第12話
「アリオンモール広島店にお越しの皆様、こんにちはー! VoyageRです!」
たった一言の挨拶に返ってきたのは吹き抜けホールの空気を震わせるほどの大音声だ。さすがにびっくりしてしまった。
俺は今、ちょうどステージの真裏あたりを巡回している。この観客の熱狂ぶりも気になるが、今は不審者捜索に専念したい。
件の出禁者は、スタッフによって近辺で姿を確認されている。千葉から広島くんだりまで来ておいて、何もせずに帰るとは思えない。
近くに居るスタッフを捕まえて、今の状況を確認する。どうやらステージ設営時に店外の横断歩道で見かけたのは確からしいが、そこから姿をくらませたそうだ。
ストーカーのスキルについてはあまり知識が無いが、欺瞞工作のような効果を発揮する物もあったはずだ。赤の他人を装って紛れ込む事も可能なんじゃないのか?
スタッフが言うには、この会場近辺を担当しているのはエクスプローラーのジョブを得ている者で構成されているらしく、必死の捜索を行なっているとの事だった。
会場からどっと笑いが噴き出した。曲が始まるまでのフリートークでもやっているのだろうか。全く聞いている余裕が無かった。広島焼きと聞こえたがそれは広島県民にはタブーだぞ。
俺はスタッフに礼を言い、巡回を再開した。……が、本職の捜索屋が見つけられない物をナイトの俺が分かる訳がない。
俺に出来るのは警備員として異常を見つける事だけだ。異常を見つけると言うことは正常を知る事であり、それはパターンを積み重ねる他に手段は無い。
スキルでもアビリティでもジョブでも無い。しかしこういう泥臭くてみっともない努力が土壇場において一番役に立つ事を、俺は知っている。
「それじゃあ皆さん、お待たせしました! 今週発売の新曲です! 『Starry Sky』です、聴いてください!」
割れんばかりの拍手の後、スピーカーから軽快なギターとドラムのイントロが流れる。ついにライブが始まる。何かあるとしたら、これからだろう。
集中して周囲に気を配っていると——
『——キミをずっと 探していた 星空のその奥に』
俺の足が止まった。不意にステージを向いてしまった。たったワンフレーズ聞いただけで、心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥る。
それは俺だけでなく観客席、吹き抜けから覗き込む客、そして無関係の通行人でさえ同じようで、皆一様にその足を止めた。
何故ライブ開始少し前にエスカレーターの使用を禁止にしたのか、ようやく分かった。みんな立ち止まるからだ。将棋倒しになるのが容易に想像出来る。
『小さい頃から 追いかけていた 何も分からずに』
俺だってテレビは見るし、歌番組も当然見る。その中でアイドルジョブのアイドルが歌う様を見た事もある。
しかし、テレビやラジオは結局の所音声であり映像だ。スキルが乗っている訳ではない。だから侮っていた節があったのは認めよう。
だが……だが、これは一体何なんだ。この高揚感と胸の内から湧き上がってくる血潮の滾り……これがアイドルのスキルなのだろうか?
『ねえ 気付いてる? 重ね続けた一歩が』
辺りを見回すと、一般人はこの歌に完全に呑まれている。スタッフは慣れた物で、先ほどと変わらない態度で仕事をしている。
通路での誘導を担当しているアリオンセキュリティの警備員は仕事を放棄し、ステージをガン見している。
しかし問題にはなっていない。何故なら通行人が通行していないからだ。皆歌に聞き入って立ち止まっている。シルバーカーに乗った耳の遠そうなおばあちゃんですらそうなのだから、雑踏もクソもない。
『キミへ続く道になって 今 やっと届いた』
演奏が一際激しくなる。ここからサビだろう。俺の高揚感もクライマックスだ。かぶりを振って平静を取り戻して……俺は違和感に気付いた。
VoyageRのファンは皆民度が高いのか、観客席で立ったりはしていない。大泣きしながらサイリウムを振ってる春川常務はどうでもいい。問題はそこじゃない。
このエレベーターホールが埋まるほどの状況であるにも関わらず……何故、観客席のど真ん中がポツンと一席だけ空いている?
