外套に怯えて

鈴ノ木 鈴ノ子

がいとうにおびえて


 生まれ育った小さな町に帰省する。

 久しぶりに顔を合わせて小さな同窓会を催して友人達と酒を酌み交わし、懐かしい話も花が咲き終わり落ち着いてきた頃に目的の人物から呼ばれた。


「なぁ、由美子、東京で漫画家をやってるんだろ?」


 酒がかなり進んで赤ら顔で溢れた席上、隣に座っていた達也が宴席での揶揄いとは違う、至って真面目な声色で尋ねてきた。


「違う違う、アシスタント、アシスタント、漫画家なんてまだまだだよ」


 夢を追って何年、ようやく有名漫画家のアシスタントとして認められたところだ。数個の作品を書いては投稿したり、知り合いの担当者や雑誌へと持ち込んだこともあるが、結果はケンモホロロでやる気ばかりが空回りして思考がついていかない。


「なら、同人誌っての書いてるか?」

「薄い本のこと?」


 ちょっと鼻息が荒くなる、その言葉はどうやらこの男には伝わらなかったらしい。


「薄い本?」


 酷く難しそうな顔をする。慌てて私は取り繕った。


「いや、なんでもないの、でも、いきなりどうしたの?」

「おれ、今、警視庁管内の警察署に勤めてるんだけどよ。そう言った本の中でよ、ガイトウってしらねぇか?」

「ガイトウ?灯りの街灯とか?」

「いや、服だ、今でいうコートだけどよ、なんか思いつくことないか?」


 酒に酔った顔に鋭い眼光が不自然だった。

獲物を追いかける目にそれはよく似ており、一種の刑事の視線というやつなのかもしれない。


「外套ね……」


 飲みかけのビールジョッキを卓上に置き、私は小ぶりな胸の前で腕組みをして考え込んでみる。

ちょっと開きすぎた胸元の服が伸びて谷間が見えると達也の鋭い視線にほんのりと厭らしいものが宿った。高校時代の元カレと元カノの爛れた関係をふっと思い出し、ちょっと大きくなったのは達也のお蔭もあるかもしれないと邪な考えも過る。


「分かんない、外套なんて聞いたこともないし、ああ、しいて言うならグローワル戦記って漫画が若い子に流行っているんだけど、その軍人キャラが外套を着ていたくらいかなぁ。私もめちゃ好きだから読んでるしグッズとか沢山買ってるよ」

「グローワル戦記……、確かにガイシャはみんな持ってたなぁ」

「なにそれ?」

「ちょっとあっちで話せないか、少し教えて欲しい」


 カウンターを親指で示される、達也が興味を持ってくれたのに安堵した。このまま好きな作品でもあるから最後に布教するのもいいだろう。


「グローワルを?なに、あたしの推しの話を聞きたい?」


 食い入るようになった私に手の平をたてて落ち着くように達也が諭しながら、場違いなほどに凍らせた声を発した。


「至って真面目な話」

「真面目?」

「そう、真面目な話」


 ビールジョッキと摘み、達也はハイボールのグラスを持って、カウンター席へと二人してその場を離れる、離席するときに「復縁か?」なんて周りから揶揄われたりもしたが、達也はそれを上手くあしらってくれた。

そそくさとカウンターの椅子に連れ立って共に座ると、達也はポケットからスマホを取り出して一枚の画像を見せてきた。


「閣下だ!あたしの推しキャラだよ!」


 ちょっと派手な軍装を規則通りに着こなし、サーベルを腰に下げて黒い外套を羽織っている黒髪の好青年、メトワール伯爵の姿がそこにあった。思わず心が沸き上がり推し愛が溢れだす、そのまま次の煮え滾るほどに熱い言葉を口走ろうとして、達也がボソリと呟いた。


