閑話1 月ヶ瀬美沙は動き始める


【Side:月ヶ瀬 美沙】


 足早に先輩の病室を辞して、エレベーターに乗り込む。1Fのボタンを押して、ドアが閉まるのを確認してから、あたしは快哉の声を上げた。



「ぃぃいやったー!! 先輩にいっぱい触ったー!!」



 先輩を論破するのにかこつけて頸動脈を触ったり、ほっぺたを触ったり、ダンジョンでぶっ倒れてる先輩を介抱しながら匂いを嗅いだり装備品を脱がせながら肌着のシャツを拝借したり何なら目が覚めるまで手を握ったり頭を撫でたり看護師不在を確認してから抱きついたりと先輩パラダイスだった。いい匂いでした、ごっつぁんです。

 今日一日の嫌な事を帳消しにして余りある最高の出来事だった。嫌な事とはもちろん、思い出すだけでげんなりする受付業務と、先輩を害そうとした奴の事だ。



 中広ダンジョンの受付では、仕事をする気が全く無い三郷セキュリティの隊員からずっと声をかけられてイライラしっぱなしだった。

 やれ「彼氏はいるのか」だの、「休みはいつか」だの、「キミと一緒に来たオッサンキモいよな」だのとあたしの神経を逆撫でするような事をノータイムで投げかけて来るのだ。

 スマホで先輩の動向をマップ情報を逐一チェックするのに忙しいあたしだ。そんな面倒な質問に答える暇は無い。

 そんなストレスフルな現場だから、先輩からの緊急発信を受けて援護に出ようとした際に、行く手を遮ってきた警備員三名の腕や足を切り飛ばしたのはしょうがないと思う。うん。正当防衛だ。

 そして二階層を下に向けて駆け抜けている時にすれ違った、先輩を危機に陥れた悪逆非道な外道警備員の両腕をキャストオフさせたのも正当防衛みたいな物だ。うん。大丈夫。



 いやいや、あたしだって警備員だ。正当防衛の要件は知っている。本来だったら完全な先制攻撃、過剰防衛にすらならない傷害罪だ。

 しかし、あたしだから……「月ヶ瀬」だから問題ない。

 歴史がやや深い、政府お抱えの必殺仕事人の家系として働いて来た貸しをちょっとばかり返してもらっただけに過ぎない。

 事実、駆けつけて来た防衛省の人は月ヶ瀬を知っていて、あたし絡みの方の問題は公安に話をつけると約束してくれた。

 厄介な事をしてくれたなと恨みがましい目で睨まれたが、星ヶ峯や雲ヶ崎に比べたら月ヶ瀬はまだ大人しい部類に含まれるはずだ。



 エレベーターのドアが開く。少し年季を感じるものの清潔に保たれているロビーを抜け、市内電車に乗り込もうと停留所を目指して歩いていると、鞄から着信音が鳴った。

 取り出して画面を見ると「母」の文字。そりゃそうだ、連絡行くよなぁ……公務員相手に月ヶ瀬の名前を出すって事は、当然そうなる。

 あたしは一度大きくため息をついて、応答ボタンをタップした。



「……はい、美沙です」


《聞いたぞ。大した月ヶ瀬じゃないか》


「それは皮肉ですか、母上?」



 殺生や刃傷沙汰を「月ヶ瀬」と呼ぶのはうちの作法だ。他の家も多分似たり寄ったりだろう。

 しかし、きちんと十全な仕事をした事を「月ヶ瀬」と呼ぶ母がこういう言い方をする時は、大抵皮肉か嫌味だ。



《もう少し、自分の母を信用したらどうだ。松原から連絡を受けた時には教育が足りなんだかと思ったが……いやいやどうして、立派に月ヶ瀬をやるじゃないか。しかし今回は高坂と言う男を庇ってとの事……よもや、芒の野原に風が吹いたか?》


