第4話 バレなければ良し

「…──ちゃん、幸ちゃーん」





その声にはっと我に返った。

「どしたー?」と矢崎さんが心配そうに顔を覗き込んでいる。


見渡せば教室には矢崎さん以外誰もいなくて、黒板の真上にある時計は放課後を差していた。夕陽の光が教室の窓を滑り込み、オレンジ色へ染まっている。


あの後、どうしたんだっけ……。と秒針を遡るようにぼんやりと思い出す。




──…朝、登校すると優菜が見違えるほど可愛くなっていて、クラスメイト達が取り囲むように騒ぎ出した。


それが気に入らなかった速水が優菜を脅し、助けに行こうとしたその瞬間に平川と酒井がご登場。


そして謎すぎるタイミングで速水が告白なされ、酒井は『好きな人がいる。』とお断り。


学園王子。それはそれは周りの女子達は黙っちゃいないわけで。


早く終わらないかなー、先生来ないかなーと思っていたのは男性陣とあたしぐらい。




『良かったら付き合ってくれませんか?』




────…その相手が地味女あたしだなんて、誰が想像していようか。



突き刺さる無数の視線、突然のスポットライトに冷汗が滝のように流れる。




恋愛ど素人マスター、橘幸。初めての彼氏が学園王子だなんてハードルが高すぎる。


勿論、丁重にお断りを入れるつもりであった。


だけどこの学園王子を振ると『ハァ!?酒井きゅんの告白断るとか何様ァ!?』と女子達の反感食らい、逆にお付き合いとなると『あんた、酒井きゅんと不釣り合いよォ!!』と又も女子達の雄叫びに近い声が聞こえてくる。


振っても地獄…付き合っても地獄…!

ど、どうすれば……



思考はまるで嵐に巻き込まれた糸のよう、解こうとすればするほど結び目はきつくなっていった。




『くぉらー、チャイム鳴っただろうがー。席につけ、席にー』




素敵なタイミングで我らの担任やっさんがご登場。『5分前行動だ、馬鹿者』と、丸めたノートで自分の肩を叩きながら教壇へ上がった。


クラスメイト達は慌てて自席へ戻る中、酒井は目を細め唇に柔らかな曲線を作り、



『逃がさない。』



そんな幻聴が聞こえて、あたしは身震いを感じた。






──ゴン!!!と鈍い音が広がったのはあたしが額を思いっきり机にぶつけたから。

「大丈夫!?」と矢崎さんは驚き戸惑う。



いや、それにしてもなんなんだよ、酒井…。

昨日初めましてでろくに会話もしていないのになんで好意を寄せてくる…。

絶世な美女ならまだしも今のあたしは三つ編み厚底眼鏡女。隠れた魅力がどうしても溢れているのであろうか。




あれからあたしは女子達に恨まれ睨まれ憎まれ…。授業中は消しカスや紙くずが飛んできたり、呼び出しラッシュの休み時間。


とにかく、とんでもない1日であった。これ明日も続くのかしら…







「おーい、ゆーきちゃーん。」




あたしの目の前で掌をひらひらとさせている矢崎さん。陽光が矢崎さんに降り注ぎ、仏様のように見えている。


矢崎さん…


今頼れるのはあなたしかいないよっ!




「あの、やざ」


「ん?」




そこには直視できないくらい眩しすぎる笑顔。矢崎さんに相談に乗って貰いたいが、とてもじゃないけどそんな雰囲気ではない。


一体何が……──







「その制服、早く脱ぎなよ。」




突然の、変態発言。





えええええええ!?


やややや、矢崎さんが変態のお仲間入りに…!

矢崎さんってばいつの間にあたしの事好きだったの!?

酒井といい、矢崎さんといい…これは俗に言うモテ期なのでは…!?

中学の時は野郎ばかりだったのに誰一人言い寄って来なかったのに…っ。なんなの、この地味女スタイルは実は一周回ってお洒落なの…!?



