プロローグ後編 青年との出会い
二人は宮殿を離れて走り続けると宮廷内にある雑木林に入り、そこをさらに進む事で開けた場所へとたどり着いた。
その場所の中央には草木が蔦のように這った小さな石造りの四角い建物がポツンと存在している。
「姉様、あの古そうな建物は何なのです?」
「あなたにはまだこの場所を教えてなかったわね」
マリアは辺りを見回してこの場にはまだ誰も来ていない事を確認すると、レイカを促して二人でその建物へと近づき、入り口と思われる石造りの重そうな両引き戸の前に立った。
「王子殿下の言ってた“あの場所”というのがこの建物よ。この中には宮廷から逃げられる装置が存在するのよ」
そう言うとマリアは両引き戸の扉に両手をかざす。すると戸の真ん中に小さな魔法陣が現れて戸はゴゴゴゴと音を立てて開かれた。
その先には地下へ通じる石階段が見え、階段両壁には小さな石の燭台が下まで連なっている。二人が下へ向かって歩き始めるとその燭台が先へ進むことを促すように次々と灯り、同時に入り口の引き戸が自動的に重く閉じられた。
およそ10メートル程の階段を降りて地下の部屋の前へとたどり着くと、今度は
目の前にある両引き戸のドアが自動的に開かれる。中へ入ると同時に部屋内の燭台には明るい炎が灯り出し、背後のドアは静かに硬く閉じられた。
厳重に守られている部屋内は天井や壁全てが石造りの四角い部屋であり、広さは宮殿の応接間程で中央には直径2メートル程の円形魔法陣が鈍く光り、それを囲むように小さな燭台が四つ置かれていた。
「これって転移装置……」
「ええ。それもただの転移装置ではないわ、私たち魔術研究員が前々から秘密裏に研究・制作していた別世界へ行く事が出来る転移装置なの」
「別世界?」
「緊急用として王族の人たちが避難する為に宮廷内のこの場所へ設置され、何度も実験が繰り返されて最近ようやく成功したものなのよ。あの魔法陣の中に入ればこの世界とは全く違う別の世界に転移できるのよ」
「本当にそんなことが可能なの?」
「信じられないかもしれないけど移動魔法の派生として生まれた魔術よ。転移先も少し調べたけど人も住んでいるわ」
まるで嘘のような話に呆気にとられて魔法陣を見ているレイカ。
その時レイカの着ている白衣のポケットに、マリアは気付かぬように何かをこっそりと入れた。
「姉様本当なのね、それなら私たち助かることが出来るのね!」
振り返ったレイカの表情には希望が見えていた。だがマリアのほうは至って冷静な表情のままだった。
「……そうよ。行った先は今いるこの世界より遥かに安全な場所よ」
「なら姉様、一緒にその世界に避難しましょう」
「あなた先に魔法陣に入りなさい。私は転送魔法を起動させるから」
さあ早くとレイカの背中を押して魔法陣の中に入れてやると、指をパチンと鳴らし火の魔法で陣の周囲にある四つの燭台全てに火を発生させる。するとその燭台の下からそれぞれ小さな魔法陣が現れ、それによって中央の魔法陣が更に強く光り輝き、外側の円形に青く透き通った光の膜を垂直に発した。それはまるで円筒状のオーロラのようだった。
マリアは王国内でも一二を争うほどの魔術師だった。彼女はどんな魔法でも指を鳴らすことで発動させるクセがあり、そして簡単にやって見せてしまう。
そんな姿にレイカは昔から羨望の眼差しを向け、そしてこの状況でもそれは変わらなかった。
「一度になんて流石は姉様ね。さあ、早く姉様も中に入って」
「……」
「どうしたの?早く一緒に行きましょう」
マリアはその言葉に対して更に指をパチンと鳴らす。
「姉様、今何をやったの?」
「レイカ、別世界にはあなただけ行きなさい」
「……ちょっと、それってどういう事なの?」
