第3話 人生の終わり
エマ・アルバリン、十七歳。ヴァンス・アルバリン伯爵の一人娘だ。
私は今、屋敷を抜け出し町に出ている。
大好きな父への誕生日プレゼントを買うためだ。
帝国との戦争が始まってからもうすぐ一年の月日が立つ。情勢は悪くなる一方で、この王国内では緊迫した状況が常に続いている。
伯爵である父も戦争が始まってからずっと休まず国のために働いていた。
父はとても優しい人だ。母を失い、私が悲しみに暮れていた時も、父だけは明るく振る舞っていた。私が一人にならない様にずっとそばに居てくれた。
そんな優しく強い父が日に日に疲弊していくのを私は見ていられなかった。
なので私は父の誕生日である今日ぐらいは安らいでもらおうと、誕生日会を計画し、父に見合うプレゼントがないか店という店を巡るのだった。
「良いものが見つかってよかった! これならきっと父様も喜んでくれるわ!」
足が痛くなるまで何時間も町を歩き回り、やっと納得のいくプレゼントを買えた私は、鼻歌を歌いながら上機嫌に屋敷への帰路に着く。
すると、向かいからる衛兵が走ってくるのを私は見つけた。
領主の娘である私が護衛も連れずに町を出歩いているとバレるのはまずい。
私は急いで、路地裏に身を隠す。
「壁門を見張ってたギャズとナックがやられたってのは本当なのか? 何かの見間違いじゃ……」
「こんな嘘を俺がつくわけないだろ! ナックは俺の妹の婚約者だぞ!
――クソ……妹になんて言えばいいんだ……」
「わ、悪かった……俺も急なことで何がなんだかわからないんだ」
「とにかく急ぐぞ、今壁門は大騒ぎだ! どこのどいつか知らないが絶対に許さねえ!」
衛兵が遠ざかったのを確認した私は路地裏から顔を出す。
「壁門で何かあったのかしら……?」
衛兵が話していたことが気になるがもう日が暮れてしまう。流石にディナーまでには帰らないと屋敷の使用人に一人で外出していたことがバレてしまう。
父様に心配をかけたくはない。
「急がないと!」
私は持ってるプレゼントを抱きしめ、足早に屋敷へと向かうのだった。
おかしい。屋敷の前に常駐している衛兵が一人もいない。見張りが厳重で、屋敷を抜け出した時に一番苦労した場所だったのに。
先ほどの衛兵のように壁門へと出払ってしまったのだろうか。
「――なんだか……胸騒ぎがする……」
私は持っていたプレゼントを投げ捨て屋敷の庭を駆け抜ける。
屋敷には使用人が何人も居るし、衛兵もたまたま外に出払っているだけだ。
そう自分に言い聞かせるが、屋敷に近づくにつれて胸騒ぎが大きくなっていく。
この無駄に広い庭園がもどかしい。早く父様に会いたい。
「父さ――――えっ……?」
「お帰り、遅かったじゃないか」
「――誰……?」
「俺はお前を迎えに来た男さ」
そう言うと男は手のひらに持ってる何かを床に叩き落とした。
「――父様……? 父様ぁぁああああああああああああああああああ!?!!」
それは真っ赤に染まった世界で一番大好きな父様の――生首だった。
「ああ、これか? お前を迎えに来たと言ったらえらく激怒されてな。お前の父親と言うから多少は多めに見てやろうとしたんだが、あまりにも無礼だったもんでつい、殺してしまった」
――――意味がわからない。理解できない。したくない。
「まったく、大人しくしていれば命だけは助けてやったのに。どいつもこいつも馬鹿みたいに向かってきやがって」
何を言っているんだこの男は。
「にしても……流石は貴族令嬢と行ったところか。俺の女に相応しい美しさだ」
私の大切なものを全て壊して、踏み躙って、その上でこの男は何を言っているんだ。
わからない、わからない、わからない……!!
「ところでさっきから気になってたんだが――なんなんだその表情は?」
「――ひっ……!?」
優しい笑みを浮かべていた男の表情が一転、悪魔の様な顔つきへと変わる。
私はその変化に恐怖を覚え、小さな悲鳴が漏れる。
「どうやら教育が必要な様だ」
「――あぐっ……!?」
男は私の首を荒々しく片手で掴むと、締め上げながら持ち上げる。
苦しい、息ができない。でも、この男が許せない。
私は男を睨みつける事で抵抗の意思を示す。
「ほーう。意外と肝が据わってるな。自分の死が怖くないのか?」
怖い、怖いけど、父様を殺したこいつには屈したくない。何の力もない私の最後の抵抗。
どうせここから生き伸びたとしても、この男に辱しめられるのは目に見えている。だったら例え何の意味もない抵抗だったとしても抗って死にたい。
「――ぷはっ……はぁ……はぁ……」
「なんつってな。せっかくここまで来たのにお前を殺すわけないだろう?」
男の手から解放された私は、失った酸素を取り込もうと、必死に呼吸をする。
すると、男は私から視線を外し屋敷の外を見る。
「――邪魔が入ったな」
私も外を見ると、そこには数十人の衛兵がこちらに向かって走ってきていた。
「まあいい。時間はたっぷりある。お前が俺に屈するまでこの町の住人を殺し続けよう。それでもダメなら次は別の町だ。家族が死んで悲しむのがお前だけで終わると思うなよ?」
「――え……? ま、待って!? 嘘でしょ!? やめて!!」
「ククククク……ショータイムだ!!」
私の静止を無視し、向かいくる数十の衛兵を次々と肉の塊へと変えていく。
この男の力は化け物だ。衛兵たちが放つ矢を正面から受け止めたかと思えば、次の瞬間には矢を放った衛兵たちが地面に倒れ伏す。
男が衛兵の肉体に少しでも触れれば、触れられた場所を中心に爆散し血の雨を降らせる。
肉体が化け物なら魂は悪魔だ。
この地獄絵図を作る事を男は楽しんでいる。私の反応も含めて。この男は人間ではない。こんな奴が人間であっていい筈がない。
「さて、そろそろ気が変わったか? お嬢様?」
真っ赤に染まる庭園から戻ってきた男。
その服には砂埃一つすらも付いていない。まるで何もなかったかの様だ。私は、私は夢でも見ているのだろうか。
「――お前、何を笑ってやがる……」
「――え……?」
私は自分の頬を触り、初めて気づく。私はこの光景を見て笑っていたのだ。
どうやら私はもう正常ではないらしい。あまりにも悲惨な光景を見続けて精神が壊れてしまったのだろうか。
「……あ、あの……何でもしますので……私をあなたの女として使ってください……」
気がつくと私は男に屈していた。
この男が恐い、ひたすらに恐い。目の前で無惨にも殺され、肉の塊と化した衛兵と同じ運命を辿るのが恐い。
「それでいい。俺を愛し俺に愛されてる間はお前の幸せは保証してやる」
「――ありがとう……ございます……あなた様のために精一杯、ご奉仕させていただきます……」
今日この日、私のエマ・アルバリンとしての人生は終わりを迎えた。
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