1-③ ガルニチュール
佐々木 実音 出席番号六番
バスケットボール部 高等部入学
「さっきのはさすがにやりすぎじゃない?」
「は?なんで?マリは被害者だよ」
家庭科室から教室に戻る道中、成瀬満里奈、江藤レミ、そして私。いつもの三人で話す。
今日の満里奈は一際機嫌が悪い。さっきの家庭科の授業中のことに関して、レミがたしなめようとしている。
班が違ったため状況は把握できていないが、簡単に言うと満里奈が西田桃乃に鍋の水をぶっかけた。ガトーショコラを作る授業中、同じ班のレミと一緒にチョコレートを砕いているときだった。水音に驚いてそちらを見ると、西田の黒いツインテールからぽたぽたと水が滴っていた。
「被害者って?」
「あいつが先に水かけてきたの」
いや、そんなことしないでしょ。そう思ったが口には出さなかった。
「なるほどね、じゃあ正当防衛?じゃん」
レミの言葉に、でしょー?と嬉しそうに笑う満里奈。私も笑った。
「あいつ、中学の時はデブでいじめられてたらしいよ。魔物ちゃんとかいうあだ名で。なのに今はガリガリのぶりっ子でナルシスト、笑っちゃう」
「なにそれウケる」
「魔物ちゃん?」
トイレの洗面台でメイク直しを始める。食後はリップを塗りなおさなければ落ち着かない。ついでにパウダーファンデをはたき、マスカラやアイラインがよれていないか確認する。目尻のラインを綿棒で少し整えて、ビューラーでまつ毛を上げピンセットで束感を作る。
「彼、今オーストラリアにいるんだって」
いまだ続く悪口が嫌で、話題を変えるよう誘導する。
「まじ?お金持ちは違うね」
「写真みる?コアラの」
「彼氏のじゃないのかよ!」
冗談に、大げさにリアクションを取ってくれるレミは、三人の中のムードメーカーだ。気分屋の満里奈とあまり自己主張をしない私をうまく中和してくれる。
入学後すぐ、江藤レミと仲良くなった。明るい彼女とはよく気が合い、校則の緩さを目的に入学を選んだらしいのが色素の落とした髪と小麦色の肌から容易く想像できた。その後成瀬満里奈も仲間に加わった。満里奈は中学時代の不良っぷりを見兼ねた父親がなけなしの金を振り絞りこの学園に入学させたらしい。ここにも中学の友人と同じような人がいるのだと、三年間への漠然とした不安が少し解消されたような気がした。
でも、本来できていたことに対する異常なまでの制限がそこにはあり、みんなそれに気づかないフリをしているようだ。
学園は見た目の装飾などに関する制限は緩いが、電子機器の持ち込みが一切禁じられている。物心がついたころからスマートフォンを常に持っていた私たちの年代からすれば、それはとんでもなく不自由だ。穢れた俗世との関わりを断つという強い意志を感じた。
ここはお嬢様たちを閉じ込めるための監獄、だと。
「見てってば」
「やだよ、コアラでしょ?」
「え、待って本人じゃん!!やば!」
昨日届いた彼からの手紙に添えられていた、コアラとお母さんとのスリーショット写真を二人の前にかざすと、目をキラキラさせて食いついてくれる。
「イケメンすぎでしょ。お母さんも綺麗~」
「金持ちでイケメン、親ガチャ大成功って感じだね。実音も、彼ガチャ大成功。いいなぁ」
中学時代にできた私の自慢の彼だ。悪口をもかっさらう素晴らしい彼。
いつも一緒にいる満里奈とレミ。似たもの同士が集まった少数グループ。クラスでもそれなりの地位を確立している自覚がある。それは満里奈の威圧感ゆえということも気がついている。
一言で言えば満里奈は、いわゆるクラスの女王様タイプだ。中学の頃はきっと、男子なんかも尻に敷いて顎で使うような、圧倒的権力者だったに違いない。それは出会って数ヶ月も経ったらよくわかる。
レミがネイルをしていることを頭ごなしに怒鳴りつけた体育教師に反論しに行き、授業や運動に支障の出ない範囲であれば許容すると学園長の許可を得たり、メイクが派手だとケチをつけてきた上級生を叩きのめしたり、アウェーな外部生という立場にも関わらず内部生とも怯まず対等な関係を築いている。何事にも動じないかっこよさを感じると同時に、周りを見ることができてないなと呆れてしまう。自分たち以外は全て下に見ているような、そんな態度。口を開けば誰かを嘲り罵る言葉が吐き出されるばかり。
