2-③ お人形の人生設計
四条 菫 出席番号六番
文芸部 中等部入学
同じクラスの矢代蘭は母親同士が姉妹の従姉妹だ。祖父が地主で私たちの母は幼い頃から裕福に暮らしていた。母同士は仲がとてもよく、その娘である私と蘭は生まれたころからいつも一緒だった。
小学校までは緑風の姉妹校に通っていたが、中学にあがる際、母二人の意向で緑風の中等部に編入することになった。
「お上品な女の子でいなさい」そう母に言い聞かされてきた。
大きな口を開けて笑わない。脚は揃えて座る。受け取るときは両手で。不機嫌な顔はしない。どんな人にも親切に。
でも、蘭はいつも大きな口をあけて笑う。天真爛漫という言葉が良く似合う彼女は私とは正反対だった。
誰とでも仲良くなる明るさと、良家の娘らしからぬ破天荒でフレンドリーな性格。その自由な振る舞いに時折はらはらとすることもあるが、彼女の屈託のない明るさはどんな困難も跳ね除けるようだった。
彼女の隣で、いつも私は保護者のような立場だった。
私たちの母にはその上にもう一人姉がいる。長女が次期当主となる幸美さん、次女が蘭の母の圭果さん、そして三女が私の母の真央。名前が左右対称なのは縁起がいいらしく、代々そうなるように付けられている。幸美さんにはお子さんはおらず、幸美さんからの寵愛は蘭と私の二人で分け合っていた。
幸美さんが本家の高平の姓を継いだため、圭果さんと母は夫の姓となった。そのため蘭と私の苗字は違うのだ。とはいえ、今の生活費のほとんどが高平家から出ていることは明白で、父親の権力は家の中でも無いに等しい。
母が私に、上品さを過剰に求める理由を私は察していた。
幸美さんに跡継ぎが居ない以上、次世代の後継人は私か蘭になる可能性がある。次女の娘である蘭と、三女の娘の私。同い年とはいえ、家系図的に立場が上にあるのは蘭だ。
そう、根本的に私と蘭は立場が対等ではない。
もう昔ほど伝統に厳格では無い高平家だが、その事実は言わずもがな拭い去ることは出来ない。
しかし、そのしきたりに厳しくない現当主や次期当主の幸美さんであれば、どちらがふさわしいか、という観点で後継者を決める可能性がある。そこに、母はつけこもうという魂胆なのだ。
天真爛漫で自由すぎる蘭と、大人しく上品な私。どちらが由緒正しき高平家の当主にふさわしいのか。それを見せつけようとしているのだ。
きっと蘭はそれを知らない。立場の低い私が、将来の座を虎視眈々と狙っているということなど、知る由もないのだ。
幼いながらに感じていた。どんな時も、親族が抱き上げるのは蘭だった。どこかに引っ掛けてかぎ裂きを作ってしまった黄色いワンピースとおさげに結った巻き毛を揺らしながら駆け回る蘭を「元気のいい子だ」と、捕まえるように抱き上げる。
私はいい子、だから頭を撫でられるだけ。動き回らない分物持ちのいい、紫のワンピースはなかなか新調してもらえることはなかった。
手のかかる子供の方がかわいい。
「どんまいどんまい!」
体育館の下の小さな窓から入り込む心地よい秋の風に吹かれながら、クラスメイトの足音を聞く。体育は好きじゃない。怪我をしたくないのはもちろんだし、汗をかくのも嫌だ。元気に動き回る蘭をみて、本当に従姉妹なのかと時折疑心暗鬼になる。
「菫ちゃん、知ってる?」
メンバー交代でコートから出てきた千原由愛が隣に腰掛けた。
「なあに?」
「今朝、慧と杏珠の同人誌が見つかったの」
由愛さんは声を潜めながら目をきらめかせて言った。同人誌とはなんだろう。
「なあに?それ」
「え、ああ、なんていうか、漫画だよ。慧と杏珠をモチーフにした漫画が見つかったの」
「そんなものがあるのね?どこの出版社?」
そう言うと、由愛さんは怪訝な顔をした。なにか間違ったことを言ってしまったかしら。確かに、一個人をモチーフにした漫画が出版されるなんて想像できないけれど。
「違うよ、生徒が書いたの。しかもアール指定!」
「そうなの?すごいわ。漫画を描ける人が学園内にいるだなんて」
