5-① ジャネーの法則

橋本 真那   出席番号十三番

       軽音楽部   中等部入学


 ジャネーの法則によると、二十歳までが人生の半分だという。ゼロ歳から二十歳までの体感時間と、そこから寿命までの体感時間はおおよそ同じだと。

 しかし、もし私の人生を一冊の本にするとすれば、緑風に入学した十二歳から今の十六歳までの四年弱でページの八割は埋まってしまうのではないだろうか。あまりにも、濃厚で、濃密で、波乱で、怒涛で、形容しがたいほど残酷だ。


 中等部でこの学園に入学した私は、外部生主席枠として壇上で代表挨拶をした。事前に打ち合わせをした時、彼女が一緒に入学することを知った。小さいころからテレビで活躍している人気子役の立花春華が。好きな映画に出ていたので、少し楽しみだった。

 一年生の時は同じクラスではなく、時々廊下ですれ違う程度で関わりもなかった。

 その頃の私は、同じクラスだった舞・杏珠・慧と仲良くなり、当たり前のような日々を平和に過ごしていた。

 小学校と変わったことは、家に帰らないことくらいで、元々スマホを持っていなかった私にとって四六時中友達と一緒に入れる生活は楽しくて仕方がなかった。

 舞たちのお家が裕福なのはもちろんわかっていたが、特別どんな仕事をしているのかなどは友達でいることになんの関係もないので聞くこともなく、持ち物が高価なこと以外に格差を感じたりもしなかった。

 二年生でも彼女たちとは同じクラスになり、というか三年間、今も合わせれば四年間同じクラスなのだが、変わらずのほほんとした学園生活を送っていた。

 二年生で立花春華が同じクラスになった。新しいクラスに集まった時、彼女はいの一番に杏珠に声をかけた。

「あなたが月丘杏珠?」

 はつらつとした表情で駆け寄ってきた彼女に、杏珠は少し驚いた様子だった。なぜ立花春華が杏珠に声をかけたのか、私にはわからなかった。

「ええ」

「やっぱり!お母さんに似てるよね!」

「ありがとう」

「よろしく。私たちある意味姉妹みたいなものだから」

 二人は笑顔で握手を交わした。舞と慧も違和感なさそうな表情で見守っているので、私だけがわかっていないようだった。

「なんで姉妹?」

「真那、『幸せのほころび』知らないの?」

「知ってるよ、甘野ほまれの映画でしょ?」

「知ってるんかい!甘野ほまれの子供役してたのが立花さんやん!」

「それもわかってるけど」

「甘野ほまれの娘同士ってことやん」

「杏珠が娘?」

「あれ?真那に言ってなかったっけ?私の母、女優の甘野ほまれなの」


  ***


 昨日のこともあり、杏珠と慧は二人にしてあげようと思って距離を置いていた。二人が恋人同士になるなんて中等部の頃は思いもしなかったな、嬉しいような寂しいような気持ちだった。

 文加のいない部屋に居続けることができず、寮舎と校舎を繋ぐ道を歩いていると、とぼとぼと背中を丸めて歩く少女を見つけた。

「くみ」

 びくっと肩を揺らし振り向くその猫背に、母性がうずく。

「ちょっと話さない?」

 小心者で臆病で、だけどどこか強いくみは、小さな罪を犯した。元々ビクビクしている彼女がもっと小さくなった気がする。私よりも一回りくらい体は大きいけれど。

 説教でもされる猫のように、怯えた目でこちらを見ている。

「違うよ、くみを責めるつもりなんてない。そんな権利わたしにはないから」

 不思議そうに小さく頷くくみを、少し歩こう、と中庭に誘い出し、いつも腰かけている肩くらいの高さの塀によじ登る。

 くみは、言葉にならない小さな声を出しながら不安げに私を手助けしようとあわあわしている。不器用だけど、優しい子だ。

「日本って、やけに平和ボケしてるよね。悪い意味で。優しくて奉仕的、そんなイメージを持たれてるけど、とっても不謹慎で非現実的。〝地雷〟とか〝脳死〟とか、本当の意味では深刻な問題を、まるでポップな現代語みたいに使うんだから」

