第6話

 私は度々帰国しては数週間日本に留まり、昼はヘルパーさんなどに家をお願いし、外の用事を済ませ、夜は父の介護の手伝いでした。

 脳機能と共に体の運動機能が低下していくと、父は会話が不能となり、言葉はほぼ発せられず、遂には寝たきりになりました。後に在宅介護が限界になりホームに移りましたが、ご高齢の方々の食事では栄養量が足りないため、誤嚥にならない食事を作って食べさせにホームへ通いました。

 母と姉は、どんどん言葉が減った父が発し続けたわずかな単語を真似ながら介護をしていました。

 私にはそれが嫌だった。

 頭が働かなくなった自分が単純な語を繰り返すしかなくて、それを目の前で真似されるなんて、本人だったら絶対に嫌だと思ったのです。

 日々の介護の過酷さは想像に余りあります。二人はそうでもしなくてはやっていられなかったのでしょう。

 その苦労も帰国時しか味わわず、昼は他人に甘えていたくせに、こんなことを思う私を父は何と言ったでしょうね。



 留学時の詳細は割愛させてください。日々、図書館と大学と資料館と家の往復を繰り返しました。

 他の留学生は欧州各地へ遊びに旅行していました。フランス留学していた幼馴染も私の街に遊びに来ました。

 そのことを母に報告した時、実現の意図ではなかったけれど「私もフランス行けたらいいよね」と言ってしまった。その時の母の「旅行なんて許すわけないでしょ」との言葉から、私は研究関連の用以外では自分の住む市から一歩も外に出なかったのです。

 後に母がそんなつもりなかった、何でそんなの言うこと聞くの、と言われ、初渡航後数年経って初めて友人と純粋に遊びの旅に出ました。

 父がホームに入った後、まだ生きているうちにと姉は結納、翌年に挙式して家を出ました。その約半年後、私は留学後初めて研究とは無関係の一人旅をしました。

 学部時代に私が英国研修に行った時も父は言っていたのです。「こんな機会ないからケチらずに行きたいところは見て来い」と。

 GWの帰国フライトを取っての旅行。安宿と安交通チケットで回る春のイタリア旅行。家族で行った都市も含む旅はとても楽しかった。帰国後の土産話をと満喫して留学地に戻ると、母からメールがありました。

 父が入院していたそうです。母は私が旅行中に気にするといけないと思って帰るまで待っていてくれたと。予定通り帰国し、病院の父を見舞いました。確か、容体がすぐ危ないというようなことではありませんでした。

 介護の時と同じく返事ができない父に一方的に話しかけ、あまり動かない表情を見ながら語りかけます。

 そして欧州へ戻る前日。いつも通りの面会で、私は父に「明日向こうに戻るからね」と伝えました。

 その時です。

 父が突然騒ぎ出したのです。食事を食べさせても、排泄の世話をしても、薄い反応しかない父が、言葉にならない発声をし、もがくように騒いだのです。「行くな」と言うように。

「どうしたの父さん、大丈夫だよ。私また夏には戻ってくるから」

 驚いたけれど笑って、そう言いました。



 欧州に戻り一週間経たない頃、母から戻れと連絡が来ました。母とやりとりし、即日ではないですが翌日か翌々々日かの手頃な値段のフライトが取れました。

 トランジットの空港で、家族との連絡が途切れました。


 

 あの時、私が戻ると言ったのを聞いて騒いだ父は、予感していたのか。

 一週間日本に留まっていたら。直行便に乗っていたら。

 何かあったら戻ると約束して、私は間に合わなかった。

 

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