人の悪口はあまり好きではない。言っている人の歪んだ表情は醜いし、言われている人のことも、いつの間にか悪い印象を持ってしまう。
でも、この場所に居続けるためにはニコニコ頷いて同意している風を装う他なかった。今の立場を失うのが怖い。そして、恐れられている今の立場から他のグループに入れてもらえる気もしない。
傍から見て、私やレミは満里奈の添え物なのだろう。メインの悪役の両脇に控える端役。でも、満里奈というメインディッシュのイメージは、ガルニチュールの私のイメージにもなる。
そんな自分が大嫌い。自分の意思はどこにあるのか。
いつの間にか獲得していた地位。満里奈とレミと一緒にいるだけで、私まで恐れられ気遣われ、そして疎まれる。私がなりたかったのはこういう人間だったっけ。気持ちがどこにあるのかわからない。
私の両親は喫茶店を営んでいる。個人経営ではあるが、街では一番大きかった。学校が終わってから閉店するまでいつもそこで宿題をするのが幼いころからの日課。五つ上の兄は中学卒業後、家業を継ぐために毎日キッチンに入っていて、宿題をする私のもとに、新しく覚えた料理を持ってきては感想を求めた。
ナポリタンと挽き立てのコーヒーが自慢のうちの店は地元では有名で、兄がキッチンに入るようになってから、お弁当も売っているが、開店の九時から飛ぶように売れて十一時になるころには売り切れてしまう。私は特にロコモコ弁当が好きだった。ハンバーグを割るとたっぷりの肉汁がご飯に染み込み、途中から目玉焼きの黄身を割り混ぜて食べる。ガルニチュールマッシュポテトのクリーミーさは格別だ。都市部に通勤するお客さんから、朝の通勤前から売ってほしいと要望が寄せられ、今年からは六時頃からテイクアウト営業をしているらしい。
常連のおじさんやおばさんは、店で宿題をする私にいつも優しい眼差しを向けた。「大きくなったね」と話しかけてくる大人たちは、私にとっては親戚も同然だ。
この学園への入学が決まり、周りの友人達に羨まれながら髪を明るくしピアスをあけた。グレた訳でもなく、単なる自己表現だった。その時も大人たちは、「おとなっぽくなったね」「可愛らしいね」と褒めてくれた。
今の彼は、そこの常連客だった。
彼と出会ったのは中学二年の秋頃。部活もなく、いつもより早めに店に帰ってきたその日、私の座る席の正面に彼は着いた。どこか品のある立ち居振る舞い、よく見ると持ち物にもこだわりがあるのか高品質高価格のものだと私の目でもわかるようなものばかりだ。彼は、一人だけ浮いて見えた。一目惚れだった。
隙あらばペンを止めて彼に見惚れてしまう私に、小声で兄が囃し立てる。
「あの人しょっちゅう来てるぞ」
近くの名門大学に通う彼は私の七つ上だった。四年生にもなるとあまり学校がないらしく、店に来てくれることが少ない。でも、数少ないその機会を逃すまいと冬休みや春休みも店に居座った。そして会えた日は必ず彼に話しかけた。彼は祐樹さんというらしい。
子供を見るような視線は変わらなかった。大学生から見て、中学生なんて恋愛対象ではないのだ。それでも、諦めきれなかった。大人になったら七歳差なんて大して珍しくもない。うちの親も六歳差で結婚している。
「実音ちゃんは高校はどこに行くの?」
祐樹さんから聞かれ、自分が来年受験生だということを思い出した。特に行きたい学校も、将来の夢もなかった。兄が高校に行っていないからか、進学が絶対という概念がなかった。
「もう受験せずにこの店で働こうかなって」
「え。そうなの?そうか、家業を継ぐのは男だというのは固定観念だな」
「そうだよ考え方が古い」
「はは、そうだな」
「でも」
女として見られていないことをわかっていながらも、聞いてみる。
「でも、結婚するなら中卒は嫌?」
「結婚?そうだな、僕は結婚するのは決まった高校を出た人って決めているよ」
「え?!どこ?!」
「緑風学園」
「なにそれ?」
「育ちのいいひとが出る学校だよ」
「じゃあ私、そこに行く!」
