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 杏子は昼過ぎに警視庁本部を出る。

 皇居の外周に沿って歩いていると、後ろから白のトヨタ・アクアが近づいてきて、杏子の少し前で停まる。

「昨日何時に寝たんだ?」運転席から颯介が声をかける。「すごい時間にメッセージが来てたけど」

「朝方」杏子は助手席に乗り込む。

 今日の颯介は仕事モードの服装だ。上下紺のスーツを着て、スクエア型の眼鏡をかけている。乗っているのも社用車だ。

 颯介には昨日の夜に、暗号メッセージアプリを使って、梶本から得た情報を送っていた。利用したデリヘル店、そのバックにいる超能力者の容姿、使われた超能力――有用そうなものは全て、共有した。

「その男が使った店だけどな」颯介はすぐに本題に入る。「バックにいるグループがわかったよ。〈LPグループ〉っていうとこだ」

「会社?」

「表向きはな。風俗店や飲食店の経営の他に、イベント事業、警備業と幅広くやってる」

「裏の顔は半グレグループ?」

「そうそう。暴走族上がりの不良とか、地下格闘技団体とかが合流してできた感じだ。裏風俗とか、特殊詐欺とか、犯罪の方も幅広くやってるみたいだよ」

「最近勢力を伸ばしてるって言ってたとこ?」

「ああ。実は俺も気になって調べてはいたんだ」

 やっぱりそうか、と杏子は思う。颯介は嗅覚が鋭い。

「それで、わかったことはある?」

「そこの社長――武政陸斗って奴らしいが、かなり凶暴で、誰も語りたがらないような存在らしい」

「そいつも超能力者かな」

「そんな気がするな。それでだ、その社長の妹――武政瞳っていうんだけど、そいつの顔を見てみろよ」

 颯介はスマートフォンの画像を杏子に見せる。

 そこに写っている女性の顔は、杏子が防犯カメラで確認した顔と一致していた。

「こいつだ」

 杏子は心が昂るのを感じる。

 今仲殺しの犯人を、ついに見つけた。

「ビンゴだろ?」颯介がにやりとする。

「ビンゴだよ。ありがとう、颯介くん」

「どうも」

 杏子は逸る気持ちを落ち着かせるため深呼吸する。標的は定まった。でもまだ考えるべきことがある。

「さっき、兄の方も超能力者な気がするって言ったよね」

「言ったな」颯介は頷く。「色んな伝説めいたエピソードがあるよ。車を投げたとか、素手で人体を引き裂いたとか。……普通に生きてて、素手で人体を引き裂こうなんて考える機会ないと思うけどな」

「でもそれが本当だとしたら、〈身体強化〉は使えるんだろうね」

「催眠使いの妹に、パワー系の兄か」

「断言はできないけどね。……妹を追えば、兄とも対決しなければならなくなるかもしれない」

「俺は遠慮しとこうかな。自分の身体のパーツは全部揃っててほしいし」

 颯介はそう言って笑う。

 杏子は肩をすくめる。颯介が戦いを好まないのは以前から知っていた。それは問題ない。妹も兄も私が相手をすればいい。

「それから」颯介は話題を変える。「殺された今仲の方はどうだ?」

「少し調べた」杏子が答える。「あいつに引っかかったことがある女の子と会ったよ」

 それも昨日の出来事だ。渋谷駅のホームで梶本を助けるまで、杏子は今仲について聞き込みを行っていた。そこで出会ったうちの一人が今仲の被害者だった。

「それで?」

「体験した話から、〈催眠〉を使われてたのがわかった。予想してた通り。それでその子、借金させられて、今も風俗で働いてるんだと」

「今仲は死んだんだろ。〈催眠〉は解けてるんじゃないのか」

「それでも借金は残るからね。……で、その店だけど」

 杏子が店名を言うと、颯介は頷く。

「そこも〈LPグループ〉の系列だよ」

「そうなの?」杏子は意外に思う。「どこか対立してるグループの傘下だと予想してた」

「確かに」颯介はこめかみの辺りを撫でる。「今仲が〈LPグループ〉と関わってたとしたら、武政瞳は身内を殺したことになるな」

「理由は何だろう」杏子は腕を組む。「内輪揉めか。ヘマをした今仲を処刑したか。病院で余計なことを話す前に口を封じたか」

「今の時点では、判断できないな」

「できないね。情報が足りてない」

 今仲から話を聞けていたら、と杏子は思う。もう一足早く今仲に辿り着いて、かけられた〈催眠〉を解除して、証言を得られたら、話はもっと簡単だった。でも、あいつが死んだ今となっては、そんなことを考えても仕方がない。

 まずは、目の前の標的――武政瞳だ。それに集中しよう。


 車は新宿駅の方向に走る。

「颯介くん、ありがとう」杏子が礼を言う。「ここから先は、私一人でやる」

「一人で大丈夫か?」

「一緒にやる?」

「いや、やめとく」

「そう言うと思ってた」

「なあ、杏子さ」

 颯介は杏子の顔を横目で見る。

「アウトロー同士が潰しあってるだけのところに、危険を冒して介入する意味はあるのか?」

「放っといたらアウトローの共食いじゃ済まなくなるよ。より多くの人が犠牲になる」

「お前がやらなきゃ駄目なのか?」

「他にやる人がいないからね」

 そう言って杏子は伸びをする。車のシートに同じ姿勢で座っていると体が凝るので、動きたくなる。

「でも、気をつけたほうがいいぞ」颯介が言う。「いくら警察と組んでるとはいえ、お前がやってることは法律から外れているし、公式には裏付けるものが何もない。自分が不安定な立場に置かれてることを意識しておいた方がいい」