「8人死んでる」

「へ?」


 その言葉に現実感が伴わず私は素っ頓狂な声を上げただけだった。


「今から言うことは酒の席で言ってしまえば冗談にしか聞こえないと思うが、真面目な話だ。殺人事件の話だ」

「冗談でしょ?」


 茶化そうとしてワザと声を上げてみたが、達也は深刻な顔をしてハイボールを一口飲む、しばらしくて笑い始めたので私は揶揄われていたのを悟って頬を膨らませて抗議した。

 それを見て達也が更に笑ったので思わず手を抓ってやる。


「痛い、痛い、ごめん、冗談、冗談。まぁ、酒の肴の話半分で聞いてくれよ」

「もう、仕方ないなぁ……」

「推しだっけ、由美子の言うこの閣下というキャラクターの人物像を教えてくれないか、できれば、どんな人間かってことも」

「漫画は読まないの?」

「一応読んだ。そもそもがえっと……その、なんだ」

「ああ、BLだもんね、あれ、お気に召さなかった?」

「俺は女が好きなんでね、性的思考にとやかく言うことはないけどな」

「そ、で感想は?」

「相手が女でなく、男になっただけだろう?」


 私はその言葉を聞いて姿勢を正した。達也が緊張した面持ちで同じように姿勢を正してゆく。付き合ってきた当時、喧嘩をする事柄は必ず姿勢を正して話をする私を思い出したのだろう。

 現にそう、私は怒っていた。

 男女の恋愛とBLを同等に扱うとはどのような恥さらしだと、君の感性は死んでいて、ツマラナイマチズモに囚われているに過ぎないとまで口をついて出そうになる。

慎重に言葉を選んでいると彼も場違いなことを口走った。


「カーランってサークルを知ってるか?」

「う、うん。薄い本、そう、同人誌を作ってると思うけど」

「しっているならいいや、原作って言えばいいのか?それを読んでメトワール伯爵、ああ、伯爵と言うのか、そのキャラクターが相手に心から癒されて好きになっていく、数多くの困難を排して結ばれる様は、まぁ、納得できた」

「うんうん」

「それでだ。もし、そのキャラクターが作品の地ではなく、この現世に顕現とでも言うべきなのか、現れたとして、その本などを見てどう思う?」


 真剣な目で私を達也はじっと見つめた。

 恐ろしいほどに真剣な瞳で伸ばしていた背筋が更に伸びる気がする。


「えっと、空想の話だよね」

「ああ、もちろん、空想の話だ。で、どう思う」


 伯爵は愛に飢えた男だった。

 家族から忌み嫌われて孤独に凄し、そして平民のガルスと戦場で出会い、数多くの腐女子心を揺さぶる物語の末に結ばれる話、特に雪降る静かな戦場においてガルスの外套の中に伯爵が抱き入れられて……のシーンは涎もの。でも、最後の最後に他の貴族に裏切られ、ガルスを失ってしまう、でも、その意思を受け継いで平民も貴族も穏やかに暮らせる世界を作るべく領地を発展させていく形で物語は終わりを迎えた。作品には魅力的なキャラクターが数多く出てきて、そのキャラ達のカップリング、もちろん、伯爵と別キャラのカップリングで様々なものがオーバードライブされてることも事実だが……。


「きっと描いた奴を殺す。冗談抜きで……」

「あの性格だもんなぁ、やりかねないよなぁ」


 視線を外してハイボールを煽った達也はそのグラスを台の上に置いた。

カランと氷が綺麗な音を立てると、彼はその置いたグラスの縁を人差し指で謎りながらしばらく何かを考えていたが、やがて、それを止めると再び私を見た。


「漫画ってのは今は紙では書かないんだろ?」

「ん?うん、そうだよ。パソコンだったりタブレットだったりだね」

「それでデータを送って出版社や印刷会社が請け負うって感じだよな」

「うん。ほぼ間違ってないと思うけど」

「そうか……、由美子も描いたことあるのか?」

「私は無いよ」

「そうか」


 どことなく安堵したような返事だ。

 再び達也は空いたグラスに視線を戻し、そしてグラスの縁をなぞりながら、独り言のように呟いた。


「アマチュアヒットマン」


 そう確かに聞こえた。

 和訳は言わずとも知れた「素人の殺し屋」、思わず背筋が寒くなった。


「ねぇ、話のつながりが分かんないんだけど?」

「あ、ああ、すまん……すまん……」

「なに?どうしたの、体調でも悪いの?」


 達也の額に汗が浮いている、そう、まるで高い熱を出したときのように、いや、緊張したり何か不味いことに巻き込まれた時のように、その玉のような汗に私は驚きを隠せなかった。