「この転移装置はね、こちら側からしか操作ができないの。向こうの世界からはどうする事も出来ないのよ。だから誰かが残ってこの魔法陣を消去しないと、敵の追っ手がここを見つけた際には奴らも同じ世界に行けてしまうわ」
「姉様……まさか!?」
「私がここに残って消去する事にするわ」
「……イ、イヤよ!私だけ逃げるなんてイヤ!姉様が行けないなら私も行かない!」
青ざめた顔で慌てて魔法陣から飛び出そうとするが、すでに円形の光は壁のような状態になり跳ね返されもう出られなくなっていた。マリアが指を鳴らした事で魔法陣の中に閉じ込められたのである。
閉じ込められた状態のレイカは涙目になりながら両手の手のひらで壁の光をバンバン叩きながら取り乱す。
「姉様!やめて!魔法を解いて!」
「……レイカ、私の話を聞きなさい」
「姉様!姉様っ!」
「聞きなさい!!」
強く言ったことで冷静に戻ったのを確認するとマリアは静かに語りかける。
「白衣のポケットの中を探ってみて」
レイカは言われた通りに探ってみると楕円の形にカットされた赤い小さな宝石が入っていた。
「姉様これって……まさか!?」
「あなたはこの研究に否定的だったわね。そう、それは精霊獣を封じ込めた禁忌の兵器、魔族相手にも対抗できる数少ない力」
「この宝石があの魔術兵器なの?」
「それを人体に埋め込めば戦闘力も治癒能力も著しく上がる宝石よ。なんとか間に合わせようと作り上げたのだけど相応しい候補者たちはすでに戦死してたの。できればロレーヌ王国に託したかったのだけど今の状況ではたどり着くのはとても無理」
「これをなぜ私に……」
「それは絶対に敵に渡してはいけない大切なモノなの。ただでさえ人類は劣勢なのに魔王国の手に落ちて使用されたら世界は更に苦境に立たされてしまうわ。だからあなただけでもそれを持って逃げるのよ」
「そんなのイヤよ、こんな宝石なんかどうでもいい。私も姉様と一緒に此処に居たい……」
「レイカ、これは私の最後のお願いよ。これはあなたにしか……あなただから頼めることなの」
「最後なんて言わないでよ……うっ……ううっ……」
レイカはすすり泣きながら宝石を強く握り閉める。
その直後、遠く入り口の方からガンガンと衝撃音が聞こえ、二人とも驚愕の表情で入り口に目をやった。敵軍勢がこの場所を見つけ力尽くで壊そうとしていたのだっだ。
もう残された時間は殆ど無かった。マリアはふたたび妹に向き合うと、今生の別れを惜しむような眼差しを向けた。
「……もう時間が無いようね。レイカ、頼んだわよ」
「やめて、やめてよ姉様……私を一人にしないで……」
「せめてあなただけは普通の……しあわせな人生を送って……」
言葉を発したマリアの両頬には涙が伝っていた。
そしてマリアが最後に指をパチンと鳴らす。
「!!!」
レイカの視界が急に変わった。
そこは木々に囲まれた夜の銀世界の空き地で、すぐ近くには高さ2メートル程の巨石がある。雪はしんしんと降リ、足下に積もっている雪の下からは魔法陣の光が鈍く輝くが程なくスッと消えた。
全く人気の無い寂しい場所に一人レイカは立っていた。
「……姉様、この場所が別世界なのね……」
彼女は見知らぬ世界に一人放り出されてしまった。
魔王軍に国も町も蹂躙されて親しい人たちを失い続け、最後は姉であるマリアが我が身を犠牲にして命は辛うじて助かったが、生まれ故郷のない天涯孤独の身となってしまったのだった。
「生きることを諦めてはいけないって言っていたじゃない……それなのに……なんで私だけ……私だけがこの世界に……」
レイカはそれがとても悲しかった。こんな辛い思いをするなら一緒に死んだ方がまだ良かったと。
渡された宝石を握りしめながら夜空に向かって泣き叫んだ。
「姉様!姉様あぁーっ!!!」
脱力するように膝から崩れ、降雪する夜空へ天を仰ぐように泣き叫んだ。
