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 サラを夕食に誘ったはいいものの、亜由美は全くもって食欲を感じていなかった。さすがに、あんなことをした直後に普通に食事をとる気分にはなれない。

 じゃあなぜ誘ったのか。はっきりした理由は自分でもわからない。

 ただ、あそこで解散にするかサラに訊かれて、それはなんか違うな、と思ったくらいだ。

 結局、少し歩いたところにあるチェーンの個室居酒屋に入った。個室のある店にしたのは、話をできるだけ周りに聞かれたくなかったからだ。

 案内されたテーブルで二人は向かい合わせに座り、亜由美はウーロン茶を、サラはジンジャーエールを頼む。飲み物が来たタイミングで、二人で適当に食事を注文する。

「じゃあ」亜由美はジョッキを掲げる。「乾杯しようか」

「何に乾杯するの?」サラが言う。「“力”に?」

「まあ、それでいっか」

「“力”に乾杯」

 乾杯してから、可笑しくなって二人で笑う。

「昨日今日と、助けてくれてありがとう」

 亜由美が言う。

「昨日はすごいドキドキしたんだよ」サラは両手を胸に当てる。「アユミ絡まれてる、やばっ! みたいな。……でも、それ以上に今日の方がドキドキした」

「ねえ。あんな大勢連れてきて、本当やめて欲しかったわ」

「私が一番びっくりしたの、アユミだからね」サラは身を乗り出して亜由美の顔を覗き込む。「“力”使えるなんて、全然気づかなかった」

「隠してたからね」

「昨日のあれも、アユミ一人でも何とかできてた?」

「うん」

「もしかして、今日のあれも?」

「まあ多分」

「……私いない方が良かったりして?」サラは少し拗ねたような表情を見せる。

「そうはならないって」亜由美は笑って、サラの肩をぽんぽんと叩く。「結果論で言えば、確かに私一人で何とかできたかもしれないけど、それでもあなたが私のことを助けようとしてくれたことは嬉しかった。ありがとうね」

 サラの顔が明るくなる。表情が豊かな子だ。


 食事が少しずつ運ばれてくる。二人でそれをつまみながら、会話を続ける。

「今日さっき、“あいつの目を見ないで”って言ったよね」サラが言う。

「うん」亜由美が食べながら返事する。「まあ、あなたはまず大丈夫だろうと思ってたけど、一応言っとこうと思って」

「いつあいつの“力”に気づいたの?」

「昨日、あなたが来るちょっと前」

「あの時、〈催眠〉をかけられてたの?」

「あの時は、〈催眠〉をかけ返してた」

「かけ返す?」

「簡単に言うと、そうだね」

「そんなことができるんだ……」サラが溜息をつく。「実は昨日、あいつを追ってた時に、目が合って、〈催眠〉をかけられたんだ。“動くな”って」

「へえ、どうだった?」

「動けなかった。2秒くらい。初めての体験だった」

「まあ、初めてならしょうがないね」

亜由美は肩をすくめる。

「どういう意味?」サラが訊く。

「あいつの〈催眠〉、大したことなかったよ」亜由美は説明する。「普通の人には効いても、超能力者には通用しないレベルだと思う。超能力者は普通の人より〈催眠〉とかに耐性があるからね」

「え……そうなの?」サラが顔を曇らせる。「それに私引っかかったってこと? ……なんか、ダサいな、私」

「まあ、初めてだし」亜由美はサラを気遣うように言う。「それでも自力で解除できたのなら良かったじゃない」

「そうかなあ」

「慣れればあの程度の〈催眠〉は通じなくなるよ。……もうそんな機会はないに越したことはないけど」

「かけ返せる?」

「それにはまた別の技術が要る」

「そっか……そうだ、待って」サラがはっとした顔をする。「じゃあ、あの男にも“力”への耐性があるってことだよね? アユミの“力”も解除されるかもしれないの?」

「100パーセントとは言えないけど、相当強く〈クラッキング〉を使ったから、大丈夫だと思う。むしろ、後遺症が残らないかの方が心配だ」

「後遺症が残ったとしても、当然の報いじゃない?」

「報いを受けさせるのは私のやる事じゃない」亜由美は諭すように言う。「あくまで身を守るために使った、それだけ。わかってると思うけど」

「わかってるよ」

 サラは上手に箸を使い、軟骨の唐揚げをつまむ。


 亜由美も少しずつ食欲が戻ってきた。だし巻き玉子を食べ終えると、刺身と天ぷらの盛り合わせを注文する。

 少し間が空いてから、サラが口を開く。期待と好奇心に満ちた表情をしている。

「ねえ、どうしてそんなに超能力に詳しいの?」

「秘密」亜由美が即答する。

「……そっか」

 サラは気まずそうに笑うと、黙りこむ。

 ちょっと突き放した感じの返答になってしまったなと、亜由美は反省する。それに、こちらからこんなに説明したら、どうして知ってるのか気になるのは当たり前だ。サラは悪くない。

