後輩の偵察
「カズ、おはよ」
朝、教室に入ると茉莉が俺に手を振って笑顔で挨拶してきた。俺も彼女に挨拶を返す。
「ああ、茉莉もおはよう」
俺たちは互いに下の名前で呼びあうようになっていた。昨日、彼女から「友達なんだからお互いに名字で呼ぶのはよそよそしい」と言われて変えたのだ。
身内以外の異性から下の名前を呼び捨てにされるのは実は俺の人生で初めての経験だ。なんともくすぐったい気分ではあるが…嫌いではない。
俺は自分の席に向かい、学生鞄を床に置いて中の物を机に入れる。
前の席に座るトーゴはまだ来ていないようだった。
珍しい。彼はこの時間には大抵登校しているはずなのだが…寝坊かな? 通学中も彼と会わなかったし。
茉莉はそのまま主のいないトーゴの席に座り、こちらを向いて椅子の背もたれに前かがみの姿勢でもたれ掛かる。
現在、俺と彼女の間には20センチにも満たない距離しかない。物理的な距離が近いという事はそれだけ心の距離が縮まった証拠である。
彼女との距離が縮まったのは喜ばしい事だ。
…しかし1つ困った事があった。
今は9月後半、まだまだ暑い。当然制服も夏用の生地の薄いYシャツである。その白い布地から彼女の水色の下着が透けて見え、少し目のやり場に困ってしまった。
俺はなんとかそれを意識しないようにしながら、作業を続ける。
「昨日はなんかごめんね。ちょっとセンチメンタルな気分になっちゃって…」
「人間なんだからそんな気分になる時だってあるさ。どんな時も平静を保ち続けれらる人間なんていないと思うよ。それに…友達の気分が沈んでたら励ますのは当然の話だろ?」
「…ありがとう。やっぱりカズって結構優しいよね」
「そうか? 別に普通だと思うけど」
「ううん、友達の気分が沈んでいても我関せずって人普通にいるもん。『めんどくさいのが嫌!』…みたいな? カズみたいに友達が悲しんでいたら、ちゃんと励ましてあげられる人って中々いないと思うよ」
茉莉は昨日の1件で大分俺に親しみを感じてくれたらしい。俺たちはもう完全に仲の良い友達といった関係になっていた。
よしよし。この調子で彼女との距離を縮めよう。
○○〇
俺と茉莉が談笑していると、教室の入り口にトーゴの姿が見えた。
しかし彼は何故かどんよりとした顔をしていた。彼の後ろには妹の渚ちゃんの姿があった。
「ここがあの女のクラスね!」
渚ちゃんは教室に入るや否や、意味不明の言葉を呟いた。昔から言動が面白い娘だったが、最近はそれに拍車がかかってきている気がする。
彼女が2年の教室にくるなんて珍しい。何か用事かな?
「トーゴ、おはよう」
「あ、ああ。おはよう」
俺は近くに寄って来た親友に朝の挨拶をした。トーゴはなんとも気まずそうな顔をして俺に挨拶を返す。
それを疑問に思った俺はトーゴに「何かあったのか?」と尋ねた。だが彼は「何でもない」と手を振って答えるだけだった。
「先輩、おはようございます!」
「おはよう渚ちゃん」
トーゴにひっついて渚ちゃんも近くにやって来た。彼女は元気よく俺に挨拶してくる。俺も彼女に挨拶を返した。
「あ、ごめんキッシー。どくね」
トーゴの席を占領していた茉莉が一旦椅子から立ち上がり、俺の隣の席に移動した。ちなみに「キッシー」というのはトーゴの事だ。岸和田なので「キッシー」である。
隣の席に移動した茉莉が俺に小声でささやく。
「(ねぇねぇカズ。キッシーの隣にいる可愛い娘って誰? キッシーの彼女?)」
…ちょうどいい機会だから茉莉に渚ちゃんの事を紹介しておくか。どうせなら2人にも仲良くなって欲しいしな。
「彼女は渚ちゃん。トーゴの妹だよ」
「ええっ!? キッシーの妹なの!? 全然似てないから気が付かなかった…。ってごめん。兄妹に似てないって言うのは失礼だよね」
「…構わんよ。よく言われるから」
平凡な容姿をしているトーゴに比べ、渚ちゃんは非凡な容姿をしている事から「似てない」と言われることが結構あるらしい。トーゴもそれには慣れっこのようだ。
しかし容姿は似ていなくとも、2人を観察していればその仕草や性格がよく似ている事が分かるので、やっぱり兄妹だなと改めて実感する。
俺は次に茉莉を渚ちゃんに紹介した。
「渚ちゃん、彼女は七尾茉莉。俺たちの友達」
「よろしくね渚ちゃん!」
茉莉は親愛の意味を込めて、フレンドリーに渚ちゃんに手を振った。
「渚です。よろしくお願いします! へぇ…あなたが七尾茉莉先輩ですか。兄からお話はかねがね伺ってます」
渚ちゃんもにこやかにそれを受け取った…かのように見えたが、彼女は何やら茉莉の全身を観察するように眺め始めた。
「兄から聞いてましたけど、茉莉先輩って本当に可愛いですね。サラサラで整えられた髪、バッチリ決めた流行のメイク…。凄く見た目に気を使われているのが分かります。それ、凄く時間がかかっているんじゃないですか?」
「そんなことないよ。渚ちゃんも可愛いよ」
「ありがとうございます。でも私なんて先輩に比べるとまだまだです。これは…負けられないな」
…なんだろう。
一見すると女の子同士のオシャレに関する普通の会話にしか聞こえない。だが心なしか、渚ちゃんの方から凄いプレッシャーが出ているように感じられた。
「カズと私は最近仲良くなったの」
「そうなんですか? 私と和久先輩はもう昔っからの付き合いで…家族みたいなものなんですよ。あはは」
「へぇ、そうなんだ。そうか、キッシーの妹だもんね。昔のカズの話とか聞きたいな」
「ええ、茉莉先輩の知らない和久先輩の話、沢山聞かせてあげますね。フフッ」
何故か俺は背中に寒気を感じた。
その後、担任の教師が教室にやって来て朝のSHRを始めたので、2人の会話はそこで打ち切りになった。
何か違和感を抱かずにはいられなかったが、俺はその正体を掴めずにいた。
◇◇◇
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