「あー、おじちゃん……松原防衛大臣まで話が行ったんですね……めっちゃ面倒な事になってる……いや、否定はしません。私は先輩の為なら草刈りの短刀になる覚悟はありますし」


《ほう! ほうほう! あの美沙が! 芒の野原が代萩ほどもあろうかと言うあの美沙に風が吹いたか!》



 芒(すすき)の野原に風が吹くとは、月ヶ瀬特有の言い方で「好きな人でも出来たんか?」と言う意味だ。代萩とはセイタカアワダチソウの和名で、簡単に言えば「万年喪女のくせに」と言う事だ。やかましいわ。

 自由恋愛が許されなかった月ヶ瀬の七代目当主が、とある月夜に散歩に出かけた先のススキがボーボーに生え散らかした原っぱで、一人の女と出会った。

 最初のうちはただただ近況や身の上を話すだけだったが、不意に風が吹いてススキが揺れ、二人の顔が見えた時にお互い恋に落ちた……と言う話だ。

 短刀になると言うのも、その七代目当主が懐刀にしていた短刀でススキを刈り、正式に女にプロポーズしたと言う故事から来る比喩だ。

 今の月ヶ瀬が好きに恋愛出来るのは、ひとえに七代目のおかげだ。ありがたやありがたや。……いや、そんな話は横にうっちゃっておくとして。

 



「揶揄うのはやめて下さいよ、母上……それで、何で電話して来たんですか? 普段滅多に連絡もよこさないのに」


《うむ。では正式に月ヶ瀬として聞こう。『何か言う事はあるか?』》


「……あります。が、今は言えません」


《今は……か。言えぬのは月ヶ瀬が故か、それとも美沙が故か?》


「どちらでもありますが、七割くらいは私の独断です。家的に言えば時期尚早が過ぎます、私的に言えば好きにさせて欲しいです」


《そうか。なら月が満ちるのを待とう。私は気が長い故な。安心するがいい、月ヶ瀬の者以外には伝わってはいまい》



 母が聞いているのは十中八九、先輩の事だ。あたしの欺瞞工作がバレバレだったのは仕方ない。裏工作や諜報活動が主業務の雪ヶ原と違って、ウチは殺しの月ヶ瀬だ。習ってないんだからそりゃあそうなる。

 今まで存在し得なかった枠組み、【アビリティ】。魔物のスキルカードから解析した追加スキルを本来の性能に戻し、そして規格外のシナジーを見せる脅威的な要素。

 どこまで月ヶ瀬の上層部に漏れているかは知らないが、先輩の力を利用させる訳にはいかない。

 出来れば先輩には一般人として生きて欲しい。こんな裏稼業に関係ない世界で。

 とは言え、あたしがどれだけ願っても、多分先輩は多かれ少なかれ色んな問題に巻き込まれるだろう。

 それなら、あたしが防波堤になればいい。

 それがあの日……心を壊しかけていた日に、あたしを救ってくれた優しい警備員さんの先輩への恩返しになると、そう信じている。

 当の本人は完全に忘れてるけど。かなしい。



《では、月ヶ瀬としては以上だ。……そうそう、ここからはお前の母、麻耶としての忠告だがな》


「……何でしょうか、母上」


《いくら芒の君が気になるからと言って、スマートフォンにバックドアとGPS探知アプリケーションを仕込むのは感心しない。想いが有らぬ方向に走り過ぎている。我々は月ヶ瀬であって雪ヶ原ではない事を努々忘れぬように》



 母上からの唐突なダメ出しに驚いて、気管に唾が入ってしまってむせた。え、何で知ってんの?

 そもそも先輩が全体化やアビリティなんて単語でネット検索をかけるモンだから、しっかり履歴に残ってしまっていた。

 それをあたしが先輩のスマホのデータを吸い上げて検索履歴を漁ってる時に気がついて、それがステータス登録時に得た特殊能力なんだろうなと察しがついた。

 しかしこれは広大なネットの海で先輩が変な物を拾ったりしないだろうかと心配するあたしのいじらしい乙女心から来る物であって、先輩がどえらい能力を得ると察知しての事ではない。

 ……先輩のプライベートなあれこれを収集したいと言う気持ちもなくも無いのは事実です。メインじゃないです。ほんとだよ?

