第2話
春川常務から見切り発車的な無茶振りを食らった翌日、俺は朝六時に起きる羽目になった。
冬の寒さが緩んできたとはいえ、三月の中旬の朝はまだまだ冷え込む。
俺は愛用のトレンチコートを着込んで、 講習実施三十分前には会場に到着出来るよう出発した。
てっきり探索者の講習は広島の中心地である中区にある警備業協会で受けるのかとばかり思っていた。
しかし春川常務から聞かされたのは、日本迷宮探索者協会の広島支部へ午前八時までに向かえとの指示だ。
比較的新しい組織とはいえ国が絡んでる訳だし、さぞや利便性の良い土地を借り上げてるんだろうなと勝手に想像していたが、さにあらず。
実際の所在地は広島の市街地から直線距離でおよそ20キロ程北上した山間の田舎町、安佐北区可部の南原だった。
良く言えば都会の喧騒とは無縁な自然溢れる長閑な在所、悪く言えば周囲五百メートル圏内にコンビニ一つ見つからず、キャンプ場と企業の研修所くらいしか見所のない僻地オブ僻地である。
今回の会場も元々は地元会社の研修所だったのだが、そこを日本迷宮探索者協会が一括で買い取った形だそうな。わざわざこんな僻地にせんでもよかろうに。
俺の愛車(とは言っても原付二種のバイクだが)に頑張って貰えば、一時間で到着するのは十分に可能だ。
俺はまだ車通りの少ない朝の広島の街を駆け抜けた。
§ § §
「えー、であるからしてー、探索者は適正な武器防具の管理は言うに及ばずー、携行品のチェックやー、無線が届かない場合のー、緊急対応用の端末もー、チェックする必要があるって事ですねー」
(ハハハ、ぜーんぜん頭に入って来ねえや)
時間はあれから進んでお昼前、午前八時から始まった《迷宮新法第十七条に係る丁種探索者許可特別講習会及び許可証発行考査》……通称丁種講習会は、会場を程よく暖める暖房と、坊主の読経を彷彿とさせる抑揚の無い教科書音読により、眠気が最高潮に達していた。
我らが栄光警備のメンバーも10人中4人が安らかな寝息を立ててドリームランドへと旅立ってしまっている。夜勤明けだった田島さんに至っては机に突っ伏してのご就寝だ。
弊社メンバーでまともに講師の話を聞いてるのは、俺が面倒を見ている後輩の
月ヶ瀬は弊社の女性警備員の中では珍しい若い女性隊員だ。腰まで伸ばした黒髪と均整の取れたプロポーション、華やかさは無いが整った顔立ちと警備員をやっているのが不思議な美人だ。
男性隊員からのウケは実は最悪で、にこりともしない無表情で必要最低限のコミュニケーションを取ろうとせず、男を寄せ付けない。
しかし、月ヶ瀬を女性としてではなく同僚として見る隊員からは抜群の評価を得ている。警備員としての能力がずば抜けており、大体の指示を完璧にこなすからだ。
俺は四人掛けの講義机の右端を陣取っているのだが、そんな男を寄せ付けないはずの月ヶ瀬が何故か俺のすぐ左隣に座っている。左半分がまるっと空いているのにもかかわらずだ。
こいつは俺に対してのみ距離感がバグっている。女性隊員なんだから自重と慎みと言う物を早急に身につけて欲しい。セクハラで訴えられるのはいつも男だ、過度な接近は厳に謹んで頂きたい。
こっそり周囲を見渡してみると、他の会社からの参加者もかなり脱落している。右隣の列にいる翠優セキュリティさんも半数は死んでおり、左端の列の万人警備保障さんは講習会のスタッフに肩を叩かれて起こされている。理由は単純にいびきが酷いからだ。
さらに教壇横に並べたパイプ椅子に座ってる協会のお偉いさん達までも腕組みしながら船を漕いでいる。
昼飯を食った後の惨状が既に幻視できるくらいには酷い有様だ。幼稚園のお昼寝タイムじゃないんだぞ。
正直、講師の喋り方が一番キツい。喋りのペースが一定だし、1/fゆらぎの周波数が混じっているのではないかと疑いたくなる心地良い声……寝るなと言う方がどうかしている。
俺は小休憩ごとにブラックコーヒーを、そして適宜ミントタブレットを摂取してどうにか眠気には耐えられているが、その代わり講師の話している内容が全く頭に入って来ない。
いっその事、講師の話にガン無視を決め込んで自習を決め込んだ方が理解度は高まるのではなかろうか?
