第28話 覚悟
その後、俺はホタルと共にヴァルハラの色々な場所を巡った。
料理店だったり、娯楽施設だったり、屋台の立ち並ぶ商業地区だったり。気付いたら日が暮れていたぐらいだ。
夜空にはキラキラと星が瞬いている。
ヴァルハラは文字通り楽園だ。
ここで暮らしている人々に暗い表情をした人物はおらず、皆が笑顔で暮らしていた。
エリュシオンに蔓延していた陰鬱な空気は全くと言っていいほどない。
俺はまるで別世界に来てしまったような感覚に陥った。それほどまでにヴァルハラは平和だ。およそ終末とは思えない。
……あぁ。これが幸せなのか。
道行く人々の姿を見て、俺はそんなことを思った。
隣の人とただ笑い合う。幸せというのはたったそれだけでいい。簡単な物なのだ。
「楽しいね。ヨゾラ」
口調の戻ったホタルが楽しそうに笑顔を浮かべる。
ヴァルハラにいる今は気を張る必要がないからだろう。その笑顔はとても輝いていて、俺には眩しかった。
「……ああ。そうだな」
頷いた俺はふと思った。
……俺の表情はどうだろうか。
確かに俺は今、楽しいと感じている。
しかしおそらくホタルとは対象的な表情をしていることだろう。なにせ俺の胸中は幸福感よりも罪悪感の方が強い。
何故かはわかっている。
今もなおエリュシオンにいる同志たちは死の恐怖に怯え、苦しんでいるのだ。
そんな中、俺一人が幸福を享受する。到底許されない行いだ。
前を歩くホタルが足を止め、振り返った。
「でもヨゾラは辛そうな顔だね」
「まあ……な。残してきた仲間達を思うとどうしてもな」
「心から楽しめない?」
その通りだと俺は頷く。
「ねぇヨゾラ」
「なんだ?」
「キミが今日経験した事は全部初めてのことなんだよね?」
「そうだ」
美味しい紅茶を飲んだのも、美味しい食事をとったことも、人々が笑顔で笑っている光景も見たことも俺にとっては全てが初めての経験だ。
「ヨゾラはさ。仲間にも幸せになって欲しいとは思わない?」
「……そりゃ思うさ。思わないわけがないだろう。みんなで幸せに暮らせればどれだけ幸せか!」
つい声が大きくなった。
周囲の人々が驚いて俺たちの方を見る。
「すこし移動しよっか?」
「……わるい」
謝りつつ、俺たちは人気のない場所に移動してベンチに腰掛けた。
「……俺には選べるだけの力はないんだ」
たしかに俺は強大な力を手に入れた。
無制限に使えるのならばエリュシオンに囚われた隷属兵を救い出すことすらできるだろう。
だけどこの力はおいそれと使えるような物ではない。
燃費が凄まじく悪い以上、使いどきは限られる。文字通り切札だ。
「ヨゾラ。今考えてる計画を教えて?」
「……ああ。まず各地に隠している遺物を回収する。その後、ヴァルハラの誰かを転移ポータルに案内する」
ヴァルハラの人間であれば誰でもいい。
他の
きっと転移ポータルは開く。
「使者と名乗ればおそらく転移ポータルは開く。開いたら俺が突入し、力を使う。そして魔力が尽きる前に、浮遊石を全て破壊する。そうすればエリュシオンは堕ちる」
俺が居なくなった結果、エリュシオンの同志たちがどうなったかはわからない。
しかし影響は大きいはずだ。
俺は彼らの精神的支柱だった。おそらく俺が消えた事により、自ら命を断つ同志は少なくない。その為、援軍も期待することはできないだろう。
加えて現段階でヴァルハラの協力を得られるかは不明だ。
だからこそ行き当たりばったりの計画になる。
俺からしてみればお粗末で杜撰な計画だ。希望的観測が入りすぎている。
「やっぱり私たちの協力は最小限で考えているんだね」
「まだ協力を得られるとは思っていないからな」
「なら私が協力したら?」
ホタルが言っているのは転移ポータルの案内だけではなく、エリュシオン内部での協力だろう。
つまり戦って、エリュシオンを堕とすということだ。
「………………ダメだ」
俺は絞り出すように答えた。
内部で戦えば生きて帰れる保証はない。
エリュシオンの正規兵に殺されるか、墜落に巻き込まれるか。
そんなことにホタルを巻き込むわけにはいかない。
いや、巻き込みたくないと俺は思ってしまっている。
死ぬのは俺だけでいい。これは俺と同士たちの叛逆だ。
……クソッ!
