第4話 彼の沸点








 大部屋の真ん中、セアンは一人の男の前で跪いていた。








「…騒がしくしてしまい申し訳ございませんでした。まさか引き戸とは思わず…」



「構わん。客人がよく間違えるからな」



「そうでございましたか…」



…よく間違えられるのなら、この入り口に案内人を置くなりしたらいいじゃないの。という言葉は飲み込んでおいた。




「そんなことはさておき」




目の前の男は引き戸トークをバッサリ切ると、セアンの姿を頭からつま先までまじまじと見つめた。





「君は、誰かに案内されてきたのかね?」



「…はい。長身で金髪の、よく笑う青年に…」



「ああ…ノアか」




一瞬で名前を思い出したのであろう男の口は、確かにそう言った。セアンは聞きそびれてしまったその青年の名前を人伝にでも知ることができてラッキーと思いながら「ノア、ノア…」と口をパクパクさせながら頭に入れ込んだ。








 この男は扉を開けてくれた後、先ほどまで座っていたであろう長椅子に座り直して足を組んでいる。向いている足の角度からして、セアンの方を向いていないことは明らかであった。





セアンは跪いた姿勢を維持しながら少し視線を上にあげ、目の前の男の姿をしっかり視界に入れてみた。

 





 黒に近い紺色の髪色に、エラのしっかり張った輪郭。その顔の真ん中に男性らしい鼻筋が真っ直ぐ通っている。彫りの深めな眉間に切長な目が配置され、それらのパーツが小さな顔に端正に収められていた。

 その顔立ちにピッタリと当てはまる鍛え上げられた肉体は、重厚な衣服の下からでも容易にわかる“ライン”が出ている。







 その男は、噂に聞いていた“温厚なお祖父様”でも、“中年男性”でもなかった。どちらかというと叔母様の聞いていた噂の方に近いと思った。…少しは役に立つ噂もあるのね。





年齢はわからなかった。見た目から判断するに侯爵の地位につくにはまだ早いのではないかと19のセアンが感じるほどだ。頑張って引き上げたとしても25くらいの見た目年齢なのである。この方がシャルルとかいう男…?









「あの…」




「なんだ」




「貴方が…シャルル・カロス侯爵ですか?」





 


 男は眉毛をピクつかせ、座っていた長椅子から立ち上がると跪いているセアンのもとに降りていき、彼女としっかり目が合うようしゃがみ込んだ。




セアンはまずいと感じたのか、先ほどまで盗み見のように向けていた視線をすっと逸らした。すかさず男が人差し指の甲でセアンの顔をぐいと引き、こちらに向かせる。









「だったらなんだ?





私がシャルル・カロスであることが不服かね?」







 目を合わせることは、本来は思いが通じ合う際に大事になるものだ。大人が子供に目を合わせるためにしゃがむことだって多い。相手によってはときめくことだってある。だが、彼と目が合っているときに出てきたのは、そんな可愛らしい感情ではなかった。







彼の目には光が全く入っていないのである。セアンは彼から人間味を感じ取ることができず、背筋がゾクっとするのを自認した。その感覚を振り払うように、そしてシャルルの質問に答えるように、セアンはふるふると首を振った。