 でも遠隔操作で一晩かけて録音した先輩の寝息や寝言はASMR化してヘビーローテーションにしているのは墓場まで持っていく予定の秘密だ。



「いや何でバレてんすか! 母さん違うんスよこれは本当に先輩が心配でやった事なんスよ! 諜報活動とかじゃなくて! いやマジで!」


《その割には栄光警備に入社してすぐに仕込んだような形跡が残っているのだが? さすが末妹とは言え月ヶ瀬の娘、三年前から既にこの事態に備えていたとは先見の明がある》


「ももももももう切りますよ!? 話す事まだ何かあるっスか!?」



 このままではボロがナイアガラのように流れ出る事は必至なので、さっさと風呂敷を畳む事にする。

 電話口の母は笑いながら答えた。



《いや、無い。そうだな、せいぜい空也が気にしていたくらいだ》


「え、父上が……? 何かおっしゃってましたか?」


《『芒の君の力の程は、月が満ちたら直々に試す』と》


「すみません母上やる事バチボコ増えました、切ります」



 母上は何か喋っているようだったが、もはやそれどころではない。通話終了の赤いマークをタップして通話を切り、連絡先アプリを開いて、普段あまり頼る事がないとある人物に電話をかけた。

 ……先程の母上の話では、父上がもう既に「お前のようなどこの馬の骨とも知れない男に娘をやれるか」イベントを計画してるって事だ。気が早い。早すぎる。殺す気か。

 まだあたしは告白もしてないどころかいい関係に発展もしていない。ちょっと仲のいい後輩くらいだろう。安心できるポジションにはまだまだ遠い、もっと距離を詰める必要がある。

 何なら今日魔物の大群を引き連れて先輩に迷惑をかけたあのクソッタレ女探索者が先輩の連絡先を欲しがっていた。アレは多分先輩の魅力に気がついて色目を使おうとしているに違いない先輩は優しいし素敵な人だから女に邪険にはしないとしてあの女探索者が先輩に好かれてるとか勘違いして先輩とイチャイチャしようもんならあたしは冷静を保つ事が出来ないに決まってるので両手足落としてダルマにしても絶対許さんぞメス豚ァ!

 などとあたしのメンタルと思考が短時間で凄まじい勢いで回転していると、電話が繋がった。



《はい、春川です……月ヶ瀬さんが直接電話して来んの珍しいねぇ、何かあったん?》


「春川常務! 夜分すみません! 社員寮あるじゃないっスか! 206号室って空いてましたよね! あたしあそこ入居したいんスけどどうしたらいいっスか!」



 こうなったら、先輩の隣の部屋に住むしかない。今なら先輩とあたしだけの共通の話題がある。秘密の共有は仲を進展させるとも聞く。つまりこれは一世一代の大チャンスだ。何気ない日常のコミュニケーションやラッキースケベで距離を詰めるんだそして一緒に色んな話をしたり昔の話をしたりして恋愛フラグをバチコリと立てて行って外堀を埋めてから父上に会ってもらうんだフフフ覚悟しろ先輩絶対逃さないっスからね!



《え、何でそれ知っとるん……? 中島君今日転居したから確かに空いとるはずじゃけど……まあええか、明日経理の畠田さんに聞いたらええよ。ワシからも言うとくし》


「ありがとうございます! すいません、話はそれだけです! 明日の出勤はゴッキンで把握してます、それじゃ!」



 春川常務の返事に、スマホを握る反対側の手で思いっきりガッツポーズを取った。挨拶もそこそこに通話を切り、スマホを鞄に叩き込む。

 転居するとなれば荷造りをしなければ。あたしは急いで市内電車の停留所へと駆け出した。

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