2-② Do or...

牧野 くみ   出席番号十五番

       テニス部   高等部入学


 私の居場所は、いったいどこだろう。十六年の人生の中で、その答えを常に探し、いまだ見つけられていない。


朝、いつもよりも早く目が覚めた。

ルームメイトのすずめちゃんを起こしてしまわないよう、宿題を持って談話室に行くと、先客がいた。

私と色違いの青いパジャマを着て、肩にかかるほどの黒髪を後ろでちょこんと一つにまとめた千原由愛が、床に散らばっていたクッションを粘着テープでコロコロと掃除している。これ、私もやった方がいいのかな。一度トイレに行こうと外に出たが、戻ってきても由愛ちゃんはカーペットを掃除をしていた。

まだ一度も、こちらを見ていない。由愛ちゃんとはこの半年間一緒に行動をしているが、普段は深谷舞と三人で行動しているため二人きりで話したことはない。

これ、手伝ったら逆に迷惑なのかな。由愛ちゃんが暇つぶしにやっていることを奪っちゃいけないかな。私が始めたら、まるで手柄の横取りみたいに感じられちゃうかな。それとも、今私がここで宿題を始めると、あの子手伝わなかった。って舞に嫌味のような告げ口をされてしまうのかな。でも、コロコロはひとつしかない。

腹を括って宿題を始める。その間も由愛ちゃんは動いていた。設問が頭に入らない。

ふと、視界の隅で由愛ちゃんが止まる気配がした。私を見ているのかと思い顔を上げると、全然違う方を見ていた。私も、由愛ちゃんの頭上にある時計を見たふりをする。

由愛ちゃんが部屋から出ていった。肩の力が抜けた。

数分しても戻ってきた。彼女は布巾を持っている。ああ。

彼女は棚やソファーの肘置きなどを拭きあげる。その手があったか。それを私がすればよかったのか。コロコロがひとつしかないという言い訳は通用しないじゃないか。

由愛ちゃんが、私のいるテーブルに布巾を乗せた。なんとなく目を合わせないように、積み上げた教科書を床に下ろして避ける。

「くみ、体調悪い?」

初めて、由愛ちゃんが喋った。

「え、そんなことないけど」

「だって、全然喋んないんだもん。なんだか表情も暗いし」

 その言い方に、悪意がないことがわかった。本当に心配しているような言い方だ。勝手に気まずさを感じていた自分の被害妄想に申し訳なくなる。

「ねえ、慧やアン、まだ来ないかな?」

 唐突に、由愛ちゃんが聞いてきた。

「うーん・・・慧ちゃんたちは朝食まで起きてこないんじゃないかな」

 だよねぇ、とつまらなそうに呟く。

「早く来ないかな」

 慧ちゃんたちと話したいことがあるのかと思ったが、その真意は朝食後に判明した。


「なにこれ!気持ち悪い!」

 朝食後の談話室に駆け込んできた由愛ちゃんが広げたノートに描かれたその絵に、ブース内は騒然となった。

 喚く舞、茫然としている慧ちゃん。咄嗟に由愛ちゃんを見た。

 由愛ちゃんは、手を口元に当てながらページをめくり続ける。野次馬たちの悲鳴や蔑む言葉が増すに連れ、隠した口元に笑みが浮かぶのが見えた。

 このパニックを楽しみにしていたんだね。由愛ちゃんは、事件が大好きだから。朝のあの時点でこのノートの存在を知っていたんだ。それでいて、一番効果的なタイミングでこの小道具を登場させたのだ。

 でも、私は何も言えなかった。


 約半年前、きっと何かの間違いでこの学園に入学することが決まり、あれよあれよと入学式が終わって入寮式に移った。

 周りの女の子たちのきらきらしたオーラに、また自分だけがダサくて浮いていることに気が付いて首元がざわついた。右を見ても左を見ても、誰とも目が合わないのに、みんなが私を笑っているように感じる。同じ制服を着ているはずなのに、まるで一人だけ違っているような気がする。視界に移る学校指定の靴下も、私の太い足首が窮屈そうでみすぼらしい。無意識のうちに右手が口元に導かれ深爪がさらに酷くなる。

 小心者なのに対称的に体は大きい私は、遠くからでもこの場違いな自分を見られてしまう。髪が乱れている気がする。とっさに両手で髪を梳かす。さっき噛んでできたささくれがひっかかってちくりと痛む。スカートがめくれている気がする。とっさに両手で裾を探る。大丈夫だ。汗臭くはないか、肩にフケは落ちていないか、目立たないように目立たないように背を丸めて少しでも小さく見えるように・・・

