恋愛心理学

 次の日、登校中に偶然トーゴと鉢合わせした俺は彼と一緒に学校へと向かった。彼とは家が近いので、よく一緒になるのだ。


 校門をくぐり、昇降口で靴を履き替え、階段を上って2年2組の教室を目指す。


 その途中の廊下で別のクラスの友達と話している七尾さんの姿を発見した。俺は彼女に挨拶をするべく声をかける。


「七尾さん、おはよう!」


「えっ? あっ、うん。松倉っち、おはよう」


 声をかけられた七尾さんは最初少し驚いていたようだが、ちゃんと挨拶を返してくれた。


 よしよし。まずは本日の第1目標達成だ。


「おい、お前本当に大丈夫なのか?」


 七尾さんのいる廊下を過ぎ去り、教室に入ったあたりでトーゴが俺に小声で忠告してきた。


「大丈夫、俺だってちゃんと考えてるよ。むざむざあいつらに馬鹿にされにいくような真似はしないし、七尾さんをあいつらのグループから救ってみせる」


「そのために七尾さんを惚れさせるって…。でもお前さ、今まで彼女できた事ないだろ?」


「そこはまぁ…気合いでどうにかするさ。今ネットで恋愛系の記事を読み漁ってそれを実践中。さっき俺が挨拶したのもその一環だよ」


「えっ、今の挨拶が? ただ挨拶しただけにしか見えなかったぞ?」


「トーゴは『単純接触効果』って知ってるか?」


「なんじゃそれ?」


 「単純接触効果」…人は繰り返し見たり、会ったり、接触する回数が増えるほど、その人に対して警戒心が薄れていき、親しみや親近感を感じるようになる…といった心理的効果の事だ。


 つまり七尾さんと何度も会ったり、話したりするたびに彼女の俺に対する警戒心が薄れ、徐々に親近感を覚えるようになるという事である。


 たかが挨拶、されど挨拶。


 俺が先ほどしたのはただ1回の挨拶かもしれないが、それを毎日繰り返す事によって、徐々に効果が表れてくる事だろう。


 もちろん挨拶するだけではなく、学校にいる間はできるだけ彼女に話しかけに行くつもりだ。そして家に帰ったらL〇neでコミュニケーションを取り合う。こうやって徐々に距離を詰めて行くのだ。


「でもさ、仮にお前が七尾さんを惚れさせて…嘘告を阻止したとしてもだ。鳥羽の奴はどうするんだよ? あいつ間違いなくお前に嫌がらせしてくるぞ」


「そっちも考えがあって…できればトーゴもこの件に協力してくれると嬉しい」


「いや、そりゃ俺も協力はするけどよ…何をすりゃいいんだ?」


「ありがとう。その時が来たらまた言うよ」


 協力を承諾してくれた友人に感謝をしつつ、俺は鞄から登校途中コンビニに寄って買った「デカ盛り焼肉弁当」を取り出す。もう1人の協力者に謝礼とこれからの協力を要請に行くためだ。


「それどうするんだ? お前いつも昼飯は購買だったよな?」


「餌付け」


「は?」


 トーゴにそう言いつつ、本日も机に突っ伏している苗木の元に向かった。彼女の席は廊下側の1番後ろの席だ。


「苗木、おはよ」


「ンァ? 松倉カァ? 昨日の私の情報は役に立ったカ?」


「ああ、ありがとう。十分役に立ったよ。これはそのお礼だ。どうせ今日も朝飯食べてないんだろ?」


「ンア!? そ、それは…最近コンビニでやってるデカ盛りフェアの焼肉弁当じゃないか!? いいのカ? これ結構な値段したダロ?」


 実際1000円ちょいした。高校生には痛い出費だが、苗木からもたらされる情報の有用性からするとむしろ安いぐらいだ。これからもこいつの協力を取り付けておくために、惜しむべき金額ではない。


「苗木には感謝してるんだ。これくらい構わんよ」


「デハ、ありがたく頂コウ!」


 苗木は俺から弁当を受け取ると、封を破って中身を口の中にかき込み始めた。


 彼女は背は小さめだが、意外と大喰らいだ。あっという間にデカ盛り弁当は空になった。


「フゥ…久々に満腹の気分を味わった気がするヨ」


 苗木は自分の腹をパンパンと叩いて満腹をアピールしている。


 彼女も顔が悪い方ではない。むしろよく見ると可愛い部類に入るのだが、こういう言動がおっさん臭くて異性からの人気を落としている気がする。「残念美人」と言えばいいだろうか。


