中学時代の茉莉
「あれ? お前…もしかして七尾か?」
「えっ? あ、うん…」
通りがかりの坊主頭の男が突然七尾さんに話しかけてきた。話しかけられた彼女はバツの悪そうな顔をしている。
2人の関係性がイマイチ読めなかった俺は一旦会話を静観する事にした。
「やっぱり七尾だ! 俺の事覚えてる? ほら、中学の時一緒のクラスだった
「あ、うん…。覚えてるよ。野球部の彦根君でしょ?」
「いやぁ~懐かしいな。今年の3月にあった中学の同窓会も七尾だけ参加してなかったし、お前と一緒の高校に進学した奴もいないから情報が無くてどうしてるのかと思ってたよ」
「う、うん…。あの時はちょっと風邪をひいてて…同窓会はお休みさせてもらったの」
「それにしても最初見た時びっくりしたよ。むっちゃ見た目が変わってるんだもん。高校デビューって奴? 中学の時はメガネかけて根暗な見た目してたもんなぁ。髪も染めたんだ?」
「そ、そうだね。ちょっとイメチェンを…」
なるほど。2人の会話を聞いていて大体読めたぞ。
この坊主頭の彦根君は七尾さんの中学時代の同級生で、たまたま会った彼女の事が懐かしくて話しかけてきた。そして中学時代とは打って変わって陽キャにイメチェンした七尾さんを見て驚いている。
しかし七尾さんとしては中学時代の事は黒歴史なのであまり掘り返されたくない。だから彼女は居心地の悪そうな顔をしているのだ。
…と、すればだ。この場で俺が取るべき行動は只1つ。
「あっ、七尾さん! もうこんな時間だ。そろそろ行かないと」
「えっ?」
「電車の時間。もうちょっとで発車しちゃう」
何の事だか分からず、困惑している七尾さんの手を引いて俺はその場から立ち去った。
…彼女が彦根君に過去の事をほじくり返されたくないのなら、彼から遠ざけるのがいいだろう。
「電車の時間」というのはこの場から離れるための方便だ。用事があってこれから電車に乗らなければならないのなら、この場から離れるのを止める人いない。
「えっ、ちょ」
いきなり駆け出した俺たちに彦根君はびっくりした表情をしていた。
悪いな彦根君とやら。同級生に会って懐かしい気持ちは分かるが、君は少しデリカシーが無さ過ぎた。相手が微妙な表情をしているのにその話を続けるのは人間関係を構築する上で愚策だぞ。
○○〇
俺は七尾さんの手を引き、繁華街を抜け、住宅地エリアにある公園までやって来た。ここまで離れれば大丈夫だろう。
公園の中央付近で七尾さんの手を離す。
「ごめん、いきなり引っ張って来ちゃって」
「いきなりどうしたの松倉っち? 電車の時間って?」
「それ嘘。七尾さん、あまり彼と一緒に居たくなさそうだったから。余計な事しちゃったかな?」
「松倉っち…」
七尾さんは俺の言葉に一瞬驚いたような素振りを見せるも、すぐに微笑した。
「ううん、ありがとう。あたしもあの場にあまり居たくなかった。ごめんね、気を使わせちゃって…」
「友達が嫌な思いをしていたら助けるだろ? 俺は当然のことをしただけだよ」
「松倉っちって優しいんだね」
七尾さんはそのまま公園の遊具のある方向に歩いて行き、ブランコに座ってギコギコと漕ぎ始めた。
「あーあ、でも松倉っちにはバレちゃった。あたしが中学時代陰キャだったって事」
彼女はブランコを漕ぎながら自嘲気味にそう述べる。
まぁ…普通はその事を他人にあまり知られたくないよな。
俺自身はその情報を事前に苗木から聞き、知っていたので特に驚きはなかった。
それにしても彼女の情報収集能力には驚かされる。どうやって調べたんだろう?
