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「ほな」
亜由美は男を見下ろす。
「終わりにしよか」
男は蹲ったまま唸り声をあげる。
「ん?」
「お前ら」男が声を振り絞る。「こんなことして、タダで済むと思ってんのか」
「何?」
「これが上に知れたら……俺よりも、お前らよりも強い人だ……その人に知られたら、お前らお終いだからな」
「どういう意味?」サラが会話に割って入る。「あなたは組織に属してるの?」
「言わない。俺は口を割らない」
それきり、男は口を開かなくなった。
「アユミ、どうする?」
サラが亜由美に訊く。
「こいつを〈クラッキング〉して聞き出す」
亜由美はそう言って屈み込む。
「〈クラッキング〉?」サラは怪訝そうな顔をする。
「まあ、見てて」
男は黙って蹲ったままだ。顔を手で覆っている。
ああ、そういうことか――亜由美は気づく。
こいつ、目を合わさないようにしてるんだ。〈催眠〉をかけられないように。
でも、私の超能力はこいつのとは違う。
「残念なお知らせやねんけど」
亜由美は男の後頭部に右手をかざす。
「私、目を合わさんでも超能力かけれんねんか」
亜由美は〈クラッキング〉を発動させ、右手を通して男の精神に“接続”する。身体中に張り巡らされた通信ケーブルが男の神経系にプラグインして、少しずつ高次のレイヤーに侵入していくような感覚だ。ここでは強引さも必要になる。力技で、精神の深部を掻き分けていく。
一瞬、男の抵抗を感じる――超能力者は、普通の人よりは超能力による攻撃に耐性がある――が、それもすぐに止み、男の“管理者権限”は亜由美のものになる。
男の内言や心的表象が共有されるわけではない――やろうと思えばできるのかもしれないが。
ただ今は、亜由美の“命令”が男の“意思”になる。
「身分のわかるものを出して」
男は亜由美の命令に抵抗なく従い、免許証と学生証を出す。
今仲涼太、と書かれている。
「本物?」と訊ねると、男はそうだと答える。
「それから、さっき言ったこと、ほんまなんか?……上の奴がいるって」
亜由美は今仲に質問する。
「本当だよ」
「どういう関係?」
「自由に超能力を使う許可をもらってる。その代わりに、女を斡旋してる」
「斡旋?」
「〈催眠〉を使って、恥ずかしい格好をしてる写真を撮ったり、ドラッグをやらせて証拠写真を撮ったりする。それを使って女を脅して、犯罪を手伝わせたり、借金して高いものを買わせたりする。そうやって女を嵌めて、最終的に風俗店とかに売るのさ。一度そうなったら、〈催眠〉が切れようが、女は抜け出せない。ハンターは獲物を狩ってそれを売るだろ? 俺もハンターなんだよ」
亜由美は怒りと嫌悪感で心窩部が熱くなるのを感じる。
もし“力”が無ければ、自分もそんな目に遭わされていたのだと思うと、とてもじゃないが他人事と思えなかった。被害者がどれだけ悔しかったか想像すると、それをまるで自分が体験したかのように、胸を苛んだ。
「このっ……!」
サラが今仲に近寄り、蹴ろうとするのを亜由美は身体を盾にして止める。
同時に、自分の中で沸き立っている殺意を必死で鎮める。
サラの気持ちは痛いくらいわかる。でも、冷静さを欠いてはいけない。
「今仲」亜由美が声を抑えて言う。「そいつに私たちのこと言ったか?」
「言ってない」
「そうか」
亜由美はしばし考える。それから今仲に命令を下す。
「私を見ろ」
今仲は跪いたまま亜由美を見上げる。汗と涙で顔がぐしゃぐしゃになっている。
亜由美はもう一度右手を今仲の頭にかざす。
今仲は一度大きく身体を震わせた後、膝立ちのまま気をつけの姿勢をとる。
