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 何で俺はここにいるんだ?

 久保は自分自身を省みる。しかし、思い当たるところはなかった。

 気づいた時には病院のベッドの上で寝ていて、左腕に点滴がつなげられていた。ひどい頭痛がした。酒と眠剤で酔っ払った翌朝の二日酔いみたいだった。心臓がバクバクと鳴っていた。恐ろしい悪夢から覚めたときのような、恐怖の名残と安堵感が混じった感覚だった。それがどんな悪夢なのかは全く覚えていないが。

時々部屋にやってくる医者と看護師と話す中で、少しずつ状況がわかってきたのだが、三日間くらいずっと寝ていたらしかった。

 目が覚めてからはすぐに回復して、会話も動作も全く問題なくなったし、検査をしてもどこにも異常がなかったので、退院となった。倒れていた前後の記憶が残っていないのは気がかりなので、外来で様子を見ましょうかと言われたが、断った。病院なんて何かあってから行けばいい。

 両親と一緒に家に帰ってから、すぐに呼び出しがあった。迎えに来た車に乗り込むと、左右から体を抑えられ、頭に布袋を被せられた。とてもじゃないが抵抗できる状況ではなかった。

 それから、どれくらい車に乗っていただろうか。まるで見当もつかなかったが、とにかく恐ろしく長い時間に感じられた。永遠に続くような気さえした。

 でもそんなドライブにも終わりは訪れた。車から降ろされると、自分がどこにいるのか、どこに行くのか分からないまま、ただ歩かされた。

 やがて椅子に座らされると、布袋を取られる。明るさに一瞬目が眩むが、徐々に周囲の様子が見えてくる。

 コンクリートの床に、白い壁。自動車の整備工場のように見える。

 改めて久保は心の中で問う。

 何で俺はここにいるんだ?

 久保は周囲を見渡す。そして、座らされているのが自分一人ではないことに気づく。自分の他に4人いて、横一列に並んでパイプ椅子に座っている。久保は右端だった。

 座っている全員の顔に、こう書いてあるようだ。

 “何で俺はここに?”と。

 そして、間違いなくそいつらも俺の顔を見て同じことを思っているだろう。



 背後でドアが開く音がする。

 椅子に座った5人が同時に振り返る。

 入ってきた190センチ超えの大男を、久保は一度見たことがあった。

 “社長”だ。

 黄金の炎のような髪を後ろに撫で付け、両サイドはツーブロックに刈り上げている。黒のスウェットパンツにTシャツ。袖や襟がはち切れそうなほど筋肉のついた両腕と首回りをトライバルタトゥーが覆い尽くしている。漆黒の三角形や菱形、円が生成するパターンは、絡みつく蛇のようにも、押し寄せる波のようにも、身を焼き尽くす炎のようにも見える。

 その姿を見た久保は心臓が縮み上がるのを感じる。

 恐ろしすぎて考えないようにしていた問いが脳内を占める。

 俺はこれからどうなるんだ?

 最悪な答えが脳裏をよぎる。


 “社長”は5人の正面に立つと、全員の顔を見回す。そして言う。

「何で座ってるんだ?」

 5人が一斉に椅子から飛び上がり、直立する。

 久保は足に力が入らず、膝が震える。崩れ落ちないように、内股になって踏ん張る。

「入院してたんだってな」

 “社長”はゆっくり部屋の中を歩きながら話しかける。

「大変だったなあ」

「はい。心配をおかけしました」

 列の左端の男がそれに返事をする。

「ああ、心配したよ」

 “社長”は左端の男の正面に移動する。

「誰かを襲いに行って、返り討ちに遭ったんだからな」

「えっ?」

 左端の男が漏らす。

 久保も心の中で同じことをつぶやく。俺が、誰かを襲いに行った? それで、返り討ちに遭った?