気になるが、それは今は置いといてだ。
「あたしに…幻滅した? 高校では陽キャっぽく振舞ってる癖に実は陰キャだったんだって」
彼女はボソリとそう呟く。陽キャグループに属している自分が昔は陰キャだったことが知られて、少し自暴自棄気味になっているのかもしれない。
さて、ここは重要な所だ。彼女ともっと親密な関係になるためにはどのような言葉をかければよいか。
俺は頭の中で最適解を探しながら、言葉を羅列する。
「幻滅なんてしないよ。俺もどちらかというと陰キャだから分かるけど…陰キャが思い切って陽キャグループの中に踏み込むのって凄い勇気と努力がいる事だと思う。オシャレだって、コミュ力だって相当努力が必要だ。そしてそれを成し遂げた七尾さんを凄く努力家で目的に向かってひたむきに頑張る女の子なんだなって俺は尊敬するよ。過去に陰キャだったからって馬鹿になんてしない。むしろそんな奴がいたら殴り飛ばす!」
彼女は俺の言葉を聞いて目を見開いていた。
「絶対に…幻滅されると思ってた。ありがとう。そんな風に…言われたのは初めてかも」
「七尾さん、君はとても素敵な女の子だよ。自信を持って!」
「ごめん…今、ちょっと松倉っちの顔、見れない…」
まさか褒められるとは思っていなかったのか、彼女は恥ずかしそうに頬を赤く染めて顔を横に反らした。
○○〇
数分後、顔の火照りが幾分かマシになった彼女は再び俺の方に視線を向ける。
「ふぅ。やっとマシになった。…あのね松倉っち。お願いがあるんだけど」
「分かってるよ。この件は誰にも言わない。俺と七尾さんだけの秘密ね」
俺は秘密という部分をわざと強調させた。これは「クロージング効果」と呼ばれるもので、2人の間で秘密を共有する事によって、相手に親近感を覚えさせるといった恋愛心理学の手法の1つである。
これにより七尾さんは秘密を共有した俺に対し、口が軽くなると予想される。
例えば…陰キャ関連で自分がディープなオタクである事を話してくれるかもしれない。そうなればこちらも放課後アニメショップに寄ったり、遊びに誘いやすくなる。
「ありがとう。そうだね…2人だけの秘密。…なんだか今日は松倉っちに助けて貰ってばかりだね」
「さっきも言ったけど、俺たち友達じゃないか。なら、助けるのは当たり前さ」
「ともだち…。うん、あたしたち友達だもんね。今度…改めてなんかお礼させてね」
彼女は言葉の意味をかみしめるように呟き、俺たちの仲を「友達」であると認めた。
これをもって俺たちの関係は「ただのクラスメイト」から「友達」の関係にクラスチェンジしたと判断して良いだろう。
着々と俺たちの関係は前に進みつつあった。
○○〇
~another side 七尾茉莉~
「絶対に幻滅された」と茉莉は思っていた。
高校では鳥羽隼人率いる陽キャグループに属し、クラスの中心にいる茉莉がまさか中学時代はカースト底辺の陰キャだったなんて知れたら…。
「あいつ普段は『自分は陽キャです』って感じで騒いでいるのに昔は陰キャだったの?」「これ、あいつの中学時代の写真。イモ臭いよね。イメチェン成功したからって調子に乗っちゃってさ」「うわっ、こんなのが調子乗ってんの? 〇ねよ!」
そんな幻聴が彼女の耳に木霊する。
昨今はSNS等の発達で日本だけではなく、世界中の人々のあらゆる「差」がリアルで目に見えるようになった。
それを目のあたりにした人々は少しでも他人の優位に立とうと、必死にマウントを取りあうようになったのだ。
他人に少しでも馬鹿にできる要素があれば、それに対しマウントを取って馬鹿にする。
特に「陰キャ」というのは馬鹿にされる最たるものであった。日夜SNS上では陰キャを馬鹿にする論理が展開されている。
だから自分が過去に陰キャであった事実は茉莉にとって絶対に隠しておきたい事だった。馬鹿にされるのが分かり切っているからだ。
しかし和久は茉莉が陰キャであった事実を知っても馬鹿にしなかった。逆に陽キャになる努力をした茉莉を「尊敬する」と褒め称えた。
その言葉を聞いた瞬間、茉莉の胸の中が熱くなった。
なんと言えばいいのだろうか。経験のない感覚。ドキドキと心臓が早鐘を打つように鼓動する。
「(もしかして…これって? 噂に聞くアレ…なのかな?)」
短い彼女の人生の中でそれを経験した事がなかったので、茉莉にはまだその判断はつかなかった。
それと同時に茉莉は自分に嫌悪感を抱いた。自分を肯定してくれた和久を騙している事に。
しかし、隼人の命令を拒否すればイジメの毎日が待っている。
「(あたしは…どうすればいいんだろう?)」
茉莉は苦悩した。
◇◇◇
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