第2話 家族の肖像

 初めて知り合った二人。2階にある店の階段を降りて、さらっとそこで別れた。


「また、会えるといいね」という謙。


「また、このお店。気に入ったから」と、綾。


 彼女は、周囲に気を取られたように目を配ると、そそくさと路地の奥に消えていった。


 そこで別れた僕は、飲み足りないのを我慢して、その日は早めに家に帰えることにした。なかなかの美人だったな。惜しかったかな、でも最初はこんなもんでいいんじゃないのかな、次が大事なんだよ、と謙は電車を待つ間、自分の行動を大いに反省しつつ、次へのステップに心なしか期待をかけるのだった。


 街は人で溢れかえっていた。特に近頃は外国人がやたら目に付く。まぶしいイルミネーションとごちゃついた人の波は、まさに海だ。溺れそうになりながら、手で大きくかき分けながら、何とかホームの階段を上がりきることができた。そして、混んだ電車。呼吸困難で吐きそうになるのを我慢して吊革にぶら下がっていると、聞こえてきた、近くに立った若い男女の会話が。


「あいつ、死んだんじゃないか」


「死んだと思うわ。あんなに血が出てたもん」


「そうだよな。何があったんだか、女の取り合いってえとこか」


「そうよ、きっと。近くに女もいたわよ」


「そう、あのナイフを持った奴は、その子も追いかけようとしてたじゃないか」


「間違いなしね。三角関係の縺れってやつね」


 その時、電車は、急にスピードを落としたかと思うと、ガクンと止まった。信号待ちという車内放送があった。年の瀬も押し迫ると、こんなことがよくある。半分あきらめ気味に周りに目を配ると、人越しに車窓から先ほどの綾に似た女性が踏切の先を走り去るのが見えた。いや、きっと錯覚だろう。やはり気になるのかな。間もなく電車は走り出した。そして謙の降りる駅に着いた。謙は、車内で聞こえてきた男女の話も面白い話だと思ったが、それ以上気にすることはなかった。


 帰宅民の渦に押し流されるままに駅の改札を出たらそこに蠟燭を持った子供たち数人が近所の教会の牧師の指揮で、讃美歌を歌っているのに出会った。そしてそこには、謙の姉の薫子が混じっていた。毎年のことなので今年もと思ったら、案の定、讃美歌を歌っている子供たちの後ろから付き添うようにして一緒に口を合わせていたのだ。アメリカ短期留学から帰ってきてから急に信仰づいたのか、近くの教会に通い出し、この何年か小さい信者の子供たちの指導というか、面倒見に当たっていた。


 しばらく、といってもほんの1分もしないほど取り囲む聴衆に交じって聞いていた謙だったが、コートの襟を立てると、そこから足早に離れて家路へ向かった。


 謙の家族構成は、きわめて常識的な両親、そしてしっかり者の姉のごく普通の4人家族だ。父親は大手電機会社の営業次長。もともと東京育ち、一応国立大学を卒業している。母も東京育ち、有名私立音楽大学を卒業して、父と結婚するまでは中学の音楽教師をしていた。専門の楽器はオーボエ。とはいえ、謙はその母親が楽器に触れた姿を見たことはなかった。今は週に1日だけ音楽教室に出かけていって、生徒何人かを教えているほかは、近所のスーパーでパートのレジ打ちをしている。 


 母親は、子供を教えていたせいか、家庭でもカレンダーの中に自分でびっしり組み込んだイベント日に夢中で、そんな日には、何かと楽し気なことを企画する。


 だから年末は忙しい。クリスマスが終われば、正月の準備。そのために郊外の雑木林に入っていって、門松の竹と松を探してくる。もちろん、事前に地主というか、往々にして農家の家になるが、そこを訪ねて、許可は取っている。そしてついでに荒縄や茣蓙、さらにはお餅などを分けてもらってくる。母は言う。


「日本人の伝統がどんどん寂れていくようだと嘆いている人が多いけど、自分からやらないんだもの、しょうがないわよね。でもね、一人一人が伝える努力をしていると、細々とした火も、やがては、きっと大きな炎となって燃え上がるわ。その時のためにも、自分でできることからやらなきゃいけないのよ」と。


 でも、どうなんだろう。時代は戻りはしない。時代が新しくなれば、新しい時代にふさわしい習慣とか、考え方が生まれていくんじゃないのかな。それはそれでいいような気がする、とその時の僕は思っていた。