あの時の祐樹さんの言葉は、近頃勉強をしていない私を見かねた兄の差し金だったらしいが、その甲斐もあって私はこの学園に入学した。もともと勉強が不得意なほうではなかったが、凄まじい学力向上に祐樹さんも驚いていた。勉強をするうちに、緑風の自由な校風も気に入っていた。
寮生活になるというのは、受験ギリギリに知った。それでは祐樹さんに会えなくなってしまうではないか。もう受験は辞めると泣きついた私に、祐樹さんは必ず手紙のやり取りをすると約束してくれた。
今でも、勉強は寮にあるカフェテリアでするのが一番捗る。騒がしい場所でよく集中できるね、とレミは不思議がっていたが、これは幼いころからの習慣だから仕方ない。
とはいえ、こんな気が遠くなるような経歴の両親を持つ人達がいる教室で、「私の家は地元で一番大きいカフェを経営していて・・・」なんて口が裂けても言えなかった。【My Deep Valley】の社長を母に持つ、深谷舞が同じクラスにいるというのに。
深い谷に向かってコーヒーが流れ込むイラストがロゴマーク。関西発祥の大手有名カフェチェーンだ。
娘に深谷舞だなんて、会社の名前をそのまま付けたような名前。センスのない安易な名だなぁと、彼女に初めて会った時思った。彼女はいつも明るい笑顔で、関西訛りのある晴れやかな喋り口は不安など知らないかのようだ。親からの愛情を一身に注がれて生きてきたのがよくわかる。
寮のカフェテリアも【My Deep Valley】の系列店だが、舞はほとんど来ない。談話室で世間話に花を咲かせていることがほとんどだ。
彼女の仲良しグループは、家柄や緑風歴などがバラバラのメンバーが集まっている。外部生も、初等部から通っている子も、学年主席もいる。どうして、生き方も思考も違うであろうメンバーで、なんのいざこざもなく仲良くできるのだろうか。
不思議でならないが、小さな羨望もあった。私もあんな風に、劣等感を感じずに友達を選ぶことが出来ればどんなにいいか。
周りの目を気にして、思うように動けない。本当は満里奈に悪口やいじめを止めるように言いたい。本当は内部生とも外部生ともみんなと仲良くしたい。本当は晩御飯のハンバーグはご飯の上にのせて割り、肉汁を染み込ませた白米をスプーンで食べたい。
カフェテリアは寮のホール付近にある。大理石風の床、モダンな木目調の壁。カウンター席が真ん中に向かいあわせで並び、それを囲むようにテーブル席が合計十グループ分。
入口から一番遠い、左隣が壁に面するカウンター席が私にとっての特等席だ。
カフェテリアのいつもの場所。一人で来ている人は他におらず、入口近くの四人がけのテーブル席で他学年の生徒が数人で談笑している。部屋着のまま出てきているのだろうか。スウェットパンツにティーシャツ姿で揃えられたような彼女たち。少し見ただけで分かる。彼女たちは外部生だろうと。
私もそう見えているのだろう。あそこに座るひとりぼっちの一年生は、きっと学園のイメージにそぐわないあの派手な見た目でクラスメイトから距離を置かれた可哀想な外部生だと。
そうだよ、間違ってない。私はこの学園にふさわしくない。この学園になんて入るべきじゃなかった。パパやママ、お兄ちゃん、祐樹さんにも会えない。俯いた視界にチラつく茶髪。ホリデーの間に染め直したが、もうすっかり落ちてただの傷んだブリーチ髪だ。
レミに施してもらったシンプルなフレンチネイルの小さなストーンが照明に照らされチカチカと光を反射させる。メイクで着飾って取り繕ったって、結局中身が伴っていなければ世界は変わらない。最初からもっと身の丈にあった場所にいれば、そんな現実に気づくことも無かっただろう。
ネイルのシフォンベージュがボヤける。
中学までの私なら、満里奈みたいな子にどんな言葉をかけただろう。大人になるというのは、小心者になるということなのか。どうも今の私は、友達に注意する正義感よりも保身のほうが大事らしい。
そんな自分を恥じて、満里奈やレミを少し心の中で腐してしまう自分を恥じて、この上品な空間に似合わない自分を恥じる。
「実音さん、どうされたの?」
