第2話 南高トップと争い

「…うっせぇんだよ。羨ましい?だったら黙ってないで代わってくれよ。こっちは殴られそうになったってのにばっかじゃねぇの?」




なんて言えたらいいのになぁ、と思いながら目の前の光景をただ呆然と、軽蔑に近いような目で眺めている。見慣れているのか優菜は何事もないようにお弁当を片付けていた。


このお祭り騒ぎはいつ終わるのだろう。


そう思っていたら「お前ら席に着けよー」と気怠そうに先生がやって来て、騒ぎ立てていた女子たちは人が変わったように静かに自分の席に戻っていった。


なんだこのクラスは……


呆気に取られる。




****



放課後になった今、特に用事のないあたしは一人クラスに残ってぼーっと窓を眺めていた。


グランドから広がる野球部の声、風に揺らされ窓枠からガタガタと音が聞こえる。


今日一日の騒動になぜか無性に疲れたあたしはその疲れを飛ばすようにうん、と伸びをした。





すると、突然の人の気配。


馴染みあるこの雰囲気。振り向かなくても誰なのか分かってしまう。




「ゆーきちゃん」




やっぱり、と洩らして安堵を浮かべた。


教室のドアの辺りで軽く手を振っているのは、矢崎祐介やざきゆうすけさん。


二つ上の先輩。一際目立つ存在で、大のお洒落好き。


赤い短髪に右耳のピアスがチラリと見える。制服は独自にアレンジして、その素敵なセンスにいつも羨望する。




矢崎さんは「これ」と紙袋をあたしの目の前に差し出した。




「亮さんに渡しといてくんない?部屋の掃除してたら亮さんの私物が出てきてさ。もういらないかもしんないけど」




少し重みのある紙袋。あたしは特に気にかけることなく「分かりました」と頷いてそれを受け取った。




『亮』と言うのは、うちの兄貴。




この高校に入る前から、兄貴繋がりであたしと矢崎さんは顔見知りであった。


変装をしているから最初は気付かれなかったけれど、矢崎さんが一人でいる時を見計らって自分の正体を明かし経緯を説明した。


それ以降矢崎さんは気にかけてくれるようになり、こうやって様子を見に来てくれる。


素を曝け出せる唯一の人。


矢崎さんがいると安心するから会いに来てくれるのはとても嬉しいし、ありがたい。





矢崎さんを見て、あたしはふと思い出した。




「…あの、矢崎さん」


「んー?」


「平川と酒井って知ってますか?」




あんな派手な二人。学年が違えど、きっと矢崎さんの耳にも入っているはず。


矢崎さんは目を丸くしたが、直ぐに顔色を変えた。




「…そいつらやっと学校ここに来たのか」





あたしの隣の席にどかっと座り、顎を擦ってニヤニヤと不気味に笑う矢崎さん。


「…嬉しそうですね」とあたしは眉間に皺を寄せて顰蹙すると、矢崎さんは口元の傍らを上げて愉色を見せた。




「まあな、あいつ等の顔をそろそろ拝みたいなと思ってたところなんだよ」


「喧嘩は絶対駄目ですよ!右手が…」




矢崎さんの右手には感覚がない。


矢崎さんは兄貴に憧れてずっと後を追っていた。


最初は牙を向けていた兄貴だったが次第に心許すようになり、いつの間にか掛け替えのない存在となっていた。


北高の兄貴と南高の矢崎さん。


元々対立していた二校であり、矢崎さんをよく思わない奴らが増えていった。


何を言っても兄貴から離れようとはしない矢崎さん。皮肉に思った南高の奴らは、背後からナイフを突きつけてきた。


脅しのつもりだった行為。


だがしかし、寸止めが思わず右腕に刺さってしまったのだ。




「分ーかってる!顔見たいだけだって」




嘘だ。



あたしは疑い深い目で矢崎さんを見ると、矢崎さんは明後日を向き、口笛に抑揚を付けて短調に吹いた。


…この人、喧嘩しかねないな。


あたしと同じ根っからの喧嘩好きだから大人しくして居られないのだろう。その気持ちは痛い程よく分かる。


