋は儚く散った。
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ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ここで前編は終わりです。
後編はなるべくダラダラせずに、書きたいことだけ書いてスパッと終われるようにしたいです。(それが結構難しかったりしますが……笑)
後編はここから四年後の話になります。
新たな人間関係に取り巻かれる瑠夏とリョウちゃんの今後を、変わらず応援いただけますと幸いです。
美浪
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