稲妻でも打たれたような衝撃にヨロリと蹌踉く。


耳を疑うが、先ほどの変態発言は矢崎さんから発せられたもの。戸惑うあたしに、矢崎さんは満面の笑みで「こ、れ。」と机の上に置いてあった紙袋を指した。




「………」


ああ、…これか。




矢崎さんが差したその袋の中身とは、あたしが念の為に用意しておいた学ラン、パーカーの変装グッズ。


そしてフードを被ってるだけでは心許ないから、暗めのブラウンのウィッグを持参。丸みあるマッシュヘアが完成される。中学の文化祭の出し物で一度だけ使ったきり。





「早く行こうぜ。相手に待たせるなんて、悪い気しねぇか?やっさん曰く、5分前行動ってなっ」




矢崎さん、大変浮かれてらっしゃる。一刻も早く平川と喧嘩がしたいんですね…。


胸の奥から重く長いため息を吐き出した。『……相談は後にしよう。』あたしは紙袋を持って誰もいなさそうな場所へと向かったのであった。



怒涛の一日に酷く疲弊したあたし。いっその事このまま帰ってしまおうか…、後ろ髪を引かれる思いで教室へ帰還。




「お、かっくいー。ちゃんと男に見えるよ!」




そんな矢崎さんの褒め言葉にあたしは素直に喜べない。だって目線は胸元にあり。


──…まな板ですけど、なにか?




「さあ、行きますかい。」




そう言って、矢崎さんは子供のような無邪気な顔を見せた。まるで大好きなアニメ番組を見てる妹の顔と瓜二つ。


気持ちに温度差のあるあたし達二人。ゆっくりと足を運ばせる。廊下を出て、一つ矢崎さんに警戒の目をやった。




「…無理、しないで下さいよ。」


「わーかってるって!」




本当に分かってんのか、分かってないのか…。5歳児と同じ匂いがするこの人の考えが、全く信用できない。


これでため息は何度目になるのだろう。先行きが不安で胸のもやが晴れないでいた。






****



校舎の裏手に広がる体育館裏は、まるで別世界のように静けさに満ちていた。真新しい校舎の白亜の壁は、夕陽の柔らかな光を受けてほのかに金色に輝いている。


そんな静かな場所に、まるで空間を支配するかのように、二つの人影があった。




「…おう、来たな。」




体育館の壁に寄りかかるように置かれたベンチの上に、平川が偉そうに腰を掛けていた。

ベンチの隣で腕を組み、背筋を伸ばしている酒井は静かに微笑んでいる。


平川は膝に手をつけて立ち上がり、あたし達に歩み寄って来た。




「…矢崎か。」


「よっ」




二人の間に小さな火花が飛び散った。あたしは割り込むように前に立ち平川を睨み付ける。




「要件は何だ。」




あたしの一言で空気が重くなり、平川の眉がピクリと動いた。体育館から漏れるバスケットボールの鈍い跳ねる音や、誰かの掛け声が風に乗せられる。




「警戒しなくても大丈夫だよ。喧嘩しようと思って呼んだんじゃないからね。」




酒井の言葉に後ろで「えー」と言う矢崎さんの声をあたしは聞き逃さなかった。


酒井は目を細め、唇の端に控えめな微笑みを浮かべた。その笑顔はどこか作りめいていて、目の奥には何か冷たいものが潜んでいるように見えた。


平川は唇を噛み、重い口を開いた。





「お前に、 ――――…トップの座を譲る。」




その言葉に耳を疑い、瞳を大きく見開いた。




「昨日の一瞬でお前の強さは分かった。…ただ者じゃねぇ。」




平川は目を逸らさず、唇の端に笑みの欠片すら浮かばなかった。その瞳には冗談や軽はずみの影はなく、ただ静かな決意を漂わせていた。


ほんとに…?傲慢な平川がそんな簡単にトップの座を譲る…?


