第7話
「じゃあ何だ、アンタ今日が初日な訳?」
中世ヨーロッパの要塞を思わせるような幅が十メートル程の石造りの迷路で構成されている中広ダンジョンを歩いていると、討伐巡回の相方である若い男の警備員が俺に話を振ってくる。お世辞にも「巡回している」と言う感じではなく、散歩をしているような気軽さだ。
ヘルメットに名前シールを貼ったり名札を付ける習慣が無いのか、一見した所で名前は分からない。
ダンジョンアプリ「シーカーズ」内の丁種業務機能のおかげで名前は判明した。彼は石原 亮二と言うらしい。ちなみに彼は一度も俺に名乗りはしなかった。
石原は両手に持ったナイフをくるくると回し、腰に付けたナイフシースに納めたり、スマホを取り出してはしばらく操作したりと気忙しい。それが全く巡回に寄与していないあたり、彼の業務への熱意のなさが見て取れる。
「ああ、一昨日資格を取らされたばかりだよ」
「ったく、それじゃあ素人の研修みてーなモンじゃねえか、ツイてねぇ……いいかオッサン、俺の足だけは引っ張んなよ」
随分な物言いだが、仕方ない。三郷セキュリティは新進気鋭の五号警備専門の警備会社だ。
他の会社の人間と雑談している時に聞いたことがあるが、資格を取れる人間なら多少人間性に難があっても積極的に採用するとの評判だ。そのせいか、あまりいい噂を聞かない。
一般人に対して威圧的に接するのは日常茶飯事、業務中の態度は極めて不真面目、しかし討伐の腕はアベレージで見積もってもそこそこ高い。そういう会社だ。
サービス業である警備業において、態度の不良はお近くの警察署の生活安全課に怒られそうな物だが、残念ながら五号警備は都道府県公安委員会よりも防衛庁を管轄とする趣が強く、人当たりよりもダンジョンの警備をうまくこなす技量を強く求められている。
だから他の警備会社の、ましてや一度も会った事が無い人間に対して横柄な態度を取るような警備員がいる程度では問題にならないのだ。
無論、問題視はされているが、現実的に問題になった事はない……今の所は。ダンジョンは未だ閉鎖的な環境であると言わざるを得ない。
ダルそうな態度の石原を尻目に、自分の装備を確認する。
我らが栄光警備は五号業務に参入したばかりで、装備が揃っていない。一般的な警備業務で使う装備を流用する事は強度の関係上出来ない。
警備員と言えばの警戒棒や警戒杖は攻撃が通らず、ネット通販で買える類の防具は魔物の攻撃をたやすく貫通させてしまう。
ダンジョン産の素材やドロップした防具は買おうとすると高くつくので、今は探索者協会からレンタルした装備を使っている。
俺の持っているよく分からない金属製の剣もややくたびれているし、どっからどう見てもポリカーボネート製にしか見えないライオットシールドやFRPじゃなかったら何なんだと言った風貌のヘルメットにもそこそこ傷が入っている。
やけに重い防弾ジャケットはカビと汗の臭いを放っている。明らかに手入れがされていない粗悪品である。
それに比べて俺の前を行く相方の装備は統一感がある。マットな質感の素材で上から下まで揃った黒備えの防具に、武器も手入れされているのがよく分かるピカピカのナイフ……見るからに金が掛かっている。
一体この差は何なのか。そこそこ長い歴史を誇る我が社が薄汚れたレンタル品で、新参の警備会社がこんないい装備なんてどうなってるんだ。
憮然としながら石原を追いかける俺の耳に、やや甲高い鳴き声が届いた。多分これが名にし負うゴブリンであろう。
新規入場者教育で一応教わってはいたが、実際にこの声が聞こえると言うことは、この先命のやり取りを強いられる事に他ならない。反射的に身が竦む。
流石に遊んでる場合では無いのか、石原はスマホをしまって両手にナイフを構える。
やがて通路の先にある丁字路の右側から、緑色の皮膚を持つ子供サイズの人型の何かが三体飛び出してきた。ゴブリンだ。
「出やがったな……めんどくせぇ、おいオッサン! とりあえず前に出てくんなよ! 邪魔だから!」
俺の返事を聞く事も無く、石原はゴブリンへと駆け出して行った。そのまま放置する訳にもいかないので後を追う。
俺が戦闘可能な距離に追いついた時には、既に一匹目の首が掻っ切られた後だった。石原の返す刀で二匹目の左胸にナイフが突き立てられる。崩れ落ちる二体のゴブリン。
残り一匹に向かって攻撃しようと剣を振り上げたものの、それより早く石原の斬撃がゴブリンを切り裂いた。切り伏せられたゴブリンの遺体は淡い燐光を放つと塵のようにかき消えた。
俺は振り上げたままの剣を下ろし、鞘にしまった。石原はその様をやや侮蔑の色を含んだ笑みを浮かべながら見ていた。
