1.ゴブリン騒動
1-1.
*****
盛んに生長した木々の葉が日光を遮ってくれるので、暑さはずいぶん和らいだ。小虫がぶんぶん飛んでいるということもなく、特に蝿が嫌いなのだが連中ものさばってはおらず、加えて、しばらく雨に晒されていないのだろう、地面もぬかるんでいないので、ゆくにあたって障害となる要素はない。
「小動物しかいないのかな? 綺麗な森で、言うことないね」と、オミは言い。「はてさて、抜けた先には何があるのかなぁ」
「東西南北。どちらに向かって歩いているのか、もはやわたしにはわからない」デモンは正直に告白した。「さて、どうしたものか」
「風に誘われるままに進もう」
「風など吹いていない。詩人みたいな物言いにはただならぬ怒りを覚える」
「きみは短気なんだ」
「わたしほど気長なニンゲンはいない」
「嘘は良くないんだ」
「やかましい」
ときに草を掻き分けながら進み、十分、ニ十分と歩くと、やがてぽっかりとひらけた空間に出くわした。丸太で造られたのっぽな柵と大きな門、それに槍を持った番のニンゲンが二人、見える――村だろう。規模は小さくないのではないか。もう歩きたくない。休憩できる場所はないだろうか。宿があれば助かる。
「緑が鮮やかな中に怪しげな黒ずくめの輩。おまけに帯刀してる。それだけで警戒されると思うんだ」
「わたしはフレンドリーだ。心だって海のように広い」
「内面は可視化できないよ」
「滲み出たり、立ち上ったりするものはある」
それは冗談だが、とにかく門番らに近づいた。物騒にも揃って首に槍を突きつけてきた。中年と思しき胡麻塩頭の男が厳しい顔で「誰だ?」と問うてきた。デモンは「ご覧のとおり、ニンゲンだよ」と答えた。
「ふざけるな。身分を明らかにしろと言ったんだ」
うざったい奴だ。やれやれと手を広げ、肩をすくめるくらいはしたくなる。が、誠意を見せないと埒が明かないわけだ。
「わたしは、デモン・イーブル。立場はそれなりといったところだ」
「国はどこだ?」
「ニケーだよ」
「ニケー王国か?」
胡麻塩頭は目線を下げた。思考している様子で、「そうか。ニケーか……」と呟き、それから槍を引いた。もう一人の男――まだ若いと見える中肉中背の男も、それに倣った。
「いきなり無礼な真似をして、すまなかった」と胡麻塩頭。「旅のヒトだろうということはわかった。ここはカーラン村という。なぜ訪れたのか、目的だけは教えてくれないか?」
「偶然の訪問であり、ゆえに目的などない。とはいえ、宿があるなら紹介してほしい。幾分、疲れているのでな」
「わかった。案内しよう」
「一つ、いいかね?」
「なんだ?」
「番が必要なほど、危険な一帯なのか?」
「番はどこにだって要るだろう? 妙なことでもなんでもない」
言われてみると、そのとおりだ。胡麻塩頭が大きな声で「おーい! 開けるぞ!」と言った。門のすぐ向こうにもヒトがいるらしい。計六人の男が力を合わせて、開門した。想像していた以上に広く、また小奇麗な村で、大小の家屋が立ち並んでいる。鬼ごっこでもしているのだろうか、はしゃぐ子どもらはとても健康的に見えた。
*****
胡麻塩頭に案内された先は、二階建ての宿だった。ログハウスだ。玄関の前に立て看板があり、黒板に白いチョークで、ポップな自体で、夕食のメニューが書かれている。ローストビーフのサンドイッチ、白身魚のムニエル、それにコーンポタージュ。どれも嫌いではない、好きでもないが。
胡麻塩頭いわく、主人は気のいい男で、女房は気立てがいいらしい。だから連れてきたのだと言う。メシが食えてベッドがあればそれでいいのだが、口にはしなかった。胡麻塩頭が去ったところでオミに「屋根で待っていろ」と言いつけ、宿の中へと入った。
簡易なフロントがあるもののヒトはおらず、そこで銀色のコールベルをチンと鳴らした。「はーい!」という元気な声。子ども――年端もゆかぬ少年の声だ。フロントの奥の一室から出てきた。まだ小さい。八つや九つではないか。茶色く短い髪。茶色の瞳は利発そうに見える。
