紅蓮の魔法拳士

睦月レン

プロローグ前編 滅びゆく大国

――アルス王国首都アルスグラード


「レイカこっちよ!私について来て!」

「姉様、この状況でどこへ行くというの!?」

「国王陛下のもとへ行くわよ。謁見の間で王妃様共々待機しておられるわ」


 夕暮れの中、白衣を着た若く美しい姉妹が王国宮廷内の廊下を長い銀髪をたなびかせながら難を逃れようと必死に駆け抜けている。

 姉妹の妹の名はレイカ・ハーミット。白い肌に青い瞳の端正な顔立ちだが、やや幼い表情を持つ22歳でこの王国の魔術研究員。

 その妹を導く姉の名はマリア・ハーミット。妹に似た端正な顔立ちに凛とした雰囲気を持つ26歳。レイカよりも立場が上の魔術研究員長である。

 宮廷には魔法による黒い火の玉や大砲の鉄球が空から無数に降り注いだため、所々打ち砕かれた城壁の瓦礫が二人の行く手を阻むかのように方々に散乱していた。


 今この時、一つの大国が魔王国の大攻勢によって終焉を迎えようとしていた。その国の名はアルス王国。この世界ではかつて一二を争うの大国で別名魔術王国とも呼ばれていた。

 王都のアルスグラードはそれまで近世ヨーロッパ風の建物が沢山並び、多くの人々が日々の生活を営む美しい都市だったが、五年前に魔王国による侵略が始まると地方の村や町がまず壊滅させられ、次第に地方都市も破壊されるようになり、ついにはこの王都も魔王国の大軍に攻められて市街地はもとより王宮内を壊滅させられ現在に至っている。


「姉様待って」


 逃走中、妹のレイカが急に姉のマリアの腕を引っ張り立ち止まった。


「どうしたの?急に立ち止まって」

「あそこに衛兵の死体が……」


 小声で指さす遠くの方向にマリアが目をやると、そこには数人の衛兵の死体を剣で何度も刺している軽装の鎧を身をまとった一人の敵兵がいた。

 敵兵は青い肌で額から一本の角を生やした人とは異なる魔者の姿であった。恐らくその衛兵たちを一人で倒したのだろう、完全に死んでいることを確認するために黙々とその作業を行っている。


「まだこちらには気付いてないようね、別の通路を通りましょう。レイカこっちよ」

「……ええ」


 マリアは小声で敵に気付かれないように促すと、レイカは身震いしながらもその後を静かについて行った。

 各都市や戦場において魔王国の敵兵はただ殺戮と破壊を繰り返し、それは老若男女関係なく無差別に行われた。その中には食料として生き血や肉を食らわれた者もあり、魔王国軍の通った場所には人が生存しなくなった。

 そしてこの王都も同じように蹂躙され、市井に棲む人々はもとより宮廷内の兵士や女官などそこに生きる数多の人々が瓦礫の下敷きや攻撃魔法などでその命を絶たれる大虐殺が行われている。

 そんな状況の中、レイカが「キャアッ!」っと急に声を上げると、瓦礫につまずいて倒れてしまった。死への恐怖からか精神と体力を削られ脚ももつれたのだろう。


「大丈夫レイカ!?」


 身を按じて声をかけるが、それに対してしゃがみ込んだまま立ち上がろうとはしない。


「……姉様、私たち人類はもうお終いなのかしら……」

「急に何を言い出すの、気落ちしている場合じゃないでしょ、歩みを止めないで!」

「近隣の国々があっけなく滅亡した事を聞いた時から私思ったの、もうこの世界は魔王国に蹂躙されて人類は死滅するんじゃないかって。私たちの国だって大国だったというのにもうこんな状況……」


