episode 2 王子が無事に帰ったら?

 しかし、田畑の次の言葉のほうが僕には重大だった。

「ところで坂巻、一応訊いとくがな、王子が無事に帰ったらこの複製はどうするつもりなんだ?」

 はっとした、僕の未来のこと。問われた坂巻が「それは、その……」と言いよどみ、耳しか頼れない僕は彼がどういう顔をしているかとても気になった。せめて自分がしゃべれたら質問でうかがえるのにと思うものの、今は彼の顔色より自分がどうなるかである。

 すでに僕は、王子が死んだら記憶を上書きされて〝記録〟にさえ残らないと決まっている。ただし逆は未定で、僕の存在も消えないかもしれないのだ。

「実は、複製を造ったあとで龍弥王子にご提案してまして――」

 田畑と思われるいらだちの靴音が聞こえ、坂巻がやっと話し始める。

「そもそも王子にもしものことがあったら身体が無事ではすまないから複製したわけですけど、龍弥王子がご無事なら複製も別人として生きさせようって。名前は王子におひまな時間にでも決めていただくことになりました」

「はあ? それはいくらなんでも無理だろう」

 田畑が首をひねった気がした。すると、

「ずっと隠してきた双子ってことにするんですよ。まあ国民は信じても王宮の人間はだませませんけどね。あと、指揮官にひまなんてあるんでしょうか」

 坂巻が僕の名前のことまで心配するものだから、「いやいや名前はどうでもいいんじゃないか? 相変わらずまじめだなあ」と声で苦笑する田畑。ずいぶん前に見た弱り眉毛が目に浮かんだ。

 そして、僕がいるのは王宮内に設けられた地下研究所のはずが、翼が薄紅色に染まった姿を思い起こさせる「かっ、かっ、かっ」という朱鷺トキの声がした。ここはどこなのだろう。音しかわからない僕は、複製されてから知らないうちに移動していたらしい。

 それより僕は王子とそっくりだから、二人同時に人前に出るには双子といつわるしかないが、ならば複製の僕を今のように閉じ込めてしまえばいいではないか。彼が生きた身体ごと戻ってきたらいっそ僕は死んだほうがいいに違いないけれど、正直本音では死にたくなかった。

 そんな複製の僕が感触のわからない頭をひねった気になったとき、

「そうだ坂巻、今日こうして王宮に戻ってきたのは一つ相談があるからなんだ。ここはまた今度にして、ちょっと来てくれ」

 少し距離を感じる田畑が今日一番神妙な声で信頼する後輩に訴えかける。僕がえっ、と出せない声で止めようとしても、二人の気配は遠ざかっていった。

 まったく、研究者たちは今の僕が〝意識〟が途切れずに耳も働いていることにいつ気づくのだろうか。僕は王子の複製として生まれたときから一睡もしないで起きたままなのだ。きっと事態が次の段階に進むまで麻酔で眠らせておくつもりが、何らかのミスで逆に一部が通常以上に目覚めたままになっているのだろう。今の僕を包む憂鬱ゆううつは、未来への不安だけでなく退屈のせいでもあった。

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