「忠告は嬉しいよ。でも、私だって考えなしにやってるわけじゃない。それに何かあっても、颯介くんの名前は出さないから安心して」

「俺のことは最悪自分で何とかするよ」

 颯介は路肩に車を寄せて停め、杏子を降ろす。

「じゃ、とりあえず後は任せた」颯介は車内から手を振る。

「任せて」杏子も軽く手を上げて別れの挨拶をする。




 石井は目の前の捜査資料を手で触れながら、自問自答する。

 俺は、ちゃんとやれているだろうか。

 伊関を送り出した後、石井は少しだけ仮眠を取ってから捜査に戻っていた。

 石井のチームは、今仲涼太を含めた六人が襲われた傷害事件の捜査を続けていた。今仲は死亡し、他の被害者とも連絡が取れなくなっている。これは刑事の勘だが――二度と被害者たちと連絡がつくことはないだろう。

 部下の報告を受け、指示を出す。あえて事件の背景となるような情報――“本丸”から遠い情報の収集に当たらせる。もちろん、部下を守るためだ。仮に一般人の警察官が、真犯人の超能力者に接触しようものなら、人知れず消されて終わりだ――あの梶本という男がそうなりかけたように。

 ただそれでもやはり、石井は申し訳ないような、居心地が悪いような気持ちを振り払えない。

 あの超能力者のお陰で、自分自身は答えに辿り着きつつある。それなのに、仲間の警官たちとそれを共有することができない。

 そもそも、捜査の過程が常軌を逸している。

 情報の集め方ひとつとってもそうだ。伊関によると、超能力者特有の感覚で――警察犬が嗅覚を頼りに追跡を行うようなものか――他の超能力者の行動を把握できるらしい。だがその感覚は、一般人には認識不可能だ。石井は伊関と何度か行動を共にした上で、彼女を信じることにした。だが他の同僚に、こんな途方もないことを信じさせることができるだろうか。

 それに、もし仮に、超常的な力の存在を受け入れられる奴がいたとする。だが、そこから先はどうだ。

 伊関は犯人を殺し、事件の幕を引くつもりでいる。

 当たり前だが、それは、法治国家では許されないことだ。だが、超能力を使って人を殺す奴を、他にどうやって止められるだろうか。少なくとも俺には、どうすることもできないだろう。彼女に任せるしか、方法が思いつかない。

 そんな現実を、どれだけの人間が受け入れられるだろうか。

 そうだ。これはただの捜査や手続きの問題ではない。

 我々が当然のものとして寄りかかっていた世界観や価値観というものが、根本から揺さぶられているのだ。



 

 石井は席を外し、洗面所に向かう。

 しばらく両手を冷たい流水に晒してから、顔を洗う。それを何度か繰り返していると、背後から声をかけられる。

 静かだが芯の通ったその声の主は、警視庁刑事部長、立花正隆だった。

「伊関さんは頑張っているか?」

 不意にそう尋ねられ、石井は飛び上がりそうになるが、瀬崎の言ったことを思い出す。立花部長は、事情を知っている側の人間だ。

「ええ」石井は答える。「まだ若いのに、大した人間です。瀬崎が目をかけるのも分かります」

「捜査の方も、順調ということかな」

「犯人の一人を、伊関が見つけました」

「そうか」

「あいつが犯人と対峙するのに、そう長くはかからないでしょう。それは今日かもしれないし、今この瞬間かもしれない」

 立花は静かに頷く。

 石井は胸の内にわだかまる懸念を投げかけてみる。

「伊関は生き残るでしょうか」

「なんとも言えんな」立花は首を横に振る。「彼らのことはわからない。俺たちに出来るのは、伊関さんが存分に力を振るえるように支えてやることくらいだ」

 そうとしか答えようがないのは、石井でも少し考えればわかることだった。それでも、誰かに聞いてもらいたかった。未知の戦いに独りで挑む伊関のことを考えるのは、それくらい不安だった。

「あの子を信じて、手伝ってやりなさい」立花は石井の方を向いて言う。「前線で共に戦うのは無理でも、裏方で出来ることはあるだろう」

 先に失礼するよ、と言い残し立花は洗面所を去る。



 再び一人になった石井は考える。

 前線で戦う伊関を、俺や瀬崎が裏方で支える。

 俺たちが、捜査の方向について助言を与え、現場検証できる機会を用意し、警察の管理する情報を共有する。

 そして伊関が現場で犯人を見つけ出し、始末する。

 これだけか? まだ何か、俺に出来ることが残されていないか?

 そして石井は一つ思いつく。

 それは、伊関と知り合う前の自分なら絶対に止めるであろうアイデアだった。

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