「四条菫です。これからよろしくね」

 ふいに目の前に現れた女の子に声をかけられた。くっきりとした二重につややかな黒髪をくるりと巻き、上品な透き通った声で。

「正田さん、よね?」

 正田さん?違う。私は牧野くみだ。

「えっと・・・その・・・」

 人違いです、という言葉がうまく出てこない。口元に微笑みを残し首を傾ける目の前の彼女の時間を奪ってしまうことに焦る。

「菫ちゃーん、正田さんってこっちの子やって!そっちは舞のペアかも!」

 雲を切り裂くほどのはつらつとした声が『違います』待ちの沈黙を遮った。テレビで聞いたような関西弁だ。

「あら、ごめんなさい!」

 先ほどの四条さんは口元に手を当て、整えられた細い眉をハの字にして謝った。私なんかに。そして本物の正田さんのもとへ、また上品に向かっていった。

「牧野くみちゃんであってるやんな?」

 黒目がちな澄んだ瞳を煌めかせ、また快活な関西弁で私に問いかける。そしてまた私は、そうです。を言うのに苦戦した。

「くみちゃん、今日から同室の深谷舞です、よろしく!」

 差し出された手を握り返すのにも躊躇っていると、力強く向こう側から手を取られた。肉厚な手のひらが暖かい。

「不安やと思うけど、何でも聞いてな!今日から家族みたいなもんやから」

 いつも何かに怯えるように人に着いて行き、必死に存在を認めてもらおうと生きている自覚がある。舞は、私がそうお願いをしなくても、存在を認めてくれる人だった。

 舞の家が、とんでもなくお金持ちということは、部屋に移ってすぐに分かった。各部屋、内部生と外部生がペアになるように組まれているようで、持ちあがりの内部生は事前に家具や荷物をほどいてある。

部屋の真ん中で区切られた、舞の側のデスクやベッド、棚に並べられた小物やクローゼットの私服、ブランドには疎い私でもわかるような高級な品々。しかし、彼女はまるで百均で買ったもののように、高そうな腕時計を外してベッドに放り投げた。

 自分の家から持ってきた荷物を出すのがとんでもなく恥ずかしくなった。お母さんが、友達なんだから持っていきなさいと勝手につめこんだ、小さなカバのぬいぐるみがボストンバッグの中からこちらを見ている。

小学生の時に買ってもらい、ずっと部屋のベッドに乗っかって、友達のいない私に寄り添ってくれていた、カバ。地味な茶色い体をかわいくしたくて、習ったばかりの拙い裁縫で耳の間にリボンを縫い付けた、カバ。図体だけがでかくてとろい私に似た、カバ。大切なはずのそれが、とんでもなくダサくて、古くて汚いと感じた。

「どうしたん?」

 舞がベッドの上から問いかける。いつの間にか部屋着に着替えた彼女は、赤いパジャマを着ている。なんでもない、と伝えるように首を振ってボストンバッグを体で隠しカバをベッドの下の収納に仕舞い込んだ。


 舞と同じ部屋になったことが私の人生を変えた。舞の友達の内部生たちと行動を共にすることができ、一人ぼっちで三年間を過ごしていくと思っていた私の人生が、とっても華やかになった。話すことが前よりも得意になったという実感がある。それも、まぶしいほどの笑顔でたくさん話す舞と一緒にいるからだ。

 入学して半年が過ぎ、部屋が別れた今も彼女は私を見捨てないでいてくれている。移動教室や体育のたびにみんなが私を置いて先に行ってしまうのも舞だけは気が付いてくれる。

「はよしいや、ほんまとろいなぁ」

 既に体操服に着替えた舞が、体育館シューズの袋をくるくると回しながら由愛ちゃんを呼び止め私を待ってくれる。迷惑そうな顔の由愛ちゃんをなだめながら。由愛ちゃんよりも、私を優先してくれている。

「慧とアンちゃん大丈夫かな?」

 三人で体育館に向かう途中、由愛ちゃんが言った。

「アンはみてないんちゃうん?」

「え、内容話しちゃった」

「おいおい真那が怒るで~」

 舞が大げさに由愛ちゃんから距離を取り指をさして睨みながら笑っている。

「別に大丈夫っしょ、アンちゃんの反応軽かったよ」

「じゃあなんの大丈夫かな?やねん!」

「いや、なんとなく」

「なんか起きてほしいって思ってるんやろ?」

 舞がまた由愛ちゃんに近づき、肩を組んで耳元で言った。そんなことないって!と由愛ちゃんが声を荒げるが、二人とも笑っている。

 私だけ、輪に混じれず疎外感。人を傷つけるような事は、起こってほしくない。


 運動は全般苦手だ。体が重くてうまく動けない。無駄に背が高いのにバレーボールは特に向いておらず、慧ちゃんや由愛ちゃんのパスを何度も無駄にした。仲のいいグループだからと、下手な私にも思いやりパスをくれているのに。ごめんね、とへらへらしても許されるのは何回までだろう。どんまい、の裏に呆れが隠れていると思うと体がこわばった。