「なぁ、ちょっと、仮の話を聞いてくれるか?」

「ん?うん、いいよ」

「漫画でもなんでもそうだが、主人公とその取り巻き、ヒロインだったり友人だったり、と共に成長してゆく、一つの人生を描いているようなもんだよな」

「うん、まぁ、物語全般がそうだよね」

「例えばだが、そうだな、AIに学習させたとして、一つの人格になると思うか?」

「え?」

「AIになんだっけな。例えばその伯爵のすべてを学習させたとして、伯爵になると思うか?」

「なんか、難しい話だね……。でも、できないことは無いと思う、海外のソフトだけど、そのキャラクターの設定を学習させて、推しキャラと話せるなんてものもあるくらいだから」

「そんなものあるのか?」

「うん、実用化にはまだまだだけど、きっとそのうち出来上がると思う」

「なんてこった、ベースはできてる訳だ」

「ねぇ、何の話してるの?分かるように話してよ」


 私はカウンターをトントンと軽く叩いて不満を露にした。

 何もわからないのにこんなとりとめのない話をされても困る。


「あ、ああ、すまない。最近、全国的にちょっとした殺人事件が起こってる」

「え?」

「8人ほど死んでる事件だ。もちろん、容疑者はその場で逮捕されてるんだが、その取り調べ中に全員が脅されて仕方なくやるしかなかったと供述してる、個人情報がすべて暴かれて脅されて、なんだ、今でいうところの「闇バイト」みたいなもんだな」

「うん……」

「調べてみるんだが、通信記録や何を漁ってもそんなものは何も出てこない。共犯がいるとも指示役がいるともどう捜査をしても分からん。つながりは唯一、くだんのグロワール戦記だけだ、全員が鞄や持ち物に伯爵のキーホルダーだったり、ストラップや人形を持っていたから、推しってやつなんだろうな」

「なに、ファンが殺されてるってこと?」

「いや、全員が同人誌の作家だ」

「え?」

「同人誌の作家さ、もちろん、描いている作品は伯爵と別のキャラが結ばれるものばかりを描いていたような気がする。いや、たぶんそうだろう、ストラップのつがいはそれぞれ違うキャラクターだったからなぁ」

「えっと……」

「それでだ、相手のことを聞くと、全員が外套ってハンドルネームを口にする。ネット上で知り合ったこと、そして何も相手に渡していないのに、いつの間にか個人情報や家族構成、それこそ個人的に秘密にしたい事まで、すべてが外套に知られていて、そして、殺しを指示される。写真が送り付けられて、いついつまでに殺せと指示されて実行してるわけだ」

「そんな、断れば……」

「家族の写真や親しい人の写真、どこで撮られたかも分からない、あるいはグループでしか共有できない、中には彼氏と二人だけしか持っていないはずの写真等を別々に数十枚ほど送り付けられて、此奴らがどうなってもいいのか?って言われたら、お前、断れるか?」

「……」


 私は押し黙るしかなかった。

 それはとても鋭い刃を持っている言葉だ。どこで撮られたかも分からない、友達しか分からない写真を別々に送ってくる。それは酷く恐ろしい、狙われていて、常に都の大切な人達も狙われているということだ。


「で、犯行に及ぶ。けどな、そのやり取りを示すものは何も出てこない、犯人の1人が国防の要職につく者の家族でな、公安や防衛省、英米中ロのインテリジェンス関係者までもが捜査をしたようだが、公式、非公式ともに何も痕跡を発見することができなかった。つまり、ただの通り魔のような事件で幕引きだ。俺はそれが気になってずっと調べていた訳だが、ありえない話だが否定できない結論に達したよ」

「それって……」

「この世にあらわれた伯爵による殺人事件」

「飛躍しすぎじゃない?ファンとか色々な人が関わっていることも……」

「いや、痕跡一つ残さずにってところが重要なんだ。電子の世界で何かやれば何かしらの痕跡が残るんだよ。それは間違いない。スパイ映画みたいに何の痕跡も残さずには絶対に出来ないんだ。ただ、それを行う術が1つだけある、これは絶対無理だとサイバーセキュリティ―の連中も言っていたが俺は可能だろうと思う」

「どういうこと?」

「大本の根幹、基幹システムを制御することだよ、膨大な複合体の基幹システムを手足のように制御するのは人間には難しいが、AIならば可能性がある」

「でも、飛躍しすぎだよ、それにカップリングの違うのをどうやって見つけるの?」

「言ったじゃないか、今はパソコンで書くってな」

「それは……」

「それに伯爵は疑うに余地がある」

「なんで?」

「人殺しで一番多い理由を知ってるか?」

「知らないわよ」

「怨恨だよ、怨恨。恨みだ。会話型システムもあるんだろ」

「でも、まだとても実用化にはほど遠いよ、プログラムされたものを選択して話す程度……」


 私はハッとした。

 選択して話をするのは私達と同じ行動だ。

 当たり前すぎて気がつかなかった。


「それが何かの拍子に人間と同じように化けたとしたらどうする?」

「そんな簡単にできる訳がないじゃない」

「いや、そうでもない。つながりを持たない個別のシステムが繋がれば何でもできると思わないか?それこそ基幹システムを制御できるほどまでに……」


 唐突に彼の携帯が鳴った。互いにその音に驚いて顔を見合わせて笑い合う。

通知されている画面を睨んだ彼は仕事だと言って電話を取り、電波が悪いのか何度も聞き直しながら、やがて、店の外へと出て行った。

 

 私は空になったグラスを店員に渡して新しいモノを注文して受け取り、そしてそれにポトリとソレを注いだ。

 

 今、手の中には空になった小さな醤油入れの入れ物がある。

 お刺身に着いてくるアレ。

 それは伯爵から送り付けられた液体だった。


[終わりましたか?レディ]


 スマホ画面に【システム通知】という形でホップアップが浮かび上がる。その下にグロワール語で「イエス」「ノー」が表示されていた。

 

 私は迷いなく「イエス」を押した。

 

 これで父と母と姉夫婦とその生まれたばかりの赤ん坊は助かるだろう。

 伯爵から送り付けられた薬を飲み、伯爵の指示で隣に座り、伯爵の指示で言葉を選び、伯爵の指示で液体を入れる。

 薬のせいか心が乱れることは無く、すべてが計算し尽され正しい数式を解くように事は進んだ。


「悪い悪い、仕事場から電話でよ、お、新しいの用意してくれてありがと」


 戻って来た達也が新しいハイボールに口をつけてグイっと飲み干す。


「ごめんなさい」


 彼の笑顔に良心の呵責が頭を擡げて思わずそう口走ってしまった。

 きっとすごく悲しい顔をしていたと思う。

 手元のソレを机の上に転がすと驚いた顔をした達也だったが、やがて、仕方ないというような顔で寂しそうに微笑んでくれている。

 私も急に胸の辺りが痛くなってきた、どことなく、息苦しさと閉まる様な感触が襲ってくる。


「伯爵の方が一枚上手だった訳か……、あの作品はやっぱり凄いな。でも、お前と一緒に死ねるならいいや」


 そう言って達也がカウンターに倒れ込んだ。落ちたグラスが大きな音を立てて床で割れる。


「ごめんね、達也」


 私も同じようにカウンターに倒れ込み、やがて意識は霧散して途切れてゆく。


 翌日の新聞には、急性アルコール中毒の死で2名が亡くなったとだけ、地方版の小さな記事が掲載されていた。

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