第10話
結局、俺の身体がまともに動くようになったのは二日後の夕方くらいだった。
しかし仕事が出来るくらいに回復した訳ではない為当然退院までには至らず、かれこれ一週間は入院している。
動けるようになったのが思いの外早かった理由はダメージが予想より大分少なかったのか、それともダンジョン産のポーションが凄かったのか。……いや、多分後者だろう。
本来薬事法の絡みもあり、病院では大手を振って使用できないはずのヒールポーションだが、丁種とは言え俺が探索者である為、こうして投与される運びとなったようだ。
話によると探索者協会からのゴリ押しもあったとの事だ。今の日本の医療産業にはあまりダンジョン産の品物に頼りたがらない風潮があるので、とても助かる。
日本政府は世界的なダンジョン資源利用のビッグウェーブに乗り遅れた。
法整備的な部分のいざこざも勿論あったが、足を引っ張った一番大きな要因は各種業界の既得権益、特に医療分野の企業によるロビー活動だ。
ダンジョンから得られる薬効の高い素材やポーション類の回復薬は、既存の医学・薬学では解明できなかった病や治る見込みのなかった怪我すら癒せる物だった。
ステータスを得て魔物と戦い、ドロップ品を収穫できるようになった当初は怪しい薬物と判断されて捨てられていたが、人体実験を経てその有用性に目を付けた中国が国家ぐるみで買い占めた。
アメリカではFDAが旗振りをして、自国の製薬会社に損害が出ない形になるよう流通ルートを確立して、ダンジョン産医薬品の販売に着手した。
しかし、面白くないのはこの流れに乗れなかった、もしくは最前列で乗る機会を失った製薬会社だ。
どの企業も「人類の健康と幸福に奉仕していきます」みたいなツラをしているが、れっきとした営利団体だ。儲からない事はしないし、取れる所からはしっかり取る。
薬やワクチンの開発は何百億もの費用がかかる。その薬の価値は薬価により決まり、開発費用は国民皆保険の日本においては患者の保険によって賄われている。
そこに来て、基礎研究を経ずにいきなり産出されるポーションの登場である。現代の科学技術でも解析や再現が出来ない成分不明の医薬品なんて、製薬会社としては目の上のたんこぶだ。
大銭をかけて作り上げた最新の医薬品が5年も経たずにジェネリック扱いになるレベルの不利益を被る事は目に見えて明らかだった。
回復力と免疫力を底上げし、見えない部分の傷でさえも完治させるヒールポーションも大概にヤバいが、機序が明らかになっていない毒すらたった一本で完全に解毒するアンチドートなんて物もある。
さらにはスタンやいわゆる「しびれ」状態だけに効くのかと思いきや、脳性麻痺や指定難病である進行性核上性麻痺までも完全回復させてしまったアンチパラライズ。
体の大半を焼く程の熱傷Ⅲ度の大火傷をケロイド一つ残さず治療したバーンヒールに、ウイルス性・細菌性問わず感染症を治癒するキュアディジーズ。
そんな現代科学から見ればズル以外の何者でもないダンジョン産ポーションのせいで、ダンジョン利用後進国である日本の医療業界はしっちゃかめっちゃかだ。
何なら、どんな病もたちどころに治し、脳死から一時間以内であれば死者をも蘇らせる伝説の霊薬エリクサー……なんて代物も発見された。
さすがにこれは希少性が高く、海外でも国家予算レベルの額が動いていると聞く。
日本における製薬会社のロビー活動は迅速で的確だった。厚生労働省はダンジョンでの薬発見からかなり早い段階で「ダンジョン産の医薬品は人体への安全性が担保出来ない」として、医療施設でのポーション類の使用を禁じた。
それを受けて病に苦しむ患者達を救う会&旧来の薬害被害者団体vs製薬会社&厚生労働省のえげつないタッグマッチが繰り広げられたりしたのだが……まあ、それはそれ、これはこれだ。
とにかく、そんなヒールポーションの力を身をもって確認出来た入院生活だが、月ヶ瀬が甲斐甲斐しく看病してくれたおかげもあり、快適に過ごす事が出来ている。