俺は眉間を軽く揉んだ後、教本を最初から読み直す事にした。
§ § §
何故、ダンジョンが発生したのか。
何故、ステータスなんて物があるのか。
何故、ダンジョンには怪物が徘徊しており、倒すと何かしらのアイテムを落とすのか。
何一つ解明されていないが、一つだけ確かな事がある。
それは、「ダンジョンは何かしらのルールのもとで人類に仇なそうとしている」と言う事だ。
ダンジョンが生まれたのは、この教科書によると2011年。日本が未曾有の大地震と大津波に襲われた東日本大震災から半年ほど過ぎた9月13日。全世界に、同時多発的に、突如として大きな扉が現れた。
日本では近隣住民による警察への通報と言う形で発覚したダンジョン発生だったが、政府の初動は思いの外早かった。
各種マスメディアに働きかけ情報統制が行われた。……が、そう上手くいかないのが世の中というもの。
封鎖の間に合わなかったダンジョンに無断で侵入した動画配信者によって内部状況をリークされてしまった。
まるで某猫型ロボットアニメに出てくる便利なドアの様に佇む扉の中は異なる空間に通じており、この世の物とは思えない怪物が跋扈している事実が速攻でバレた。情報統制の意味が無くなった瞬間である。
そして都合の悪い事に、この動画配信は生放送だった。緑色の小鬼に木の棒で殴りかかった配信者が返り討ちに遭い、ズタボロになるまで嬲られ、最終的に小鬼の腹に収まるシーンが無修正ノーカットでお送りされてしまった。
結果、全国的なパニックが発生した。扉一枚隔てた先に人を容易に殺せる化け物がいるなんて生きた心地がしないだろう。
しかし逃げ場なんてある訳がない。ダンジョンは都市近郊にばかり出来た訳じゃない。都市部も同様だ。
広島で言えば中区の本通商店街や南区の広島駅近くの裏路地、日本三景で有名な宮島にも現れた。原爆ドーム前に豪奢なドアだけがどでんと鎮座している状況はシュールを通り越して不謹慎とさえ思える程だった。
この異常事態をさっさとどうにかしろとの苦情が相次いだ為、最新鋭の装備で身を固めた自衛隊が突入したが、這々の体で逃げ帰って来た。
曰く、銃弾や榴弾による攻撃は命中すれども全く歯が立たなかったとの事。銃火器のみならず、防具もまた通用しなかった。
正規軍ではないものの、世界で五指に入る程の強大な軍事力を誇る陸上自衛隊は、原始的な棍棒を握りしめたたった三匹の小鬼相手に半殺しの憂き目に遭わされたのだ。
三回目の調査の際、悪ふざけで「ステータスオープン」と唱えた自衛隊員によって、ステータスのアクティベート方法が判明した。
そこで人類はようやく「ステータス保持者が設定されたジョブや武器種に則った装備を使用する事で怪物と戦う事が出来る」と気付くに至った訳だ。
それから安定した魔物討伐の体制が確立するまで、官民問わずのすったもんだや法整備のごちゃごちゃした与野党の取っ組み合いやイカれた陽キャの悪ふざけ等色々あったんだが……
「はーい、ではお昼休憩挟んだ後ー、知悉度試験を行いますー。不安な方はー、しっかり教科書を読み直しといて下さいねー。では起立ー、礼ー」
おっと、時間が来てしまった。教科書の読み直しにかなり集中していたようだ。慌てて立ち上がるが、この場の半数くらいは夢の世界から咄嗟に戻って来られなかったようだ。
号令に合わせて下げた頭を戻したついでに大きく伸びをして凝り固まった関節をほぐし、俺はここに来る途中で買っておいたコンビニ弁当を取り出した。
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