俺は自覚した。ホタルという少女に情が湧いている。
以前の俺ならば、こんなことを考えずに利用していただろう。
その結果、死のうが生きようがどうでもよかった。
しかし今は違う。死んで欲しくないと思ってしまっている。
「それは私が死ぬ可能性があるからだよね?」
「……」
俺は答えられなかった。しかしその沈黙は答えだ。
「ならさ。他の人はどう? 例えばあの人が協力するって言ったら?」
ホタルが目の前を横切った青年を指差した。
隣にはにこやかに笑う子供がいる。親子だろうか。仲睦まじく手を繋いで歩いている。
「……」
俺は答えることができなかった。
ヴァルハラでの暮らしを知ってしまったからには決断を下せない。それが答えだ。
「……くそ。オルデュクスが見て回れって言ったのはこういう事か」
まんまとしてやられたという訳だ。
俺はもう、ヴァルハラに住む人々を己の利益だけで利用する事はできない。
まさかここまで俺の心が弱いとは思っていなかった。
「ヨゾラは気付いてなかったかもしれないけどオルデュクス様はエリュシオンの人々を保護するつもりだよ。あの人はそういう人だからね」
「……罪人が、か?」
つい思ってもいない事を口にしてしまった。
禁忌を犯した罪人なのは事実だ。しかし今日話した限り、オルデュクス王が悪人だとはとても思えない。
ヤツは紛れもなく良き王だ。
するとホタルは悲しそうな表情を浮かべた。
その顔を見ると胸が締め付けられるように痛くなる。
「昔話をしてあげるね。ヨゾラ」
そうしてホタルは昔話を語った。
かつて世界には秘密結社アルカナトスという組織が存在した。
アルカナトスの存在意義は世界中に存在する神秘の蒐集、そして研究。それは何十年、何百年、連綿と受け継がれてきた。
数多の犯罪行為や非道な人体実験を繰り返した結果、アルカナトスの支配者たちは寿命を大幅に伸ばす事に成功した。
しかし何事にも限界はある。アルカナトスが創設されてから五百年。支配者たちの寿命は尽きかけていた。
死に恐怖した支配者たちが不老不死への到達を目指したのは当然と言える。
しかしその過程で禁忌録の存在を知ってしまった。
世界か自分自身か。
決断を迫られた支配者たちは後者を選んだ。
死への恐怖は禁忌を上回ったのだ。結果として支配者たちは禁忌を犯し、世界は終末を迎えた。
そんな組織に一人の研究者がいた。
彼は組織の非人道的な研究に怒りにも似た不満を抱えながらも家族を人質に取られていた為、逆らえなかった。
青年は世界が終末を迎え、人々が空へ逃げた時に思った。
――このままでは悲劇が再び繰り返される。
支配者たちの統治は悲惨なものとなるだろう。そう確信していた青年はこうも思った。
――誰か止める者がいなければならない。
青年は自らの手で禁忌を犯した。
他の不死者を止めるという目的の為に。
「それが……オルデュクスか?」
「うん。決して自分からは言わないけどね。ヨゾラには知っておいて欲しくて」
確かにオルデュクス王は罪人なのかもしれない。しかしそれは必要な悪だったということだ。
結果として今のヴァルハラがあるのだからオルデュクス王は正しかったのだろう。
「すまない。俺が間違っていた」
「うん。わかってくれたならいいよ」
俺は一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
「……オルデュクスは俺に何を求めている?」
「多分、エリュシオンを堕としてほしくないんだろうね。ヨゾラみたいに精一杯生きている人たちがたくさん死んじゃうから」
「でも俺は……」
「ねぇヨゾラ。キミが譲れないところはどこ? エリュシオンを堕とすところ? それとも上層部を皆殺しにするところ? 理想を教えてくれる?」
そんな物、決まっている。
俺が到底無理だと切り捨てた願いだ。
「……
エリュシオンを堕とすなんてのは
なるべく犠牲者が出ない方法があるのならばそれが理想だ。
「なら決まりだね。その方向で計画を立てよう。私も手伝うからさ」
「だけど――」
「――ねぇヨゾラ」
ホタルは俺の頬を両手で挟み、強引に視線を合わせた。至近距離で紅い瞳が見つめてくる。
「あの時ね。私、もうダメだと思ったの。それを救ってくれたのがキミ。キミは自分のためだったって言うけど、それでも私は感謝してる。きっとキミが思っている以上にね。だから私はキミの力になりたい。その理想を叶える力になりたい。だから私を信じて頼って欲しい。ダメかな?」
命を助けてもらった恩は俺が考えているより大きいのだとホタルは語る。
信じてくれと訴える。
心が――揺れる。
ホタルの要求を気丈に跳ね退けることが出来ない。
……くそ。
どうやら俺は覚悟を決めなければならないらしい。
俺はもう一度大きく深呼吸をした。
「……わかった。ただし条件がある」
「なに?」
やるからには徹底的に、だ。
誰一人死なせない。必ず生きてヴァルハラに帰す。
「ヴァルハラが持つ戦力を全て教えてくれ。武器や防具、人工遺物、探索者の能力、全てだ。俺が誰一人死なせない計画を立てる」
無理難題かもしれない。中には機密情報もあるだろう。しかしホタルは頷いた。
「わかった。結論を出すのはオルデュクス様だけど、私が説得する」
「すまない。……頼む」
「違うよヨゾラ。そこはありがとうでしょ?」
「……ああ。そうだな。ありがとう。ホタル」
覚悟は決めた。
あとは俺の全身全霊を持って挑むのみ、だ。
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