「だーから前に出てくんなっつったろ、こんなゴブリンなんざ瞬殺なんだからよ」
「いや、討伐巡回なんだから見ているだけって訳には……」
「ったく、レベル1がチンタラ戦う方が邪魔なんだっつーの。黙って後ろで見てろよ。……あ、オッサン」
巡回ルートを進もうとした石原がやおらにこちらへ振り向き、先程までゴブリンの居た辺りを顎でしゃくった。
「拾っとけよ、それ。レベル1でもそんくらいは出来るだろ?」
そこには緑色の小石が三つ落ちていた。親指の先程のそれを拾い上げると、俺はカード化のスキルの発動を試みた。
発動方法は至って簡単。対象を視認してカードになれと念じるだけだ。カードから取り出すときはその逆にカードから出ろと念じればいい。
石が瞬時に消え、俺の手には三枚のカードが残された。トレーディングカードの大きさで、緑色の石の画像と共に「魔石:Fランク」と描かれている。裏面は何の意味があるのか分からない幾何学的な模様で埋め尽くされている。
俺はカードをベルトに付けたホルダーに突っ込むと、こちらを待たずにさっさと先へ進んだ相方を追うため、小走りで駆け出した。
§ § §
ダンジョンの討伐巡回は浅い階層のみと決まっている。無駄に命を張る必要もなければ、深い階層までやる意味も無いからだ。
魔物はダンジョン最下層に鎮座しているダンジョンコアから滲出する「魔素」と呼ばれる栄養素のような物から生まれる。最下層から上へと登っていく逆トリクルダウン方式だ。
そうしてダンジョン全体に行き渡った魔素は、階層ごとに定められた定員分の魔物を生み出す。浅い階層の弱い魔物はさほど魔素を必要とせず、深い階層の強い魔物は魔素をバカ食いする。なので浅い階層の魔物は一日もあれば復活し、深い階層は一度倒してしまうとしばらく湧かないのだ。
不人気なダンジョンにはあまり探索者が来ない。そうなるとダンジョン内の魔物は討伐されず溜まる事になる。
では、そんな誰も魔物を倒さないダンジョンの魔素はどうなるか。
答えは「魔素が限界まで溜まった段階で一階層の魔物をダンジョンの外に放り出し、残った魔物が一階層上に登り、新しく最深層の魔物を生成する」である。
つまり、ところてん方式で魔物が下から押し出され、最終的にダンジョン内が上から下まで強い魔物たっぷりのチョコ菓子状態になる。これで壊滅した国もあるくらいだ。
故に、不人気のダンジョンといえど魔物を狩らなければならない。政府はその手間を警備員に押し付けたと言う形だ。
ここ、中広ダンジョンが圧倒的に不人気な理由は、ゴブリン系の魔物しか出ない点だ。
初心者の腕ならし目的で丙種探索者が月に何人か来たらいい方で、ほとんど警備員で運営している。
ドロップは魔石と呼ばれる新エネルギーの塊、それと棍棒がほとんどだ。石と棍棒ばかり出てくるなんて第四次世界大戦の主力武器だろうか。
上から下までゴブリンまみれのこのダンジョンでも、最下層では並みの探索者集団ではものの一分で壊滅しかねない魔物になる。ゴブリンロードとかゴブリンキングと呼ばれる種別だ。
そいつらが下から上がってこないように、そして一階層のゴブリンを外に逃さないように、毎日丁寧に潰していく必要があるのだ。
そんな中広ダンジョン地下三階。
俺に命の危機が訪れるとは思っていなかった。
§ § §
初エンカウント以降も、俺に戦う機会は無かった。出会い頭に石原が凄まじい勢いでゴブリンを狩っていく。
俺はと言うと、落ちている魔石や棍棒をカードにしてしまっていく作業ばかりである。
魔石は利用価値がある。近年では大規模発電の燃料としての利用方法が確立されたし、モバイルバッテリーへの転用も可能となった。
しかし棍棒は何の役にも立たない。いや、棍棒自体は一応武器種の指定に依らず魔物に対してダメージを与えられる特殊能力を有している。だが、ただの棍棒では大した打撃は与えられない。
こうやって回収している理由も、放置していると邪魔になるという一点のみだ。
この大量の棍棒カードは詰所に戻ったら記録をつけて廃棄される。
これではもう、警備員でなく清掃員だ。辟易しながら石原に着いていくこと一時間。俺等は地下三階まで降りてきた。
石壁、石床、石天井。閉塞感満点の迷宮はまだまだ続く。マップによると、地下三十階まであるらしい。
こんな不人気ダンジョンなんていっそ攻略して消滅させてしまえばいいのに……とも思うのだが、攻略出来ない理由がある。
現在、日本のダンジョンは飽和している。この状態になると、攻略されるまで新しいダンジョンは生えてこない。
