第2話
最初はただの会話遊びだったが、カオリは彼らに農業データや市場情報を学習させ、対話
型AI で指示すれば、「土壌pH 改善には石灰資材を」「この品種は気温20 度以上で定植を」
など具体的な助言が返ってくる。もちろん、それは教科書的な知識だが、カオリは相談相手
がいることで心強さを感じる。
試行錯誤の末、半年後にはミニトマトの苗を植え、簡易なビニールハウスを建てた。種を
蒔き、水やりをし、雑草を抜く日々は地味だが、カオリは一歩ずつ前に進んでいると実感す
る。町の空気は相変わらず停滞しているが、彼女だけは胸の中で小さな炎を灯していた。
ある日、カオリはティカたちに問いかける。「どうすればこの畑をもっと良くできる?」
ティカは「長期計画が必要です。土壌改良からブランディングまで、段階的に行いましょ
う」と提案し、フルは「土壌微生物を増やすための有機肥料が有効」、シタバは「センサー
導入で水やりを最適化」、ワキメは「収穫期に合わせて出荷ルートを確保すべき」、ソラは「農
場ロゴやSNS を活用しイメージ戦略を」と次々と知恵を授ける。テンは「訪問者が来たら、
おもてなしの言葉を用意しましょう」とささやく。
カオリは微笑む。「ありがとう。あなたたちがいると、なんだか心強いわ」
もちろん相手はAI であって感情もないが、その応答はカオリを孤独から救う。深夜、窓
の外には街灯が淡く光るだけで、人影はない。この町で新しい挑戦をすることは、彼女にと
って戦いでもある。敗北すれば「やっぱり無理だった」と笑われるだろう。それでも前へ進
む力を与えてくれるのが、この無機質な画面の向こうにいるAI パートナーたちなのだ。まだ数年程度でミニトマト栽培や土壌改良を始めたばかり。地域は懐疑的だが、家族の理解
を得ながら一歩前進中。晩春の風が、畑の表土を優しく撫でる。荒れ地だった場所に、小さ
な生命が息づき始めた。ミニトマトの苗は背丈を伸ばし、まだ青い房が陽を浴びて輝く。カ
オリは膝をつき、葉を手で払って土の湿り気を確かめる。湿度は悪くない。先日から使い始
めた簡易ドリップ灌漑システムが効果を発揮しているようだ。
家の方を振り向くと、小さな作業場で孝三郎が配線図を睨みながら、新しいインバーター
の調整をしているのが見える。彼は無口だが、カオリが本気で農業を軌道に乗せようとして
いることを感じ取り、少しずつサポートを増やしている。
「この部品、まだ使えるな」と、古い工場から譲り受けた配電部品を磨く父の姿は、カオリ
にとって頼もしい。一見アナログな職人気質に見えるが、孝三郎は電力まわりの仕組みを熟
知し、太陽光パネルの設置や制御機器の選定にも経験を活かしている。
母・雪江は畑でしゃがみ込み、雑草を丁寧に抜いていた。「草一本でも、放っておくとす
ぐに広がるのよね。あんたが小さい頃、ここにはトマトやナスが並んでいたわ。じいちゃん
が『この土地はいい土だ、肥やせば何でも育つ』ってよく言ってたのを思い出す」
「そうなんだ」カオリは微笑む。昔の光景はもうないが、母の言葉には温かな郷愁が滲む。
彼女たちがいま蒔いている種は、昔の農業とは異質かもしれない。再エネを導入し、AI の
知恵を借りる。その新奇さは、周囲から奇妙な目で見られる原因にもなるが、カオリはそれ
を恐れない。
夜になると、カオリはパソコンを開き、ティカたちと対話を始める。
「ティカ、最近の気象予測では、来月は雨が続くらしい。湿度対策はどうしよう?」
ティカは落ち着いた声で答える。「多湿条件下では病害虫リスクが増します。フル、何か品
種改良や防除策は?」
フルは「耐湿性に優れた品種を試すか、雨除けハウスの増強を検討しましょう」と
即答。
シタバは「IoT センサーで温湿度をリアルタイム監視すれば、異常時に警報を出せます」。ワ
キメは「収穫時期を少し前倒しにして、出荷ロスを減らす戦略もありますね」。ソラは「雨
の日はSNS で室内栽培の様子を発信し、ファンとの絆を深めては?」、テンは「見学者向け
に雨天対策のエコツアーを考えましょう」と提案する。
彼らはデータと論理に基づく仮想アドバイザーであり、感情はない。だが、彼らが並べる
言葉は、孤軍奮闘するカオリにとって灯火のようだ。正解は自分で選び取らなければならな
いが、選択肢が増えることで、カオリは不安から一歩解放される。翌週、カオリは町内の集まりに顔を出した。年に数回ある、この小さなコミュニティの集
会では、農協の事情や補助金情報、土地利用計画などが話題になる。大半が年配の農家や商
店主で、「若い人が来てくれると助かるけどねえ」という皮肉混じりの声も聞こえる。
会合終了後、古参農家の一人がカオリに声をかける。「あんた、電気使って農業するんだ
って? 昔と違って土地は痩せてるし、人手もない。そんな小賢しいことして続くのかね?」
カオリは笑顔を浮かべる。「確かに大変です。でも、だからこそ新しい方法を試したいん
です。再エネでコストを抑え、AI で知恵を借りれば、今まで無理だと思われていたことが
