4-① 死神様の制裁
糸井 すずめ 出席番号二番
弓道部 高等部入学
私が緑風学園に合格した時、母は娘に祝福の言葉をかける前に第一声、
『お金持ちの子たちに粗相があったらどうしましょう』
と言った。
お金持ちの子、と言っても、親や先祖の功績の上に立ったただの常識知らずではないか。彼女たちに努力も実力もあったものでは無い。私のように、必死こいて勉強してあそこにいるわけではない。そんな人達に、親の経歴云々だけでぺこぺこするのは私のプライドが許さない。母の言葉に心底腹が立ったのを今でも鮮明に覚えている。というか、今も腹が立っている。
中学時代に人生をささげた勉強は、入学が決まった時点でもう必要がなくなった。別にぶんちゃんのように一番を目指したいわけでもないし、緑風の卒業生というだけで世間的に見ても結構なブランディングになる。
それに、将来は勉強が必要ない仕事をすると決めている。その手段は何だっていい。
中学の時の文化祭で歌って楽しかったから歌手になろうか、国語だけは勉強しなくても昔からよくできるから小説を書こうか。ユーチューブでもやれば緑風出身というだけで人気になれるんじゃないか。それならつまらないオフィスレディなんかよりよっぽど楽でカッコいい。
歌手になるなら、路上ミュージシャンで燻っているピーチ姫を拾ってバックバンドに入れてあげよう。小説家になるなら、ぶんちゃんやマーチに漫画化を依頼すれば二人の将来も私が切り開いてあげられる。
たくさん稼いだら海外にでも行こうか。周りの目を気にしない自分だけの生き方をするんだ。そうすれば、家に縛られた内部生の子たちを見返すことができる。私の方がカッコいい。
部屋に設置されたパソコンを開く。私が作った【有栖川藍殺人事件】のスレッドが今日も元気に動いている。そこに、私も書き込みをする。
〈有栖川藍を殺した犯人が判明!同じクラスの成瀬満里奈が停学処分!〉
その書き込みに、スレッドが加速する。
〈それってガチ?〉〈自殺だと思ってた〉〈成瀬満里奈ってあのギャル?〉〈なんかわかるかも、あいつやばそうだし〉〈いつも体育サボってるケバいやつね〉〈うそー、私こないだ話しちゃった〉〈緑一に殺人犯がいたんだ〉〈怖すぎ、緑一には近寄れないわ〉〈やべークラスで草〉
顎に手を当て考える。私含めクラス全体が非難の対象となるのは意に反する。
〈待て待て、緑一は全員成瀬満里奈の被害者では?〉
そう打ち込むと、〈確かに〉〈緑一責めるのは違うわ〉〈同じクラスとか可哀想・・・〉
私は他とは違う。掲示板での私の発言は他よりも影響力がある。
〈いや、クラス一緒だったら同類でしょ。緑一全員きもい〉〈悪は感染する〉〈みんな緑一には近づかないように!〉
は?何こいつ。うざー。ハンドルネーム漱石・・・文芸部かな。
いっちょ鬼退治しますか。
〈いつも体育サボってるケバいやつね〉ふうん、体育の風景を知っているってことは同じクラスか隣のコートを使ってる赤二の生徒か。緑一のアンチってことは同じクラスなわけないし、赤二で確定かな。赤二の文芸部は三人・・・一人は親が航空会社社長の生徒会役員。もう一人は藍と中等部から仲がいい内部生、もう一人は大人しい感じのボッチさん。そうね・・・可能性が高いのは藍の友達とボッチさんかな。生徒会役員は今この事件でバタバタしててスレッド見る余裕ないだろうし。
スレッドを遡り〝漱石〟の書き込みを探す。
ああ、昨日から、緑一を標的にアンチコメントをしているのはこいつか。邪魔だと思ってたんだ。藍の友達の人は、あの後保健室で泣きじゃくってたって噂。てことはボッチさんで決まりかな。
〈漱石特定〜【赤二:七瀬富子】〉
さらにスレッドが盛り上がった。
〈来たー!死神様の制裁―!〉〈さすが死神様!!〉〈あのボッチかよお前〉〈ネトヤン乙〜〉〈赤二ブースの便所虫〉〈ブスが調子乗るからー〉
〝死神様〟は私のハンドルネーム。偽名で投稿できるとはいえ、みんな特定しやすい書き込みをしすぎ。馬鹿なんだから。〝死神様〟が使うのはハッキングでも超能力でもない。落ちている情報の照合だけだ。