この状態で下手に簡単なダンジョンを攻略してしまうと、次はどこにどんなダンジョンが出来るか予測が付かない。
出現する魔物がゴブリンで固められてるだけでもマシな方で、アクセスが悪い所で初手からドラゴンが出てくるようなダンジョンが生まれては始末に負えない。
なのでこんなクソダンジョンでも攻略が法律によって禁止されている。違反者は国家転覆罪で死刑と決まっているのだ。
攻略していいダンジョンは決まって高難易度ダンジョンだ。簡単なダンジョンが生えれば良し、難しいダンジョンが生えてもそれはそれで大差ないからだ。
「なあオッサン、アンタんとこの女いんじゃん? 紹介してくんない?」
「そりゃあ無理な話だ、アイツ誰に対しても塩対応だからな」
「何だよ、オッサンとは親しげに話してたじゃねえか」
「鳥の刷り込みみたいなモンさ。最初に仕事を教えたのが俺だったから話してるだけだよ」
「あーあ、もったいねぇなぁ……警備員にしとくような女じゃねえだろ、アレ」
反りが合わないにしても一時間も一緒に過ごしているんだから雑談の対応くらいはする。しかし石原から出てくる話題は酒、ギャンブル、女の話ばかり。お里が知れる。
三階に降りてからゴブリンと全く出くわさなくなった事に違和感を覚えるが、それとなく石原に聞いても「そんな事もあんだろ」とそっけない。
討伐する対象を見つけられないまま、ただのお散歩と化した巡回をこなしていると、石原が足を止めた。
「止まれ、オッサン。何か変だ。騒がしい」
耳を澄ますまでもなく、通路の先から音が聞こえる。大勢がバタバタと走る音だ。心なしか空気や地面も小刻みに振動している。
俺は剣を、石原はナイフを構えて様子を見ていると、通路の先の曲がり角から人影が飛び出した。ゴブリンではない。
「……女?」
飛び出してきたのは女性だった。年の頃は二十代、魔法使いの着るようなローブを羽織った綺麗めの女性だ。手には三十センチほどの木の棒を持ってこちらに走ってきている。出で立ちは以前大当たりした魔法使いの学校の映画に出てきそうな装いだ。
現在中広ダンジョンに入場している一般探索者は一名だけだ。確か名前はキリヤマ サチ。巡回前に確認したので間違いない。眼前の女性は明らかに警備員ではないので、多分そのキリヤマさんなんだろう。
キリヤマさんと思しき女性は、こちらに気がつくと大声を上げた。
「逃げてッ! 逃げてください! 早く!!」
その直後、キリヤマさんの後ろに緑の濁流が姿を現した。おびただしい量のゴブリンの群れだ。数えるのが面倒になるくらいの大群を成してこちらに向かって来ている。
石原の反応は早かった。舌打ち一発すぐさま反転、ダッシュを決めた。俺の反応は若干遅れて、横を抜けた石原に続くように駆け出す。
「アレは一体何だ!?」
「知らねーよ! それより黙ってろオッサン、舌噛むぞ!」
後ろの方から追いついてきたキリヤマさんと石原と俺、ほぼ横並びでダンジョンを来た道を戻るように走る。曲がり角を通るたびに横目で来た道を確認すると、少しずつ距離が近づいて来ている。
このままでは地下二階の階段にたどり着く前に追いつかれてしまうだろう。最悪の場合、適当な所で反転して迎え撃つ必要があるかも知れない。
隙を見てトランシーバーについている緊急ボタンを押し込む。これは同じトランシーバーに信号を飛ばし警告音を鳴らせる物だ。
今頃受付にいる警備員が異常に気づいているはずだ。特に月ヶ瀬あたりはすぐに……今スマホが鳴ってるのは多分月ヶ瀬からの着信だろう。
しかしこの時、一瞬スマホに気を取られていたのが悪かった。俺は石原が気味の悪い笑みを浮かべている事に気づいていなかった。
目の前の丁字路を右に曲がると地下二階へ登る階段まであと少し……と言う所で、俺は体側に強い衝撃を受け、反対方向である左側に吹っ飛んだ。
元いた場所を見ると、石原がニヤニヤと笑いながらキリヤマさんの手を取り、引っ張るようにして通路の奥へと消えていく所だった。
すぐに起き上がるが、時既に遅し。本来のルートと分断するかのようにゴブリンの群れが押し寄せる。
さて、ここで問題です。ゴブリンから視認できる距離に居る俺と、既に曲がり角を曲がったので視認出来なくなった石原とキリヤマさん。
ゴブリンが嬉々として追いかけるのはどちらでしょう?
答えは言うまでもなく俺だ。現にゴブリンの群れは俺のいる方向に進路を変え、押し寄せて来ている。
「……クソッタレェ!」
俺に出来る事は、奥へ奥へと逃げる事。それだけだった。
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