第3話 先の見えない末路
「……なんだこれ」
学校に到着して第一声。愕然と、口をポカンと開けていた。
昇降口にある黒板。
普段は掲示板として使われているのだが、今日は貼り紙は全て外され、黒板下に乱雑に重ねられていた。
空いたスペース。
そこにはド派手な文字で──…
“南高トップを名乗った黒のパーカー野郎、放課後体育館裏で待つ!! 平川サマ!!”
ひらかわあああああ!
てめ、マジで何やってんだよ!!先生に見られたらどうする!!
来るだろ!?放課後体育館裏に先生が注意しに来るに決まってるだろ!!!
あたしは辺りに人がいない事を確認して、光の速さで黒板消しに手を伸ばした。消されていないって事はまだ先生見てないって事だよね…。
深いため息を洩らして『平川』の文字に苛立ちを感じながら念入りに抹消。くっそ、中々消えん。
「──…もしかしてあなたが黒のパーカー野郎さんですか?」
どぎゅん、と心臓が飛び跳ねる。
「いや、あああの、こっこれはですね……――って矢崎さんじゃないですか!」
後ろに振り返ると、声色を変えたと思われる矢崎さんの姿。その
「ちゃんと周り見なきゃ駄目じゃーん」
「脅かさないで下さいよ…!バレたかと思ったじゃないですか!」
地味女であるあたしと目立つ存在の矢崎さん。そんな異色の二人が会話をしていると周りから何を言われるか分からないから、お互い警戒しながら話し始めた。
「あの学ラン着たんだ?」
「ま、まあ」
「平川と戦ったんだ?」
「戦ったっていうより、友達を守る為に制圧したというか…」
「勝ったの?」
「…い、一応?」
一問一答。矢崎さんの質問攻めに対してあたしは正直に答えた。
「ハハっ、さすがだね。じゃあ、今は幸ちゃんがトップって訳だ?」
「気になってたんですけど、
「ここの子たちはみんな真面目だからねー。強いて言えばー…俺くらい?」
たった二人…!
トップの存在意義は何なのだろうか。
「…まぁ、平川にはトップはあたしだと伝えましたが納得していないでしょうね。だから今日喧嘩売られるかもしれません」
そう言うと、矢崎さんはニヤリーン⭐︎と口の端を吊り上げた。何を言いたいのかだいたい想像出来る。きっと矢崎さんは、
「俺も行く」
でしょうね。
キラキラとした目がそこにあった。子供がお菓子をねだるような表情。大抵の人なら「仕方ないわね」と言うのだろう。
しかしあたしには五歳の妹がいる。
そんな顔、しょっちゅう見てるから通用しないよ。残念だったね、矢崎さん。
「駄目に決まっ…」
「あっ、やべ。人来た」
うおおおおおおおい!
どうやら神は矢崎さんの味方らしい。
矢崎さんはすかさずあたしから離れた。そして満面の笑みを向けて『放課後、行くからね』と言葉には出さず唇だけで語りかけてきた。
いや、来ないで。
カタン、と簀に靴を落とす音が聞こえて言いかけた言葉を飲み込んだ。黒板に跡が残っていないか慌てて確認するも、筆圧バカによりハッキリと見えてしまう。
元々貼り出されていた紙で隠し、逃げるようにその場を後にした。
****
重い足取りで教室へと向かう。頭の中は放課後の事でいっぱいであった。
矢崎さんどうしようか。
利き手が動かないのにあの人は何を考えてるんだろう…。怪我をするのが目に見える。
平川相手ならあたし一人でも大丈夫なんだけど…あの喧嘩好きの矢崎さんを止めれるだろうか。
ため息をどっぷりと吐き出して、肩を落とした。放課後が憂鬱だ…。
「ゆ、幸ちゃんっ!」
後ろから聞こえてきたのは優菜の声。
矢崎さんの事は一旦頭の片隅に押し込んで、今日もあたしは地味女としての立ち振る舞いを心掛ける。
「優菜、お」
…っと誰だ。