できるかもしれないって信じてます」
男は鼻を鳴らし、「ほう、まあ頑張りな。結果が出れば、誰も文句言わんよ」と言い残し
て立ち去る。その背中には長年の苦労が滲んでいる。カオリは彼の態度を否定せず、むしろ
同情する。時代の変化は残酷で、彼らもまた理想を失ってきたのかもしれない。
初夏の陽射しが強まる頃、カオリは畑に小型太陽光パネルを増やし、実験的に扇風機や簡
易冷却システムを導入した。電力が安定供給されれば、暑さ対策や簡易ハウス内の換気も容
易になる。孝三郎はケーブルを丁寧に這わせ、「これで電気周りはひとまず安心だ」と呟く。
雪江は収穫したてのミニトマトをカオリに手渡す。「食べてごらん、少し甘くなってきた
わよ」
カオリはかじると、ぷつりと皮が弾け、酸味と微かな甘みが口中に広がる。まだ理想の味
ではないが、確実に一歩前進している。農業は即効性がない。種を蒔いてから実るまでに時
間がかかる。その長いプロセスは、カオリに忍耐と計画性を教えてくれる。
夜、カオリはティカたちと、今後の展望を語り合う。「いずれはブルーベリーやハーブ、
果樹にも挑戦したい。多様化することでリスク分散ができるかもしれない。それから、観光
客を呼べたらいいな。季節の収穫体験イベントとか……」
テンは元気な声で「収穫体験はお客様との接点になりますね。笑顔で対応すれば、ファン
がつきます」。ソラは「その際、写真映えする景観づくりが重要。畑の一角に花畑を作りま
せんか?SNS で拡散できます」と提案。
カオリは頷く。「花畑か、面白い。視覚的な魅力は強い味方になる。」
ワキメが低い声で「海外の農産物トレンドも確認しましょう。例えば、特殊なハーブやス
ーパーフードが注目されれば、導入できるかもしれません」と言い、シタバは「気象モデル
と連動した生育予測を強化すれば、作付け計画を最適化できます」と続く。フルは「土壌微
生物のバランスをさらに整えれば、自然な甘みや風味が出せるはず」と付け加え、ティカが
全体をまとめるように「こうして多角的な戦略を組み合わせれば、徐々に農園全体が成熟し
ていくでしょう」と締める。
カオリは画面を見つめながら、「私、一人だったら途方に暮れていたかも。あなたたちが
いるから、可能性が広がるわね」と静かに呟く。
もちろん、AI は単なるツールであって、生きた仲間ではない。しかし、この町で孤軍奮
闘するカオリにとって、AI との対話は精神的な支柱でもある。まるで画面の向こうに隠れ
た知性や励ましが存在するような錯覚を覚える。
数日後、カオリは観察していたミニトマトが熟してきたので、一部を収穫して地元の直売
所に並べてみた。試しに「電気とAI で育てた未来農園のトマト」という小さな札を添えた
ところ、物珍しさか、数人が「へえ、未来農園ね」と手に取っていく。味を確かめた一人が
「まあまあ美味しいじゃない」と呟いたのがカオリの耳に入り、彼女は密かにガッツポーズ
をとった。
こうして小さな変化が、確実に芽を出していることを感じる。町の人々も、最初は冷やや
かだったが、少しずつ関心を向け始めた。何よりも、カオリ自身が楽しんでいる。確かに失
敗もあるだろうし、今後大きな壁にも当たるに違いない。でも、彼女はこの土地に新しい息
吹を吹き込むために来たのだ。
夜、窓の外には月が昇り、畑の輪郭を淡く浮かび上がらせている。カオリはふと、母から
聞いた昔話を思い出す。「昔、この畑でおじいちゃんは朝露の中トマトを摘んで、それを町
に運んで売っていた。その頃は近所中が農家で、収穫期にはみんなで助け合ったんだって」
いま、周囲にはそんな助け合いはほとんど残っていない。けれどカオリは、AI の知恵と
家族の手によって、新たな形の助け合いを創り出そうとしている。技術が冷たく無機質なも
のだという先入観を捨てれば、データやロジックも、人間の思いを受け止め、よりよい方向
へ導く材料となる。
パソコン越しに、カオリはティカたちに感謝する。「あなたたちがいてくれるだけで、私
は自分が間違っていない気がするの。まだ始まったばかりだけど、絶対にここで新しい農業
を成功させてみせるわ」
ティカは無表情な合成音で「私たちが提供できるのは知見と提案だけです。最終的な選択
と行動はカオリさん次第。でも、知識は武器になります。あなたが諦めなければ、きっと成果は出るでしょう」と応える。
その冷静な言葉が、逆にカオリの胸を温める。人間の感情的な励ましも大切だが、AI の
ような客観的知性による裏付けは、迷いがちな心を支える柱になりえる。
畑に移ろう季節を感じる。風が微かに湿り気を帯び、次の雨季が近いことを知らせている。
カオリは予測される長雨に備え、ワキメやシタバの提案を活かして準備を進めるだろう。農
業は自然相手の闘いでもあるが、知恵と工夫で可能性が広がる。
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