 それでも、面倒くささが先に立つ謙は、母の楽しみともいうべき使命感のようなものをあえて否定する気にもなれず、言われるがままに、流行りものに目がない父が最近手に入れたハイブリッド車の助手席に母を乗せて、房総半島にまで出かけていくのだった。


 大みそかも、そんなわけでいつも大忙しだ。父親は、朝から大掃除当番を任せられ、夕方陽の落ちるころやっと玄関飾りがつく。そしてお決まりの紅白歌合戦を見ながら、お酒をいただくというわけだ。その間、母親はお煮しめをつくり、そばを茹でる。謙はというと、正月にいただく雑煮用ののし餅を切るという仕事を与えられる。もちろん、年が明けての正月は大イベントだ。紅白歌合戦が終わると、家族四人で初詣電車に乗って鎌倉まで出かけていく。鶴岡八幡宮だけじゃない、近くにある菩提寺への参拝も欠かさない。そして、母親の妹家族も呼んで元旦の挨拶、お屠蘇をいただいて、おせちとお雑煮を食べるという段取りだ。


 しかし、母のそうしたイベントにどれほどの思いがあるのかというと、疑問だ。彼女の心の中は却って冷めきっているような気がする。その原因は、彼女のこれまで生きてきた経験からくるものなのかもしれない。恐らく家族でも満たされない寂しさを紛らわすために、そんな自分を忘れるために、イベントを日々つくり続けているのだろう。


 正月三が日が過ぎれば、次は七草、そして節分と続くのだが、昨年はその間に謙の成人式があった。母は赤飯を焚いて、お祝いを楽しみにしていたが、謙自身は極めて冷めきっていた。というのも、彼の年代の若者たちときたら、古臭い習慣を馬鹿にしたように、無関心にふるまうことが新しいとしているくせに、成人式の日ばかりは、猫も杓子も女子が振り袖姿を披露するばかりか、男子も気障なスーツや、着物に袴といったハレの出で立ちを見せびらかせて役所が主催する儀式に参列する。これが謙にはたまらなく嫌だった。だから、そんなところへは一切出かけずに普段のまま、家族でささやかに赤飯に小さな尾頭付きの魚で祝ってもらうことで十分とした。


 だが、父も母も、謙のそんな虚無的な考え方にはついていけないといった様子だった。イベント好きな母はまだ分かるが、父の物足りなそうな顔には何があるのか気になった。謙が想像するのは、やはり父は常識人であることを生きる糧とするようなところがあると思っていたが、こんなところにもその性格が出るのだと思ったのだ。父、いや父の世代に共通するとまでは言えないが、大多数を占めるのが、経験主義的な常識に照らしてすべての物事を判断しようとするところだ。それは、おそらく長い間単一政権が日本の政治を動かし、経済もそれに同調してきた影響ではないのか。保守いわゆることなかれ主義、長い物には巻かれろ的な考えが時代の主流をなしてきた。そんな中、国のエネルギー政策の方針が原子力発電に向った。そして、技術を過信する父の会社も父たち社員も躊躇することなく、それを受け入れた。かつて敵の艦隊に向かって体当たりしていった特攻隊員と同じだ。原発を早く安く完成させ、効率よく運転させるために、労働者たちは安全と健康を犠牲にしてきた。献身的というのではない、ただ時代の流れに巻かれていっただけなのだ。謙は、それも嫌でたまらなかった。


 たんなる親父の保身なんだ。僕の身体はその犠牲になったんだ。当然、責任は親父だけじゃないこの国の社会にもある。そう考えれば、僕の心の奥底にある虚無的にして反抗的なものの考え方にいきつくのがわかるだろう。ところが悪いことに、それを父はまったく気づくことはなかった。いや、気づいていたからこそ、そうした僕の世の中への甘え、家族に対する横暴なふるまいに対して、父親は、彼独自の常識的な判断で持って、わが子を、それこそ針に触るように大事に大事に育てようとしたんだ。そして、そのように子供のころから甘やかされて育った僕は、いまだにわがままを通すことが当たり前のことと思い込んできてしまった。そんな家族で唯一謙に理解を示してくれる姉の場合はもっと純粋かもしれない。頑固だと言ってもいい。その姉の意識が最高潮に達したのが、あの大地震の日だった。



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多分、僕のことが好きだったはずだ 寺 円周 @enshu314

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