いや、よく見たら本当に変だ。空気が蜃気楼のように揺らいでいる。まるで出来の悪いSF映画に出てくるステルス迷彩のような……まさか……?
『Starry Sky 見上げて 歌うよ その背中が振り向くように』
自分の頬を一発張って気を保ち、即応可能な人間を探す。マズい。これは本当にマズい。
アリオンの警備員はダメだ、使えない。使えたとしてもあの距離では即応出来ない。イベントスタッフは殆どがエクスプローラーだ、何があっても対処できる術がない。
つまり、現状VoyageRに何かあった場合動けるステータス持ちは……俺だけだ。
俺は異様な雰囲気の空席から視線を切らないよう心がけながら、ステージがカバーリング・ムーブの範囲に入るように移動する。
『Starry Sky いつでも 想っているよ キミが好きだよと——』
パイプ椅子が大きく揺れて、モヤが、飛んだ。
落ちる先はもちろん、ステージ上の三人だろう。
「——ッ!」
俺はスラックスのポケットに入れていたカードを一枚引き抜き、カード化の解除を念じると同時にカバーリング・ムーブを発動する。
俺の手の中に固くて重い何かが現出する感覚と同時に視界が切り替わる。
『えっ』
左右にあるスピーカーと俺の背後から幸村灯里の声が聞こえた。突然の事に驚いているようで、歌が止まってしまった。
今、俺の目の前にあるのは観客席を埋め尽くす人々と……二本の短剣を逆手に構えた体勢で上から降って来るストーカー男、斉藤卓也の姿だ。
俺は手の中の棒……中広ダンジョンでさんざっぱら拾ってきたゴブリンの棍棒を寝かせて両端を握って受け止める体勢を取り、頭上に構えた。
そこに斉藤の持つ短剣が振り下ろされ、棍棒から木製とは思えない甲高い音と火花が飛び散る。……え、本当にこれ木製なのか? 金属製じゃなく?
俺は棍棒でシールド・バッシュを発動し、斉藤を上空へと跳ね上げた。これは棍棒が武器種の制限を受けない仕様を利用した物で、ナイト界隈では割と初期のうちから利用されている手法だ。アビリティとは関係ない。
ちなみに最近になって知ったのだが、別にスキル名やアビリティ名を唱えなくてもちゃんと発動するらしい。あの時周りに誰も居なくて助かった、危うく即バレする所だった。
「下がれ! 来るぞ!」
俺の声に反応して、三人が俺の後ろへと下がる。観客席や通路に留まっていたの聴衆もここに来てようやく状況を把握したのか、一目散に逃げ出す。
しかしこの密度で一斉に逃げ出せばどうなるか。当然押し合いへし合いになっている。あちこちで悲鳴が聞こえている。
走らずこの場を離れる旨の警備員の怒号が聞こえるが、一度パニックになった群衆がまともに言うことを聞くはずがない。
斉藤がステージ上に着地し、こちらを凝視している。結構高く跳ね飛ばしたはずだが、目立った外傷も無くきちんと両足で着地している様を見るに、軽業師的な追加スキルを持っているのかも知れない。
しかし斉藤の様子がおかしい。小刻みに震えている。
「ょぉ……」
「?」
「何で僕を出禁にしたんだよぉ! 何でぇ!」
両目からぼろぼろと涙をこぼしながら、斉藤がわめき立てる。いきなりだったもんで、少しビクッとしてしまった。まるで俺の事が見えていないかのように、俺の後ろの三人に呼び掛けている。
このタイミングでPAが操作したのか、ライブの音源が止まった。アリオンの警備員とスタッフ数名がこちらに駆け寄ろうとしたが、斉藤がそちらに短剣を向けると後ずさった。