どれくらいそうしていたのだろう。先程のスウェット集団はもうカフェテリアには居なくなっており、窓から見える園庭は翳っている。
いつの間にか私の隣の席には、クラスメイトの四条菫が腰掛けていた。リボンが施された白いブラウスに膝を隠す丈の黒いスカート。丁寧にカールが施された髪。想像通りのお嬢様。彼女はいつも、有栖川藍や従姉妹の矢代蘭と一緒にいる。口数は少なくほとんど話したことは無いが、有栖川藍と同じように小さく口を開き丁寧すぎる言葉を紡いだ。
「なんでもないわ」
彼女達のような話し方をする人を相手に、どのような言葉遣いで返せばいいものか。普段レミや満里奈と話していたような話し方では下品だと思われてしまいそうで。かと言って、「〜ですことよ」「〜かしら?」という話し方をする自分を想像すると身震いしてしまう。
「そんな悲しい顔をして、なんでもないだなんて。強がりを仰らないで」
食い下がってくるとは思っておらず、少し呆気に取られた。菫さんは真っ直ぐな目で私を見つめている。
「私じゃ力不足かもしれないけれど、大切なクラスメイトとして相談相手にくらいならなりたいわ。だから泣かないで」
涙が流れている自覚はなかった。しかし、テーブルの木目にはドリンクの輪染みと別にポツポツと水滴の染みが滲んでいた。まだほとんど口をつけていないアイスティーは溶けきった氷で色が薄まっている。コーヒーはうちの店のほうが圧倒的に美味しいから、ここでは頼まない。
「満里奈と、気持ちが合わなくて」
「満里奈さんと?そうなの・・・」
理由や詳細を聞くわけでもなく、「それは悲しいわね」と菫さんは呟いた。
「それはね、本人に伝えてあげた方がいいわ」
ただ話を聞いてくれるだけでも慰めの言葉でもない。初めて話した四条菫は、イメージと少し違い戸惑った。
「でも、そんなこと言ったら喧嘩になっちゃうかもしれない」
「そうね・・・私、誰かと喧嘩したことは無いのだけど」
菫さんは四つ折りにされた薄いピンク色のレースのハンカチを差し出しながらゆっくりと話し始めた。
「喧嘩って、対等な立場の人とじゃないとできないじゃない?主と使用人・先輩と後輩とかだったら、説教や反抗に見える。私たちくらいだと、例えば大人しい人と活発な人とでは喧嘩は成立しないとは思わない?立場の違う人同士ではどちらかが必ず悪に見えてしまう。」
満里奈が大人しいクラスメイトを罵倒するいつもの光景と、満里奈のいない場所で正田さんや糸井さんが私達の悪口を言っている光景が目に浮かんだ。
「確かにそうね」
「そうでしょう。あと、そこには友情も必要よね、自分の意見をわかって欲しいという相手とじゃないと、喧嘩をするだけ無駄な労力じゃない」
「うん、そうね」
「満里奈さんと実音さんはとても仲がいいご友人なんでしょう。でも、違う人間なんだから意見がすれ違うことなんてあるに決まってるじゃない。私だって十五年一緒に生きてきた蘭のこと全然分からないわ」
「そうなの?従姉妹なんでしょう?」
「ええ、でも他人の心なんて心理学者でも占い師でもきっとわかってやしないわ。所詮統計学でしかないもの。数え切れないほどいる人間全てが統計で測りしれるわけが無いでしょう」
「蘭さんと喧嘩はした事あるの?」
私がまだ半年の付き合いの満里奈とすれ違った分、十五年も共に生きる二人はすれ違いやぶつかり合いの機会が多くあったはずだ。
「いいえ、したことはないわ」
「そう、二人は仲がいいもんね」
「そうじゃない。私と蘭は対等じゃないからよ」
「・・・え?」
対等ではないとはどういう意味なのだろう。同い歳の従姉妹同士だというのに。
「ごめんなさい、変な言い方をしちゃったわね」
ふふふと笑って菫さんは姿勢を整えた。
「どういう意味?」
「いいえ、悪い意味じゃないわ。私と蘭は性格が違いすぎるから、対等な心で喧嘩することは出来ないと言うだけ。蘭の無邪気な考え方は私には計り知れないし、それはお互い様。彼女に対してなにか思うことがあっても、そこには彼女なりの筋がある。それは私には理解できない。だから喧嘩することはないのよ。それだけよ」