最近は藍さんの死亡事故の影響でスレッドの回りが早い。まぁ、なかなか味わえない経験だから無理もないか。
とはいえ、こんな事件が起きたにもかかわらず、満里奈が停学処分になっただけで学校に警察が来ている気配は無い。もっとも、同じクラスの私たちに少なからず事情聴取なんかがあってもいいものだ。
この学園は、今回のことを隠蔽しようとしている。藍さんはこの学園に通う三年生の実家の病院に搬送されたようで、そこから外部に情報が漏れるということは無さそうだ。徹底しているその後始末の手際の良さは、手馴れていると感じざるを得ない。
ここを出たら暴露本を書こう。有名お嬢様学校のノンフィクションの殺人事件。きっと売れるに決まってる。その時は成瀬満里奈がどれだけ酷い人間で、殺人を犯しても不思議じゃないことをしっかり記すんだ。有名作家の私のデビュー作に出してもらえるだけ光栄に思え。
「チュン、いる?」
部屋の扉がノックされ、心臓が跳ねた。急いでパソコンのウィンドウを閉じ、扉を開ける。
「ちょっと、クラス会議したいって真那さんが」
ぶんちゃんが暗い顔をして立っている。この子は優しくて純粋だから、藍さんの死にも、それによって停学になった成瀬満里奈にも、みんなに対して心を痛めているようだ。そこまでナイーブにならなくていいのに。そんなだと、この先生きていくのが苦しいだけだ。割り切ることは割り切ればいい。そこがぶんちゃんのいいところでもあるが。
談話室にはもうすでにほとんどの生徒が集まっていた。入り口の正面奥にいた矢代蘭が笑顔で右手を振る。そのテンションあってるのか?
私と蘭ちゃんは前期のルームメイトで、比較的仲がいい。今付けている腕時計も靴下もブラウスも蘭ちゃんがくれたものだ。蘭ちゃんと仲良くすることはステータスになる。
蘭ちゃんの隣にマーチとピーチ姫がいる。ピーチ姫は昨日引きこもりからの保健室だったので、久しぶりに顔を見た。元々こけた顔をしているが、いつも以上に不健康そうな顔だ。ぶんちゃんと一緒にその近くに座り込んだ。私は蘭ちゃんの隣に。
私たちの後に千原由愛・深谷舞・牧野くみが入室し、全員がそろった。といっても、二人もういないので十四人だが。
「知ってると思うけど、昨日満里奈が停学になったの」
江藤レミが苛立ちを隠さずに周りを睨む。だからなんなの、と心の中で腐す。そういう風に先生に疑われるのは日ごろの行いが悪いからでしょ。実際、ここにいるほとんどは成瀬満里奈の犯行ってことで納得してるに違いないよ。睨まれるべきは殺人犯の仲間のあんたの方だ。所詮この閉鎖された世界は社会の縮図。被害者の身内、菫さんや蘭ちゃんは憐みの目を向けられ、容疑者の身内のあんたたちは非難の対象だろうが。
「満里奈は犯人じゃない。誰かに陥れられたのよ」
あーそうですか。だから知らないよ、仮にそうだとしたらそれも日ごろの行いのせいでしょうに。害のない人を陥れようとする人なんていないよ。あんたたちに恨みを持っている人は多いんだからね。あんたもこんなだるい集会開いてないで怯えてろよ。
レミの演説は続く。
「満里奈のスマホが池で見つかったんだって。あの夜満里奈は絶対池になんて行ってない。犯人が満里奈のスマホを盗んで、落としたのよ。そうに決まってる。名乗り出るなら今のうちよ。」
そんなに睨んだら誰も喋りだせないでしょ。いつの間にクラスのリーダーになったのよ。仕切んなよ。みんなうんざりしてるよ?あまり敵を作ると満里奈みたいに地獄に落とされるよ。
「信じられないんだけど、満里奈のスマホには有栖川藍の遺体の写真がたくさん入ってたんだって。そんな狂ったこと、満里奈がすると思う?」
「まあ、しなくはないんじゃないかなー」
近くにいたマーチが小声で呟いたが、幸いレミには聞こえなかったようだ。
「ねぇ、他に何か落ちてなかったのかな?」
明るく丸みを帯びた声で蘭ちゃんが言った。度胸がやばい。でも、役得だよな。内部生のキラキラお嬢様でこんなキャラだから別に許されちゃうんだから。誰も嫌な顔一つしない。ずるい子だ。
「なにかって?」
「わかんないけど、手掛かりになるようなもの」
レミは一つ頷いて、メモを開いた。探偵気取りか?