 今、私、なにしたらいいんだっけ?ボールを取り損ねて固い体育館の床に転がったまま頭がこんがらがる。体育館に響く不特定多数の声とボールやシューズの音がすべて耳に入ってきて、集中力が戻ってこない。どんどん声が大きくなって眩暈がする。

 待機していた成瀬満里奈や江藤レミがクスクスと嗤っている。他クラスが使っている隣のコートから聞こえてきた「ちょっとなにやってんのー!」が、自分への言葉に聞こえる。

 ピピーーー

 審判の舞が鳴らしたホイッスルで我に返った。

「くみ大丈夫?ごめんマリちゃんチェンジして~レミちゃん審判お願いしていい?」

 待機の二人に声をかけつつ、私の手を取り立ち上がらせる。すっと周囲の声のボリュームが落ち着いた。

 江藤レミの審判で試合が再開するのを横目に、舞は私を体育館の外に連れ出した。静かな場所に座り込むと、心臓の鼓動が徐々に平常に戻った。

「できひんなら無理すんなって」

 そういいながらカードキーを私の首にかける。これで水でも買ってきな、と舞は体育館に戻っていった。茶色の皮のケースに入った、舞のカードキー。


 放課後、購買部の前でルームメイトの糸井すずめと偶然会った。茶色の皮のケースに入ったカードキーを首からぶら下げ、腕いっぱいにお菓子や紙パックのジュースを抱え込んだ私を見て、すずめちゃんは眉をしかめた。

「それってさ、パシリでしょ。見てて可哀想」

 頭に血が上るのを感じた。私の舞を侮辱した。私の大切な友達、これが友達の形。あなたに何がわかるというのだ。

「違うよ、舞がお金出してくれる代わりに、買いに行くのは私の担当ってだけ」

「それって友達?バイトみたい。なんか変」

「すずめちゃんとは関係ないでしょ、気にしないで」

 へらへらと笑顔で言い返し、すずめちゃんから離れる。

 可哀想?私が今を幸せだと思ってるんだからいいじゃない。可哀想と私が思ってなければ可哀想じゃないでしょ。パシリ?バイト?違う、ウィンウィンの関係性だ。全然違う、私は好きでこれをしているんだ。

 どんどん怒りがこみあげてくる。さっきのすずめちゃんの言葉に、さっきできなかった反論を脳内で何度も繰り返す。こう言っていれば、発言の間違いを認めさせて考えを改めさせることができたかもしれない。私が心に傷を負った分、すずめちゃんにもちょっと嫌な気持ちにさせてやれたかもしれない。へらへらとその場をやり過ごした自分が悔しい。

 あなたの言う友達って何?集まって他人をネタに気持ち悪い想像をして絵にかくこと?今あなたは立場が弱い。私なんかよりもっと弱い。何様?まずは自分を見つめ直してから私にアドバイスしてくれる?今日一日肩身狭そうに生活していたのに、私にはそんな感じで話しかけてくるんだ。私のことを馬鹿にするのもいい加減にして。あなたは好きかもしれないけど慧ちゃんも杏珠ちゃんもあなたのこと嫌いだからね。慧ちゃんも杏珠ちゃんも私のほうが仲良しだからね。

 あ。勝てそう。次同じことを言われたら、きっとこうやって言い負かして見せる。

 脳内のすずめちゃんと口論しているうちに談話室についた。塞がった両手ではカードキーをかざすのにもたつく。

 ピピ

 後ろから伸びた手がロックを解除した。

「どうぞ?」

 いつの間にかすずめちゃんが追い付いていたようだ。聞こえるはずのない脳内会話が垂れ流されていたんじゃないかと錯覚して顔が一気に火照る。すずめちゃんは何食わぬ顔で部屋に戻っていった。

 何かが喉の奥につっかえて息苦しい。よくわからない、いやな気持ちになった。さっきの会話をもう忘れたかのようなすずめちゃんの態度にも、彼女を目の前にすると悪態がまるで言えないことを自覚した自分にも、やっぱりなんか下に見られている気がするのも、全部嫌で、もどかしくて悔しい。でも、全部自分の中で起こった葛藤だからだれにも伝わらなくて、叫びだしたくなる。