「そう言えば」ともう一つ気に掛けた事を思い出した。矢崎さんは「ん?」と小首を傾げる。




「平川と酒井ってどうして連んでるんですか?どう見たって酒井は喧嘩出来そうにないタイプですよね」




見るからに平川は喧嘩万歳、酒井は平川の喧嘩を止めるくらいだから平和主義っぽいな、と思う。


喧嘩好きならさ、もっと強そうな奴と連むじゃん。



すると矢崎さんはにっこりした表情で「出席番号が近いから仲良くなったんじゃない?」と、一言。


いや、絶対嘘でしょう。平川の『ひ』と酒井の『さ』。タ行とナ行の撲滅運動を起こしたとしてそう近くはならない。




「二人の関係を確かめたいならその袋ん中のやつ、幸ちゃんが使ってもいーし?」




笑顔が、不気味だ。



矢崎さんがいう『その袋』とはさっき手渡された兄貴の私物が入っている紙袋。


兄貴の私物って聞いただけでも遠慮しておきたいところだが、あたしは指でそれを差して「何ですかこれ」と尋ねた。




「亮さん最近どう?」




ここで、話を反らすか。


不自然すぎる会話の流れに戸惑いつつも、矢崎さんの質問に答えた。




「今は地元から離れた場所で働いてます。たまにしか帰ってこないんで、どうなってんのか知りませんけど」




矢崎さんはその右手の負傷の件で、兄貴達から離れる結果となった。


離れたくはなかった矢崎さん。だけど兄貴は



『もう来るな。お前は敵だ』



と突き放したのだ。


矢崎さんを心配しているからこそ、口に出した言葉。これ以上自分の側にいればもっと傷付いてしまうかもしれない。


兄貴のその言葉は本心ではないことは誰もが分かっていた。


兄貴は一度言い出したら折れることはない。

それを知っている矢崎さんは離れることを決断した。



兄貴と矢崎さん絆の深さは、ただの友情って言葉だけでは足りない。だからあたしも矢崎さんのことは信頼しきっている。




「…そっか。元気そうでなにより」




矢崎さんは安堵を浮かべるようにうっすらと口角を上げた。




「たまには会ってみてはどうですか?奴が帰ってきたら矢崎さん連絡しますよ?」


「あの人のことだから俺の気配を感じた瞬間に逃げちゃうよ」


「ガチガチに縄でも縛りつけましょうか」


「後が怖いんじゃない?また地獄の特訓始まるよ」




────…地獄の特訓。


あたしが喧嘩強いのは兄貴のせいでもあった。


毎日、走り込み筋トレ兄貴と取っ組み合い、ととんでもないスパルタメニューを幼い時から植え付けられていた。


いやこれ不良の道じゃなくない、この特訓を糧に強豪校行った方が良くない、何のためなん、禿げろよおっさん。


何度あの背中を見て思ったことだろうか。


そのおかげで強くなったけれど。『リョウ』の妹だってバレた時は上手く対処できたけれど。北中の『たちばな』と呼ばれ、トップにまで上りつめたけれど。


だけど今でも思う。


永久に禿げろよおっさん、と。






****


矢崎さんと別れ、一息つく。


そう言えば紙袋の中身って何なんだろう…と気になり手を伸ばした。


がさがさと右手で中身を探ると、柔らかい物が指先から伝わる。んん?服?あたしはそれを両手を伸ばしてして大きく広げた。




「え……」




こ、これは…


そこには矢崎さんがアレンジしたであろうと思われる学ランとシンプルな黒パーカー。


目に入った瞬間、矢崎さんの意図が分かった気がした。


矢崎さんはこれをあたしに使えと、これを着て男装しろと…そして平川と対等な立場でやり合える、と。




「矢崎さん、ナイス!!!」




内心大きくガッツポーズをして早速あたしはパーカーと学ランを着る。眼鏡を取って、長い髪を後ろに束ね、フードを被る。




「じゃんっ」



と、完成




したものの、教室には鏡もなく、手鏡を持つ女子力もなくて自分の姿が一切分からない。ちょっと自分の学ラン姿見てみたい、と好奇心が湧く。


学ランなんて着た事がなかったもん。見てみたい…!