「二度と、超能力を使うな。昨日と今日のことは全て忘れろ。今からしばらくの間、お前は動けなくなるけど、動けるようになったら自首しろ。超能力に関することは喋るな。それ以外は全て警察に話せ」
亜由美が手を離すと、今仲は「アッ」と短く声を上げて倒れる。
倒れながら、今仲は女を見上げる。
超能力で脳内を支配されながら感じていたのは、自分が自分でなくなる恐怖だけではなかった。奇妙なことに、自分がすることを全部決めてもらえる安心感があった。身の回りの世話を全てしてもらえる乳児に戻ったようだ。
それに、自由を奪われ他人のなすがままにされることの羞恥、屈辱が、どこか甘い陶酔感を伴ったものに感じられ、頭が熱くなった。あろうことか、この女に甘えたいような気持ちになった。
自分の犯した罪を白状させられたことにも、どこか肩の荷を下ろせたような、裸の自分を受け入れてもらえたような、奇妙な安堵感を覚えた。“完落ち”した犯人も、こんな気持ちなんだろうか。
ぐしゃぐしゃに泣いていたが、怖くて泣いていたのか、悔しくて泣いていたのか、嬉しくて泣いていたのか、もはや分からなかった。
完全に地面に倒れ伏してから、今仲にとっての真の恐怖が始まる。
最初の一瞬は、ほんの“虫の知らせ”のようなものだった。些細な出来事が、なにか身内の不幸を暗示しているように思える、そんな感覚だった。
そしてそれがすぐに今仲の感じる全てになる。
仰向けに倒れた今仲の目に映る全てが――建物の壁が、壁の落書きが、電信柱が、壊れた街灯が、看板が、電線が、夜空が――今仲に“世界の終焉”を訴え始める。
全てが、今仲にとっては“おしまい”になる。
“世界の終焉”のメッセージは、溺れるものの手のように今仲に縋り付く。
存在する全てが「もうだめだ、もう終わりだ」と今仲に向かって泣き叫ぶ。
恐怖のあまり耳を塞ごうとすると、動かした手と、世界とのつながりが綻ぶ。
そこから、布が破けていくように、腕、肩、首、頭、胸、腹、背中、骨盤、陰部、大腿、下腿、足が、世界から切り離されていく。
今仲はついに理解する――これ以上、小指の先一つでも動かせば、自分は世界から完全に分離され、闇に消えていくのだと。
それから、どれくらい静止したかわからない。
1秒かもしれないし10年かもしれない。
“動く”という概念を忘れた今仲には、“時間”という概念も理解できない。
“未来”も“過去”も消えた。
“思考”も消えた。
“記憶”も消えた。
あの日の出来事。
口説いた女。
飲んだ酒。
従えた部下。
超能力者。
全てが。
消えた。
「こいつ……どうなるの?」
サラが亜由美に訊く。
強い緊張がまだ取れずにいるのか、声が震えている。
「しばらくはこんな感じで寝たきり。誰かが発見すれば、救急車で病院に行く。でも数日か、一週間くらいで動けるようになる。退院したら自首して、警察で全部話す。昨日今日の記憶はなし。超能力もなし」
亜由美はそう言い終わると、大きく息を吸って、吐く。
吐く息が震えるのを感じ、自身も緊張していたことに気づく。
そして、どちらからともなく、お互いの顔を見つめ合う。
緊張が緩んだサラが、笑みを漏らす。
つられて亜由美も、ふふっと笑う。
「これで、解決?」サラが言う。
「この件はね」亜由美が応じる。
「じゃあ……私たちもこれで解散?」
サラが言う。
「そうねえ……」
亜由美は少し考える。
「私夕食まだなんだけど、一緒に来る?」
「私さっき食べたとこなんだけど」サラは言う。「でも、一緒に行くよ」
「時間大丈夫? そんなに遅くならないと思うけど」
「家族に連絡すれば大丈夫」
「奢ってあげる」
「やった」
大通りの喧騒が微かに響く方向へ、二人は並んで歩いていく。
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