「そうだね、些細なことで〝死ぬ〟って言うし」

 隣に腰掛けるくみが困ったように眉を顰めほほ笑んだ。表情が固くなくなったようで、安心する。

「くみって、将来の夢とか進路とか決まってるの?」

「・・・私なんて、何物にもなれっこないから、きっとブラック企業でできない社員扱いされて過労死するイメージしか湧かないな・・・」

 思わず吹き出してしまった。

「なんで笑うの」

「だって、それ夢じゃないじゃん。ただのネガティブな妄想でしょ?私はなりたいものを聞いてるんだよ」

「でも」

「なりたい自分はどんな自分なの?」

 くみは俯いたまま話し出そうとしない。

「じゃあ、私ね。私の夢はパイロット。国際線のね」

「素敵だね」

「でも、これはただの夢だよ。パイロットは健常者にしかなれないから」

 笑顔のまま固まってしまったくみを見て、また吹き出す。

「ごめん半分冗談。厳しいのは事実だけど、義手や義足の操縦士の例もあるらしいから。私はそもそも身長が足りないの。158cmないとだめなんだ。諦めた、っていうか、絶たれた夢だけど、もう踏ん切りは着いてるし。今の目標は、パイロットじゃなくても航空関係に関わる仕事かな」

「そっか・・・」

「食事とか運動とか、牛乳とか魚とか?言われてる身長を伸ばすものって大体嘘だね。全部やってきたけどこの有り様だから」

「私はたぶん、両親が大柄だからこんな感じなのかな」

「いいね、背が高いとスタイルがよく見える。くみは制服を着ても様になってかっこいいし」

 またあわあわと小さく呻きながら手を顔の前で振るくみ。謙遜か、本当に自分に自信がないのか、半々だろうけど、私の言ったことは紛れもない本心だ。

「くみはもっと自信を持ってね」

「え」

「私はくみのこと大好きだし尊敬してるし、ずっと仲良しでいたいと思ってる。舞たちより頭がいいから話も通じるし!なんてね」

「私なんか・・・」

「ちょっと私の友達を悪く言わないで?」

 笑って言うと、くみも控えめに笑った。作り笑いじゃなく本当の笑顔だと思う。うぬぼれじゃなければ。

「私ね、フォトスタジオで働きたいの」

「フォトスタジオ?」

「うん、七五三とか成人式とかの」

「えー素敵!子供や若者の笑顔に触れられる場所」

「私、家では末っ子だけど、子供とか好きなの。あと写真を撮るのも好き」

「いいねぇあるじゃん夢」

 くみは照れくさそうにはにかんだ。やっぱり、本当の笑顔だ。

「そういう意味でも、早く終わって欲しいね」

「そうだね」


『早く終わって欲しい』

 その言葉は本心だが、その「終わり」という言葉の意味は自分でもわかっていなかった。「終わる」なんてことが有り得るのか。「終わり」とは、どうなる状態を表しているのか。そもそも、まだ「終わって」いないことを確信しているのか。全員がこの世から消える、自分がこの世から居なくなってしまった時が、「終わり」なのだろうか。仮にこの悽惨な日々が、突然このまま何も起こらない今までの日常に戻ったとして、この記憶は永遠に私の中から消えてなくなることはないだろう。それは「終わった」と言えるのだろうか。

 クラスメイトたちは忘れられるのだろうか。今この時、皆はどう思っているのだろうか。近しい人間の死に対して得も言われぬ悲しみを感じているのだろうか。自分も知らぬ間に死の淵に立たされていたと実感し怯えているのだろうか。それとも、まるで映画のような現実に興奮しているのだろうか。

 いつかこの事を過去だと思える時が来たとして、私は思い出話として誰かに語ることはあるのだろうか。きっと誰かは、未来にできるその友人達に、他の人が体験したことのないであろう事実を、十八番話としてお酒のツマミに披露するのだろう。そんなの、死んだ人達が浮かばれない。