自分の姿を一目見ようと、鏡を探しに足を運ばせた。


学ラン似合うかな~


昔はよく男に見間違えられたから、似合ってない事はないと思う。


問題はこの成長した胸を、どうやって隠すかだ。



立ち止まって目線を下ろしてみた。





「………」





一応自分の胸に手を当ててみた。





「………」






成長、…してるのか?






突然、ガンッ!!と耳をつんざく音に、激しく心臓が飛び跳ねた。忙しない鼓動を落ち着かせるように一息をつき、壁に身を寄せて、静かに音の発信源を辿った。


正面玄関の前の階段に誰かがいる。


目を細めて見ると、見覚えのあるド派手な金髪に、着崩した制服姿。


この学校にそんな奴は一人しかいない。




「さっきはよくも、恥を掻かせてくれたな」




……平川。



平川の影に隠れて見えないが、また誰かに喧嘩を売っている様子であった。

白い壁の一部がぽろぽろと崩れ落ちていて並大抵の力ではないことは明らか。



──……よし、鏡を見つける前にあいつを絞めようか。

平川くんは一回痛い目を見ないと、図に乗っちゃってるから。



久しぶりの喧嘩に腕が鳴る。口元が緩む。胸が高鳴る。


平川の背後に回ろうとしたその時、




「ひっく…、う……」




廊下に響き渡る、喉の奥から絞り出されたような嗚咽。



まさかまた女の子…。


なんなんだよあいつ。盛大に振られたからその腹いせに女の子ターゲットにでもしてんのか。


なんにせよクズ野郎であることは確か。





「っ、」




膝下の長いスカート、真っ黒な髪。



しかも…その女の子って………──




「イライラしてんだわ、桜井さんよ」




平川が角度を変えた時、馴染みある彼女の顔がはっきりと見えた。




……優菜だ。








「死ね」






瞬きを一つ落とした瞬間、大きな拳が優菜の顔面に向かっていた。






「────……あ?」






き、……危機一髪。




おいおいおい…。マジで何するか分かんねぇ野郎だな…!