柔らかく光を浴す栗色の髪、くっきりとした二重瞼、雪のように透き通った肌、短いスカートはしなやかな長い脚を一際目立たせる。
通り過ぎる男性は鼻の下を伸ばし、ちらちらと盗み見ている。
どうしたことか、とんでもない美少女が今、あたしの目の前に立っていた。
恐る恐る「…どちら様でしょうか?」尋ねてみると、その子は濡れた瞳でじっと見詰めて――…ぐっ!思わず、胸きゅん。
「ゆ、優菜…」
え?と目を丸くする。
「桜井さんちの…」
「そうだよっ、桜井…優菜だよぉっ!」
自称優菜の頬は赤く火照り、あたしの方が背が高いから自然と上目遣いになっている。又もずきゅん。
「すっごく可愛いよ…!」
未だ信じられないが、確かに鼻や口元が優菜そっくりだ。声は優菜そのものであった。
「何かあったの…?」と、問い掛けると、優菜は耳まで真っ赤。頭にヤカンを乗せたら直ぐに沸騰するんじゃないかと思うほど。
優菜は自分の顔を手で覆い隠して、指の間から覗くように答えた。
「あ…たし、好きな人出来たの…」
「ええっ!?」
すすすす…好きな人だとう!?
「だ、だれ!?」
いつも周りにはむさ苦しい野郎だったから、友人との恋バナなんて夢のまた夢の話。
恋バナってあれだよね…!
主人公に好きな人が出来たらあたしはその子を応援する大事な立ち
だけどあたしもその人の事を気になり、三角関係になってしまう危険性があるっていう少女漫画鉄板のアレ…!!!
なんて浮き足立っていた。
その可能性は不可能であるとも知らず。
優菜はちょいちょいと手招き、そして小さな声で囁いた。
「──…ユキさん。」
ここでチャイムが鳴り響く。
優菜は「へへっ」と嬉しそうに笑うと、早足で教室へ向かった。手足が一緒に出ているなんて、誰が突っ込むだろうか。
ユキ………
いやそんな、…まさか、ね。
あたしは優菜の後に続き、教室へ足を踏み込んだ。胸の内に不穏な波が広がる。
『友人と初の恋バナ♡』と浮かれていたあたしはもうどこにもいない。
突然、優菜の歩行がストップ。
なんだなんだ、と首を伸ばすと教室に居る皆が視線が一点に集まっていた。
「あんな子いたっけ?」「なんか超可愛いくない?」「綺麗…」なんてこそこそと話ているけどこちらまで筒抜け。
その嬉しい褒め言葉は勿論あたしにではなく、前方の優菜に向けて。
「ゆ、幸ちゃーん…」
助けてサインを出す優菜。
助けるなんてどうやって?と八の字の眉に口角を上げる。
クラスメイトの優菜であると分かると「えー桜井さん、すごく綺麗!」「何したのー!?」「何かあったの!?」「桜井、俺と付き合おう」と、一瞬にして優菜は沢山の人に囲まれてた。誰、どさくさに紛れて告った奴。
あたしはそこから逃げるように自分の席へと避難。優菜の姿が見えないが綻んだ表情が想像つく。
なんだかあたしまで嬉しくなっちゃうよ、なんてちょっと親気分。
あたしは思わず口元が緩んだ。
「はっ、何デビュー?地味は地味なりにしてろっつの」
その言葉に空気が凍り付いた。
騒がしさは一瞬にして途切れ、まるで嵐の前の静けさのように、不安を孕んだ沈黙がその場を覆った。
声の源に目を向ける。
群から離れ、足を組んで座っているのは
隣にいる取り巻き二人は「そーよ、そーよ」と声を揃えた。
うわ、…出た。
昨日は平川酒井騒動ですっかり忘れていたが、こいつらもクラスの一員。
短過ぎるスカートに絶滅危惧種のルーズソックス。胸元まで伸ばした金に近い髪色。どこで売ってんの、と聞きたくなるようなド派手なピアスが見えている。
取り巻き二人も以下同文。
速水は立ち上がり、氷のような視線を向けて前へ進み出す。まるで空間を切り裂く刃のような堂々とした気迫で。
