第3話 出会い
ベシッ
「いっ…!」
朝、セアンは叔母様に脳天を引っ叩かれて目覚めた。
「叔母様、おはようございます…ちょっと、リラックスしている人間にそれは無いんじゃないですの?」
寝ぼけているセアンを無視して、叔母様は彼女に小さな紙を渡した。
「…なんですか、これ」
「あんた、すごいじゃない」
「?」
怪訝な顔をして胸元に押し付けられた物を目視する。
それはいかにも高価そうな手紙であった。
金箔のラインが散りばめられている便箋をそっと開けるとなんと、中の紙はもっと豪華ときた。クイルペンで途切れなく書かれた文字はセアン・クイーンの名前と日付、そしてセアンの住む領地の管轄である侯爵の名前が大きく書かれていた。
「シャルル・カロス侯爵に呼び出されるなんて」
「…シャル…?噂でしか聞いたことがない方ですが、実在しておられたのですね…?」
「噂じゃあかなり男前だと聞いているけどねえ」
「ええ…?私が聞いてきた噂と全然違いますわよ?」
シャルル・カロス侯爵のことは、領民の誰1人としてその素性を知らない。大層人情溢れた温かいお爺様だという噂が流れる一方で、正論の通じない冷酷な中年男性であることも聞いたことがあった。叔母様の噂では男前、か。噂がいかに役に立たないかがわかる。年齢すら不詳ときた。
侯爵という、顔が知れているであろう地位でありながらこんなにも誰も知らない事があるだろうか。もしかしなくても引きこもり…?閉ざされた空間で生きてきて何が楽しいのかしら。…なんだか可哀想だから、お呼ばれした暁にうちのパンでも持って行ってあげようかしら。でもきっとそれは失礼に値するのよね…?
「まあお偉いさんに呼び出されること自体光栄なことじゃあないか。…なによその浮かない顔は」
「いえ…」
「…心配なら私も付き添ってあげようか?」
「…いえ、大丈夫ですわよ。全く、いつも人遣いが荒いくせにこういう時だけか弱い女の子のように接してくださるの、むず痒いからやめてくださる〜?……なにせ叔母様の方が、“あの階段”を登るのに体力を使うのですから」
今回セアンを呼び出した「カロス」は、彼女の暮らす領地を管轄している侯爵家系の名である。その邸に行くまでに、気が遠くなるほどの“階段”が待ち受けているのだ。
カロス侯爵家は歴史上数多くの戦いを切り抜けてきたことで知られており、軍事に長けた家系であるとされていた。そのため、その階段の存在意義としては敵が本領地の中心であるカロス侯爵家の邸に侵入することを困難にするという理由が最も有力で、セアンも正直そうだと感じている。そういうわけで、杖を使い始めた叔母様の足腰では到底、最後まで登ること自体不可能に近いのだ。
* *
叔母様は私に繕えたばかりの革靴と、なるべく薄地で暖かい上着、そして耳まで覆われた帽子を被せてくれた。普段のセアンの格好では、侯爵の前に立たないほど見窄らしいらしい。
「叔母様、朝からこんなに仕立ててくださってありがとうございます。私 行ってきますわね」
「うん、こんな機会なかなかないんだから、どんなことであれ楽しんできなさいな。良い報告を待っているよ。セアン」
数年ぶりに叔母様からの頬キスを受け取る。
セアンは不思議な心臓の高なりを抱えたまま、侯爵家へ向かった。
===
===
「…」
カロス侯爵家の外観をしっかりと視界に入れたセアンは言葉を失っていた。
様相があまりにも荘厳だったからである。
…これが家…?邸…?ただの要塞じゃなくて…?
地理的に領地のてっぺんに位置しているカロス邸は、日常的に私たちの住む場所からも見ることができる。川の橋越しや田畑のような平地であれば尚更だ。だが人間を極限まで近くで見れば細胞の塊に過ぎないのと同じように、刺々しくも美しかった邸は近くで見るとただの石の要塞だった。いや、言い方が悪かったわね…美しくはありましたのよ?