ちょっと前置き的なものを頂きたい。





平川の拳はあたしの掌の中。


優菜を守るようにして前に立つ。平川は一瞬、目を瞠ったが、すぐに眉を寄せて不快をあらわにした。





「……なんだ、てめぇ。」


「どんな理由があっても女の子殴っちゃダメなんじゃない?」


「あ?俺様がなにしようが勝手だろ。俺を誰だと思ってんだ」


「………」


南高ここのトップだぜ?」




こいつが…南高ここのトップ……


いや、不良はお前以外いないだろ。




「おうおう、びびってらぁ。」



呆気に取られてんだよ。




怪訝な表情を向ける平川。

引こうとした手がびくとも動かないからだろう。


確かにそこらの男よりは力は強いかもしれない。だけど兄貴と比べたら大したことはなかった。




「……離せよ」



離すわけないじゃん。





あたしは愉色な笑みを見せて、平川の腕をぐるりと背中に回した。


苦しそうな吐息が漏れる。


それを数秒間保って背中を突き放すと、平川は音を立てて無残に倒れる。




「………」




久しぶりのこの感触。胸の高鳴りは収まる事を知らない。


ぶらぶらと右手を振って、平川を見下ろす。「掛かって来いよ」と挑発的な目で。




「…てめぇっ」




平川は膝に手を着けて、ギンと睨み付ける。立ち上がると直ぐに拳を溜めてあたしに向けてきた。


視線を横目に移すと、そこには小刻みに震えている優菜の姿。願うように力強く目を閉ざし、溜め込んでいた涙が溢れかえった。




…恐いよね。




だったら、


――――…早く終わらせないと、ね。







静かな廊下。


鈍くて重い音と倒れた音が、より一層大きく広がった。


平川がこちらに目をやる前に、あたしは重く口を開けた。





「南高のトップは俺だ」




窓の外、揺れる木の葉が冷淡な心を共鳴しているようであった。


そしてあたしは優菜の手を引いて、その場を離れていった。







「─────…お疲れ」




平川の視界からひょっこりと現れた酒井。仰向きになっている平川の隣に座ると、冷たいお茶を平川の頬に当てた。


お茶を受け取り、直ぐ様腕で顔を覆い隠して「…誰だよ、あいつ」悔恨の声を上げる。


酒井は「さあ」とあたしが去った方面に目を向けて




「誰なんだろうねー」




意味深な笑顔でそう言った。






****




「ここまでくれば、大丈…」





一時止まっていた涙は安堵したせいか、またポロポロと涙が溢れ出していた。肩が震えて、出てくる涙を袖で拭い取る。





「怖かっ……」





まるでお化けでも見た子供みたい。


可愛いって思った。そして守りたいって。無意識の内に口元が緩んだ。


今にも崩れそうな優菜に、あたしは優菜の右腕を自分の肩に乗せ、腰を押さえる―――と、横から「ひゃっ」と小さな奇声が聞こえた。


尻目を向けると、頬を紅潮とした優菜。


な、なんで…、と思ったが自分が男だと言う事に直ぐに気が付く。そして何事もなかったように平然装って、あたしは押さえていた手をゆっくり離した。




「あ、の」




優菜はあたしの目を見た。が、ぎこちなく外方を向けた。やばい、嫌われたかも。

腰触んじゃねえよ」「変態野郎が」「助けたらとっとと消え失せろ」

とても優菜が言いそうにはないが、それに近い言葉を罵られそうな気がした。




「お名前、聞いてもよろしいですか?」



「ユキ、デス。」




意外な質問に拍子抜けして、正直に答えてしまった。

いくら変装してるからってさすがにバレたかも……




「ユキ…さん」




柔らかい表情で、鸚鵡返しにあたしの名前を口にした。気付いていないみたいでほっと胸を撫で下ろした。


ぎこちない空気が流れる。すすり泣きはもう聞こえない。落ち着いたかな?




「あ、あのさ」




詰まるような喋りで、顔を横に向けた。


フワッと柑橘系の甘酸っぱい香りが嗅覚に触れる。いつもは掠れる程度だったけど、今はそうじゃない。


それもその筈、優菜の顔が近かったから。物凄く。下手したらキスも出来るんじゃないかって距離。


優菜の餅肌と美肌に感心する。


しかし見とれた頬は徐々に赤くなる。更に赤くなり、もっと赤くなる。





チラリ、と目をやる。




「だ…」いじょうぶ?




と聞こうとしたが、優菜はパンクしたかのようにふにゃあとふやけた。




「わっ、どうしたの?」




慌てて腰を押さえた。




「あ…すいません、もう…ほんと大丈夫です。ありがとうございます」




火照った頬でペコペコと頭を下げる。あたしは腕を下ろして、優菜から離れた。




「また何かあったら助けに行くからね」



と口角を上げて目を細める。


偽りじゃない。率直な気持ち。


すると優菜はまた、ぼっと赤くなる。もしかしたら熱なんじゃあ…とちょっと心配になってきた。




平川が追ってくる気配もなく、学校の昇降口までお見送り。もう安全であると確信したあたしは「それじゃあ、気を付けてね。」と優菜に背中を向けて教室へ向かった。




「ユキ…さん」




小さくなる背中をずっと目で追われていたなんて、知るよしもない。



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