カウンターを回り込んで、少年はデモンの前まで来た。やはり小さい。見上げてきて、「いらっしゃいませ!」と健やかに言った。
「少年よ」
「少年じゃないよ、アレンだよ」
名前なんざどうでもいいのだが、まあよしとして、「主人は留守か?」と訊ねた。「お父さんは寄り合いで、お母さんは買い物。姉さんは学校。だから僕が番をしてるんだ」と返してきた。胸を張るものだから、どことなく誇らしげに見える。
「ほぅ。この村には学校があるのか」
「村にはないよ。少し離れたところに学校を集めた場所があるんだ。小学校から高校まであるんだ」
「案外、アカデミックなんだな」デモンは少し感心した。「さて、本題だ。部屋は空いているか?」
「空いてるよ」ブイサインをしてみせた少年――もとい、アレン。「っていうか、いっぱいになることなんて、まずないよ」
「そうなのか?」
「うん……」一転、アレンはしゅんとなった。「人通り、ずいぶん減っちゃったんだ……」
「何か明確な理由があるのか?」
「あるよ。聞きたい?」
「聞きたくはない」
「訊いてよぅ」
「まずは部屋に案内しろ」
「うんっ」
アレンはまた右手でブイサインを作った。
*****
宿は開店休業状態だったようだ。デモン以外に客はいないらしい。夕食の白身魚のムニエルはなかなかの美味で、ローストビーフのサンドイッチもうまかった。コーンポタージュはハズレのほうが珍しい。食事をしている最中、向かいにはずっとアレンが座っていた。「おなかすいたぁ」と放り投げるように言い、そしたら「失礼よ」と母親に叱られ、デモンが「かまわんよ」と告げると、アレンの前にもパンやスープが並んだ。あまりにたくさん食べるものだから、そのまま「よく食べるな」と言ってやると、「強くなりたいんだ」とのことだった。少年らしい思考だ。が、そこに愛らしさなど見ない。デモンは冷たいニンゲンなのである、しかも筋金入りの。
器が下げられ、コーヒーが運ばれてきた。アレンの母親いわく、「いい豆なんです」ということらしい。白いカップを口元へ。なるほど。確かに悪くない。
トレイを胸に抱えたまま、アレンの母親は立ち去ろうとしない。何か言いたそうに見える。いい年こいた女がもじもじするなと注意したいところだが、「用があるなら、まずは座るといい」と伝えた。するとぱぁっと明るい顔をして、アレンの隣の席に着いた。それとほぼ同時のタイミングで五十がらみくらいだろうか、背の高い男が食堂に入ってきた。茶色の短髪に茶色い瞳。にこやかに「いらっしゃいませ」と挨拶するのを見て、アレンの父――この宿の主人であろうと見当がついた。
男が近づいてきて、「ヨハンといいます。この宿の主人です」と言い、「トリィ、アレン、自己紹介はしたのか?」と二人に訊ねた。それから訝しむように「おまえたちはどうしてテーブルに着いているんだ?」と疑問を投げかけた。失礼じゃないかと叱りたいのかもしれない。
「わたしが許した」と、デモンは言った。「何かあるんだろう? 打ち明けてくれていい」
「しかし――」
「かまわんと言った。ヨハンさん、あなたも座ったらどうだ? 幸い、わたしの隣は空いているぞ」
ためらうようなところを見せたのち、結局、ヨハンはデモンの隣席に座った。自らの向かいに座る妻――トリィに咎めるような目を向ける。「客の迷惑になるようなことはするな」とでも言いたいのかもしれない。
「トリィさん、場は整ったようだぞ」
目を伏せていたトリィが、決心したように「あのっ」と視線をぶつけてきた。
「ニケー王国にはとても強い“掃除人”の方が、多くいらっしゃるとか……」
自分がニケーの出身だと、この場では語っていない。となると――門番をしていた二人の男、あるいは彼らから知らされた誰かに教えられたのだろう。遠く離れたニケー王国からの旅人など、受け入れたことがないのかもしれない。
ヨハンが「ニケー王国の?」と目を大きくした。驚いているのは明らかだ。アレンについては「すごい! すごい!」とバンザイまでした。
「そうか、トリィ。おまえは――」
「そうなの、あなた。もしかしたらと思って……」
夫婦が揃って見てくる――期待の入り交じった目で。