仕事が終わるとすぐに俺の病室まで来ては世話を焼き、面会終了時刻の20時に帰る。
休みの日には朝から晩まで入り浸っている。何なんだアイツ、他にやる事はないのですか。
ちなみに、手持ち無沙汰な事もあり、面会時間のほとんどは雑談に興じている訳だが、その間に俺のアビリティの詳細については既に伝えている。やべーネタ聞いちまったみたいな表情が忘れられない。
そんな状態が毎日続いてる有様なので、看護師にまで「彼女さんが毎日来られて寂しくなくていいですねー」と勘違いされる始末だ。
月ヶ瀬も月ヶ瀬でさっさと否定すればいいものを、「やっぱそう見えるっスかー! どうしましょ先輩あたしたちおしどり夫婦に見えるんですってー!」とか言うモンだから居た堪れない。
うら若い乙女が仕事上の先輩とは言えこんなオッサンの所に毎日通い詰めるもんじゃないと嗜めはしたものの、一向にやめるつもりはないようだ。
一体何が目的なのか分からん。嫌な現場を押し付けるための点数稼ぎか、ボランティア精神から来る善行か、それとも俺が手を出した瞬間セクハラで訴える心算か。
本心が見えないだけに如何ともし難い。俺に惚れてる可能性? それこそ「まさか」だ。年の差を考えて欲しい。
§ § §
で、そんな何考えてるかわからん月ヶ瀬は、今日も来ている。明日の退院を控えて荷物の準備をしている俺をニコニコしながら見ている。
荷物と言っても大した物は無く、せいぜい替えの服や下着、充電器や洗面セット等の小物類、暇過ぎて買った新聞くらいだ。
新聞紙は家の窓ガラスを拭く為に取っておく。捨てるのはもったいない。
「あ、そうだ先輩。良いニュースと悪いニュースとどうでも良いニュースとあるんですけど、どれから聞きます?」
「じゃあ悪いニュースで」
「我々ステータス持ちはゴッキン出禁になりました」
「は? 出禁?」
ゴッキン……ゴッドキングダムは我ら栄光警備の持ち現場の中では悪名高きクソ現場だ。
五日市の市街地から安佐南区手前の五月が丘までを繋いでいる石内バイパスの真ん中くらいに建てられたパチンコ屋であり、八階建ての駐車場を一日中巡回させられる。定められた休憩時間以外に休むことは許されない。
体力の無い者は巡回の途中で足が止まったりするが、昼休憩以外で止まっているのを店員に見つかると、人権侵害一歩手前の罵詈雑言が飛んでくる。
普通に考えたらこんなパワハラ現場ありえるはずはないのだが……何で存在してんだろうな、本当に。
何人も隊員のメンタルを壊されてるのにもかかわらず何故仕事を受け続けているのかと言うと、ゴッキンは受注金額が大きく、さらには春川常務が栄光警備に入社して初めて営業が上手く行った現場だからではないかと言われている。
とにかくロクなモンじゃない現場なんだが……何故出禁になったのが悪いニュースなんだ?
「先輩が入院した次の日もそうだったんスけど、あたしと嶋原さんが行ったんスよね。普通なら一時間もしないうちにバテると思ったんスけど……」
「まぁ、俺らはステータス持ちだからなぁ」
「そうなんスよ、ぜーんぜん疲れないと言うか……何ならジョギング出来る程度には楽勝でして。時間が来て下番しますーって事務所に言いに行ったら露骨に舌打ちされまして」
「……何かしたのか? お前」
「いいえ、なーんも。そんであたしは良かったんすけど、嶋原さんがやらかしました」
「嶋原さんが、やらかし……? 一番やらかしとは無縁そうなんだけどなぁ」
嶋原さんは我が社においても抜きん出て技量が高く、無口ではあるが契約先からクレームをもらった事のない優良警備員である。
嶋原さん程にもなると車両誘導技術が必要になる複雑な交差点や、段取りを分かっていないと作業員の足を引っ張りかねない工事現場がほとんどだ。
歩くだけのクソ現場に入る事はあまりないが、俺が入院してる状況だ。無理矢理駆り出されたのだろう。かわいそうに。
しかし、それだけに意味が分からない。一体何がやらかしに繋がったんだ?