 宮殿内のこの酷い惨状、先程の衛兵たちの無残な姿を目の当たりにして心が折れかけているのだろう、諦めたような表情でつぶやきだした。


「正直言ってこの国はもうダメかもしれないわね、凶悪な敵に対して私たちは対抗する術を殆ど無くしてしまったわ。けどね、だからといって挫けてはダメよ!どんなに辛い状況でも生きることを諦めてはいけないわ!そこから先へ進むことで人は幸せになれるのよ!」

「姉様……」


 マリアは挫けそうな妹の腕を優しく左手で掴んで立ち上がらせると、もう片方の手で通路の先を指さした。


「頑張って!この先の謁見の間までもう少しよ!そこにまだ助かる希望があるわ!」


 するとレイカの表情には生きる勇気が再び戻り、また姉妹は力強く走り出す。

 そして宮殿通路内の瓦礫をどうにか掻い潜りながらも走り続けると、二人はついに謁見の間へと到着した。




 二人がたどり着いた謁見の間は、扉前に本来ならいる筈である衛兵の姿が見られず気味の悪い静けさが漂っていた。

 何気なく不安を感じるものの、仕方なくノックした後に挨拶をして恐る恐る中へ入ると、室内は意外にも損壊がなく綺麗なままで、それでいて人の気配が感じられない。

 二人は部屋の中央へと行き、辺りを見回すとやはり全くの無人であり、静か過ぎるその場の光景に段々と違和感を覚えていった。


「姉様、本当にこの場所で間違いないわよね?」

「ええ、ここで間違いないわ。でもどこか様子がおかしいわね」


 謁見の間は大国に相応しい威厳や高級感のある雰囲気を漂わせた造りで、広々とした室内の奥には王様と王妃様それぞれの王座があり、その後ろにはアルス王国の紋章である“翼を広げた双頭の竜”のエンブレムが垂れ幕として下がっている。

 しかしその場所に本来ならいる筈の国王や王妃を始めとした一族の面々や宰相等の姿が全く見られない。

 二人は折角たどり着いたものの、そのような状況から不安交じりに途方に暮れる。

 だがその時、王座の左後方隅っこにある豪華な装飾の扉を開けて一人の近衛兵が謁見の間へと入ってきた。 


「ん?何だお前たちは」


 扉は国王陛下および親族しか入れない部屋へ続く通路の扉だった。その近衛兵は普段見ない顔であり姿にも品が感じられずどうも様子がおかしい。


「あの……魔術研究員のマリア・ハーミットと妹のレイカです。非常事態にはこちらに来るように指示されたのですが、王家の皆様はどうなさいましたか?」

「ああ、お前たちがあの子爵家の姉妹か。生憎だが王様たちならここには来ないぞ」

「え?もうすでに逃げられたのですか?」

「ちがう、ただ寝室で皆休んでいるだけだ。血まみれの状態でな」


 そう言うと近衛兵は立派な装飾のティアラを見せるとマリアの前に放り投げた。

 カランと音を立てて床に落とされたそれには沢山の血がこびりついている。二人はそれを見ながら驚愕の表情になると、その反応に近衛兵は段々と笑みを浮かべだす。


「これは王妃様のティアラ……。あなた何でこんな事を!?……まさか!?」


 マリアが恐る恐る訪ねると貴族は額から大小二つの角を生やした青い肌の悪魔の姿に変わり、同時にその右手は爪が伸びたような凶器の鉤爪へと変貌した。


「お前たちは知らないようだから教えてやるが、俺たちは今見たように人の姿に変われる者もいるんだよ。こうやって今まで色々な城や町の内部に入り込んでは何も知らずに近寄ってきた相手を欺き、不意打ちで多くの人間どもを切り裂いて来たんだ」


