第2話 職業柄
セアンの所属する”SHADOW.inc”は、プロの殺し屋から構成される「暗殺」を専門とした執行機関であり、今や闇の世界で名を轟かせているほどの大きな組織であった。
そんな彼らが殺しを許されるのはビジネスに限った任務だ。それは例えば「反逆者の粛清」や、「政府密告者の口封じ」があげられる。
暗殺の動機として時折、恋愛や復讐を目的とした依頼が混ざり込むこともあるが、組織上層部でそう判断された場合の依頼はほとんど承諾されない。個人的に任務を引き受けた場合も組織の規約に違反するとされ、見つかった場合当人には厳罰が下される。
このような「殺しに私情を持ち込ませない」という規則があるのが”SHADOW.inc”が大きくなる所以の一つでもあるのだ。
この組織の驚くべき点は、その「内密性」である。
”SHADOW.inc”は常に命の危険に晒されている殺し屋たちの安全に最大限配慮し、「内部での情報漏洩の回避」を徹底していた。
単独任務や複数での暗殺の任務遂行、金銭のやり取りに至るまで、”SHADOW.inc”は独自の暗号を利用して各人たちへの情報共有を行っている。彼らは組織から与えられた「ハンドルネーム」を使用して業務を遂行しているため、殺し屋同士の個人的な関わりもほとんどないに等しい。
上司や同僚が何者なのかさえも知らないのである。
給与面は至ってシンプルで、任務を遂行した者に依頼全体金額のうち7割が与えられる。闇の組織にしては案外良心的だ。
共同で暗殺を行った場合は、その7割のうち8割がターゲットの暗殺に「直接関与した者」へ、2割が「暗殺の幇助をしたパートナー」であるとして関与しなかった者へ分配される。
色々面倒くさく説明したが、
つまりは成果主義・完全歩合制というわけだ。
実力主義の一見無慈悲に見えるこのシステムを、セアンはとても気に入っていた。無論彼女は”SHADOW.inc”に所属している殺し屋たちの中で最も若く、かつ組織唯一の女であったが、相手の姿形の見えない組織の構造は同時に性別の姿も見えなくし、ある意味報酬の掛金も男と大差ないのである。
* *
任務遂行日になると、セアンは普段より早めに起床する。通常9時に営業を開始するパン屋の業務を2時間早めなければいけないためだ。
人前に立っても恥ずかしくならない程度の身だしなみに整えたら、エプロンを腰に巻いて前日に発酵させておいたパン生地をオーブンに入れる。その間にセアンは叔母様の分も合わせた朝食を準備している。
その食事が終わるころにはパンは焼き上がっており、セアンができた商品から店頭に並べていく。待ったをかけることなく第2軍のパンたちの焼きあげを始めると、ちょうど7時の開店に間に合うのだ。
この早朝の開店は、朝仕事に向かう男性たちの朝食としてとても人気であった。そうではない通常営業時間では仕事を終えた男性たちの帰りのお土産として人気があるため、セアンは営業時間が変わるたびに異なる商品を作って販売していた。
朝は客がすぐに口にできるよう、パン生地をオーブンで焼きあげてホクホクとした食パンに、様々な具材を詰めて売る。夕方に売るものには、ライ麦を混ぜ込んだパン生地を釜でじっくり焼きあげて表面をパリパリにした商品。表面を固くすることで腐りにくくなり、家庭で数週間持つような保存食に変わるのである。
「お嬢さん、今日はライ麦パンはないのかしら?」
「大変申し訳ございません、本日はご用意しておらず……明日のこのお時間に来てくだされば、ご用意できますわよ」
「あら、本当?そしたら明日楽しみにしているわね」
「はい、ありがとうございます!」
===
===
「叔母様、剣術の練習してきますわね」
「はいはい。あまり遅くならないようにね」
最後のパンを売り終わったセアンは、朝早く開店した分2時間早く店を閉めると叔母様にそう断りを入れ、木刀を掴んで森へ向かった。
セアンは日常的に森で剣術の練習をしていた。それは嘘偽りない事実である。
だが、暗殺の任務がある日のこれは単なる叔母様に向けたカモフラージュで、
実際は森の中にある大きな石の下に隠してある暗殺道具を取りに行く口実であった。
幸か不幸か、叔母様は森の中でクマに襲われたことがあるせいで森がトラウマでセアンの剣術の様子を見にこないのである。…幸か不幸か。
道具の隠されている大きな石に辿り着くと、セアンはつま先で軽く土を掘り返し、中くらいの黒箱を取り出した。中から今日の任務に必要な暗殺用の道具を選ぶと、セアンはそのまま森を突っ切って街へ出て行った。
暗殺業は楽ではない。
現場で任務を失敗すれば、返り討ちにされそのまま帰らぬ人になることだってある。
殺し屋は孤独な職業だ。
それを生業としていることが、決して知られてはならない。当然セアンも、ペーターや叔母様に決して話していない。
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数日後。
セアンはある男の前で跪いていた。
「あの…一点お伺いしたいことがあるのですが…」
「なんだ」
「貴方が…シャルル・カロス侯爵ですか?」
名前を呼ばれたその大男は眉毛をピクつかせ、座っていた長椅子から立ち上がると跪いているセアンのもとに降りていき、セアンと目が合うようしゃがみ込んだ。
目を合わせにきているにも関わらずまるで「餓鬼」をあやすような視線の向け方は、密かにセアンのプライドに傷をつけた。セアンは苛立ちの感情をグッと堪え、その煽りにも動じず真っ直ぐに男を見つめ返した。
殺し屋は孤独な職業である。
それを生業としていることが、決して誰にも知られてはならない。当然、ペーターや叔母様にも決して知られてはならない。
「だったらなんだ?
私がシャルル・カロスであることが不服かね?」
殺し屋は孤独な職業である。
無論、今セアンの瞳の中にメラメラと復讐の火が燃えていることも、決して誰にも知られてはならない。
−3話へ続く−
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