両手を合わせて驚いた表情を作り褒めると、由愛さんはまた眉を顰めた。嚙み合っていないような気がする。
「わかってる?慧と杏珠が恋愛しているって仮定で、エッチなシーンを好き勝手に描いてるんだよ?最低じゃん。慧もそれ見てから杏珠に対しての態度が不自然になっちゃったし。そもそも同性愛なんて気持ち悪すぎ。超迷惑なんだよ」
ようやく話の筋を理解した。なるほど、二人の関係を好き勝手に妄想したものを創作して、それが流出したことで二人の関係が悪くなりかけていると。
「それは困った話ね・・・」
私の反応がお気に召さなかったのか、由愛さんは、そうだよね、とだけ言い残して別の人の隣に去っていった。どうリアクションをするのが正しかったのか。
由愛さんが向かった先で、きっと同じ話をしたのでしょう。江藤レミさんが少し大きめの声を出した後、声を潜めてにやつきながら話し出した。あれが正解なら、私は不正解でよかったかも。
文芸部の活動は、週に一回各々の最近読んだおすすめの本を紹介し合う。私は本来の好みの本ではなく、万人受けするようなものや古い名作をピックアップする。自分自身の本来の趣味を明かしたくないからだ。
母が望む《おしとやかなお嬢様》に相応しいだろうという理由で文学部に入った私は今まで読むことの出来なかったようなジャンルの作品だけを読み漁った。
猟奇殺人や連続殺人などのスリリングなサスペンス。
ここにいる被害者が私だったら、どのようにして逃げればいいのだろう。あるいは蘭だったら、藍だったら、どのように救えばいいのだろう。そういったことを考え、小説の中の呆気ない死に落胆と恐怖、そして恍惚を感じる。
ミステリー小説の犯人には必ずと言っていいほど犯罪に至った背景があった。被害者との接点や動機がないミステリーはほぼない。しかし、現実には突然思い立ち誰でもいいから殺したくなる人だっているだろう。それこそ小説を読んで、犯罪者の心理や快感を文字で受け取るだけでなく自ら実感したくなっただけで、繁華街の見知らぬ人間を刺し殺す異常者がいないとも限らない。そういう人間を小説にするのは展開やリアリティに欠けるため、描かれることは少ない。
そして一冊の本に出てくる犯人は一人、もしくはその共犯者。数件の事件の全てがバラバラの犯人であったことなどほぼない。
現実では様々な場所で様々な事件が起きていて、その全てが同一犯ということはなく、仮に同一犯だとしてもどれとどれが、と結びつけるのは至難の業ではないか。手口や被害者の特徴に必ずしも一貫性があるとは限らない。
小説では、関係のある事件だけをピックアップして描かれるから現実よりもずっと簡潔だ。その方が読者に驚きと納得を与えるのだろう。フィクションはご都合主義だ。
本の紹介以外の時間は図書館の中で各々の読書が始まり、自由解散といったところ。必要以上の交流がない、簡素な部活だ。
私は図書館の最上階の三階に向かった。
「実音さんっ」
三階は資料集や文献が収蔵されているため、人が少ない。一番奥の隠れたデスクに、佐々木実音さんが待っていた。彼女は、久しぶりにできた新しい友達。
「ごめんなさいね、こんなところに呼び出して」
「カフェか談話室でよかったのに」
「そうね・・・カフェテリアは少し騒がしいし、談話室は苦手なの」
「なんで?」
「蘭がね、見てる人がいるとか何も無い壁を指さして怖いことを言うから」
「ふふ、蘭ちゃんってほんと不思議ちゃんだよね」
「そんな可愛らしい言葉で片付けられるのは最初だけよ。ずーっとだとうんざりしちゃう」
「菫ちゃんって、そんなこと言うんだ」
ハッとして、口を噤んだ。気が緩んでしまった。はしたないわ。
彼女の隣に並んで、黙って宿題をする。実音さんは頭がいいから、わからないところは解き方を教えてくれる。今まではあまり勉強には興味がなかったものの、彼女の教え方が上手で少しずつ面白く感じていた。ふと、彼女のスクールバックを見ると、開いた口から〈教師になるには〉という参考書のようなものが見えた。