菫さんの言葉の本質を、私は理解できそうになかった。しかし、彼女の言葉に憂いがある事は感じとれた。そしてそれを追求してはいけないということも。
「満里奈さんは芯を持った素敵な人だと思うわ。彼女の想いを理解できる人は少ないかもしれないけれど、彼女なりの正義がきっとあるのよ」
だから嫌いにはならないであげて、そう続ける菫さんはまた、私と違う次元で話しているようだった。
満里奈はあなたのことも悪く言ってるのよ、獲物のとり方も毛繕いの仕方も知らない気取った猫だって、努力も自分で生きていく術も知らないただのお人形に過ぎないんだって。申し分ないその容姿も、満里奈は無意味に蔑む。その言葉の矢はあなたに届かないだけで、何度も何度も放たれている。それを知ってもなお、あなたは満里奈をよく言えるのか。
「部活休んでなにしてたの?」
部屋に帰ると、レミが先に戻っていた。金髪をお団子にまとめ、前髪はポンパドールに上げた彼女は、責めるわけでも本当に何をしていたのか知りたいわけでもなさそうな間延びした口調でそう問いかけてきた。
「なんかめんどくさくて。カフェにいた」
四条さんと話していたことを言うと、無意味な罵りが始まる気がして黙っておいた。ふうん、とやはりそこまで興味のなさそうな声が返ってくる。
「満里奈もいないし顧問来るし最悪だったよ」
「あれ、満里奈もさぼり?」
「ううん、生徒指導」
そっか、そういえば呼び出されてたっけ。もう日常茶飯事で満里奈にはなんの反省もないというのに。
「まあ、今回のはやりすぎだよね」
「え?先にあっちが水かけたんでしょ?正当防衛じゃん」
レミは当然のように言う。満里奈の機嫌を取るための発言じゃなかったのか。
「いや、そんなわけないじゃん。西田さんが満里奈に水をかけるなんてあり得ない」
「でも、実音も見てたわけじゃないでしょ?ほんとかもよ」
どうしてそう思えるの?レミまでそんな倫理観なの?満里奈のガルニチュール同士だと思っていたのに、少し幻滅する。やっぱり、類は友を呼ぶのか。私も類なのかな。
「仮にほんとだとして、やり返したらダメだよ。実際怒られてるし」
「え、実音は満里奈の味方じゃないの?やられたらやり返してもいいじゃん。目には目をってやつ?」
「違うでしょ、正しい人はやり返したりしないよ。満里奈は間違ってる」
「実音にとっての正しさって何?」
少し、レミの機嫌が悪くなった。正義論をしゃべりすぎてしまったか。こういう喧嘩のような空気はやっぱり私は好きじゃない。
「実音はさ、満里奈が悪いって決めつけすぎてるよね。たとえ西田桃乃が満里奈に先に水をかけていたとして、西田はそんなことしなさそうだから、そんな場面誰も見てないから、証拠がないから、そうやって満里奈だけを悪者にしてるよね?日ごろの行いは確かにあるかもしれないけど、満里奈が動いた理由を何も考えず頭ごなしに悪者にしてるよね」
「いや、でも満里奈が鍋の水をかけたのは事実じゃん。仮にそうだったとしても西田桃乃が満里奈にかけた水は目立たないほどほんの少しでしょ。それにあんな量の水、頭からぶっかけるなんて絶対におかしいよ、正当防衛じゃない、過剰防衛でしょ」
「は?問題は水の量なわけ?目に見えた仕打ちをした方が悪なの?じゃあ顔を殴った人と服で隠れるお腹を殴った人がいたら、顔を殴った人だけが悪なの?そういうことだよね、言ってるの」
曲解してどうしてそんなにも責められなければいけないのか。家庭科の授業に起きたトラブルで、なぜ私とレミが言い争うのか。私の言っていることは間違っているの?レミの言いたいことはわかるけど、満里奈は確かにやりすぎだったじゃない。西田桃乃が水をかけたかなんてわからないけど、それって重要?あの子がかけてもかけなくても、鍋の水を頭からかけたのが正しいわけがない。水しぶきがかかってしまった人、びしょぬれの床を拭いた人、満里奈や西田さんと同じ班だった人、家庭科の先生、何人に迷惑をかけた?水をかけられたならその場で謝らせればよかったのに、穏便に済ませようとしなかったのは満里奈でしょう?楽しいはずの調理実習に余計な緊迫感が生まれてしまったのは、満里奈のせいでしょう?