「さっき先生に聞いてきたんだよね、満里奈を悪者扱いするのにはどれくらいの根拠があるのか説明してもらおうと思って。」
つまりは先生を詰めたわけか。こわいこわい、ヤンキーは違いますね。
「有栖川藍が倒れてた場所にはほんとに何も落ちてなかったんだって。藍も何も持ってなくて、すぐに戻るつもりだったんじゃないかって」
何人かが仲間内で会話をはじめ、部屋の中が少しざわついた。
『藍さんはだれかに呼び出されたのね』『呼び出せるとしたら仲のいい子じゃないの?』『え、それって・・・』『散歩とかじゃないの?いつも早起きしてたし』『結局何時が死亡推定時刻なの?そこからじゃない?』『違うよ、病院に運ばれてから亡くなったって』『そっか、じゃあいつ事件が起きたかわかんないんだ』『動機がある人は?』
あちこちで推理が始まったようだ。
「なんか人狼ゲームみたいだね」
隣で蘭ちゃんが笑顔で言った。隣の菫さんがあからさまに顔を顰めるが、小さな声で
「蘭、人狼ゲーム得意だったよね、嘘ついてる人わかったりしないの?」
と聞いている。
「うーん、嘘をついている人は、雰囲気と話すリズムが変わるからすぐ分かっちゃうんだけど、今はみんないつもと違うからわかんない」
蘭ちゃんの返答に、そうよね、と菫さんは姿勢を正した。
「蘭ちゃん、雰囲気とかに敏感なんだね」
話しかけると、笑顔で頷いた。不謹慎なテンションだが、蘭ちゃんなら許せるのが不思議だ。この子は五歳児かなにかなのか?
「この中だったら誰が一番いつもと違う?」
「んー、レミちゃんかな」
それはそうだ。一番やかましいのがレミだから。いつもは満里奈の金魚のフンみたいに後ろで嗤っているだけだし。そうじゃなく、他の生徒の中から欲しいのだ。
「あとはね、桃乃ちゃんとくみちゃんもいつもと違うね」
ピーチ姫は言わずもがな、牧野くみも、青ざめた表情で俯いている。あの人は小心者だからそれも無理はない。ルームメイトだが、昨日からずっと落ち着きがない。というか、ここまでなっていない蘭ちゃんの方が変だ。
「そっか、ありがとう」
蘭ちゃんと同じくらいの笑顔を返す。蘭ちゃんは満足そうに頷いて、菫さんと話し始めた。
「菫、夏に死んだたくさんの蝉は、どこにいくの?」
唐突な問いに菫さんは動じない。もう慣れているのだろう。ため息を一つついて応える。
「この前調べてあげたでしょう。猫や鳥や蟻に食べられるか、腐敗して土にかえるの」
「じゃあさ、藍は?」
「・・・蘭、どうしてそんなことを聞くの?藍のことを蝉と同じだと思ってるの?人間は火葬されてお墓に入るのよ」
「じゃなくて、藍の持ってたものはどこに行ったの?」
「持ってたもの?藍は何も持ってなかったって、今レミさんが言ったでしょ」
「うん、でも、おかしいよ、藍はいつもお花のポーチを持って移動するもん」
「寮から池まで朝の散歩をしただけなら、何もいらないじゃない。ポーチも持ってなくてもおかしくはないわ」
「でも、カードキーは?」
「え?」
「カードキーは寮を出るなら絶対にいるよね、出るときはボタン押せば開くけど、ないと戻れないじゃん」
「・・・たしかに」
「藍は元々寮に戻るつもりがなかったのかな?」
その会話を目ざとく聞いていた佐々木実音が二人に話しかけた。満里奈の金魚のフンの一人なのに、今日はやけに大人しかった。
「自殺だったってこと?」
「そんなわけないじゃん。藍は自殺なんかするような子じゃないし、そもそも池でしないよ」
蘭ちゃんの声が一際大きくなり、口々に話していた他の生徒たちもこちらに顔を向けた。藍さんが自殺だったのか、という話になっていく。
『確かにカードキーがないのは変だよ』『これって何?誰かが持ち去ったってこと?』『成瀬さんでしょ・・・』『しっ!江藤さんに聞かれたら』『なんでカードキー持ち去るの?』『確かに・・・』『他クラスに犯人がいるとか?』『え、それって犯人が緑一ブースに出入りできるってこと?』『やめてよ!怖いこと言うの』『それなら腑に落ちるかなって・・・』『それか、ブース内で怪我させて池まで連れ出した?』『そんな力仕事できる人いる?階段降りなきゃじゃん』『そっか・・・』
色々な説が浮上しては消えていく。レミのイライラが募っていくのがつま先の貧乏ゆすりのスピードに現れている。やめてよ怒鳴るのは。