「…まあいい」






セアンの答え方に納得したのか、シャルルはそのまま背を向け席に戻る。




「君は、今日呼び出された理由を知っているか?」



「いえ…」



「では……私の領地がなぜ軍事に長けているか、知っているか?」



「い、いえ…」



「ふっ……何も知らないのだな 君は。ここの領民も随分と腑抜けたものだ。このように君たちが平和な生活を送れるようにしたのは我々の軍の努力あってこそだというのに。






ああ……”平和な生活”ではなかったか。君たちの場合は“平和ボケな生活”だが」







 彼にとって今の発言が軽めの冗談であったとしても、ここは笑ってはいけないような気がした。






「私の領地が軍に長けているのは、元々この領地の治安が悪かったからだ。犯罪や争いが絶えなかった故、至る所に処刑台を配置し、視覚的にも犯罪を起こしにくくしている。



まあ…その程度の役割である処刑台が、実際に出番になる時もあるがね」








セアンは”処刑台”と聞いて、ピンとくるものがあった。







「まさか、



数日前の子供の処刑の件ですか…?」






「おお、察しが良いね。

君をここまで呼んだのは、



“処刑されるべき領民を庇った小娘がいる”と報告をもらったからだ」




すっかり忘れていた。…あれでここまで呼び出されるの?庇ったんじゃないわ…あれは助けるべくしてしただけよ。





実際誰がシャルルに通報をしたかはわからなくても、大体の想像はつく。あのじじい、美味しいパンだけ食べておいて、通報までするなんて。後で覚えておきなさいよ。







「父上であれば問答無用で君の体から頭だけ切り離していたであろうが…良かったな、私はそこまで鬼ではない。だからこうして君に真偽を聞こうと思ってね。










…この話は本当かね?」







いつもの癖で、嘘をつけば良いという気持ちとわざわざ嘘をつく必要はないと言った思考がぶつかり合う。そして言った後に気がついた、今回に限っては選択を間違えたかもしれないと。








「……はい……」







シャルルの片眉が上がるのが見える。焦ったセアンは間髪入れずに言葉を繋いだ。





「ですが…!そうすべき理由がございました」




ここから一言でも間違えたらすぐさま処刑される…





「処刑されかけていたのは私の膝丈程度の小さな子供だったのです。善悪の分別のつかない子に処刑だなんて、あってはいけないのではないですか…?こんなことを許してしまうなんて、それこそ上の方達に問題がありますわよ」





あ、やばい。最後の一言余計すぎたわ。

シャルル側からプチンという音が聞こえた気がした。





「…”上の方達”とは、誰のことだ?」




「えと…えっと、この領地の治安を守っている、き…騎士の方とか…(あと貴方とか…)」





セアンが何か言いにくそうに口ごもっている姿を見て、シャルルの口角が上がる。




「ふっ、醜い責任転嫁だな」





みるに、どうやらこいつは相手を言い負かすことが好きそうな人間ね。





「良かろう」



「え」



「今ので事情を把握した。君の勇気あるその主張にも免じて、今回の通報とその子供の処刑はなかったことにしてやる。だが忠告だ」






シャルルは座っている長椅子の背もたれから体を起こし、そのまま前のめりになってセアンの顔を覗き込んだ。






「領民の命を守ろうという『騎士』のような精神は良いことだが……





彼らがひたすらに無実なわけではないということは、よく覚えておくことだ」





 おそらくシャルルはこの言葉を最後に、セアンを解放しようとしたのだろう。彼の指先が「帰れ」という動作をしていることに気がついた。


だがセアンはその最後の一言を聞き逃すことができなかった。








「…それは実際の領地の様子を見てから言っていただきたいですわね?」







シャルルも、セアンの予想外の返答に少し眉毛をぴくりとあげて見せる。









「…それは、私に直接領地の見回りをしろと、指図しているのかね?」




「あら、指図だなんて。


…良い領地の素敵な侯爵の方は数日に一度、領地の見回りをして治安の管理を直接するそうじゃないですの。この領地はとても暮らしやすくて私も大好きなのです。もしそういったことをされたことがないのでしたら、それをすることでさらに良い領地になるのではないかしらと思って。シャルル様の素敵なお姿も、きっと領民の方々も一目見たいと思っておりますでしょうし」




 皮肉だと伝わらないようになんとかオブラートに包んでみたけれど、うまくいったかしら。シャルルは表情を変えずにセアンを見つめると、瞬きを一度してまた立ち上がった。




「なかなか面白いじゃあないか。





…『私に口答えする人間』の仕事場も含め、近いうちに領地を見回るとしよう」





−−激おこってやつだわ。




「…それが最も良い方法かと思われますわ」




 居ても立っても居られなくなったセアンは、気持ちばかりの台詞を添えるとスクッと立ち上がり、扉の方へ向かっていった。ずっと跪いていたせいで、左足が痺れている。




「…そういえば」




セアンの背中に、興味のなさそうな声色が投げられる。





「…お嬢さん、






…以前どこかで会ったことは?」




「……いいえ?」







バタン






 セアンの出ていった後の大部屋はしんと静かになり、シャルルは机の脇に置かれていたワイングラスをクルクルと回して香りを楽しんでいた。








 シャルルは、自分の質問に笑顔で答えた去り際のセアンが扉を一瞬引こうとしていた様子を思い出して、呆れたように口角を上げた。


 




−5話へ続く−

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