第2話 「頂戴します」と「お預かりします」を誤用するコンビニの店員を裁く法
テレビ番組の気象予報士でさえも布団から出ることは叶わなぬであろう冬の朝である。私を布団の外へと追い出したのは他でもない、咽頭に走る激痛であった。どうやら昨日の私ははあまりの多忙に疲弊しきっており、エアコンを切り忘れただけでなく、加湿器すらつけ忘れたまま夢の国へと旅立ったらしい。
布団の外へと追い出されたと述べたが、正確には布団を体に纏ったまま起き上がっただけである。蓑虫のような姿で洗面所まで地面を這うように歩き、数回うがいをして、1杯の水を飲んだ私は、すぐさまその場に寝転がり、華麗に二度寝を決め込んだ。お陰で見事に寝坊し学校に遅刻したことは言うまでもない。
どうせ遅刻するなら遅かれ早かれ同じである。まだ喉に痛みが残っている私は、最寄り駅にてのど飴を購入してから学校へ向かうことにした。昨今は凄まじい速度の国際化により、コンビニエンスストアの店員の半分近くは異国の人々である。当然私の最寄り駅にあるコンビニにも多くの外国人が勤務している訳だが、今日は珍しいことに日本人しかいないらしかった。
のど飴を手に取り、値段を確認する。私は出来るだけ釣り銭の出ないように買い物をしたいが、かといってレジの前で小銭を数えるような野暮なことはしたくないため、決まってレジに並ぶ前に小銭の枚数を確認する男である。釣り銭なく会計を済ませるこのなんとも言えない楽しさがなくなってしまうということが、私がまだキャッシュレス決済に切り替えられずにいる理由の一つである。店員に商品と数枚の小銭を手渡すと、彼女は「丁度お預かりします。」と言った。
開廷
今のやり取りのなにがいけなかったのか、分からぬ読者もさぞ多いことであろう。私が気に食わなかったのは「お預かりします」という言葉である。
本来、「お預かりします」という言葉は、釣り銭が発生する場合のみに用いる言葉である。代金を受け取り、釣り銭を返す訳だから、このようなもの言いになるのは当然である。
しかし、私は釣り銭が出ないように丁度の金額を支払ったのだ。なにを「預かる」ことがあるのか。「お預かりします」ではなく「頂戴します」という言葉を用いるのが日本語としては正解である。
そんな細かいことで、と諸君は思うかもしれない。が、折角小銭の枚数をわざわざレジに並ぶ前に数えてまで丁度の金額を払ったにも関わらず、釣り銭が出る場合と同じ対応をされてしまうと、まるで私のこのひと手間に意味が無いかのようではないか。何度でも言おう。私は「近頃の若者は、」と口説を垂れる老人ほどではないが、滅法面倒で性格の悪い思考回路を持つ男である。
まだ異国の人々がこのような言い間違いをしてしまうことは理解できる。むしろ「お預かりします」という高等な日本語を話すことが出来るだけで尊敬に値するというものである。私はベトナムやフィリピンで「お預かりします」をなんと言うのかなど検討もつかぬ。
だが彼女は日本人である。自国の言葉を正しく用いることができぬのは懲役4日を課しても誰も咎めぬほどの重罪であろう。日出ずる国の民としての誇りは何処にいったのかと問いただしたくなったが、ここで一つの疑問が浮かび上がる。
それは、「そもそも正しい日本語とは何か」という疑問である。本来言語とは時の流れと共に移ろうものである。例えば昔は若者言葉であった単語が今では国語辞典に収録されるようになっていたり、昔の人々が用いていた古い言葉が廃れたり。言語はその時代を生きる人々の価値観や生活観に基づきカメレオンのごとくその色を変える。ならばもう、「丁度頂戴します」という単語は廃れてきてしまっただけのことではないのか。そうだとするのなら今私のやっていることは、「近頃の若者は、」と口説を垂れる老人と同じことである。それは困る。私は寿命の半分以上を贅沢に使い果たし、あとはささやかな老後を満喫するだけの老人ではなく、まだ将来の無限の可能性に胸を踊らせていてもバチが当たらないほどの若輩者なのだ。
そしてそれは彼女も同じである。むしろ私たちがすべきなのは、古き単語たちを味わいつつも、自らの生活様式にあわせて少しずつ日本語というカメレオンの色を変化させていくことなのかもしれない。
ならば彼女に罪は無い。私は丁寧に彼女に感謝を述べ、店をあとにした。
そして学校にて、担任の教師にこっぴどく説教を受けるのであった。まじヤバい、というやつである。ちなみにヤバいという言葉は「矢場」が起源であり、江戸時代から存在する伝統的な古語である。
原告:「頂戴します」「お預かりします」を誤用しているコンビニの店員
判決:無罪
脳内裁判、閉廷。
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