芸術の観点からでも高い評価を得そうな綺麗に並べられた石の壁は、数千人の兵が一気に押しかけてもびくともしないくらいの完璧な配置で、所々に監視台と思わしき小さな空間があった。地面から高さ2メートルほどまでの石壁は無数の棘が生えているようなデザインにされており、敵はこの壁を乗り越えることすら難しそうだ。
敵が戦闘前に白旗をあげそうな構造に、セアンは他人事ながら思わず唸った。とはいえ、街灯の近くに吊るされていた時計はそろそろ指定の時間を指しそうである。
建物の小細工を探すことに時間を使いたい気持ちも山々だったが、セアンは邸内に中に入るのを急いだ。
入り口の警備には、自分の名前を言っただけでいとも簡単に通してもらえた。これはつまり部下にも情報共有がしっかりされているということである。さすが侯爵家だと、セアンは密かに感心した。
「君、ちょっと。この家で見ない顔だけど、誰かな?」
案内された邸の扉を開こうとした瞬間、誰かに引き止められる。
振り返ると、異国風のスラリとした青年がセアンを見ていた。
明るめのブロンズヘアに、たち耳と吊り目が印象的だ。歯を出してセアンに笑いかけてはいるが、目元は一切笑っていない。セアンはこういった社交辞令の表情が大嫌いだった。
「…まさかこんな白昼堂々と侵入かい?」
「出会い頭で恐縮ですが…笑うんでしたら心から楽しいときだけにしてくださる?その上辺だけの笑顔、とても気味が悪いのですけれど」
その青年はセアンの返答に予想すらしていなかったようで、ぷはっと吹き出して今度は本当に笑い出した。
「ふはは、なんだ君、失礼だね!愛想がいいという捉え方はできないのかい?ここはカロス侯爵の邸の前だ、見知らぬ人間がいたら話しかけて当然だろう?」
「そしたらあなたは…カロス侯爵の関係者のお方?」
「まあ、そんなもんだ」
「あら、そうでしたの。失礼いたしましたわ。こちらがカロス侯爵のお邸であることは存じ上げておりますの。彼から招待状をいただきまして、今ちょうど到着してご挨拶に行くところでしたの」
セアンが青年に招待状を見せると、彼はそれをまじまじと見て、次はセアンの顔をじっと見つめ始めた。
一気に真剣な顔つきになり、見透かされているように感じたセアンは無意識にゴクリと唾を飲む。
「…君がセアン・クイーンか」
「わ、私をご存じですの…?」
「え?何が?だってほら、招待状の“ここ”に書いてあるじゃあないか」
「そんな神妙な面持ちで私の名前を読み上げないでください」
ああ、緊張しただけ損したじゃあないの!
ケタケタと笑う青年。セアンは呆れながら邸の重厚な扉を思い切り叩こうとしたが、その腕を青年がぐいと掴む。
「私についてきなよ、彼のいるところまで案内してあげる」
きっとこの時のセアンの顔はぐへえ、と声が漏れそうな表情だったに違いない。正直こんなに胡散臭い青年についていきたくなかった。が、一人で邸に入ったところで迷子になることもわかっていた。
「…ありがとうございます」
仕方なく、セアンは青年の後ろをついていく。
もし襲ってきでもしたら股間を蹴り上げてやるんだから。
===
===
「ここだよ、セアンお嬢さん」
青年の意外にも素直な案内で辿り着いたのは、数メートルにも及ぶ高さの扉の前だった。大怪物の一匹でも収容されているかのような規模感である。
「えっと…?」
「それとね?ここまで連れてきておいて済まないのだが…」
青年は申し訳なさそうに後頭部に手を回した。
「私…今日この後、ちょいと忙しいんだ。だからここからは1人で頼むよ。シャルルはこの中にいるはずだ。また今度ゆっくり話でもしよう」
セアンに背を向けたままふら〜と手を振りこの場を離れていく青年は、セアンが瞬きを二度した頃には目の前から姿を消していた。彼にお礼を言い忘れてしまったことに、そして名前も聞き忘れてしまったことに、セアンは若干の後悔を感じた。
それはそうと、問題の大扉に向き直る。さて、どう開ける…?
目の前にそびえるものが扉と言えるのかも怪しいくらいの大きさなのだ。セアンの片腕の長さ以上の厚さがないと、この扉の高さは維持できないくらいなのだ。
力いっぱいに押す…?そんなの無理に決まっているわ。「着きました」と力一杯に叫んで開けてもらう…?いや、それはそれで迷惑ですわよね。
意を決して、セアンは分厚い扉を目一杯押し始めた。やってみるに越したことはなかったが、もちろんびくともしなかった。せめてあの青年が扉まで開けてくださっていれば…!
「もう…!邸の入り口に人を置くんならこういうところにも人を置きなさいよ…!客人が入れないようじゃ意味ないじゃない!」
そう叫びながら押していると部屋の中からざわざわと何かが聞こえてきた。耳を澄ませると、それは確かな人間の声である。「なんだ?騒がしいぞ」と言っているようにも聞こえる。
次の瞬間、ゴゴゴという大きな音を立て、扉が開いた。セアンは衝撃のあまり尻餅をついてしまった。なぜなら中の人間がいとも簡単に、このびくともしない大扉を開けてしまったからである。
−4話へ続く−
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます