第一話 『スタンド・バイ・ミー』 その3/名家のたしなみをナイフに込めて


 三十分ぶりのコミュニケーションはすぐに終わる。ひとり言の悪癖をもつ少女は、それをガマンしていたのだ。感情を吐き出したくなっても、こうも密着していては聞かれてしまう。それじゃあ、ひとり言にはならない。沈黙は嫌いだが、なれ合いたくはない。


 馬に乗っていた。ふたりで、しかも一頭の馬に。


 金色がかった毛並みをもつ白馬の背には少女と、彼女をうしろから抱きしめるようなかたちで少年がいる。やさしい声が右耳のちかくで聞こえた。


「寒くはないか?」


「ええ。大丈夫」


 まるで安っぽい恋愛小説に出てくる貴族のデートのようだった。


 だが、現実はそれほど甘くない。


 この白くうつくしい生き物は軍馬であり、ここは異常なまでに危険な森であり、今は重要な作戦の最中なのだから。


 赤い僧服を身につけた、ながい黒髪をもつシスターと、緑のコートを着た金髪の少年。ふたりの瞳は同じ青。そして、光を浴びれば金色にもかがやく白馬。ずいぶんカラフルなメンバーではあるけれど、色気なんて、どこにもないときた。


 少女は恋心などではなく、武器を抱きしめている。銀の銃弾が装填された使いなれたライフル。その重さだけは、いつでも頼りになった。少年はそのライフルを分析する。


「銃剣までつけているな。北方式のスパイク型。油もぬり込んで、よく手入れされている」


「信じられるから」


「オレの剣よりも?」


「うん。とくに、『悪魔』が出てくるような森にいるときはね」


 周囲を見回す青い瞳には、おびえがない。いつもの『悪魔退治』と同じ要領だ。この仕事には例外なく知識がいる。だから歴史を頼るのだ。『逆さ吊りの都』のはしっこには、悪魔の貴族どもが所有する『ハンティング・フィールド/狩猟用の森』がいくつもあった。


 この白く枯れ果てた森だって、そのひとつ。


 一世紀前の修道士イエバスとその仲間たちが残した手記は、そこそこ頼りになる。不完全ではあるものの、やらなくてはならないことを教えてくれた。ここに敵がいるのなら、出てきた瞬間に銀の銃弾を叩き込めばいいだけ。「音を頼り、警戒して進め」。


 悪魔だろうが、そいつらがペットにしている未知の獣だろうが、銀の弾丸を一発撃って追い払えばいい。そして、見つけてあげるのだ。かわいそうな『迷子』を。


「……ぜったいに、助け出してあげるんだから」


「安心しろ。オレたちならやれるよ」


「ええ」


 やさしい声は好ましい。無条件で落ちつけるから……この少年はウワサの通りに英雄らしい顔立ちをしていた。


 凛とした眼差しの美形で長身、賢くて勇敢。新聞記者は枢機卿に人質でも取られているかのように、彼の息子をほめたたえてきた。


 戦争で活躍した『史上最年少の聖騎士』さまは、異教徒どもにさえ慈悲深いそうだ。敵を打ち倒し、敵の町を焼きはらっただけでなく、難民にはすこやかなほほえみでパンと毛布を配り、その人徳で多くの敵国人を改宗までさせたとか……。


 出来すぎだ。作り話だろう。


 ……それらの伝説を信じてはいなかったが、実際のところ、美形なのは事実だ。


 算数をしよう。


 美形で高身長、若くて紳士的、勇敢で、おそらく有能。戦争では大活躍して山ほど勲章をもらったから社会的地位もある。さまざまな事実を加点していけば、そういった人物は、たしかに『英雄』だった。すくなくとも、いいヤツそうだ。寒くないかも聞いてくれたし。


 ……だが。


 だからこそ、疑うべきだと少女は考える。


 北方に伝わる言葉があった。『罠は期待にしかけろ』。


 裏切られるとしても、この場所は危険すぎた。


 拠点である修道院から遠くはなれた、枯れ木だらけの森のなかだ。目撃者は誰もいない。どんな事件が起きても、隠してしまうのは簡単だった。そこらに死体を埋めればいいだけ。


 北に彼がやってくると知ったときに直感した。


 この少年は『敵』なのかもしれない。「そうではない」と言葉で否定して、今のところ行いとやさしい声で誠実さを示していたとしても。盲目的に信じる気にはなれなかった。


 ルスラエク家の事情は、複雑だ。


 まがりなりにもその一員である自分が死ねば、得をする者がいるのかもしれない。「注意しなさい、アシュレイ。疑いたくはありませんが、これを常に持ち歩いて」。師匠から助言とちいさな銀製品が与えられたのだから。「あなたに女神のご加護がありますように」。


 少女は服の内側に銀のナイフを用意している。


 隠しもった牙だ。いきなり暗殺者としての本性を少年が見せてきたとき、これをつかって生きのびるための。修道院仕込みの乙女の護身術がある。背後から抱きついてきた男を、すばやく刺すためのテクニックが。


 ……名家の血を引いていると、ろくなことがない。少女はそう考えている。


 権力や財産のために親族から暗殺されたなんて、非常識で正しくもないくせに、何ともありふれた物語なのだから。困ったことに。自分もそうなるかもしれない。


 襲われたら反撃してやろう。条件は同じ。死体を埋めれば、誰にも気づかれない。悪魔に死体を利用されないように、祝福だってしてやれる。自分は聖教のシスターだ―――。


「あまり緊張しすぎるな。肩に力を入れすぎると、もしものときに動きがにぶるぞ」


「……集中しているの。ふたつのことにね」


「迷子と、彼女をさらった聖騎士か」


 ……それなら、みっつになる。ひとり言は封じることにしよう。無言になる。



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ルスラエク・コデックス/聖なる鎖の姫君と物語を喰う竜 ~逆さ吊りの都と千霊の監獄~ よしふみ @yosinofumi

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