 そういえば入院中、まだ頭がぼやけていた頃に、警察が事情聴取に来たような……。何一つ記憶にないと答えたことしか覚えていないが。

「えっ、じゃねえだろ」

 “社長”は左端の男の目の前まで近づき、顔を覗き込む。覗き込まれた男は思わず俯く。

「お、覚えてないんです」

「俺の目を見て言えよ」

「はいっ」

 左端の男の声が裏返る。

「なあ」“社長”が訊く。「相手がどんな奴だったか、言え」

 左端の男が首を横に振る。

「覚えてないんです」

「そいつの見た目は?」

「だから、分からないんです」

「そうか」

 “社長”は溜息混じりに言う。

「じゃあ、その目玉は役に立たないわけだ」

 静かな空間に“社長”の声が響く。

 次の瞬間、“社長”は左端の男の両目に親指を突き刺す。男の絶叫が響くが、それはすぐに頭蓋骨が砕ける音に取って代わられ、やがて元の静寂に戻る。


 “社長”は亡骸を投げ捨てると、その隣の男の前に立ち、質問する。

「そいつ、何か言ってたか?」

 訊かれた男は答えられない。

「俺の話が聞こえてないのか?」

「いえっ」

「役に立たない耳だな」

「待って下さいっ」

 “社長”は待たない。男の頭部を両側から挟み込むように叩いて潰す。男は声を上げる間もなく崩れ落ちる。


 こいつは、人間じゃない。

 久保は体の震えが止まらない。小便がズボンの内側を濡らしていく。


 三番目の男と四番目の男が同時に動く。やけになったのか、隙を作って逃げようと考えたのか、“社長”に殴りかかる。

 三番目の男は、“社長“にパンチが当たる前に、つんのめって倒れ、動かなくなった。首が本来曲がらない方向に曲がっている。

 四番目の男が放った拳を“社長”が握っている。

 “社長”は男の拳と二の腕を掴む。

 そして――肘から先を引きちぎる。

 それから泣き叫んで蹲る男の頭を踏み潰す。

 静寂が戻ってくる。


 久保は泣き出していた。

 “社長”は久保の正面に立つ。

「お前もどうせ何も覚えてないんだろ?」

 “社長”が言う。

「覚えてませんがっ」

 久保は土下座をする。

「俺たちを襲った奴は俺のことを覚えてるかもしれません、なので、俺が囮になって、襲った奴のこと調べます、だから、命だけは助けて下さいっ!!」

 頭を地に擦り付け叫ぶ。全てをかなぐり捨てて、“社長”に縋るしかない。

 どれくらい時間が経っただろうか。“社長”の声が聞こえた。

「そういうのいいから。顔を上げろ」

「え?」

 久保が顔を上げた目の前に“社長”の足がある。

 そしてそれが、久保が人生で見た最後のものになる。

 頭部に受けた衝撃が意識を消し飛ばす寸前に、久保は自分自身に問う。

 俺はどうすればよかったんだ?



 武政陸斗は指揮系統を重んじた。

 自分の組織の中では自分の命令が絶対だし、部下は必ず命令を実行しなければならない。そしてケツは自分が持つ。自分に従い苦境に陥った部下がいれば、最後まで面倒を見る。

 陸斗が“社長”と呼ばれる所以だ。

 一方で、指揮系統を乱すものは許さなかった。

 自分の監視の行き届かないところで不始末があり、その結果組織全体が腐っていくなんてことはあってはならない。

 陸斗は5つの死体を見下ろす。こいつらは、俺以外の人間に従った罪人だ。


 陸斗は一度その場を離れ、使い捨てのつなぎの防護服を着る。死体の元に戻ると〈身体強化〉を発動し、その肉や骨、内臓を細かく手で千切っていく。硬い骨や腱も、〈強化〉した手を使うことで細かく砕いたり裂いたりすることができる。