「夜ご飯までにお風呂入っちゃう?」
レミに問われ、時計を見る。十八時か、夕食まで一時間ある。お互い黙り込んだまま、時間がたっていたようだ。レミは冷静になったようで、先ほどの言い合いはなかったかのような声色だ。
「そうだね、レミ先はいる?」
「ううん、メイク落としたくないし」
「そっか」
レミはすっぴんを見せるのを極端に嫌う。お風呂上がりは目にかかるほどの前髪を下ろしマスクをするので、同室の私でも、ほとんど素顔を見たことがない。いつも濃いメイクをしているから、それとのギャップに耐えられないのだという。近くで見ないとわからないが、マスクと前髪の間に覗く目元は普通にかわいいのに。確かに、アイラインを引いたいつものキツい目つきとは対照的に、すっぴんは丸い目をしていて印象が大きく違うのは事実だが。
「じゃ、お先」
一声かけて、部屋にある浴室に向かった。
シャワーを浴びると、頭が冷静になる。嫌なことも不安も洗い流されていくようだ。
毎週のように手紙をくれる彼がいて、家族や常連さんにも愛されている。満里奈やレミのことは大好きだし、私の立場を揺るがすような脅威もなくて、内部生とも仲良くできている。私は幸せ者だ。無駄なことを考えるのはやめよう。
人にはそれぞれ正義があって、それが間違っていないと信じている。私の正義はレミにとっては悪で、それが一般論なのかもしれない。わからない。正しさがわからない。
だから、私は今はガルニチュールとして、黙っているのが得策なのだ。きっとお風呂から上がって笑顔で話しかければ、レミは何事もなかったかのように接してくれる。きっと私も、夜ご飯の時には満里奈にいつも通りの笑顔を向けられるのだ。
今の自分の役割を、言われた通り、求められている通りに全うすることが、大人になるということ。
佐々木 実音 Fin.
ある部屋で、一人の少女は机に向かっている。部屋にあるシャワー室から別の少女が出てきた。
「おさき」
その声にハッとして、教科書から顔を上げる。
「偉いね、テスト終わったばっかりなのに」
「そんなことないよ、勉強しないとできないから」
「文加は頭がいいんだから大丈夫だよ、無理しすぎないようにね」
お風呂上がりの少女が髪を拭きながらベッドに腰掛けた。
「そうね、ありがとう真那ちゃん」
そういいながら筆箱の中の順位表の2という数字を見て、文加はため息をついた。
ある部屋で、二人の少女が会話している。
「見て、これ、蘭ちゃんがくれたの」
「そうなんだ、すずめちゃんによく似合ってるね」
すずめがブレスレットをかざして見せる。
「ありがと。くみちゃんのそれも貰い物でしょ?舞さんの」
そう問われ、すこし困り顔でくみは応える。
「うん、舞にもらったの」
憂いのある表情で、左手の中指にはまる指輪を見つめた。
ある部屋で、一人の少女はベッドに寝転がっている。彼女はふと思い立ったように起き上がり、先ほどのベッドとは反対側にあるデスクを開いた。
「あったあった」
彼女はポストカード大の紙を取り出す。
「やっぱりそうか」
それは一枚の写真だった。彼女はそれでパタパタと顔を仰ぎながら、座っているチェアをクルクルと回す。口元には笑みがこぼれていた。
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