その道を阻まないようにとクラスメイト達は次々と避け、優菜との間に距離がわずかとなったところでガッと襟元を掴んだ。
「似合ってねぇんだよ。」
女性とは思えない程の低い声に、教室が酷く凍り付く。
沢山人がいるのに誰も口を開かない。…いや、あまりの気迫に誰も開くことが出来ないのだろう。
ぽたぽたと優菜の涙が地面に染みを付ける。膝は震え、今にも崩れ落ちてしまいそう。
「…っ、」
―――…もう、行くしかない。
あたしも速水に目を付けられてしまう事になるが、そんなのどうだって良い。
意を決して立ち上がろうとした、その時だった。
「帰んのは、てめぇだ。ばーか。」
踏み出そうとした足がピタリと止まる。
「和成、…あきら」
速水は掴んだ手を離し、平川と酒井に動揺の目を向けた。
平川は荒々しく鞄を机に投げつけどかっと椅子に座り、酒井は優菜を守るようにして速水の前に立った。そして速水の手を優しく添えて濡れた瞳で見詰める。
「…女の子がそんな事言っちゃダメ。綺麗な顔が台無しだよ?」
なんて胡散臭いセリフ。嘘か真か。
……どちらにしろ、鳥肌が異常な立ち具合を見せていた。
酒井は速水の手の甲にわざとらしく音を立ててキスをする。
ボッと赤くなる速水、…と「きゃー素敵ぃ〜
」と小さく騒ぐ周りの女子たち。なんでだよ。
さっきの緊張感は何処へやら。凍り付いた空気が一風して今は奇妙な空気に移り変わっていた。
「クラスメイトとは仲良く、ね?」
唇に弧を描いて微笑む酒井に、速水はとろけた瞳でこくこくと何度も頷いた。これ、本当に先ほどの速水さん?表情が全く違う気が…。と目の前の光景が信じられない。
…かと思うと、突然速水は唇を固く結び、真剣な表情を向けた。
きっと我に返ったんだ。ここでまた睨みを効かせるか、低い声で威圧するか――…
「あきらのこと、好きなんだけどっ!」
………………──告白をなさった。
明らかに不自然なタイミング。
間違っていると誰か速水に教えてあげて…と思ったところで誰も口を開ける勇気はない。
平川辺りが何か言いそうなところ、彼は無関心で今や携帯を触っていた。
「ごめん。俺好きな人いるんだ」
今まで数々の告白を受けてきたのだろう。喫驚の色も滲むことのない表情で返答する。と同時に周り(女子限定)からぴしっと固まる音が聞こえた。
「お、おま…好きな奴いんのか!?」
一番に声を上げたのは平川。さすがの友人の恋愛事情には驚いた様子。
平川に向けて王子様のように微笑む酒井の表情に、女性陣の固まった体は徐々に溶かされていく。忙しないクラスの雰囲気について行けない。
注目を浴びながら酒井はゆっくりと足を運ばせた。
女子たちは「もしかしたら私かも…」「いや私よ!」なんて火花があちこちで飛び散らかしている。早く先生来ないかなー、と頬杖を付き、窓の外を眺めた。
たがら気が付かなかった。
この後の待ち受ける怒涛の出来事を。
「──…初めて会った時から気になってたんだ。」
地響きでも起きているかのような悲鳴が湧き上がる。
…さてさて、学園王子の想い人は一体誰なんでしょうかね。と、冷ややかな呆れを浮かべて視線を戻した。
『これからは普通の女の子として、大人しくいて頂戴』
突然、母の言葉が脳裏を過ぎる。
「良かったら、付き合ってくれませんか。」
再びけたたましい叫び声が響き渡った。驚きと怒りに満ちた女子たちの声が、まるで大きな波が渦巻くように教室を揺らした。
…お母さん、ごめん。
『大人しく』は無理かもしれない。
だって、学園の王子が
「──……え?」
あたしに告白しているのだから。
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