天を彩る

坂餅

第1話

 これといった学校行事や世間のイベントも無く、ただ冬の寒さに襲われる十一月。

 尾鳥彩羽おとりいろははリュックを背負いながら、教室の窓から外の様子を窺う。


 木々の葉は全て落ち、冷たい風に枝を微かに震えさせている。


 こんな中帰ることになろうとは、夏は日差しにうんざりし、冬は冷たい風にうんざりする。


「うー寒そう」


 これから、家までは自転車で帰るのだ。あまりの冷たさに手がかじかんでしまう。よく見る、ハンドルにつける暖かそうなカバーみたいなやつでも買おうかな、そんなことを考えながら彩羽は昇降口へと向かう。


「じゃあわたし帰るわ」


 クラスメイトにそう言って速足で向かう。これから更に厳しくなるであろう寒さに備え、カイロはまだ持ってきていないし、暖かい肌着はまだ出していない。


 寒いのなら出せばいいのだが、その暖かさに慣れてしまうと、今以上に冷えてしまった時に困るのだ。


 できるだけ体温を生もうと、太ももを意識して上げながら歩いている彩羽の向かう先に、冷たい冬の中、そこだけが妙にまるで陽だまりのように暖かく、金色の風が吹いてくるような後姿が見えた。


 髪色は何色かよく分からないが、日の当たり具合でよく金色に見える髪を背中付近で纏めている。伸ばされた背筋に、細くて長い脚。左右のブレなく歩くその姿にやはり息を呑んでしまう。


 篠原天理しのはらてんり――彩羽と同じ二年生。そしてなぜか、この女子高で一学年に一人はいるという超絶美人な女子生徒。


 容姿端麗、成績優秀でスポーツ万能、だからといってそれを鼻にかけることの無い、それ故に誰にも嫉妬されない、お淑やかなお嬢様だ。お嬢様かどうかは知らないが。


「篠原さん」


 だからといって、深窓の令嬢という訳ではなく、彩羽は先月の文化祭をきっかけに話しかけている。


 立ち止まった天理は、声を聞いて誰か分かったのだろう。


「彩羽さん」


 嬉しそうに微笑みながら振り向いてくれる。


 これは誰にも相談したことは無いが、彩羽はなぜ、天理が自分のことを下の名前で呼んでくれるのか。そして、今この時のように、微笑んで振り向いてくれるのかが解らない。


 これは自意識過剰ではない。天理が下の名前で呼ぶのは彩羽だけでないということは知っている。だがしかし、微笑んで振り向いてくれるのは自分だけ。他の人の時は、別に嬉しそうに微笑んでいないのを彩羽は知っていた。


「篠原さんもいまから帰るの?」

「はい、防寒はしっかりしているので、寒く無いですよ」


 ブレザーのポケットから手袋を取り出して見せてくれる。


「肌着も?」

「勿論、暖かい物です」

「そんなんじゃもっと寒くなった時に大変だぞー」


 彩羽は暖かそうに頬を赤くしている天理の脇腹を突っつきながら笑う。


「そうなればもっと暖かい物に変えるだけです」

「お嬢様じゃん」


 暖かい肌着は三種類あり、それぞれ暖かさが変わってくる。彩羽のような庶民はその三種類の中でも、一番暖かさが劣る物しか持っていない。天理は今その肌着を着ているらしく、これよりも寒くなれば、もう一段階暖かい物を着るそうだ。


「お嬢様かどうか、確認しに来ますか?」

「いーややめとく」


 天理は、自分ではお嬢様ではない、と言っている。彩羽はそれを信じていないが、それなら家に来て確認するかと聞かれるのだが、それも断っている。世間一般視点から見ればお嬢様ではなかったとしても、どうせ駐車場があって広い庭付きの一軒家に住んでいるんだ。ボロくはないが、ただのアパートに住んでいる彩羽からすれば十分お嬢様だ。


「そうですか……」


 途端に悲しそうな顔をする天理に、彩羽は慌てて言い繕う。


「ごめんごめんわたしみたいなアパート暮らしの小娘が駐車場があって広い庭付きの一軒家に足を踏み入れる訳にはいかないからさ!」


 言い繕えているかいないのか微妙なのは気にしない。天理の悲しそうな顔なんて今始めて見たのだ。テンパってそれどころでは無い。


 一息に言い終えた彩羽。いつの間にか二人の歩みは止まっている。二人を追い越していく他の生徒達の視線が少し気まずい。


「ええっと、私の家が、駐車場があって広い庭付きの一軒家に住んでいるとどうして……? 彩羽さんに言ったことありましたか?」

「無い! イメージ‼」

「そうでしたか……」


 ホッと息を吐いた天理である。


 その息の意味を知らない彩羽は、それにはなにも言わずに再び歩き出す。


 その隣を遅れずに付いてくる天理に彩羽はふと思う。


 ――どうして、見た目も、住む場所も違う天理と、肩を並べて歩けるのだろうかと。



 彩羽も天理も学校へは自転車通学だ。ただし、方向は全く違うため、一緒に帰ったことは無い。だから正門でお別れだ。


「それでは、また明日。気をつけてくださいね」

「うん、そっちこそ。また明日」


 また明日と、言うが、彩羽と天理のクラスは違う。七クラスある内の、一組と六組であるため、体育の授業でも一緒にならない。


 それでもまた明日だ。


 天理とは反対方向に自転車を漕ぎながら、どうして天理と関わるようになったのか、先月の文化祭を思い出そうとして止める。


「寒……!」


 考えるのは部屋で暖かくしてからだ。やはりハンドルに着けるカバー的なやつを買おうと決め、家へと帰るのだった。

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