「満里奈が言ってた。電話アプリの使用履歴が残ってたんだって。架電履歴は残ってなかったけど。普段SNSアプリでしか通話しないから、初期の電話アプリなんて開かないって。誰かが持ち出して、どこかに電話をかけようとしたんじゃないかって」
思いのほか落ち着いた声色でレミは言った。新しいヒントを得た生徒たちはまた推理ごっこを始める。蘭ちゃんは千原由愛たちの方をじっと見ている。どんな会話をしているのか、私も蘭ちゃんの視線の方向へ目を向ける。
『そういえば由愛この前、お母さんと話したいとかって言ってなかった?』『ちょっと舞、私の仕業だって思ってるの?!そんなことより私この前、田口さんと藍ちゃんが揉めてるの見たよ?』『え、そうなのぶんちゃん』『違う!提出物の件で話があっただけで揉めてなんかない』『揉めてるように見えたけど?』『藍さんがわからないっていう英語の問題をちょっと口頭で教えてあげたら、全然理解してくれなかったから語気が荒くなってたのかもしれないけど・・・』『へえ、さすが中等部の特待生ね、頭がいいから馬鹿をみるとムカついちゃうんだ?』『だからそうじゃなくて・・・』
千原由愛の証言で突然渦中に上がったぶんちゃんが泣きそうな顔で否定している。ぶんちゃんが犯人なわけないけどね、と思いながら聞く。
「私、もうこういうの嫌!」
突然、絞り出したような声でピーチ姫が言った。
「こうやってクラス内で疑いあって、犯人探ししたところで何が産まれるの?争うようなことやめようよ、もしここに犯人がいるとしても、あまり刺激しない方がいいじゃない。もう有耶無耶にしてしまった方が新しい被害者が増えずに済むんじゃないの?」
談話室内に一瞬の静寂が流れた。
「そうよ、人の行動の全てに理由はあるかもしれないけれど、意味があるとは限らないでしょ。日常的に起こっただけかもしれないことをすべて事件に結び付けるのは見当違いだよ。そもそも、犯人なんかいなくて、不幸が偶然藍に降りかかってしまっただけかもしれない。推理小説じゃあるまいし、トリックとか動機とか、私たちは普通の学生よ。探偵ごっこはやめよう。」
橋本真那が興奮する由愛を諭し、なんの解決もなく会議はお開きになった。
ぶんちゃんが談話室から一番に出ていき、それをマーチが追いかける。取り残されてしまった。
「チュン、ちょっと行きたい場所があるの。着いてきてくれる?」
ピーチ姫が無表情で言った。
「いいけど、どこ?池は行けないよ、封鎖されてるし」
「じゃなくて、図書館」
「図書館?」
「うん、藍様の好きだった作家さんの本を読みたいの」
図書館への道中、ピーチ姫は藍さんについて語った。
「死んだらどこに行くのかな、って考えたの。天国って、まるで終わりみたいじゃない?だから、もっと違うんだと思う。例えば、現世はただの通り道で、元の場所に戻っていったって思えば合点がいくと思わない?みんなもともとそこに住んでいて、一時的にこの世界にいるの。だから、ここでのやるべきことを終えたら私たちも藍様の場所に戻るの」
なんだその歪んだ思想。と思いながら黙って聞いた。それで納得しているならそれでいいか。
図書館に到着し、目当ての本を探す。藍さんが好きだった作者の本棚を見つけ、ピーチ姫は本を選んでいる。私も一番取りやすい位置にあった本を適当に開く。
背表紙の貸出カードに、有栖川藍、とまるで彼女の美しさを具現化したような綺麗な字で記名されていた。国語の教科書でしか小説は読まない。紙の文字を見ると眠くなる。きっと私の方が眠くならない面白い本をかけるし。
「確かにこの文を藍様も目でなぞったんだね」
ピーチ姫は呟いた。目には涙が浮かんでいる。
二人掛けのデスクに対面で座り、各々の選んだ本を読み進めた。
もう一時間ほど経っただろうか。適当に手に取った本は割と好きなジャンルだった。
主人公の光莉は小学校で梨花と出会う。二人は毎日一緒に下校したり秘密基地を作ったり駄菓子屋に寄ったり。しかし、梨花の両親が事故で亡くなってしまう。
それにより、孤児院に引き取られ二人は離れ離れになる。そこから十年後、カフェでアルバイトをしていた高校生の光莉のもとに、偶然梨花が客としてやってくる。
運命の再会に心を躍らせるが、梨花は今お金持ちの家に引き取られ住む世界が違っていた。二人は山吹色の手紙を通じて一カ月に一回だけ会うことに決めた。二十歳を迎え、梨花は親の選んだ男性との婚約が決まる。
