第2話
「おっかしいなあ」
やや高めの声でいつもと同じく軽めに発せられる疑問は、大ごとではなく聞こえ、しかしそうではないものでした。
年の瀬のこと。私は例年と変わらず、台所で数の子を塩水に漬けながら皮を剥いていたと思います。お節料理の準備でした。
「変だなあ」
繰り返される問いは父のもの。脳検査の結果写真を手にしていた気がします。重たい雰囲気はなく、別の検査も受けてみるというので何か病気の兆候かと不安になったくらいでしたか。
以降の数日のことは、本当に順序をよく覚えていません。追加検査を受けた父に重大な所見があったことは分かりました。
その後、年始にかけて家族の言うことがおかしいのです。
姉が年始に実家に帰り、外食をほぼしない我が家としては極めて珍しいことに、着物を着て近所のイタリアンにランチに行きました。
父は明るく軽い調子のままです。それなのに時々自棄的な言葉を口にします。
検査結果から何の病気が見つかったのか教えてくれません。
それなのに、お雑煮を食べて、お正月にしか出さない漆の食器をしまいながら、あの母が、常に厳しく弱音ひとつ吐かない母がすすり鳴き声で言うのが聞こえる。
「来年も使えますように」
何が起こっているのか。
これから父に起きるだろう事柄が語られました。脳と記憶力への影響、身体能力の低下、そして。
いずれもこれから起こり得る予言なのに、その時期も知れず、いつ体調が急降下するかも分からない。目の前の父は健常者そのものなのに、不安ばかりを掻き立てる言葉を。
病名は口にされず、不確かで不穏な可能性ばかり。
でも母は病気を知っているようで、そして医療関係者である姉も承知しているようで。
私だけに知らされないのです。
何が起きているのか。父の身体に生じた病魔は何なのか。その実態を私だけが知らない。
その晩、電気を消した自室の布団の中で、私のモバイル・デバイスの画面はずっと明るかった。
聞いた情報を元にワードを打ち込んで検索しました。症例、障害が出る部位、病の経過、複数の単語を組み合わせて医学サイトを探しました。
ある解に辿り着きました。
隣の部屋には姉が寝ています。
声を押し殺して、それでも止め切ることはできなかった。
翌日、私から話しかけたのか、異変を感じた父が私に声をかけたのか。
見出した病名を、問いました。
父は言いました。
「おまえ、すごいなあ!」
医療を専門としない私が自力で診断を下したことへ、最上の賛辞を、普段は見せないくらいあっかるい笑顔で。
すごいなじゃないよ。
発症率は百万人中に一、二人。
治療薬も進行を防ぐ対抗薬もない。早くて月単位で、平均的には一年ほどで確実に死に至る。
指定難病のうち、難病中の難病です。
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