「まあ、あそこは歩くだけなんで業務はいいんス。問題は仕事終わって下番の報告しに行った時に久山店長がイチャモン付けたらしくて、嶋原さんうっかり【威圧】を使っちゃったらしいんスよ」
「あー、チワワ久山か。誰に対してもすーぐ吠えるもんなアイツ……ん、威圧……? 嶋原さんってジョブ何だっけ?」
「マーシャリストっスね。スタン系のデバフスキルなんスけど、一般人が束になっても勝てない魔物がビビり散らかすスキルをたかだかパチ屋の雇われ店長なんかに使ったら……」
「……どうなったんだ? 死んだか?」
「残念ながらご存命で、あまりの恐怖に上の口も下の口も大津波だったらしいっスよ。それをホールスタッフが発見したらしく、とりあえず管制室の人間を呼んで話し合いになったんスけど……まあゴッキン自体、警備員を体の良いストレス発散の捌け口に使ってたってのがバレたらマズいのか、警察通報にはならずに不問になりました」
「なるほど、でもチワワを恐怖のズンドコに叩き込むような物騒なステータス持ちは来るなよって事で出禁になったのか?」
「その通りっス」
「じゃあ何でそれが悪いニュースなんだよ」
「歩くだけで金が貰える楽な現場が消えたんスよ? 一日中片側交互通行で旗振らされる現場に比べたら全然楽なのに……悪いニュースに決まってるじゃないっスか」
意識低い系警備員のお手本のような事を言いやがる。が、確かに言われてみればそうだ。
あの現場が蛇蝎の如く嫌われているのはシンプルに身体的にしんどいからだ。業務が多岐に亘る訳ではない。
つまり、ずっと巡回し続けるだけの体力があれば思考停止でいける楽な現場となる。なるほど、言われてみれば悪いニュースか。
「確かにそりゃあそうだが……しかしステータス持ちはいりません、普通の奴をよこしてくれってのも露骨過ぎる気もするけどな」
「だもんでもう誰も行かないと思いますよ、春川常務も撤退を考えてるって言ってました」
「ふーん……で、良いニュースってのは?」
俺が次の話題を促すと、月ヶ瀬はにこーっと笑顔を浮かべて胸を張った。
「先輩の隣の部屋っスけど、中島さんが出てったんで空室になったんスが、この度先輩にとってスーパーかわいい後輩ちゃんであるところのあたしが住む事になりましたー! わーわーぱちぱちー! お隣さんになるんでよろしくお願いします!」
マジか……こいつが隣に来るのか……正直言うと、困る。割とマジで困る。
うちの社員寮であるワンルームマンションはそこまで厚くない。二軒隣の歩く音が聞こえるような激ヤバ物件ではないにせよ、普通の会話がうっすら聞こえるくらいには防音が死んでいる。
前のお隣さんの中島君は影が薄く、夜も生きてるのか確認したくなるくらい静かだった。
が、月ヶ瀬はやかましい。今もすでにこのマシンガントークだ。話に付き合わされたらたまった物ではない。夜寝られんぞ。
それにこいつは年中金欠だ。現場が被ると今でもメシを奢る羽目になってるのに家まで隣となると、こいつはきっと突撃隣の晩御飯を恒常化させるに違いない。
「えー……マジかー……マジでかー……」
「なんで露骨にテンション下げてんスか! こんなかわいい女子がお隣に来るんスよ、紛れもなく良いニュースでしょうが!」
「メシをたかられる頻度が高くなると思うと……あとお前やかましいし……」
「ひっどーい! 先輩はあたしを何だと思ってるんスか! だーいじょーぶっスよ、あたしこう見えて生活力あるんで! ありまくりなんで!」
「じゃあ今の預貯金いくらあんだよ」
てへぺろーって顔をするんじゃない。誤魔化されんぞ、俺は。謎の深海魚のスマホゲーにいくら溶かしたんだ言ってみろ。
「はぁ……決まってるんだったらしょうがねぇか……あんまり周りに迷惑かけるんじゃないぞ」
「はーい、気をつけまーす」
「んで……残りのどうでもいいニュースってのは?」
「ああ、先輩明日退院で明後日から仕事復帰じゃないっスか。アリオンモールらしいっスよ」
アリオンモールはスーパーマーケットでお馴染みのアリオンが手掛ける、大型ショッピング施設だ。
日本全国大体どこの県にも一箇所はあるモンだが、広島には二箇所ある。
どちらもアリオンの子会社であるアリオンセキュリティ株式会社が施設警備と駐車場の交通誘導を取り仕切っているが、時々外注でお呼びがかかる事がある。イベント警備の時だ。
長時間やる夏のチャリティ番組の会場として利用されていた頃は、うちの隊員が毎年駆り出されていた。今は別のショッピングモールが会場になっているので呼ばれなくなったが。
「アリオンモールか……何の現場だ? イベントだろ?」
俺がスマホを使い、アリオンモールのホームページを開こうとすると、さもつまらなそうに月ヶ瀬が告げる。
「ミニライブやるアイドルに付きっきりで動線確保するらしいっスよ。ボイジャーとか言ったっけかな? まああたしみたいなアイドル顔負けのかわいい後輩がいる先輩にとっちゃどうでもいいニュースですよね?」
……え、待ってボイジャー? マジで言ってる?
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