そりゃあそうだ、ストーカーに限らず隠密ジョブのダメージソースはクリティカルヒットだ。その致命の一撃は人間の首を容易に刎ね飛ばす。俺だって仕事じゃなければ逃げてた所だ。
「結成した時から推してて! プレゼントだって沢山贈った! グッズだって全品コンプリートしてる! ライブも全部回った! ラジオだって毎週欠かさずメールを送ったし、布教だって……何で出禁なんかにしたんだよぉ!」
……正直、俺は斉藤が列挙した物が凄いのかどうかも分からない。俺はせいぜいヌルいゲーオタを名乗れるか微妙な所だ。
しかし何となく分かる事がある。多分、斉藤にとってVoyageRは人生の全てだったんだろう。それが絶たれたので、こんな手段に出る程まで自暴自棄になっている。
こう言う手合いは何をしでかすか読めない。いわゆる「無敵の人」だからだ。
人間、捨て身になれば何でも出来る。それが自分が愛したアイドルの殺害であってもだ。だからこそ、その迷いの無さから来る判断の速さが怖い。
「……斉藤さん、あなたが接近禁止になったのは他のファンの方への迷惑行為と私達への付きまとい行為が原因です」
後ろから凛とした声が響く。マイクを通していないのに強い存在感を放つその声は幸村灯里の物だった。
「斉藤さんからの贈り物の中に盗聴器が仕掛けられていたのをマネージャーが発見しています。他のファンの方が不快になるようなVoyageRの公式SNSアカウントへの返信や他のファンの方への脅迫とも取れるメッセージのやり取りも確認しています」
「う……それは、だって……僕は悪くない!」
「スタッフから再三注意を行ったにも関わらず、ライブ中の禁止行為を続けられましたよね? 女性ファンへの過度な接触も禁止ですと書面でお伝えしています」
「それは……それは、あいつらが……」
幸村は極めて事務的なトーンで斉藤を追い詰めていく。それは先ほどまでの歌っていた声とは全く違う、拒絶の色を強く表しているようだった。
「これまでの件のみならず、私達への傷害未遂……もはやこの状況は接近禁止の問題を大きく超えています。既に関係各所への連絡は済んでいます。もうすぐ警察が来るでしょう」
幸村の言葉にスタッフが大きく何度も頷く。まあ、モールの防災センターでこの有様は確認しているはずだし、警察にも通報済みだろう。何ならスタッフが直々に警察通報していてもおかしくない。
日本の警察官は皆ステータス持ちだ。これは法律によって定められている。
さらには拘束やスタン系の追加スキルの取得が励行されており、ステータス持ちの逮捕に効果を発揮するスキルビルドをしている。
警察が来ればこちらの物だ。日本の警察は何だかんだ言ってやはり優秀で、平均八分半くらいで臨場する。俺はこの状況を持ち堪えればいい。
……あれ? 他にナイトのステータス持ちは居ないのか? 誰もステージに上がって来る気配が無いんだが?
「う……ああ……」
斉藤がうめき声を上げながら後ずさる。逃げるんだろうか?
いや、逃げるなら逃げるでまだマシだ。一般の買い物客を人質にでも取られたら最悪だ。
斉藤の姿がゆらりと消える。しかし目の前のゆらめきから感じる嫌な予感は消えず、さらに強くなる。
モヤが跳ぶ。二階の吹き抜け部分のガラス、三階の柱、天井と三角跳びの要領で跳ね上がり——
「——ァァァァアアアアアア!!」
勢いを付けてその凶刃を振り下ろす。狙いは……浜本さくら!