「真那ちゃん、聞いてもいい?」

「なあに?」

「その脚、どうしたの?」

 くみは私の機嫌を伺うように慎重に、塀から地面にぶら下がる私の脚を指した。

「これは・・・」

「ごめん!言いたくないなら言わないで!」

 少し言い淀んだのを見逃すまいと即座にくみがフォローする。その必死さが面白い。

「全然大丈夫。これはね、中等部のときに事故で」

「事故?」

「うん、体育倉庫で、倒れた棚の下敷きになって」

 くみはまるで自分がそうなったかのような痛そうな表情をする。

「なくなったのが脚だけだったのが不幸中の幸いだね。私ラッキーガールだから」

 両手でピースサインを作る。くみも小さくピースサインを作った。

「そっか・・・痛かったよね」

「そうだね・・・でもその時はあんまり何も感じなかったかな。痛みより、助けを呼びに行く杏珠の叫び声が遠ざかっていくのが寂しいっていうか。一人にしないで、みたいな」

「そっか・・・」

「杏珠はいまだにこの脚見てつらそうな顔するから、基本的にジャージで隠してるんだけどね」

「いつもスカートの下にジャージ着てるのはそういうことなんだ」

「昨日、立花春華の話をしたでしょ。これもあの子の仕業だったらしいの」

「え?!」

「内緒ね、他の子には言わないで。死んだ人の悪口は言いたくないから、あんまりね」

「うん・・・」

 もう慣れたけれど、ベッドに寝転がるとき、シャワーを浴びるとき、ふとした時に底知れない恐怖が湧いてくる。私の一部がないことに対する恐怖が。

 先天的なものでは無い。一昨年まではあったものが無くなったのだ。

 中学二年生という若さで失ってしまった一部分。それまでやっていたテニスはできなくなった。周りの大人やよく知らない生徒達は哀れみの目を向けるが、『可哀想な子供』には絶対になりたくなかった。

 完璧な人間なんて存在しないのだ。その欠けた部分が偶然私は外見に見える部分だっただけ。人間性や感性、頭脳で他に優れれば、総合的に持っているものは私の方が多い。そう言い聞かせた。

 お互い、次何と言えばいいのかわからなくなって、少しの沈黙が流れた。忘れて、とか、嘘だよ、とか、言おうと思っては辞めてを繰り返していると、くみが口火を切った。

「ちょっと、思ったことを言ってもいい?」

「なに?」

「気を悪くしたらごめんね、あくまでも私の推測っていうか、妄想っていうか、私ネガティブだから・・・」

「どうしたの?」

「頭からワインを溢された藍ちゃんは、頭から血を流して死んじゃった。手紙を燃やされた杏珠ちゃんと間違えられて、焼死した文加ちゃん。そんな憶測があったよね」

「・・・まあ、憶測だけどね。まさか呪いとか信じてる?」

「じゃないけど・・・もしそうなら、立花春華さんに嫌がらせを受けていた真那ちゃんもその対象になっちゃわないかって・・・」

 一瞬、思考停止した。なんでその考えに一度も至らなかったのだろう。さすがに、的を得ているとも言い難いけれど、自分が対象だと言われると憶測でも少しゾッとする。


 遠い空高く、一匹の白い鳥が空を舞う姿が目に浮かんだ。

『あなたのせい』

 あの姿が、忘れかけていた声が、最近頭から離れない。


 ***


 この学園では、クリスマスを祝福して行われるパーティーがある。三年生になったあの年も当然、中学一年生から三年生まで総勢約二百人が講堂に集い、賛美歌を歌い豪華な食事を立食パーティーの形式で囲んだ。各自持参したドレスを纏い、その日は校則で決められた色以外の髪飾りをつけていても咎められない。

 私は一年生の時に母に強請ってようやく買ってもらった、白地に赤い花柄のワンピースドレスを今年も着て、髪はアップスタイルに結ってもらいドレスと同じ花の髪飾りをつけ参加していた。周りのお嬢様と比べれば多少見劣りするかもしれないが、充分と言っていいほどの完成度だ。

 裾にいくに連れグラデーションにオレンジ色になっているXラインドレスに、ウェーブをかけたたおやかな茶髪を宝石をあしらったバレッタでハーフアップにとめた慧、スカート部分に細やかな刺繍が施されたサーモンピンクのミディドレスにミンクの毛皮のストールを纏い短い髪をふんわりと巻いた舞、そして胸元から腕にかけてがシースルーになっているミニ丈のレモン色のドレスに髪をシニヨンにまとめた杏珠。みんなお姫様のようだった。

 ノンアルコールカクテルはただのジュースなのにその鮮やかな魅力に酔いそうな感覚になった。ビュッフェスタイルに並べられた色とりどりの料理をお皿に盛り、少し離れたテーブルに四人で集まって、他愛ない話をしていたその時、小さな悲鳴とざわめきが聞こえた。