デモンが「わたしは“掃除人”だよ。しかも超級だと自慢しておこう」と告白すると、トリィが「超級というのは位ですか?」と訊ねてきた。「そうだよ。一番上だ」と答えた。"掃除人"は知っていてもランクの存在までは知らないらしい。辺鄙な村だ。無理もない。
「で?」コーヒーをすすった、デモン。「わたしが“掃除人”だったら、どうだというんだ?」
「それは……あ、あのっ」
「いちいち吃るなよ、トリィさん――ああ、面倒だ、トリィでいいか? ヨハンでいいかね?」
「はい」と返事をしたのはヨハンだ。「私からお話しします」
「耳は塞がん。勝手にしゃべってくれ」
デモンの振る舞いは無礼そのものであるわけだが、誰も悪くは思っていないようだ。客だからという理由だけにとどまらず、年下のニンゲンにも敬意を払うこともできる出来た夫婦なのかもしれない。
「ここ五年ほどの話なんですが、ゴブリンが横暴を働いていて……」
「ゴブリン? 緑の肌をしたアレか?」
「ご存じなんですか?」
「掃除した経験がある。率直に述べると、殺して回った。胸の肉を削いで焼いて食べたこともある」
「たたっ、食べたんですか?」
「ああ。じつにまずかったな」
事実だ。
苦み走った味だった。
「ああ、なるほど。それで相応に警戒しているわけか」
「わかりますか?」
「番のニンゲンは殺気立っていたからな」
苦笑のような表情を浮かべた、ヨハン。
「かたちだけです。本気で戦おうだなんて、誰も……」
「中途半端な真似をすれば、怒らせることになるんじゃないのか?」
「そうかもしれません。ただ、今はうまくいってます」
怪訝に思いながら、デモンは「うまくいっている?」と訊いた。
「共存関係にあるんです。主従は決定的なんですが」
「主従となると、何を提供、いや、何を献上している?」
「食料と労働力、それに
予想の範疇を出ない情報である。
「ゴブリンたちにも言い分はあって、見返りとして、おまえらを守ってやってるって言うんです。確かにこのあたりには他にも魔物がいて――“掃除人”の方にとっては“ダスト”でしょうか、そういった存在はあります。でも、襲われたことなんて、ほとんどないんですよ」
「献上の頻度は?」
「三か月に一度です」
「思ったより少ないな。ということは――」
「そうです。ゴブリンはここ以外にも村を『所有』しています」
だいたい、わかった。
デモンはそう言って、一つ頷いた。
「結論から言おう。わたしはとても危なっかしくて、加えてじつに暴力的だが、だからこそ“ダスト”の匂いが嗅ぎたくて、それで旅をしているということもある。ただし、タダ働きはしない。わかってもらえるかな?」
夫婦は顔を見合わせ、それから揃って首を縦に振った。
「明日、村長にお引き合わせします。よろしくおねがいします」
ヨハンがそこまで言ったところで、ヒトが入ってきた――十六、十七くらいの女だ。茶色い髪、瞳。頬にそばかすが散る、まだあどけない人物だ。顔立ち自体は悪くない。少々ふくよかな体型で、たわわに実った乳房が目を引く。
「メリル、お客様だよ。挨拶をしなさい」
ヨハンに言われ、メリルとやらが近づいてきた。ぺこりとお辞儀をしてから、「いらっしゃいませ」と言い、にこりと笑んだ。愛らしさに拍車がかかる。
そろそろ眠たくなってきた、あくびまで出た。
部屋に戻るべく立ち上がり、メリルとは握手を交わした。
細い指で、少し力を込めるだけで折れてしまいそうだった。
*****
翌朝、食事は部屋に運んでもらった――柔らかい白パンとポテトサラダ、デザートはリンゴでドリンクは紅茶である。
両開きの窓を開け、デモンは「オミ」と呼んだ。近くの屋根に止まっていたのだろう。すぐに下りてきて、カァと一つ鳴いた。怒っているように聞こえた。部屋に入ってくるなり丸いテーブルの上に立つと、いよいよ「ぼくは昨日の昼間からおなかがすいたと訴えていたんだよ?」と不満を漏らした。
「昨夜は眠かったんだ。一刻も早くベッドに入りたかった。許せ」
「ポテトサラダは食べたくないんだ。牛の肉がいいんだ」
