第9話

 ゆっくりと目を開ける。視界に入るのは一昨日見たばかりのトラバーチン模様の天井と、寝かされているベッドの横に置かれている点滴スタンド。

 そしてセットされた透明の輸液パックと点々と水滴が落ちる様が確認できる点滴筒とそこから細い管が伸びている。

 管を目で追っていくと、俺の右腕に繋がっていた。一体何の薬だろうかと気になるがスタンドの位置が悪く、こちらから薬品名は確認出来ない。



 起き上がろうとするが全身に力が入らない。かろうじて首を動かすことは出来たが、どうやら俺は検査着のような物を着ているようだ。仕事中に着ていた防弾ジャケットはどうなった?

 ついでに見える範囲で辺りを見回すと、ベッドを囲うカーテンが見当たらない。どうやらここは病院の個室のようだ。他の患者との仕切りを用意する必要が無いからな。



 しかしまあ、一つだけ確かなのは生き残ったと言う事実だろう。倒れる直前にゴブリンを倒し切ったのは見ていた。こうして病院のベッドに転がされている所を見るに、月ヶ瀬がうまい具合にやってくれたんだろう。

 ようやく身の安全を肌で感じられるようになった俺は、お決まりのセリフを呟いた。



「……知らない天井だ」


「言うに事欠いてそれっスか、しかも天丼っスよ? 天井って漢字に点を付けて天丼って事っスか? 笑えないっス」



 少し離れた所から声が聞こえた。ぱたぱたと足音がして、俺の視界に月ヶ瀬がひょっこり現れた。警備員の制服ではない、私服姿だ。

 今日は朝から暖かかった事もあってか、薄めの白いカーディガンに淡い桜色のふんわりしたワンピースの春めいた装いに身を包んだ月ヶ瀬は、どう見ても警備員と言うよりはいいとこのお嬢さんと言った風体だ。

 


「起きたんスね、先輩」


「ああ、しかし体が動かないんだ。どうなってる?」


「正直生きてるのが不思議なくらいボロボロだったんスよ。今は軽く薄めたヒールポーションを継続的に点滴して回復力ギュンギュンにしてるっス」


「そうか……そんなに酷いのか、俺」


「だから絶対安静っス。ちなみに今回の件は労災になるんスけど、状況が状況なんで関係各所がおおごとになってますよ、今」



 どうやら俺を犠牲にしようとした石原、そしてその監督責任がある三郷セキュリティの責任問題がえらい事になっているようだ。

 すぐに探索者協会と広島県警の生活安全課と防衛省の各担当者がすっ飛んで来て上を下への大騒ぎ。さらには弊社と三郷セキュリティの責任者間での話し合いと言う名の責任追及だ。