 扉が閉まりそうになり慌てて入った。談話室をノックするとしゃべりながら由愛ちゃんが開けてくれた。

「絶対にない!ほんときもい!」

 由愛ちゃんの発言に舞が大笑いしている。何の話だったんだろう。私の悪口じゃないだろうか。

 買ってきたお菓子を真ん中のテーブルにドサドサと置く。私の後ろに立つ由愛ちゃんが何かしたのか、舞がまたキャッキャと大声で笑った。

 疎外感と、自分が馬鹿にされているような気がする息苦しさ。それを押し殺すように口角をあげる。

 舞が少しソファーの右側を空けた。由愛ちゃんがソファーの左側にあるクッションに座っているのを確認し、自分のためのスペースだと認識する。手を差し出され、一瞬戸惑った。握手なわけないし、お菓子なら自分でテーブルからとったほうが早いけど・・・

「カードキー」

 あっ。慌てて首から外し舞に返す。舞はくるくるとひもをカードに巻き付け、ぽいっと空いているクッションに投げる。大金とも等しいカードキーを無造作に。

「なんか臭い気ぃする」

 舞が顔をしかめてため息をついた。ちゃんと歯磨きもしたし、朝風呂も入った。臭いはずがない。なんだろう。なんで臭いんだろう。どうしよう。

「あー、有栖川藍の?」

「そうそう、部屋のディフューザーがめっちゃきつくて。なんかうちの服にまで移ってる気がする」

 ああなんだ。胸がきゅっと締まっていたのが一気に和らぐ。

「ほんっまに嫌。まじでどうにかならんかな」

 最近、舞はルームメイトの有栖川藍の愚痴を言うことが増えた。有栖川さんの趣味の小物が部屋を侵食することが許せないのだという。

 有栖川さんの悪口を聞くとき、心がほっとする。前のルームメイトだった私の方がよかった、という意味だから。舞にとって、自分がそれを打ち明けられる存在であることに安心する。共通の敵がいることに。共有できたことへの背徳感に。誰もが誰かに疎まれているという現実に。私が同室だったときは、舞はのびのびとできていたはずだ。私だったら舞のスペースを自分色に染めようなんて思わないし、舞の好きな香り、舞の好きな音楽を流せた。

「くみ、あいつどうにかしてや」

「どうにかって?」

「この学園から追い出して」

 舞がため息交じりに言う。

「そんなことくみにできっこないでしょ」

 由愛ちゃんがポテトチップスの袋を開けながら言う。ちょっと、心外だなと思った。由愛ちゃんもすずめちゃんと同じく私を下に見ている。

「藍、なんかオレンジっぽい封筒で誰かとやり取りしてんねん。前にこっそり見たけど、場所と時間が書いてるだけの手紙でさ、多分誰かと待ち合わせしてるんよね」

「ふうん、なんか小学生の秘密ごっこみたい」

「あれ利用できひんかなーと思って。どっかに呼び出してさ」

「どこかって?屋上に呼び出してどーんみたいな?」

 由愛ちゃんの冗談に舞がまたキャッキャと笑う。今の話って面白いのかな。笑いどころがいまいちわからないが、曖昧に笑顔を作る。

「な、くみ頼むわ」

 黒目がちな目を細めて舞がこちらをみる。ここもきっと笑うところだ。へへへと笑うと、目がすっと冷たくなった。

 やばい、間違えたっぽい。

「期待してるね」

 舞が左手の中指の指輪をかざした。それを見て、由愛ちゃんも左手の中指の指輪をこちらに差し出した。目の前に差し出された二つのこぶし。私も、二人とお揃いの指輪をかざした。


牧野 くみ Fin.


 


「あんたたちといると私まで色眼鏡で見られる!」

 食堂で痩せた少女が叫んだ。早めに来ていた他クラスの生徒が怪訝な顔でそちらを見ている。

「ちょっと、大きな声出さないでよ」

「だって、あんたたちが変な趣味してるから、私なにもかかわってないのに!」

 ヒステリーを起こす少女と対照的に、他の三人はげんなりとしている。

「そもそもどうして流出したの?」

「マーチ、千原さんにみせた?机に出しっぱなしにしてたんじゃないの?」

「そんなわけないじゃん」

「じゃあなんで千原由愛があのノートを持ってたの」

 沈黙。その間も桃乃は一人だけぶつぶつと呟いている。

「あの二人、すごく気まずそうだった。私たちのせいだよ」

「ああー、まさか自分たちが推しカプの恋路を邪魔するモブになってしまうとは・・・」

「やめてチュン、今そういう言い方するの」

 咎められたすずめは気まずそうに、そして不満げに視線をそらした。

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