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 夜が深まるにつれて、ディナーを食べにくる客は減っていく。それに取って代わるように、食事をした後の二軒目として使うような、お酒をメインで楽しむために来店する客が増えていく。

 その日は浜野が来た。店長の地元の友人で、店の常連だ。仕事は音楽関係らしい。スタッフ全員と自分の分のコカレロショットを注文し、みんなで乾杯してから、店長の康平と世間話に興じる。

「いやー、筋トレはいいぞ筋トレは」浜野は康平に力説する。その日はたまたまその話題だった。

「へえ、いつから始めたの?」

「今月初めだな」

「意外と最近かよ」

「お前も体作ったほうがいいぞー」浜野は康平の、少し恰幅の良い腹回りを指差す。「亜由美ちゃんもそう思うよな?」

「どうですかねー」亜由美は笑って返す。「今でも愛くるしい感じに仕上がってますよ」

「おい!」康平が笑う。

「そう、愛くるしいで終わっちゃうんだよ」浜野が熱弁を振るう。「抱かれたい、にならないんだよ。康平がすごい良い体してたら、亜由美ちゃんだって『抱いて~』ってなるかもしれないだろ、な?」

「えー、でも康平さんが服脱いでムキムキやったら多分私爆笑すると思いますよ」

「いや何で笑うんだよ!」

 康平が言い、三人で笑う。

「バーテンダーがムキムキだと面白いが勝つじゃないですか、ほら」亜由美はシェイカーを振るジェスチャーをする。「こう振りながら上腕二頭筋を見せつけてきたりとか」

「あれだろ、フルーツ素手で絞り始めたりするんだろ?」浜野もジェスチャーをする。

「やらねえよ!」

 また全員で笑う。亜由美はその場限りの茶番のようなやり取りを楽しむ。

 

 


 浜野が店を出て、しばらくすると、小柄な若い男が女性を連れて店に入ってくる。

 亜由美は男を一瞥して観察する。大学生くらいだろうか。男性アイドルグループなんかに時々いる、小さい頃は美少年だったのだろうけど良い歳の取り方をせずに来てしまったような、加齢による変化と幼さが変に同居しているような見た目だった。

 男の容姿がなぜか印象に残ったのは、後から振り返ってみれば、何か悪い予感のようなものが働いたからなのかもしれない。

 カウンターに座ると男はマティーニを頼み、お酒に詳しくないという女性のためにガルフストリームを頼んだ。亜由美は二人分のカクテルを作る。

 乾杯してから、男は女性を口説き始める。来店前にも口説いていた、その続きのような様子だった。バーで男性が女性を口説くのを観察するのは面白い。上手な人もいるが、格好つけてマティーニのような度数の高い酒を頼んだ挙句、酔ってしんどくなって最終的に水しか注文しなくなるような微妙な人もいる。この男はどうだろうか。

 テーブルの掃除や、他の客の注文を聞く合間にカウンターを振り返った亜由美は、それを目撃した。

 女性が席を外している隙に、男が女性の飲み物に何かを入れ、指で氷を掻き回した。その瞬間他のスタッフは厨房かホールにいて、カウンターには誰も立っていなかった。

 平静を装い厨房に戻る。

「康平さん」亜由美は店長に声をかけ、男の行為を報告する。

 店長は表情を変えない。「飲み物の方は俺がやっとくから」

 カウンターに出ると、店長は他人が口を挟む余地がないほどのスムーズさで女性のグラスを下げて飲み物を作り直す。亜由美はトイレで女性を見つけ、彼女に今自分が見たことを説明する。

 女性は席に戻ると荷物をまとめ、男に形式的な挨拶をして店を後にする。

 間をおかずに男性も会計をして店を去る。


「亜由美、よく気づいたな」店長が言う。

「最初は見間違いかなって思ったんですけど」亜由美は大きく息を吐いてから答える。「飲み物の色が変わったんで、やっぱりってなりましたね」

「色が変わる?」

「きつい眠剤って、錠剤に着色料が入ってて、水に溶かすと青くなるやつがあるんです。それで、バレにくいように青色のカクテルを頼んだ上で使ったんだと思います。でもそれでも若干は色が変わりますよね」

 フルニトラゼパムやトリアゾラムといった強力な睡眠薬――デートレイプドラッグとも呼ばれる――を使って意識を失わせたり身体の自由を奪ったりした上で性的暴行を加える、という犯罪については、話には聞いたことはあったが、亜由美自身実際に目撃したのは初めてだった。