しばらくの時間が経過した。
レイカは赤く目を腫らしながらふらふらと立ち上がると、どうにか気持ちを奮い立たせた。
よろけた体で一歩を踏み出し、そしてまた一歩足を踏み出す。どこへ行く当てもなくただ人気の無い雪の中を歩き出した。
(もう私は死ねない……死んではいけない……姉様のためにも生きつづけなければいけない……でもどこへ行けばいいの)
彼女にはもうそれしかなかった。姉からの最後の願いを自分の使命として生きていくと決めたのだった。たとえそれが承服できない頼み事でも。
だが彼女は逃げ続けた事で疲労困憊だった。しかも雪による寒さから体力が次第に奪われ足も重くなり、路頭に迷う不安な気持ちもより一層精神をそぎ落としてゆく。
そしてどれ程歩いたのかついに歩みが止まると積もった雪の中に膝から崩れ落ち前のめりで倒れた。そして動かない体には降ってきた雪が積もりだす。
魔族の軍勢からは逃げられたものの今度は見知らぬ地で身も心も冷え切って疲れ果て、ついに命が尽きようとしている。
(せっかく逃げ延びさせてくれたのに。姉様……もう挫けそうです……ごめんなさい……)
……
…………
「……ですか?……丈夫ですか!?しっかりしてください!」
かすかに若い男性の声がする。体を揺すって起こそうとする。
しばらくするとぐったりとした体は持ち上げられて背負われ、どこかへ連れて行かれるのがボンヤリとわかった。
…………
「えぇ?その女性の外人さんどうしたの?」
「神社の敷地内で倒れていたんだよ、体が冷え切っているからすぐにでも暖めないと!」
かすかな意識の中、青年の声と温もりがレイカの体に伝わってくる。
それはつい先程までの絶望的な状況から解放されるような何か暖かいものだった。
……
……
目がゆっくり覚めると暖かい布団の中に居た。凍えきった体には温もりがだいぶ戻っている。
目の前を見ると長い黒髪の10代半ばの女の子が様子を窺うように顔を覗き込んでいる。そしてその反対側には若い男性の存在があった。
「……兄さん気がついたみたいよ」
「よかった、一時はどうなることかと思ったよ」
「……ここは……どこ?」
辺りを見回すと今まで見たことのない独特な建物の中にいる。どういう訳か言語も通じている。レイカはどんな世界に来たのだろうと思っていた。
「あら、あなた日本語喋れるのね。大丈夫?まだ寒さは感じる?」
二人と比べるとあまり若く見えないショートカットの女性が兄妹の後ろから顔を覗かせ語り掛けてきた。どうやらこの二人の母親のようだ。
「大丈夫です……ありがとうございます……」
レイカは感謝の言葉を口にしながら起き上がろうとするが母親によって制止された。
「無理しなくていいから、とにかく今はまずゆっくり休みなさいね」
すると安堵したのか小さく「はい」と答えまた横になると段々涙目になった。
「母さん私またお風呂湧かしてくるね」
「私は暖かいもの作るから、ハルはここにいなさい」
一人にしたら心細いだろうから側にいてやれという意味のようだった。
母親と妹がそれぞれ支度を始めるとその場には青年とレイカの二人だけになった。
レイカは青年に目をやった。ややくせっ毛な栗色の髪をした気の良さそうな青年はどこか逞しさが感じられ、彼が私をここまで運んでくれたのだろうと理解した。
「あなたが助けてくれたの……ありがとう……」
「無事そうで良かったです」
「まだ名乗ってなかったですね、私は……レイカ……レイカ・ハーミット」
「俺は晴人です、八神晴人(やがみはると)」
これがレイカと晴人との初めての出会いだった。
―プロローグ END
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