 その言動は文字通り殺戮を好む、まさに悪魔の姿だった。


「おーい鉤爪、こっちの方はもう済んだか?もうお前の所だけだ。早く始末しろ」


 突然に謁見の間の入り口から数名の人物が中に入ってくると、その中の一人が鉤爪の男に話しかけた。

 二人は彼らの容姿を見てさらに驚愕する。それはいずれも見た顔であった。日頃挨拶してた兵卒、市井で評判の良かった女占い師、上流階級者の側室等々。


「まさか……あなたたちまで!?」

「みんな俺と同じ魔族だ。宮殿の連中は全然気づくことなく普通に接してくれてたから内心面白かったぞ。国や組織が滅びるのは内部からだとは聞いてたが本当にその通りだ、面白いほどに上手くいった」


 マリアの問いに鉤爪は嬉しそうに答えてやると、仲間たちもニタニタ笑みを浮かべながらそれぞれ角の生えた悪魔の姿に変化した。

 否、元の姿に戻ったと言った方が正しかった。奴らはこの国の中に潜入しては政府に対する不信感を煽り、信じてくれた者たちをいつの間にか裏切り、最後はその手にかけていった卑劣な輩だった。


「もうお前らで最後だ、簡単にトドメは刺さねえから恐怖と苦痛でもがき苦しみながら死んでけ」


 鉤爪が凶器を振りかぶったその時、後方にいたレイカが叫んだ。


「姉様離れて!」


 驚愕の表情のマリアの腕を後ろに引っ張るととっさの判断で相手に複数の宝石を叩きつけるように投げつける。

 攻撃魔力の注入された宝石は手榴弾のように相手の体をえぐるように爆発し火を放つと複数の裂傷を負わせて敵を吹っ飛ばした。

 しゃがみながら爆風を避けた二人は顔を上げたが、その先には怒りの形相に変わって起き上がりだした敵の姿があった。


「……やってくれたなオイ、調子に乗るなよ人間ごときが!」


 鉤爪の悪魔が右手を横に振り、それはマリアの腕を軽く斬りつけた。その痛さから苦痛の表情で後ずさりすると、その光景に敵は嬉しそうな表情を再び浮かべて今度は大きく振りかぶる。

 戦慄した姉妹は冷や汗を垂らし、もはやこれまでかと思ったその直後だった。突然パァン!と銃声音が聞こえて敵の背中に銃弾が当たる。

 見ると身なりの良い軍服の若者が先ほどの扉からマスケット銃を構えていた。


「王子殿下!」

「二人とも!ここは私が食い止める!速くお逃げなさい!」

「てめぇまだ生きてたのか!?しぶてぇ奴だな!」


 王子の体は傷だらけで血まみれだった。弾切れとなった銃を力なく落とすと最後の力を振り絞って抜剣し、敵に猛然と斬りかかる。

 だが魔族相手では人間の身体能力で打ち勝つことは容易でなかった。放った弾丸も敵の背中を傷つける程度の負傷しか与えられず、その後も王子は幾度も相手と切り結ぶが、それも悉く振り払われて苦戦が続いている。

 もはやこれまでと思った王子は防戦しながらも二人に対して背を向けながら指示を出す。


「もうこの宮殿には生き残っている者はいない!将兵たちも皆戦死してしまった!せめて君たちだけでも逃げ切りなさい!」

「で、ですが何処へ落ち延びろと……」

「王座の後ろに階段がある!そこから外に出ればあの場所に行ける!早く!」


 その言葉にマリアの表情に何かの決意が表われた。斬りつけられた腕でレイカの腕を強引に引っ張っぱるとその階段へと向かった。


「レイカ、殿下の言う通りにして!私たちだけでも安全な場所に避難するのよ!」

「でも!」

「殿下、ありがとうございます!」

「いいから早く行きなさい!」


 マリアは王子の最後の言葉にきびすを返すと階段を降りてすでに夕闇となった外へと出ていった。逃げる二人の背中からは王子の断末魔が聞こえてくるが、それでも躊躇い無く走り続ける姉の気丈さにレイカは逞しさを感じた。

 だがその走りながらなびくマリアの銀髪には光る水滴がいくつも混じっていた。

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