 でも、自分の過去について他人には話したくなかった。



 ふいにサラはテーブルに置いてあったアンケート用紙とペンを取り出し、漢字を書き始める。書き慣れてはいないらしく、文字を書いていると言うよりは、図形を思い出しながら書いているようだった。

「これ、読める?」

 サラが日本語で亜由美に訊く。さっきまでの会話は英語だった――そうでなければ、さすがに個室居酒屋といえども、“超能力”について語るのは気兼ねしてしまう――が、ここからは日本語に切り替える。

 紙には「咲」「良」と書いてあった。

 なるほど、と亜由美は思う。

「“サラ”ね」

「そう」サラは得意げな顔をする。

「意味は知ってる?」

「うん。“bloom”と“good”でしょ」

「そうね。それからこっちの字には」

 亜由美は「咲」の漢字を指差す。

「“smile”って意味もあったと思う」

「そうなんだ」サラは目を見開く。

「“good”な“smile”ね。あなたに合った名前って感じ」

「そうかなあ」

 サラが良い笑顔で笑うので、亜由美もつられて微笑む。

「アユミ、あなたの名前のことも教えてよ」

 サラに言われ、亜由美も自分の名前をアンケート用紙に書く。

「その漢字、どういう意味があるの?」

「私の場合、“アユミ”っていう読みが先にあって、それに漢字を当てはめて付けた名前だから、あまり意味はないけど……“亜は“coming next”とかかな? “由”は“reason”で、“美”は“beauty”」

「“next”ね……お姉さんかお兄さんがいるの?」

「え、いないよ」

 お兄さんか。

 ――“いた”時期もあった。

 でもそれには触れない。

「サラは漢字が好きなの?」

「うん、好き。違うもの同士が組み合わさって、新しい意味を生み出すのとか、面白いし」

「なるほど、確かにね」

「インターナショナル・スクールにドイツから来た子がいるけど、ドイツ語も単語をつなぎ合わせて別の意味の単語になったりするから、ちょっと似てるって言ってた」

「そうなんだ。例えば?」

「例えば……ドイツ語はわからないけど、ドイツ語には世界一長い単語があるって聞いたことがある。調べてみよう」

 食事をとりながら、長い単語、面白い単語、画数の多い漢字、変な形の漢字を調べたり書いたりして、二人で遊んだ。



 居酒屋を出てから、二人並んで駅までの道を歩く。大通りは車と建物の光に溢れていて、その中を大勢の通行人が移動していた。亜由美とサラも、その中に混じって進んでいく。

「“力”はどれくらい使うの?」サラが亜由美の顔を覗き込むようにして訊く。

「今回は身を守るために仕方なく使ったけど、もう使わない」亜由美が前を向いたまま答える。

「理由を聞いたら怒る?」

「怒りはしないけど、教えもしない」

 少し無言で歩いてから、またサラが話しかける。

「あいつ、他にも超能力者がいるって言ってたよね。悪いことしてる超能力者が」

「そうだっけ」

「超能力者は、超能力者じゃないと止められないよね」

 亜由美は落ち着かない気持ちになる。サラの話の方向性が見えてきたからだ。でもそれは、自分にとっても、サラにとっても、一番良くない方向に行くとしか思えなかった。

「かもしれないけど、私は“力”は使わないよ」

 亜由美は先手を打って話の流れを断ち切る。サラは口をつぐむ。

「やる筋合いがない。私はバットマンみたいなことはしない。今日は何とかなったけど、こんなこと続けてたら、どこかで破綻して自分も周りの人も傷つけるよ」

 サラは黙って正面を向いて歩き続ける。

「サラ、もしそういう自警団みたいなのを考えてるんだとしたら、絶対に止めた方がいい。ハンナも、ご両親も、あなた自身も、傷つくことになる」

「でも……」サラはそう口走ったが、後に続く言葉はない。代わりに大きくため息をついてから、「わかったよ」と言った。

 スクランブル交差点を渡り、ハチ公前広場に着くと、サラは立ち止まる。

「アユミ、あのさ」

「どうしたの?」

「変なこと聞くけど……こういうこと言うの、適切じゃないかもしれないけど……今日のこと、楽しくなかった?」

 亜由美は正直に答えることにする。

「楽しかったよ」

 そう、“力”を使うのは楽しかった。悪党を倒すのも、自分の心のどこかで、楽しんでいた。こういうのは、やっているうちに取り返しのつかないことになる、その瞬間までは、楽しいのだ。

