第8話

 走る、走る、走る。ダンジョンの石畳をとにかく走る。

 地図も覚えていない迷路を駆ける。震え続けるスマホも無線もほったらかしだ、触れる状況ではない。

 後ろからは大量のゴブリンが全速力で追いかけてくる騒音が聞こえてくる。しかし足の長さの違いもあってか、まだ俺の方が少しばかり早い。徐々に間が開いているように思える。



 しかしステータス様々だ。

 お肌はとっくに曲がり角、体力は急勾配な下り坂のアラフォーの俺にあっても、こんな全力ダッシュ下でのスタミナがアホほど続いている。

 火災報知器が作動した時の現地確認でも途中で息切れして動けなくなる程度のオッサンが、人智を超えた力を得る事ができたのはひとえにステータスのお陰だろう。

 手には剣と盾を持ったままだが、その重みを感じないのもまた強化されたパワーの賜物だ。一般人の立ち入りを禁止する理由をこんな形で実感したくはなかった。



 がむしゃらに逃げていたが、命運が尽きてしまった。長い直線ストレートの先は曲がり角の無いデッドエンド。袋小路に追い詰められてしまった。

 後ろからは相も変わらずマラソン状態のゴブリンの一団。これはもう、逃げられない。

 逃げられない……が、出来る事はある。俺は通路の端まで進むと、壁に背中を向け、なるべく隅っこに位置取り、剣を腰の鞘に戻して盾を構えた。

 一番避けたいのは四方八方を囲まれる事だ。回り込まれるくらいなら背水の陣で耐え切る方がまだマシだ。この姿勢ならせいぜい2匹に殴られるだけで済む。

 押し寄せる緑の津波に体が強張りそうになるが、俺は無線のマイクを握りしめるようにしてスイッチを押した。



「月ヶ瀬、追い詰められた! 場所は分かるか!?」


《向かってます! 今二階です! 先輩はとにかく耐えて下さい! 着いたらどうにかしますから!》


「すまん、こっちは多分もう返事出来そうもない!」



 無線からはまだ月ヶ瀬の声が聞こえるが、もうそれどころではない。ゴブリンが俺の盾に向かって棍棒を叩きつけているからだ。無線のマイクから手を離し、盾を両手で把持する。

 この盾は思ったよりもしっかりと俺の体をカバー出来ており、強烈な打撃にも耐えている。レンタル品と言っても馬鹿にならない性能をしている。

 俺のジョブがナイトである事も俺の生存に寄与している。パッシブスキルのエンデュランス・ペインのお陰でダメージがかなり抑えられている。



 しかし、こちらから攻撃が出来ないのが困り物だ。五十メートルはあろうかと言う長い道の向こうまでゴブリンが蠢いているのが見える。

 手元で数体倒したとしても、この大行列だ。すぐに次のゴブリンが補充されてしまうだろう。

 耐えてはいるが、攻め手に欠ける。それでも月ヶ瀬の援軍が来るまでは間に合うだろう。

 俺はとりあえずこの地獄のような状況を維持し続けられればいいのだ。



 しかし油断したのが悪かったのか、盾からみしりと嫌な音がした。ゴブリンの棍棒を受け止めていた盾の一部に細かい亀裂が生じ、ポリカーボネートの粉が舞う。耐久性能が限界を迎えたようだ。

 盾のおかげで身を守れている状態だが、これが無くなってしまうと攻撃に身を晒し続ける事になる。

 いくらダメージ軽減のスキルがあっても、タコ殴りにされたらひとたまりもない。

 焦りと恐怖の感情に足元からじわじわ侵食されていくような感覚の中、脳内に声が響いた。



《同調完了しました。アビリティ【全体化】の使用が可能です》



 全体化。確か気絶中の謎空間において魔力が足りないだか何だかで同調出来ないとか言ってた奴だ。

 しっかりステータスに残っていたので効果は覚えている。確か「対象を拡大出来る」とか言っていたはずだ。

 ……と言う事は、もしかすると手持ちのスキルで、このゴブリン軍団をどうにか出来る目が出てきたかも知れない。

 ナイトの持つスキルは、パッシブ以外は敵一体を対象に取る。つまり、この対象を拡大出来れば効果を全体に波及させる事が出来るのではないか?