 探索者が魔物を大量に引き連れて逃げるケースは無いわけではない。

 しかし魔物は魔素の飽和以外の理由で階層を越える事は無い。階段まで逃げればいいだけの話だ。

 そんな中で誰かを身代わりに残すのは緊急避難の要件を満たさない。

 「他に手段がある状態で緊急避難に該当するような手段を選んではならない」と言う補充性の原則に反するからだ。



 そうなると話がガラッと変わってくる。つまり石原は過剰避難……方法が他にもあるにもかかわらず俺を捨て石にした、言ってしまえば殺人未遂だ。

 弊社としても「ウチのモンに何してくれとんじゃい」とばかりに損害賠償を請求するだろう。俺も多分いくらか分捕れるはずだ。

 さらに三郷セキュリティは他社の警備員を蹴り倒してまで助かろうとするチキってる業者だとの誹りも免れないだろう。

 評価を大きく落とした新規参入企業の末路は大体同じで悲惨だ。

 この病室の静けさと対照的に、中広ダンジョンにおけるモンスタートレインスケープゴート事件の関係者はバチバチにやり合ってると思われる。俺には知った事ではない。



「俺には知ったこっちゃないって顔してますけどね、先輩。先輩も結構立場がヤバいんすよ? 分かってます?」


「……何の話だ?」


「うーん……先輩に聞かなきゃいけない事があるんですけど、先に言っときますね」



 ずい、と月ヶ瀬の顔が近づいた。その表情は無感情そのものだった。

 まるで先輩の考えは全てお見通しですよと言わんばかりのその視線に少したじろぐ。

 俺の気持ちはお構いなしに、月ヶ瀬の手が俺の首に伸びる。ひんやりとした手から、俺の脈動を感じる。

 身をよじって逃げようとするが、体が動かない。……そうだった、月ヶ瀬曰く今の俺はポーションを点滴しないと治らないくらいにボロボロなんだった。



「あたし結構情報握ってるっスから、多分正解に近い所まで分かってると思います。出来の悪いネット小説みたいな雑な言いくるめで切り抜けられるとは思わない事っスよ」


「……分かった、いいだろう。何を聞きたいんだ?」


「聞く、と言うより答え合わせっスかね。先輩、あの時……ステータス付与の時、普通じゃないスキルを手に入れましたね?」



 ズバリ核心を突かれたが、何も言えない。簡単に人に言える話ではない。



「ふむふむ、なるほどね。簡単には答えてくれないんスね。……じゃあ先輩、【アビリティ】と【全体化】って単語に聞き覚えはありますか?」


「……!」



 何故お前がそれを知ってるんだ!? と口をついて出そうになるのを飲み込んだ。

 自分でも心臓が跳ねたのを感じたんだ、俺の頸動脈に手を当てている月ヶ瀬はきっと脈動を感じただろう。

 これはもうバレている、そう判断した方がいい。



「やっぱりそうなんスね。あの日先輩は全体化と言うスキル……いいえ、多分スキルとは違う枠組みである【アビリティ】を得た。最低でも百十七匹はいたであろうゴブリンの集団を残さず討伐出来たのはそのおかげっスかね?」


「……どうしてそれを」


「簡単な推理っスよ。あたしが着いた時には全てが終わってました。通路にカードが大量にばら撒かれてましたけど、普通に考えたらあり得ないんスよ」



 月ヶ瀬は俺の首から手を離し、俺の頬を撫でる。その優しい手付きが妙に恐ろしい。

 ひとしきり俺を撫でた月ヶ瀬は、肩掛け鞄からトレーディングカード用のカードケースを二箱取り出して、俺の顔の横に置いた。

 俺が昔使ってた、戦闘用艦船を擬人化したゲームのイラストが入ってる奴だ。最近はめっきりやらなくなったが、昔は各種TCGを嗜んでいた頃もあった。その名残だ。

 そのケースにはびっしりとカードが詰め込まれていた。当然カードゲームではない。ダンジョン産のアイテムをカード化した物だ。



「追加スキルの051番の発動条件は、魔力の通っている物に接触してスキル発動を念じる事っス。普通051を使ったら回収するはずですから、地面に残っているのは筋が通らない。ゴブリンの集団を捌き切った能力とカードをばら撒いた能力は同種だと判断しました」


「……ああ、そう考えるのが普通だな。それで?」



 月ヶ瀬は俺から少し離れ、点滴セットの横に立って俺を見下ろしながら、滔々と語る。



「あたしの予想だと、こうです。先輩は三郷の警備員にハメられて、ドンツキに追い込まれてしまった。死に物狂いだったんでしょう、あたしの無線にも応答出来なくなった。最初は盾を使って防いでいたけど、防御状態を維持出来ない理由が出来た。恐らく、盾が壊れかけたんじゃないっスか?」


「……そうだ。ゴブリンの度重なる攻撃で、盾にヒビが入った」


「だから先輩は打って出る事にした。ナイトのスキルにシールド・バッシュってありましたよね? アレに全体化を絡める事で集団を押し込み、距離を稼いだ。でも盾の強度から見ても、一回叩き込むのが限度だった。だからもう一発叩き込む事にした。……盾を使わずに」



 さっきからまるで見てきたかのように、俺の行動を言い当てられている事に動揺を隠せないが、月ヶ瀬は俺が言い訳を考えるのを待ってはくれない。



「先輩、追加スキルの021番取ってましたよね? アレは無手での攻撃が魔物に通るスキルっスけど、スキルの武器種までは無視できないはずっス。……先輩、追加スキルを強化する手段、ありますよね? もしかしてそれがアビリティっスか?」