そんなふうには宣うのだが、カラスのオミはサラダもパンもつつくのだ。
「おいしくないなあ。おいしくないなあ」
「だったら、食うな」
「食べないと、おなかと背中がくっついてしまうんだ」
「カラスに限って、それはない」
リンゴまでつつき始めた。
「リンゴは悪くないんだ」などと言う。
「今日はどうするんだい? もう出発かい?」
「いや。まだ留まる。村長とやらに会うことになった」
「“ゴミ掃除”の話かい?」
「勘がいいな」
「それくらいしか、きみの価値はないからね」
失礼な奴だ。
よくしゃべるカラスにろくなのはいない。
「黒ずくめのきみは、到底、英雄には見えないよね」
「金額さえ折り合えば、それでいい」
「相手の戦力は?」
「重要な事項ではない」
「だよね」なおもリンゴをつつく、オミ。「デモン、きみも食べるかい?」
「ほざけ」デモンは一喝した。「カラスの食事のおこぼれに与るつもりなどない」
「カラスを侮辱するのは感心できないんだ。やっぱりきみには動物愛護の精神が――」
「早く食ってしまえ」
「ついていってもいいのかな?」
「しゃべらないならな」
「わかったんだ」
*****
良くないなと、デモンは思った。村長の家がデカいからだ。私腹を肥やすタイプのい人物であろうことが予測された。いい気はしない。むしろ、しかめ面になった。舌打ちまでしたのだった。
手伝いの老婆に広い客間へと通された。いざ、一枚板のテーブルを挟んで前にすると、金の匂いと俗物の臭いが凄まじい。禿げ頭。でっぷりと太っていて、年は五十六。名前はシドという。
まずヨハンが話をした。“ダスト”であるゴブリンらの殺害、すなわち、デモンに“ゴミ掃除”を依頼しようと思うと伝えると、シド村長は目をまんまるにして「とんでもない!」と言った。「しかし」とヨハンは食い下がる。気色ばんだ様子のシド村長は話にならないとでも言いたげに、「ダメだダメだダメだ!」、蝿でも払うようにしっしと右手を振った。
ヨハンは口をつぐみ、そこで仕方なく話を引き継ぐことにした。
「シド村長、ゴブリンに頭を下げつづけるのは苦しくないかね?」
「苦しいは苦しい。だが、蹂躙されるよりはよほどいい。というか、なんだ、おまえ、その口の利き方は。年長者に対して、まったく偉そうに」
「偉そうじゃない。わたしは偉いんだよ」ふんと鼻を鳴らした、デモン。「どうあれゴブリンの駆除は村人たちの総意なんだろう? なのにどうして立ち向かわない?」
「怖いからに決まっているだろう?」
大の大人が――男が、臆面もなく「怖い」などと言い切るとは。シド村長は視線を横に逃がすと紅茶を口にした。顔が大きなものだから、カップが著しく小さく見える。
「いったい、何が怖いんだ?」
「吊り上がった目、尖った耳、緑色の肌。まるで異形じゃないか。性格だって凶暴で狡猾で強欲だ。数だって何人いるかわからない」
デモンは眉間に皺を寄せ、「単位は『人』ではない。『匹』だろうが」と注意した。腕を組んだシド村長が、今度はふんと鼻を鳴らした。
「ゴブリンが調達先としている村は他にもあると聞いた。手を取り合うわけにはいかんのかね?」
「それこそ
“ダスト”――まさにゴミでしかないゴブリンどもがまともな取引に応じるだろうか。――と、ここでデモン、一つ閃きを得た。
「シド村長、ひょっとして」
「な、なんだ?」
「おまえ、先方に取り入って、甘い汁を吸わせてもらっているんじゃないのか?」
「そそそっ、そんなことはしていない!」
「エグい吃り方だ。図星か。若い女をくれてやっているんだろう? ゴブリンどもと一緒になって輪姦しているんじゃないのか?」
「ち、違う。わしはそんなことは――」
そ、村長、あんたまさか……。
そう言ったヨハンが、真っ青な顔をした。
「まさか、うちのマリアにまで――」
シド村長は「そんなことはない! 断じてない!」と否定した。
