第4話

 私と父は仲の良い父娘でした。私の目から見る我が家のヒエラルキーは、姉が頂点、母が次点、その下に父と私がいます。

 中高時代にまともな反抗期もなく、週末には父が食材の買い出しに行くと言えばついて行き、お盆のお墓参りも母や姉が用事で不参加のところを二人で行ったり、強気な姉母の下での同盟だったのかもしれません。

 私は文学部に進学し、芸術を決して娯楽に終わらぬ、苦しみの面もある行為・産物と考えています。対して実学主義とも見える母にとって、少なくとも当時、芸術は娯楽であり、「余裕がある時にするもの」と私に言っていました。

 文学部は「お気軽」だったのですよね。実際、姉の就職試験のような機会には自分の仕事よりも優先してぴりぴり気を配っていたように見えた反面(邪魔にならぬよう私は友人宅に泊まりました)、私の大学院の試験の際には出張でおらず(仕事で仕方がないとはいえ)「姉と比べるとレベルが全然違う」と言われました。将来を決める岐路という点では同じなのですけれどね。

 母と私は根本的に考えが違うのです。母を否定する気はないです。ただ、芸術文芸をそんな風にしか見られないのは失礼だと思うし、芸術文芸が与えてくれるものが分からないのは哀れだと思います(今は私の話を再三聞いて考えが変わったと主張しますが、やはり根本的には同じままに見えます)。

 それに対して父は芸術、特に音楽が好きでした。常々プレイヤーからクラシックが聞こえていました。音楽にのめり込んだ私は、父が好んだ演奏家の演奏を聴いて「あれは良いよね」と言い合いました。私と一緒に行くために父はN響の定期公演の券を押さえ、プレヴィンのモーツァルト弾き振り生公演に出かけました。美味しい食べ物も好きで、食にこだわるのも似ていました。

 幼い頃、叱られるようなことをした私に、一度の過ちがあっても更正できると父が語るときに出した例は、(確か)私が後々大好きになるミュージカルの原作レ・ミゼラブルのヴァルジャンであり、その岩波文庫四巻本を買ってくれたのは父であり、また中学生の私が熱狂的に読んだ指輪物語の邦語初版は父のものでした。

 私は父が大好きだった。

 それなのに父のことではなく自分の留学を欲してしまった。なんてこの上なく愚かな思考か。なぜそんなことを思ったのか。

 許せなくて、自己の望みが父より優先されて留学を諦めることへ悲しい悔しいと気持ちが湧いたのが悍ましく許せなかった。


 その時の哲学のゼミではニーチェを読んでいました。

 キリスト教世界にいて「神は死んだ」と公言したニーチェ。

 教授に問いました。

「先生、ニーチェは良心の呵責は感じなかったのでしょうか」

 私がいま耐えきれない良心の呵責は。

「君は面白いことを考えますねぇ」

 教授は笑いました。

 先生、笑い事じゃなかったんです。

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