「……ああもう、分かったよ。降参だ。お前の言う通り、俺の追加スキルはアビリティに統合された。その結果、追加スキルはそれぞれ効果も名前も変わっちまった。021は今では武器種制限解除になっちまってる」


「もう名前からしてチート感満載じゃないっスか……なるほど、それで拳でシールド・バッシュをぶち込んだんスね? その結果がボロボロの体と」


「いや、叩き込んだのは剣だ。普通にこう……何と言うか、叩っ切るような感じで」



 俺の返答を聞いた月ヶ瀬が、がっくりと肩を落としてため息を吐いた。どうやらこの部分において、俺は月ヶ瀬の予想を上回る事が出来たようだ。全く自慢にはならないが。



「峰打ちですらないんスか、本当何なんスかそのトンチキ能力……そんでシールド・バッシュは吹っ飛ばして間合いを取る技であって殺傷性が低いから、スタン・コンカッションで全体攻撃を喰らわせたんスか?」


「だから何で見てきたように当てるんだよ、お前は……マジで怖いんだが」


「そりゃあ、こんくらいすぐに推察できないと死ぬような家に生まれましたから。表の人は知らないっスけど、裏で月ヶ瀬って言ったら結構有名なんスよ」



 月ヶ瀬はふんすと鼻息荒く腕を組んだ。胸を強調するような姿勢は止めて欲しい。斜めがけの鞄も相まってとても分かりやすい。何がとは言わないが月ヶ瀬、お前本当に大きいんだな。

 何やら不穏なお家柄の話が聞こえた気がするが、突っ込まない方がいいだろう。何か嫌な予感がするし。



「現場に細工したり根回ししたりして誤魔化しましたけど、本来だったら探索者協会あたりが根掘り葉掘り聞いてくる案件ですし、何なら研究所送りにされても文句言えないんスからね? あたしに感謝して欲しいくらいっス」


「……そうだな。その話もそうだが、救援に来てくれたのも助かった。ありがとな」


「えへへ、今度焼肉かなんかおごってくれたらそれでいいっスよ」



 いつもの気の抜けた笑顔を向けて来たのを見て、俺への追及が一区切りついた事に安堵した。しかしボロボロの先輩に焼肉を奢れとはなかなかに酷い後輩である。



「焼肉ってお前、俺はこんなザマだししばらく休業しなくちゃならんから金が無いんだが?」


「何言ってんスか、治療費かかんないし賠償金も入るでしょうし、何より先輩がカード化した奴どえらい事になってんスよ? 魔石もたんまり入ってるし、貴重なスキルカードまでありましたよ? 売れば三ヶ月くらいは無給で暮らせるレベルじゃないっスか?」


「えっ、これが? こわ……」



 視線だけで枕元に置かれたデッキケースを見る。こいつ、そんな一財産になってんのか。

 月ヶ瀬もそんな恐ろしい物を分かりやすい所に放置しないで欲しい。金庫とかないのかこの部屋?

 月ヶ瀬は笑いながらデッキケースを手に取ると、肩掛け鞄に仕舞い込んだ。



「そんなに心配ならあたしが保管しときます、また体が動くようになった頃に改めて渡しに来ますんで……じゃ、明日ゴッキン出ないといけないんで、そろそろ帰りますね」


「ああ……あの日のメシ分か、気をつけろよ」


「だーいじょーぶっス、ステータスのおかげで馬鹿みたいに持久力付いてるんで大した事ないっスよ。先輩助けに行く時に確信したっス」



 月ヶ瀬はそれじゃあ、と手を振って病室を出ていった。途端に静かになった病室で、俺が思っていたのは一つ。



「これ、ナースコールとか押せないのでは……?」



 ちなみにその心配は必要無かった。

 月ヶ瀬が出て行ってから、看護師が結構な頻度で確認に来てくれたからだ。

 体が動かないので排泄の世話を頼むのがこんなに恥ずかしいとは思わなかった。

 せめて早く動けるようになって欲しいと切に願う。

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