人が変わったような態度に何か裏があるとしか思えなかった。


風がザッと吹き荒れ、雑草が激しく揺れる。




「…で、いきなりで悪ィが、お前に手伝ってもらいたいことがある。出来れば、矢崎にも」




平川は、あたしと矢崎さん、視線を左右してそう言った。「喧嘩か?喧嘩か?」と矢崎さんの嬉々とした心の声はダダ漏れ。どんだけ暴れたいんですか。




「ここ数日前から西高の奴らとやり合っている。だが奴らの人数は増え続けて、もう俺だけでは無理なんだ。」




俺だけってことは、やっぱ酒井は喧嘩しないのか…。と酒井を一瞥。その笑顔の裏に何を考えているのか読み取れなくて、眉が歪んだ。




「この通りだ。一緒に来てくれねぇか?」




ひんやりとした空気が漂う中、平川は深く頭を下げた。あの平川が頭を下げてる……、と驚き隠せない。


対照的に後ろからはキラキラと輝く熱い視線が送られる。背中が焼けるように痛い。


矢崎さんには悪いけど…




「――――…断る。」




平川はぱっと頭を上げて、驚きに目を開かせていた。それと同時に後ろから「ええ、なんでぇ!?」と頓狂な声を上げたのは言わずもがな矢崎さん。


…だってこいつは優菜を傷付けた最低な奴。

喧嘩は好きだけど、こんな奴を助ける義理はない。




「お前みたいな奴を助ける気なんて」


「名前」




遮られたその声はまるで、湖面に落ちた一滴の雫のように、





「――――…ユキ、だっけ?」



静かに、波紋が広がった。




──その声は柔らかく、しかし、鋭く空間を切り裂いて響いた。



バッと声の方に目を向けた。


そこには唇の傍を上げて笑う酒井がいて。その瞳の奥は闇深く、クラスメイトに見せる笑顔とは違って見える。


え…な、なんで知ってんの…?

『ユキ』って名前は昨日平川と別れてから優菜だけに伝えたもの。

酒井の前でユキの姿になったのは今日が初めてだし、名前も顔も知らないはずなのに…。


胸の鼓動は水面に次々と石が投げ込まれるように激しく脈を打った。




「この事、バレちゃマズイらしいね。」




言葉に詰まる。全てを見通しているような目があたしを硬直させ反論することを忘れていた。「…やっぱお前、何か知ってんだな。」と平川も驚く顔を見せていた。


酒井は表情一つ変えず、一歩一歩とゆっくり近づいてくる。そして耳元でこう囁いた。









「…橘幸さん。」







────…あたしの名前を。





「違う!!!」




瞬間的に出た声は喉から弾けるように飛び出し、鋭く空を切り裂いた。叫びは壁にぶつかり、反響してあたしの耳に戻ってくる。心臓が激しく鼓動し、頬が熱く火照る。


「じゃあ、何で剥きになってるの?」と唇に弧を描いて笑う酒井。私の反応をまるで舞台の芝居でも見るように楽しんでいる様子であった。


ダメだ…、ここで強く言い返しても変に思われるだけ……。


力が入っていた拳を緩め、一呼吸置いて乱れた鼓動を落ち着かせた。




「確かに名前はユキだ。…だけど、橘ではない。」




一時の間が流れる。動揺の色を隠し、しっかり目を見据えた。

先に沈黙を破ったのは酒井であった。唇がふっと動き、くすりと小さく楽しげな笑いが溢れた。




「じゃあ、手伝ってよ。俺の知っている彼女は大人しくてか弱い女の子なんだ。」




選択肢なんて、一つしかない。




「……分かった、やってやる。」




酒井の表情は変わらず、微笑の端にはまるで全てを見透かしているような。不穏で、謎めいている。




「だけど1つ約束しろ。」




状況が今一つ分かっていない平川に言葉を向けた。




「学校にいる時は絶対暴れんな。」




「…あぁ。」と平川はまるで重い鎖を引きずるような躊躇いとともにゆっくりと頷いた。他校の奴らに負ける方が余程嫌なのであろう。




「っしゃああ!!!」




…なんて、あたしの気も知らず背後にいる方は拳を高く上げて全身で歓喜を爆発させた。緊張感はどこへやら。だからあなたはどんだけ暴れたいんですか。




「西高とやるのは来週の日曜日だ。」




来週の日曜…いっそ重大な予定入っていないかな、と脳内のスケジュール帳を開けてみても何も記されておらず、諦めのため息が漏れた。




「ビビって逃げんじゃねーぞ、矢崎。」


「てめーこそ俺の強さにビビんなよ。」




平川の皮肉を一蹴する矢崎さん。なんだか良いコンビになりそうだ。

まあ、この二人は置いといて問題は…





「橘さん、頑張って。…あ、今はユキだったね。」





ニコリと悪魔のように微笑む笑顔。







酒井あきら、



殴ってもいいですか?



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