 体の破片は10個のポリバケツに分けて入れられる。陸斗はバケツを一つずつ屋外に運び出す。

 そこは自動車解体ヤードの敷地内で、広大な敷地の全周を2階建て住宅ほどの高さのフェンスが囲っている。乱雑に置かれる自動車の中に一台、ペット用の移動火葬車が混ざっていて、陸斗はそれを使って死体を焼いていく。ポリバケツ1つ分は、飼っている土佐闘犬のエサにする。

 火葬と並行して床についた血をブラシで掃除する。全て焼き終わり、灰と骨を埋めてから、シャワーを浴びて新しい服に着替える。防護服と元着ていた服を処分し、作業が終了する。


 全てを片付けて建物から出た陸斗のもとに、黒のレザーの上下に身を包んだ女性が現れる。

 武政瞳。陸斗の妹だ。

「終わった?」

 瞳が訊く。

「ああ、全部片付いた」

 陸斗が答える。

「何かわかった?」

「全員が記憶を消されていた。“痕跡”も感じた。間違いなく、超能力者の仕業だろう」

 陸斗はそう言って煙草に火をつける。

 瞳は腕を組む。

「私と同じタイプの“力”かな」

「だろうな」

 陸斗は煙草をふかす。瞳も陸斗から一本煙草をもらい、吸い始める。

「そっちは何かわかったか」

 陸斗が訊く。

「5人を動員したのは今仲だった。予想通り。理由はわからないけど――恐らく他の超能力者とトラブルになって、助っ人に利用したんだと思う」

「俺らに頼りたくないから、自分で何とかしようとしたわけか。一般人を何人集めても意味ないのに、馬鹿だな」

「そうだね。で、その今仲は、まだ病院に入院してる。精神病棟に」

「5人を倒した同じ超能力者にやられたんだな。……あの5人にかけられていた“力”は、今仲のそれとは桁違いだった。初めから勝てる見込みなんてなかったんだ」

「だと思う。今仲がどんなトラブルに巻き込まれていたのか、相手が何者かは、わからない。今仲から聞き出せる可能性も、低いと思う」

「そうか、じゃあ」陸斗は煙を吐く。「誰がやったのか、俺たちで調べないとな」

「うん」瞳は頷く。「他の組織の超能力者だったとしたら、厄介なことになる」

「ああ」陸斗は溜息をつく。「最悪、戦争だ」

 武政兄妹は用心深い。二人とも、他の超能力者との衝突は可能な限り避けたいと考えていた。

 大概のことは“力”を使えば強引に解決できるが、それをしないのは、相手方にも“力”を使える奴がいるかもしれないからだ。超能力者同士、普通に戦ったら当然命を落とす危険がある。直接戦わなくても、敵は“力”を使ってこっちの仲間や仕事、財産を奪いにくるかもしれない。

 でも一方で、自分の部下が――組織に背いた人間であろうと――攻撃されて、黙っているわけにはいかない。何もしなければ「自分たちは部下を守れません」と周りに言いふらしているのと同じだ。

 落とし前はつけないといけない。相手が超能力者であろうと。

 最悪、舐められるくらいなら、持てる"力”を全て使って、差し違えてでも殺さなければならない。

 くそっ。こんな事態になったのも、今仲が原因だ。陸斗は舌打ちをする。

「あいつは消さないとな」

「うん。あれが下手なことを喋って、私たちの“仕事”がバレると困る。早めに口を封じた方がいい」

 二人は、女を引っ掛けて性欲を満たすために“力”を濫用する今仲のような人間は軽蔑していた。その上トラブルを引き起こすようなら価値はない。使えるだけ使って、後は用済みだ。

「看護師を使って殺させるか」

「いや、私がやる」瞳は陸斗を見る。「あいつには私が直々に罰を与える」

 二人はヤードを出る。瞳はバイクに乗り、陸斗は車に乗り込む。

「くれぐれも無理するなよ、瞳」

 陸斗が声をかける。

「わかってる」

 瞳が答える。

「……兄さんも、気をつけて」

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