「でも、“力”を使うのはドラッグをやるみたいなものだと思う」

「ドラッグ?」

「そう。楽しんでると、報いを受けて、身を滅ぼす。わかるでしょ」

 サラは俯く。次に何をどう言おうか、考えているようだった。

 私はサラに厳しく言い過ぎているのかな、と亜由美は思う。でも、この子が、こんな良い奴が、“力”を使ったせいで悲惨な目に遭うのは絶対に嫌だ。だから、私がブレーキを全力で踏まなければならない。

「私ね」サラが口を開く。「自分以外で“力”を使える人に会ったの、初めてなんだ。それで、一緒に“力”を使って、戦って、すごくワクワクしたし……こう言うと変かもしれないけど……仲間ができたみたいで、すごく嬉しかった。そう思うことも変かな?」

 そう言ってサラは亜由美の目を見る。

「……それは変じゃないと思う」

 亜由美は答える。そう、それは変じゃない。人間として、普通に理解できる感覚だ。

「アユミ、また会いに行ってもいい?」

「いいよ、その時ある果物でまた何か作ってあげる」

「お酒は?」サラがおどけて言う。

「だめ。アルコールはなし。ついでにドラッグも、なし」

「さっきからドラッグって言うけどさ」サラが怒ったような顔を作る。「やらないからね、私もハンナも。ていうか、それってアメリカの高校生に対する偏見?」

「アメリカの高校生って、パーティーやって、ドラッグやって、エロいことして、ちょっとパラノイア入ってるイメージ」

 サラが吹き出す。

「何それ、ドラマに影響され過ぎじゃない?」

 それはそうかもしれない。亜由美は最近英語の勉強がてら『13の理由』を観ていた。

 二人で笑ってから、「さて」と亜由美が会話を締める準備に入る。

「じゃあ、そろそろ帰らないと」

「そっか……今日はありがとう」

「こちらこそ」

「しつこいかもだけど、また会えるかな」

「うん。店員とお客さんとしてね。“力”のことは、二人だけの秘密にしよう。ね? 一夜限りの冒険、てことで」

「一夜限りの冒険」

「そう」

「わかったよ。じゃあ」

 亜由美とサラは別れる。



 帰宅したサラは、服を脱いでシャワーを浴びる。亜由美の夕食に付き合っている間は気づかなかったのだが、汗が乾くときに体温を奪っていたらしい。冷たくなっていた身体を、熱い湯が温めていく。

 シャワーから上がり身体を拭いて髪を乾かしてから、ハンナ特製のフレーバーウォーターを飲む。まだ起きていた両親とハンナと少し話してから、自分の部屋に入り、ベッドに身を投げ出す。

 いつもと変わらない夜のルーティーンだ。でも今日は、その“いつもと変わらなさ”が、サラを戸惑わせる。超人的パワーで街を駆け、悪人を倒す――そんなマーベルの映画みたいなことを、ほんの2、3時間前までやってたのに、家に帰ると普段通りにシャワーを浴び、フレーバーウォーターを飲み、家族と談笑し、こうしてベッドに寝転がってる。

 笑えてくるくらい、連続性が感じられない。

 まるで映画の編集中に、なぜか全く違う作品のシークエンスが混ざってしまったみたいだ。

 でもそれは、間違いでも、勘違いでも、夢でも幻でもない。全てのカット――ビルの壁を蹴った反動、上空から見た繁華街の光、シャッターに書かれたタギング、目を閉じて認識した男の動き、男に蹴りを入れた感触、私の“力”、男の“力”、アユミの“力”――その全てを、私は覚えている。それは私の人生に起きた、私の経験だ。

 思い出していると、またドキドキしてきた。

 そうだ、アユミと私で、超能力を使って、悪党を退治したんだ。これってすごくない?

 もちろん男のしてたことは笑い事じゃないし、一歩間違えたら私も大変な目に遭ってたかもしれない。でもあの時は、楽しかった。アユミと私、良いチームなんじゃないかって思えた。

 ただ――サラは溜息をつく――心残りなのは、いまだアユミの正体が掴めなかったことだ。わかったのは、優しくて、何だかんだ面倒見が良さそうなこと、結構口うるさいかもしれないこと、怒ったら怖くて、何言ってるか聞き取りにくくなること(方言がでるらしい?)――そして何より、超能力について相当な技術と知識を持ってるらしいこと。

 サラはアユミに、“力”についてもっと色々と教えてほしかった。一緒に“力”を使って遊んだりしたかった。でもアユミは、それは望んでないみたいだった。

 理由はわかる。アユミの言う事は正しい。それに、アユミがそう考えるようになった背景には、他人には言えない何かがあるのかもしれない。

 いや、でもなあ……。

 サラはもう一度溜息をつく。

 超能力者二人で、街を駆けて、正義の味方みたいなことをやって……そんなに悪い考えだと思わないんだけどな。

 今後、アユミの気が変わる可能性だってあるかもしれない。鬱陶しがられない程度に、アタックしてみようかな。

 そんなことを考えているうちに、サラは眠りに落ちる。

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