 隣のテーブルにいた藍の髪と真っ白なフレアドレスに真っ赤な液体が流れていた。ノンアルコールの赤ワインがかかってしまったようだ。蘭や菫がハンカチで藍のドレスを拭っているが、ドレスに染み込んだ液体は薄くなるだけで完全には色が落ちない。

「え〜大丈夫?」

 立花春華も机にかかった分を紙ナプキンで拭き取っている。

「あなたがかけたのでしょう・・・?」

 菫が呟くように言うが、春華には届いていないようだ。

「藍、大丈夫?」

 蘭の問いかけに、少し引きつったように微笑みながら大丈夫と答える藍を見て、「お金持ちなんだからドレスの一着くらい問題ないんだね』と、春華は笑って言った。

 菫が驚いて言い返そうとするのを藍は制止し、三人は講堂から出ていった。

「あの子、一度も謝らなかったわ」

 菫は私の傍を通り過ぎる時、そう呟いた。一緒にいた三人がいなくなってしまった春華は、私たちの方に小走りで近づいてきた。裾の長い真っ黒のドレスが、近くの生徒にパサパサと当たっていることに気も留めず。

 春華がこちらに来る前に、私達もその場を離れた。

 

 その日までは話しかけられれば会話をする程度の関係だったが、なるべく彼女に関わらないよう避けるようになった。彼女は頭がいいらしく、成績でクラス分けされる数学の授業などでも一緒になった。

 そうすると、あからさまな舌打ちや陰口がわかりやすく伝わってくるものだ。小学生のころもこういう子はいたな、と内心馬鹿にしながら日々を過ごしていた。

 私が気が付いたのは、随分後のことだった。

「真那さん、杏珠さんが」

 今まで、特進クラスで一緒だった程度の田口文加から声をかけられた。彼女が杏珠と関わりがあるとは知らなかったが、深刻そうに声を潜める文加の後をついていく。

 平日の日中はほとんどの生徒が校舎にいるため、寮舎は閑散としている。寮舎の陰で、すすり泣く声が聞こえた。

「杏珠?」

 ハッとして顔を上げた杏珠は、咄嗟に手を背後に隠す。一緒に来ていたはずの文加は校舎の方に駆け戻っていった。

「真那どうしたの?」

 何事もなかったかのように笑顔を見せるが、声が少し震えている。強引に腕を引くと、手が火傷のように赤く腫れていた。

「なに、これ」

 杏珠は表情を引きつらせ、俯いた。風が吹き、焦げ臭い香りが鼻をかすめる。その方向に目をやると、黒い塊が庭の隅にあった。

「杏珠、これなに?」

「これは・・・」

「これは?」

「お母様からの、お手紙」

 黒い塊は砂がかかっており、火を途中で消し止めたのであろうことが分かる。かろうじて残る紙の部分も、もう内容も読めそうにない。また少し震えて涙を流した。

 後々文加に聞くと、杏珠は時々あの場所で泣いているのだという。その原因が立花春華であることも、恐らく手紙を燃やしたのが立花春華であろうことも、文加から聞いた。


 ***


「真那ちゃん、聞いてる?」

 くみの声に我に返る。タイムスリップしていたようだ。思い出したくもない中等部時代に。

「大丈夫だよ、立花春華は死んだから。呪いなんてものが存在しない限り、それはあり得ないよ」

「そうだよね、ごめん」

 気まずそうに地面を見るくみの、私より高いところにある頭を撫でた。

「心配してくれてるんでしょ、ありがとう」

 ひょいと塀から飛び降り、くみに手を差し伸べる。躊躇なく手を取ってくれたことに、安心する。いつもなにか行動するときは、相手の機嫌や状況を伺って一歩動きが遅れるのがくみだ。その一瞬の間がないだけで、受け入れられたんだなと嬉しくなった。