 懸念点はスキル自体の使用経験が無い事だが、何故か使い方は分かる。スキルとして組み込まれた時点である程度の知識もセットになっているんだろうか?

 さて、うまく行ったらお慰み、失敗したら残念無念。乾坤一擲、俺は壊れそうな盾をしっかり握り、眼の前のゴブリンに体当たりをぶちかますような姿勢で盾による一撃を食らわせる。

 

 

「シールド・バッシュ! 全ッッッ体化ァァァ!」



 鈍い音と共に確かな手応えを感じた瞬間、眼前に広がる緑の群衆全員が百ピンボウリングでストライクを取ったかのような轟音を響かせながら一メートル程後方へと飛び退った。

 そしてこれまで俺を守ってくれていた盾は見るも無惨なボロクズに姿を変え、ポリカーボネート部分は粉々に砕け散った。

 俺は腰につけたままだった剣を抜き、立ち上がろうとする一番近いゴブリンに対し、追い打ちでスキルを行使しつつ振りかぶった剣を叩きつけた。

 

 

「もういっちょ! シールド・バッシュ! 全体化ァ!」



 本来であれば、シールド・バッシュは盾がなければ使用出来ない。武器種を「盾による」と指定されているからだ。しかし俺には【武器種制限解除】と言うアビリティがついている。

 元々は無手の攻撃が通るようになるだけの追加スキルだったが、これがアビリティに組み込まれた結果、武器種の制限を無視出来るようになった……と思う。多分。

 その結果がこの「剣でシールド・バッシュ」だろう。そうはならんやろって? なっとるやろがい!

 現にこうしてゴブリンは一匹二匹吹っ飛ばしたくらいでは鳴らないような轟音を響かせながら宙を舞っている。一撃目で姿勢を崩さなかった個体も二撃目を受けてゲッダン状態になっている。

 明らかに追撃のチャンスだが、先程のシールド・バッシュを放った剣もまたガタが来ているのか、うっすらとヒビが入っているのが見て取れる。

 貸与された装備が元々駄目だったのか、それとも全体化を使うとその反動が装備に影響を及ぼすのか。どちらが原因なのか分からないが、ここでもう一度シールド・バッシュを試みる勇気は無い。

 俺はあたりを見渡し、ことさら体勢を崩して起き上がれなくなっているゴブリンの後頭部目掛けて、剣を振り下ろした。

 

 

「スタン・コンカッション! 全体化ァァァ!」



 大上段からの薪割りダイナミックめいた俺の渾身の一撃は見事にゴブリンの頭蓋へとクリーンヒットした。それと同時に、これまで同様に通路を埋め尽くす全てのゴブリンの頭部が寸分違わぬタイミングで破裂した。

 やがて足の踏み場もないくらいに積み重なっていたゴブリンの遺骸は燐光を放ち、塵へと還っていく。こんなに集まってると流石に燐光と言うよりはサイリウムくらいは明るい。

 息も絶え絶えな俺の手元の剣は粉々に砕け散り、それと同時に全身から熱気と悪寒と激痛がほとばしり、脳裏に声が響く。

 


《レベルが上がりました。急激な特殊アビリティの使用により魔力回路の変質が起こっています。表層意識をシャットダウンし、メンテナンスを行います。》



 声の内容にぎょっとする。表層意識のシャットダウンって、まさか俺また気絶するのか? 一昨日も気絶したばっかりなのに?

 こんなに不調が続くと労働基準監督署や協会けんぽが怪しんだりするんじゃなかろうか。困る。本当に困る。

 せめて月ヶ瀬が来るまでは意識を保たせて、申し送りくらいはしないと……などと思っていたが、そうは問屋が卸さない。

 俺の意識は深く深く沈んでいき、その場に倒れ込んでしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る