俺はカバーリング・ムーブで移動し、斉藤めがけてスマッシュ・ヒットのスキルを乗せたゴブリンの棍棒のフルスイングをぶちかます。
空中から落ちてくるんだから、逆に軌道を読みやすい。こちとら小学生の頃は野球少年だったんだ。
俺の一撃は斉藤の土手っ腹を真芯に捉えた。斉藤はくの字に折れ曲がったまま、ややライナー性の弾道……人道? を描きながら、吹き抜けを支えるぶっとい一階の柱にビタァンと張り付いた。
「邪魔するな……邪魔するなァ、クソ警備員!」
柱を蹴り飛ばし、その勢いで斉藤は俺に肉薄する。俺は格好の的とばかりにクールタイムが終わったシールド・バッシュを叩き込む。今度はフライの様に高く打ち上げる。
空中に吹き飛ばされた斉藤は不安定な姿勢のまま、こちらに向けて何か投擲してきた。投げナイフのようだが、数が多い。十本くらい飛んできている。多分VoyageRの三人もまとめて対象に取っているのだろう。
三人が近い所に集まっているのは都合がいい。俺はバレないよう心がけながら、ディフレクションに全体化を乗せて、飛来するナイフを棍棒の一振りで叩き落とす。ここで棍棒が寿命を迎え、光に包まれて消滅する。
整列していたパイプ椅子も逃げ出した観客によって散々に蹴散らされ、既に面影もない元観客席に斉藤が自由落下で着地する。俺はポケットから二枚目の棍棒カードを取り出し、現出させる。
斉藤の姿が再び消える。俺は微かなゆらめきを頼りに位置を割り出していると……
「おい、高坂君! 警察来たで!」
今までどこに居たのか、いきなり現れた春川常務の一言で集中が途切れた。え、もう来たの? 流石に早すぎない? ……マズい、完全に見失った!
もはやこうなると、斉藤が何処にいるのか分からない。時折聞こえる音を頼りに視線を動かすが、全く見つかる気配が無い。
アビリティはあまり使うなと月ヶ瀬に念を押されているが、これは仕方がない。俺も死にたくないし、クライアントを死なせたくもない。
三人とも唐突に現れた春川常務の方を向いているので、無茶をするなら今しかない。
俺はダメ元でカバーリング・ムーブに全体化を乗せてみた。何とも形容し難い感覚に襲われる。この場に居ながらにして、VoyageRのメンバー一人一人の前に立っている感覚だ。非常に気持ち悪い。
元々カバーリング・ムーブは対象を誰か一人に決め打ちして庇うスキルだ。普通は対象以外が狙われたら発動しない。
しかし、俺の場合は全体化と言う存在自体がバグのようなアビリティがある。このせいでスキルシステムに穴が生じている。
今の俺は誰が狙われても、すぐさま反応出来る状態になっている訳だ。その代償がこの気持ち悪さだ。視界が四重にブレている。
俺が重なる視界の辛さに閉口していると、途端に景色がクリアになる。目の前には短剣を振りかぶる斉藤の姿。立ち位置は幸村の前だ。どうやら斉藤は三人のうち、幸村にターゲットを定めたらしかった。
ゴブリンの棍棒から再び打ち鳴らされるけたたましい音に反応して、三人がこちらに振り返る。
良かった、俺の全体化カバーリング・ムーブ時の姿は見られていなかったようだ。俺は自分の姿を確認出来ないので、もし分身してたり変な姿になっていたら怪しまれる所だった、
俺は棍棒で鍔迫り合いを仕掛け、刃を跳ね上げる。
「ここだ! スタン・コンカッション!」
振り上げた棍棒を勢いそのままに、斉藤の頭部めがけて叩き込む。副次効果の手加減攻撃を発動させるのを忘れない。
相手がステータス持ちとは言え、頭部への強打は死傷に繋がる。俺が過剰防衛でお縄にならないようにする為、手加減攻撃は必須だ。
したたかに頭を打った斉藤は、スタン効果も相まって、白目をひん剥いて地面に倒れ伏した。二本目の棍棒もここでお役御免とばかりに消滅した。耐久性に難アリだな、ゴブリンの棍棒は。
「……やったか」
「やめてよね! フラグになっちゃうでしょ!」
とっさに口をついて出てしまった縁起でもない一言に対する桝本さやかの鋭いツッコミに苦笑いするしかない。
やがてどやどやと乗り込んでくる警察官の一団のご到着を確認し、今回は気絶せずに済んだ事に胸を撫で下ろしたのだった。
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