デモンが「マリアというのは娘か?」の訊くと、ヨハンは沈んだ声で「はい……」と答えた。愛娘が供物――平たく言うと性奴隷として捧げられたわけだ。父の立場からすればやりきれないことだろう。男親だから、娘は殊更にかわいいのではないか。といってもそんな事情などどうでもよく、だからデモンは思うままに、「シド村長、この際、一掃してやろうとは思わんか?」と訊ね、「優しいわたしは挽回のチャンスをやろうと言っているわけだ」と続けた。
俯き、テーブルに両肘をついたシド村長は頭を抱えた。細く長い息を吐き、「少し考えさせてくれ」と呟くように言った。とっとと決断しろと怒鳴りたいところだが、一日遅れたところで現状に大きな変化は怒らないだろうと考え、デモンは大人しくヨハンと引き揚げることにした。
*****
ヨハン宅――宿への帰路。
「えらく臆病風に吹かれている。情けないことだな」
「あなたは強いから、そう思えるんです」
「違うな。覚悟の問題だ。凌辱の日々はそれほどまでに心地良いかね?」
「だからそれは違――」
「何も違わない」
デモンが流し目をやると、ヨハンは目を逸らした。バツが悪そうに、あるいは後ろめたそうに。
以降、会話はなく、そのうち宿に着いた。表にはアレンがいた。木製の剣を両手で握り、「えいっ、えいっ」と上段から振り下ろしている。稽古のつもりだろう。ヨハンは小さく頭を下げると短い階段を上り、宿の中へ消えた。アレンはなおも剣を振る。きっとこの村のどの男よりも勇敢だろう。
デモンは両膝を折り、アレンのことを眺める。いきなり左肩に陣取っているオミが「いいね。筋がいいんだ」と言った。カラスが口を利くという前代未聞の事態にもかかわらず――一生懸命のアレンは気づいていないようだ。らしくもなく、かわいいものだなとデモンは思った。
「太っちょの村長から、ツッコミはなかったね」
「糞を垂れるなとは言われたろう?」
「侮られるのは慣れているつもりなんだ」
「立派なことだな」
えいえいっ、えいっ、えいっ――。やがて稽古を切り上げたアレンは、額の汗をシャツの袖で拭うと、ふーっと息を吐いた。さすがにデモンには気づいていたらしい。ただ、オミのことを認めるときょとんとなった。
「わあ、カラスだ。慣れてるの?」
「ご覧の通りだとしか言いようがない」
「触ったら、怒る?」
オミが一つ「カァ」と鳴いた。
こいつは人肌の温もりを嫌う。
デモンは「何と戦うつもりなんだ?」と訊いた。「ゴブリンに決まってるじゃん」とアレンは答えた。
「姉――マリアの敵討ちか?」
「敵討ちじゃない!」激しくかぶりを振った、アレン。「マリア姉さんは生きてる。きっと、ううん、絶対に生きてるんだ!」
あまりの剣幕にデモンは目を丸くし、それからふっと表情を崩した。
「そうだな。確かにアレンの言うとおりだ。たとえば、父親と奪還に向かうつもりか?」
アレンは顔を曇らせて。
「お父さんは……ダメなんだ。信用できないんだ」
八つの少年が父のことを信じられないと言う。
「どういうことだ?」
「お父さんは……乱暴したんだ。マリア姉さんのことも、メリル姉さんのことも……」
俯き、両の拳を握り締め、今にも泣き出しそうな顔をする、アレン。
「現場を見たのか?」
アレンは、こくりと頷いて見せた。
それはまた、災難だ。
父と姉の性交の映像なんて、トラウマにしかならないだろう。
――そのときだった。
ゴブリンだーっ!
ゴブリンが来たぞーっ!!
男の野太い大声があたりに響いた。
アレンが驚いた顔をする。
「お、おかしいよ」
「何がおかしいんだ?」
「まだ三か月目の日曜日じゃない。一週間、早い」
「となると」
急用か。
きっと、ろくでもない用事だろう。
木製の剣を手に、アレンが駆け出そうとする。待てと言ってそれを制し、デモンはゆっくりと立ち上がった。もはや半泣きのアレン。
「預かっておいてくれ」
デモンが言うと、オミはアレンの小さな左肩に飛び乗った。
「くっちゃべっていいぞ、馬鹿ガラス」
「つくづくきみは失礼だと思うんだ」
さすがにびっくりしたのだろう。
アレンは「わぁっ、しゃべった!」と驚きの声を上げ、両手を上げた。
「行ってくるよ」
デモンは足を踏み出した。
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