「実音さん、将来は教師になるの?」
数学のプリントに向く長い睫毛が持ち上がった。垂れ目の私とは対照的な切れ長の瞳が美しい。
「うん、目指してる。なれればいいんだけど」
「そう、とても向いていると思うわ。だって、あなたに教わって私、勉強が好きになったもの」
実音さんは歯を見せてニッと笑った。
「すべての人を平等にみれる善人なんてこの世に存在しないでしょ?でも、教師はそうでないといけない。私は、いじめとか、そういうのを見過ごさない先生になりたいの。本当の正義っていうものを、生徒に教えられる先生に。そんなこと言ったら、まず満里奈を止めろよって、周りの人には思われると思うから言えないけど・・・。満里奈のことも見て見ぬふりをしているわけじゃないんだけど、止められない弱い自分が情けない」
彼女の芯の強さはとてもかっこいい。でも、心に弱い部分を持っている。誰もがそうだ。少し悔しそうに唇をぎゅっと合わせる彼女を見て、無責任にも応援したくなった。
「自殺する人って、絶えないじゃない。戦死した人よりも自分で死を選んだ人の方が多いなんて、こんな世界絶対に嫌なの」
「・・・そうね」
「菫ちゃんは?将来の夢とかあるの?」
その質問に驚いた。突然聞かれたからではない。そんなことを考えたことがなかった自分に気が付いたからだ。今まで、当主の座を手に入れることしか将来のビジョンがなかった。
「私は・・・まだないかな」
そっか、見つかるといいね、と笑顔で数学のプリントに向き直る実音さん。
私も何か夢を追いかけてもいいのか。なりたいものを見つけて、蘭と戦おうとせずに自分の道を突き進んでもいいのか。なんだか、ずっと心に停滞していた暗雲が切り裂かれた気がした。やっぱり、実音さんは教師に向いている。夢を応援して希望を与える、そんな才能がある。
夜。自室で昨日藍から勧められた本を読む。彼女らしい、淡い恋物語だ。
私も母からこの類の本を与えられることが度々あった。それらのほとんどは、まるで御伽噺のようにピュアで甘く切ない。そういう本を読んだ時、私は舌の奥がキュッと苦い感覚になった。
「菫ちゃん、どうかした?」
向かい合ったベッドの上で柔らかくクセのある髪を梳かす月丘杏珠が私を呼んだ。
「本を読んでいるとみせかけてぼーっとしてるから」
くすっと笑って櫛をサイドテーブルに仕舞い、私の隣に腰掛ける。爽やかな香りが鼻先をくすぐった。朝の登校前には可愛らしさを演出するローズの香水を付ける彼女は、寝る前のヘアオイルだけシトラスの香り。本当の彼女が好きな香りを知っているのは同室の私だけ。
「これ、甘ったるいでしょ」
本を取り上げると私の読んでいたまだ最初の方のページに栞を挟み込み、彼女は白く細い指でパラパラとページをめくる。
「うん、全然面白くないから進まなくって。藍に薦められたんだけど」
「そうよね。菫ちゃんの趣味じゃない。」
彼女も同じく、私の本当の趣向を知る数少ない人物だ。『お上品』を取り繕う必要がないため、部屋は居心地が良い。こうやって話した後、教室でお互いの本性を隠して『お嬢様風』に会話するのも馬鹿馬鹿しくて面白い。
「梶円香の作品って、一部の夢見る乙女には刺さるようだけど、なんだか現実逃避めいていて胸焼けしちゃうの。『星乃シリーズ』も藍ちゃん好きよね。私は恋愛小説ってあまり好きじゃないわ」
「私は読んだことないけど、藍は大好きみたいね。この間も出版前の新刊が特別に入荷されたとか言って柄にもなくはしゃいでた」
「ふふ、藍ちゃんが喜ぶと思ってお父様にお願いしたのよ。喜んでもらえたようでよかったわ」
アンは大手出版社の娘だ。文芸部には所属していないものの本には人一倍詳しく、部員が読みたいジャンルを彼女に伝え、おすすめをピックアップしてもらうということは多くあった。
「どうして今日は本なんて読んでたの?」
全てを見透かすように、彼女は笑った。