しかし、いつの間にか光莉と梨花は恋愛関係になっていた。
スマートフォンではなく手紙でのやり取り。今以上に同性愛には理解のない時代。叶わない辛い恋愛。こんなのも藍さんは読むんだな、と思った。ふわふわ能天気な恋愛小説しか読まないんだと思ってたが、割と奥が深い。
光莉は梨花を家に招き、そのまま帰さなかった。二人は世間の目や親の決めたことから逃げ、小学生のあの頃のようにこの場所を二人だけの秘密基地にする。二人は誰にも干渉されないその場所で愛を紡ぎ、いつまでも幸せに・・・は、なれない。
梨花の里親が腕利きの探偵を雇い、彼女たちに辿り着いてしまう。梨花は奪い返され、その後好きでもない男性と結婚。それを知った光莉は絶望し、自殺。そんなバッドエンドだった。
主人公だけが幸せになる奇妙なハッピーエンドよりよっぽど面白いな、と思った。
・・・というか、どこか、なんとなく、既視感のある描写があった。なんだろう。ぱらぱらと改めて本をめくる。読んだことのない小説だが、何か違和感。
あ、と、手が止まり、光莉と梨花が愛し合うシーンを再度開く。これは・・・。
ラブシーンの描写があの漫画、あの、流出してしまった私たちの書いた漫画と内容がそっくりだった。光莉は慧、梨花は杏珠だ。
いつもみんなでアイデアをそれぞれ持ち寄り、美術部二人が絵に起こす。ピーチ姫は読む専門だから別。そもそも藍様信者だから興味ない。
確かあの話はぶんちゃんが持ってきたものだ。ぶんちゃんもこの小説を読んだ?
それもあり得るけど、もしかしてあのアイデアは藍さんからもらったんじゃないか?
そういえば、ぶんちゃんのデスクにはオレンジ色っぽい封筒があった。オレンジじゃなく、山吹色だったんだ。
「藍さんとぶんちゃんは山吹色の手紙でやり取りして時々会ってたんだ。その時に藍さんにアイデアをもらって、本が完成したから藍さんに見せた?それを藍さんが本人たちに見せてしまった」
どんどんパズルのピースがはまっていく気がした。ピーチ姫は涙を流したままきょとんとしている。該当部分をピーチ姫に見せる。
「さっき、千原さんがぶんちゃんに言ってたよね、藍さんと揉めてたって。あれって、藍さんが流出させた犯人だからそれについて問い詰めてたんじゃないかな」
私の脳内は猛スピードで、悪い方向に進む。
「つまり、藍さんを殺したのは」
「ぶんちゃん?」
糸井 すずめ Fin.
「・・・つまり?」
校舎と寮舎の間の通路で、少女が二人話している。
「藍さんともめていたのは事実、でも、本当に私じゃないの」
銀縁メガネの奥の瞳を、切実に潤ませながら田口文加は訴える。その瞳には、誠実で真面目な文加の今までの信頼が持つ説得力があった。
「わかった、信じるけど・・・」
「マーチ、このことは絶対に言わないで」
「わかるけど、正直に言えばみんな納得するって」
「違う、藍さんの隠し事を、死んでしまってから暴露するようなことはしたくない」
「でも、ぶんちゃんが犯人扱いされちゃうよ」
文加は俯いて、少しばかり黙った。思いつめたような文加を正田弥生は心配していた。せめて、すずめと桃乃だけには言おうと提案しかけたその時、文加が口を開いた。
「生きてる人と、死んだ人、どっちを優先すべきだと思う?」
抑揚のないその問いに、弥生は一瞬たじろいだ。その問いは、藍と自分自身を比べているようにも、そうでないようにも聞こえる。生きている文加と、死んでしまった藍。どちらを優先すべきかと問われれば、答えは一つだった。
「生きてる人だよ」
弥生ははっきりそう言った。文加は少し顔を上げ、小さく頷いた。
「そう、生きてる人はこれからの人生がある。死んだ人よりも生きている人が有意義に過ごせる結論を出さなきゃいけないの」
「うん?」
「マーチ、私の言ってることが分かる?私間違ってるかな」
文加は弥生の眼を真っ直ぐに見て言った。有無を言わせぬ視線だった。弥生は、首を振って言った。その真意が本当に掴めていたわけではないが、そういうことで目の前の親友が救われるのならそれでよかった。
「ぶんちゃんが合ってるよ」
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