 まぁ、彼女の性格からすると「モテる」とかはどうでもいいのだろうけれども。


「その代わり、昨日も話したけど例の件の協力は頼むぜ」


 苗木には昨日の内にL〇neで事情を説明しておいた。七尾さん含め、鳥羽グループの情報を俺に流すよう伝えてある。


「アア、任せておいてクレ! この弁当の恩は必ず返すヨ」


 苗木は俺に親指をグッと立てて協力を承諾してくれた。


 よし、餌付け成功だな。あとは彼女からもたらされる情報を元に、俺が頑張るだけだ。



○○〇



 2限目の休み時間、俺は七尾さんが1人の状態なのを確認すると動き始めた。彼女とコミュニケーションを取るためである。


「や、七尾さん」


「あっ、松倉っち」


 彼女は3限の国語の教科書を机から取り出しながら、俺の声に反応して顔を上げる。


「昨日は長時間L〇neしてごめんね。迷惑じゃなかった?」


「ううん、どちらかというとあたしの方が色々話しちゃってたし…。あはは…松倉っちと話してるとなんかドンドン自分の事を話しちゃうんだよね。なんでだろ?」


 そりゃそういう風に会話を持って行ってるからな。


 俺は更に彼女に攻勢を畳みかける。


「もしかしたら俺たち意外と気が合うのかもな。あっ、そうそう。昨日七尾さんの弟が『鬼殺の刃』の富永タンジェロが好きだって話してたよね?」


 富永タンジェロ。鬼殺の刃に登場するキャラクターで、主人公の師匠ポジションにあたるキャラである。


 しかし俺は弟がタンジェロを好きなのではなく、七尾さん自身が好きなのではないかと疑っていた。


 何故なら富永タンジェロは女性人気が凄まじいキャラだからである。反面、男性人気はあまり無い。


 実際、昨日彼女がタンジェロの事を話している時は酷く長文だった。


「う、うん。ああいう格好いい剣士に憧れてるみたい」


「昨日あの話を聞いた後に家を漁ってたらさ、未開封のタンジェロキーホルダーが出て来たんだ。俺、使わないから七尾さんの弟にどうかと思って。なんか限定品らしいよ」


 俺はポケットからキーホルダーを取り出して七尾さんに手渡す。


 彼女はそれを見るや目を輝かせ、飛びついてきた。


「こ、これって…この前の1番くじの景品の奴じゃん!? どうして松倉っちが持ってるの? 超人気であたしがクジを引きに行った時はもう無かったのに!」


 どうしても何も1番くじを引いたら偶然当たったのだ。そしてそのまま家の押入にしまっていた。


 というか七尾さん…自分で「引きに行った」って言っちゃってるじゃん。やっぱりタンジェロを好きなのは弟ではなく彼女だったんだな。


 まぁ…それは今は口にはするまい。


「ほ、本当に貰っちゃっていいの?」


「構わないよ。どうせ俺は使わないし、使ってくれる人が持っていた方がキーホルダーも嬉しいでしょ?」


「あ、ありがとう。うわ~やったぁ! 嬉し…ゴ、ゴホン。お、弟も喜ぶと思うよ」


 七尾さんは慌てて取り繕う。彼女のそんなところを少し可愛いと思ってしまった。


 キーンコーンカーンコーン!


 そこで丁度授業の開始を告げるチャイムが鳴る。国語担当の教師がガラリと扉を開けて教室に入ってきた。


「あっ、先生来たね。じゃあまたね七尾さん」


「う、うん。あっ、今度…何かお返しするね」


「気にしなくていいよ」


 …早速効果が表れたみたいだ。


 俺が先ほど実践したのは「返報性の原理」と呼ばれるものだ。


 簡単に言うと何かをプレゼントされたり、何かをして貰ったら相手に返したくなる心理の事である。


 要するに次は恩返しのため、彼女の方から俺にコミュニケーションを起こしてくれる事になるという訳で…仲良くなるきっかけになるのだ。


 今のところは順調に進んでいる。この調子でドンドン七尾さんの好感度を稼ぐのだ。



◇◇◇

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る