「行ってみるか」

「どこへ?」

「体育倉庫」

「え?それは・・・」

「何もないって証明しに行こう。それに、いざとなったらくみが守ってくれるでしょ?」

 くみは不安げに少し悩んだ後、力強く頷いた。


 ***


 ある日の体育の授業中、私は立花春華に声をかけた。あとで話がある。そういうと彼女は授業後に体育倉庫で、と指定をした。

「春華、いるの?」

 体育倉庫は少し広い。舞・慧・杏珠には、春華と話をすることを伝えてあった。既に更衣室には春華はいなかったため、先に来ているものだと思っていたが見当たらない。

 その時だった。

 背後に気配を感じ振り向くと、ブルーシートや長縄が積まれた棚がこちらに向かって倒れてきていた。

 逃げる間もなく、棚の中身が降りかかる。その後、強い衝撃とともに私は下敷きになった。

「真那?!」

 私の叫び声と大きな音を聞きつけて駆け付けたのであろう杏珠の声が聞こえる。感覚のない脚とぬるく湿ったスカート。意識を確かめるような杏珠の声が近くに聞こえるが、視界がぼやけて見えない。次第に、杏珠の声が遠ざかっていった。

 行かないで、一人にしないで。痛みよりも不安に涙があふれた。冷や汗が止まらない。喉が渇く。声が出ない。

「何?!真那?!」

 再び声が聞こえた。舞と慧が来たようだ。杏珠が泣き叫ぶように助けを求めている。先生の声も聞こえる。安心して、そのまま意識を手放した。


橋本 真那 fin.


 体育倉庫に、二人の少女がいる。

 焦げ茶色の髪の少女、糸井すずめははめいっぱい腕を振り上げ、目の前の月丘杏珠の頬を打ち付けた。

 杏珠の真っ白な頬が紅く染まり、小さな身体は大きくよろめいて壁にぶつかった。

「どうしてそんな酷いことが出来るの?!文加は殺されたのに、苦しんで死んだのに、自殺だなんて、そんな嘘でその人生を終わらせられるなんて!あなた人間じゃない!」

「ご・・・ごめんなさいっ・・・本当に・・・」

 壁にもたれかかったまま、うずくまるように身を伏せ震える杏珠を見下ろしながらすずめは続ける。

「ごめんとか、そういう言葉が欲しいんじゃないのよ。私は、文加への償いをして欲しいの。殺された上に侮辱されて・・・あんたも犯人と同罪よ!」

 小さく身を丸めた杏珠は、さらに小さくなろうとしながら腕で頭を守ろうとする。

「次は自分が殺されると思ったから、だから自殺だってことにして不安を鎮めようとでもしたわけ?死んだ人はどんなふうに扱われても構わないとでも思ってるの?それとも犯人に、これは自殺だったってことにして水に流すから、次の殺人は思い直して、とでも言いたいの?」

 杏珠は一瞬だけ戸惑ったような表情を浮かべたが、また俯いた。

「ぶんちゃんはあんたと間違えて殺されたかもしれないのに、よくそんなことができたわね。私もあなたが死んだら自殺だったって言いふらしてやるわ!」

 そういい捨てた後、すずめは自分から出た言葉の残酷さに身震いした。次死ぬのはお前だ、そう決めつけたような言い方。杏珠はあとは殺されるのを待つだけ。それを本人につきつけている。

「あなたこそ、大丈夫?」

 先程まで怯えて身を縮まらせていた杏珠が突然低い声で言う。すずめその意味を瞬時に理解できなかったのか、眉間にしわを寄せた。

「あなたがおっしゃるように、今〝犯人〟に一番狙われている人がいるとしたら私だわ。これはクラスみんなが言わないだけで思っていること、そうでしょう?」

 自分の死を予見しているようには思えないほど飄々とした言い草だ。はたかれた頬に手の甲を当て、冷やしながら杏珠は続ける。

「だったら、今私を人目につきづらい場所に引き入れて暴力を振るっているあなたは、客観的に見て一番〝犯人〟らしいんじゃないかしら」

 すずめは反射的に、また手を振り上げた。杏珠はビクッと体を強ばらせ、小さく震える。

 確かに、今誰かに見られた時、すずめには弁明の余地がない。杏珠を殴ったのは事実で、犯人を見つけられないのと同じように、すずめも犯人じゃない証拠を見せることが出来ない。

 ぺたんと座り込んだ杏珠とそれを見下ろすずめ。眉間に銃を突き付けているような構図ではあるが、心理的にどちらが優勢なのかは定かではない。

 にしても、どうしてこんなにも冷静なのだろう。杏珠は近いうちに殺されるかもしれないのに。もしかすると本当にすずめが犯人かもしれないのに。

 ・・・もしかして

「あなたが藍さんやぶんちゃんを殺したの・・・?」

 杏珠は表情を変えなかった。

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