「へえ」店長は溜息をつく。「しかし流石に女口説くのに薬を使うのは終わってるよな」

「本当そうですよね……康平さん、これって警察に言った方が良くないですか?」

「そりゃそうだよな。……あ、そうだ」店長はシンクに置いてあった例のグラスを手に取る。「薬入りの酒、万が一誰か口にしたらまずいから捨てちゃったんだけど、証拠になったかな……グラスに付いてる分とかでも大丈夫かな」


 


 逃げるようにバーを退店した今仲涼太は、先刻まで口説いていた女性の後ろ姿を捉えると、背後から歩み寄り声をかける。

 振り返った女性は目を見開く。嫌悪と恐怖で表情が凍る。

 今仲と女性の目が合う。

 その瞬間を今仲は見逃さない。


「俺について来い」


 今仲が女性に囁く。

 女性の顔から全ての表情が消える。催眠術にかかったような虚な顔つきになる。いや、実際に〈催眠〉にかかったのだ。

 それが今仲の持つ超能力だった。〈催眠〉を発動させられれば、相手を意のままに操ることができる。

 もう一押しだ――今仲は集中する。自分の脳から伸びた“何か”が、自分の目を通り抜けて相手の目の中に侵入し、相手の脳と接続する。それは単に脳内でそういうイメージを構築しているだけではなく、今仲自身にはその“何か”を実際に操っている感覚がある。ゲームの登場人物の挙動が、実際に自分の体の延長のように感じるみたいに。

 〈催眠〉が成立する。そうなると、少しの間目を離しても“接続”は維持される。今仲が歩き出すと、女性は後をついていく。

 人のいない路地裏に女性を誘導すると、今仲は次の命令を下す。自分から逃げた罰を与えるために。


「息を止めろ」


 女性は言われた通りにする。

 10秒。女性は息を止め続ける。

 20秒。女性の顔が歪み紅潮する。

 30秒。女性は喉を掻きむしるが、命令に従い続ける。

 37秒で、女性は地面に倒れ込み、大きく息を吸い込み、咽せ返る。両目から大粒の涙が溢れる。


 上手くいかないな、と今仲は独りごちた。生命の危機に瀕すると、〈催眠〉下でも命令が中断されてしまう。別に殺すつもりは毛頭ないが、酸欠で意識を失うところまでは行きたかった。〈催眠〉の効果を高めるために睡眠薬を飲ませたりするが、それも今日は邪魔された。思い出すと腹が立つ。

 女性に次の命令を下す。


「今日俺と会ってからのことは全て忘れろ。店で言われたことも全て忘れろ。俺からの指示に従い、また俺と会うんだ。今日は帰れ」


 女性は帰る。

 少し時間が経てば、〈催眠〉状態は解け、普段と変わらず日常生活を送ることができるようになる。ただ与えた命令は潜在意識に残り、効力を持ち続ける。

 あの女は後日モノにすれば良い。問題は今日、あの店で受けた屈辱だ。

 誰がチクったかはあらかた見当がついている。今日俺の酒を作った、あの背の高い、女のバーテンダーだ。あいつが俺が薬を入れたのを盗み見て、店長と女に伝えたんだろう。

 次はあいつにするのが良いかもな、と今仲は考えを巡らせる。はっきり顔は覚えていないが、なかなか美人だった気がする……自分より背が高いのは減点ポイントだが。何より良いのは、ああいう、正義感のある、自分は賢くてデキる人間だと思っているような奴――ああいうヒーロー的な行動をとるやつなんて大体そんなもんだ――を、堕とすというシチュエーションだ。

 いや本当、残念だったなあ。今仲は脳内でバーテンダーに語りかける。せっかく機転を効かせたのにな。今頃得意な気分だろうな。ツイッターで今日の活躍を武勇伝風にしてつぶやいたら、結構な「リツイート」と「いいね」が貰えるだろうな。

 でも、お前が逃した女は依然俺の手の中だ。そしてお前も、すぐにそうなるんだ。

 今仲は自分自身が『グランド・セフト・オート』の主人公になったように感じることがある。そこでは俺を攻撃してくる連中もいる。でも俺はチートコードを使い、無敵になったり、指名手配状態を消したりできるのだ。超能力者の前には、普通の人間の知恵なんて、ダメージを受けない銃弾みたいなものだ。

 やるなら早い方が良い。今仲は、今晩、あの店の前で待ち伏せをすることに決めた。

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