いつもはすぐに今日の振り返りのように話をするのに、今日はなんだか彼女にどう話しかけていいのか分からなかった。それはもちろん、アンが今日の学校で話題の中心だったからだ。
「あれ、例の絵、アンは見たの?」
「ううん見てない」
「そうなの?慧は見たって聞いたから」
「真那ちゃんに止められたの。他の子もやけに気を遣ってよそよそしいから今日一日すごく気疲れしちゃった」
あっけらかんと笑う横顔を見て少し安心した。私まで気にしている素振りを見せてしまっては、アンの心休まる場所を無くしてしまうところだ。
「内容はともかく、自分がモチーフの作品なんて私はすごく興味あるんだけどな」
「内容は知ってるのね」
「うん、ほんと何となくね。あの子たちもいい趣味してるわ」
またふふっと笑い、本のページをしゃららと捲った。
「・・・私が思うにね」
アンの表情が少し翳った。その変化に少し焦り、私よりも低い位置にある顔を覗き込む。
「藍ちゃんがあれに関わってるんじゃないかって」
予想外の言葉が紡ぎ出された。
「どうして?」
「あれ、漫画でしょう?物語のあらましを由愛ちゃんに聞いたんだけどね、あれ、内容がほとんど梶円香の『棘』のままだったの。唯一生々しい性描写のある百合作品なんだけど」
バタバタと廊下を駆け抜ける音がする。軽音楽部が終わる時間。いつも遅くまでご苦労さまなことだ。部屋は談話室を挟んで右が内部生、左が外部生となっている。内部生側の廊下で走るのは蘭以外いないからすぐにわかる。いつもは部屋のドアを開けて注意するのだが、今はそんな場合ではなかった。
「叶わない同性愛の肉欲を描いた作品。あの本を藍ちゃんはよく読んでいるのよ。」
「それって、藍が描いたってこと?」
「うーん、藍ちゃんが描いた訳では無いとは思うわ。だってあの子漫画なんて読んだことないんじゃない?」
杏珠の推測する通り、有栖川藍という人間はそういった娯楽には異常なほど疎い。ドラマなどもほとんど見たことがないらしく、趣味は専ら読書。他のエンタメは、舞台や受賞映画を少し嗜む程度らしい。漫画やアニメなど、触れたこともないだろう。
「私の考えすぎかも。変な噂で混乱させたくないから、ここだけの話でお願いね」
その夜、夢を見た。悪夢を。
冷たい風が吹く。
『あなたのせいだから』
夜の屋上で少女がこちらを黒い眼でじっと見つめている。
不安定な縁に立った細い体は、強く風が吹けば簡単に落ちてしまいそうだ。
真っ暗な背景には満月が輝いている。私の体は上手く動かず、彼女をそこから降ろすこともできない。
桃色の唇がにやりと笑った瞬間、彼女は後ろに倒れた。美しい黒髪がふわりとその場に留まろうとする。
手を伸ばす間もなく、彼女の上履きも見えなくなってしまった。
衝撃音を待つだけの時間が怖く目を瞑る。
何も聞こえない。
風が吹く音も地上の木々がざわめく音も聞こえない。
恐る恐る目を開く。
先ほどまで彼女が立っていた屋上の縁に白いものがある。
指だ。
指は力強く縁を掴んでいる。もう片方の手が伸びてくる。赤く染まっているその手はこちらによじ登ってくる。
恐怖にたじろぎ一歩後ずさりをした瞬間、赤く染まった黒髪の少女が目の前に現れた。
『あなたのせい』
四条 菫 Fin.
常夜灯の薄明かりが廊下を照らす。昼間の喧騒が嘘のように静まり返ったその場所は、冷たい印象を与える。
ひとつの扉がゆっくりと開いた。廊下の様子を探るように静かにのぞき込んだあと、滑るように部屋から出た。彼女はクラスブースから出ていく。ピピという小さな電子音も、部屋の中で眠る他の生徒には聞こえなかっただろう。
彼女が出ていってから数分後、もうひとつの扉が開いた。同様に、廊下の様子をきょろきょろと見まわし、誰もいないことを確認した後、彼女もクラスブースから出ていった。
月明かりがキラリと彼女の髪を照らした。
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