1-② 身もこがれつつ
有栖川 藍 出席番号一番
文芸部 初等部入学
昨日の雨で、紅葉はほとんど落ちてしまいました。秋はどこか風情があり、そして儚い。百人一首の唄に秋のものが多いのも頷けます。
窓の外の曇り空にため息を吐きつつ、お気に入りの作家さんの本を今日も手に取る。新作が入荷されているとのうわさを聞きつけ、放課後の部活動まで待ちきれず昼休みに読みに来てしまいました。
この方の書く本は、なんとも甘美で純情な恋物語。初等部よりこの学園に通う私にとって、男性との関わりは家のものか先生くらいです。私もいつかはこのような素敵な出会いや駆け引きに一喜一憂する日が来るのでしょうか。
素敵です。その時は、この本と同じように桜の下でお弁当を食べたり、動物園やお祭りに連れて行ってもらったり、一緒に喫茶店で読書をしたい。長く連れ添う中でなにかでもめてしまうことがあるかもしれませんが、愛があればどんな困難も乗り越えられると決まっています。最後はキスをして、そして・・・
などという想像を膨らませてはいますが、有栖川の娘は有栖川家から出ることなく、良家の出の男性とお見合いで結ばれるのが定めです。私の夢見る理想の人とは会うことなんてできない。
『来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ』といったところでしょうか。来ぬ人といえど、まだ会ってもいない人ではありますが。
私は代々政界に籍を置く由緒正しき有栖川家の娘として、初等部より緑風学園へ通い、申し分ないお育ちの友人と勉学を共にし、友情を育んでまいりました。
有栖川の本家はここから少し離れた場所にあります。荘厳な雰囲気を持つ門には部外者の立ち入りを固く制限する厳重なセキュリティが施されており、玉砂利が敷き詰められた園庭は、真ん中の淡い白色の煉瓦道を囲うように大御祖母様が好まれていた花々が爛々と咲いております。
伝統だけで言えば、私の家は学園トップクラスで、御母様も御祖母様も緑風学園出身。有栖川家への嫁入りである伯母様も緑風学園出身です。もちろんいずれ兄様がお嫁に迎え入れる方も、緑風出身となることでしょう。
緑風学園とは縁の深い一族のため、学園長だけでなく、ほとんどの先生方は私の事も親族の事もよくご存じです。初等部に入学した際も、学園長直々にご挨拶にいらしてくださり、御母様と仲睦まじくお話しておられました。幼心にも、有栖川家に生まれたことへの誇りを感じたことです。
兄様は七つ上で、去年皇族の方も通われる大学を卒業しました。家督を継ぐ予定のない私は勉学において厳しくされることはなく、蝶よ花よと育てられました。将来は御母様と同じように、優れた方を夫として迎え、有栖川家から出ることなく、何不自由なく生きていくことが約束されているようなもの。故に、美しく礼儀正しく愛想を絶やさずいればそれだけでいいのだと、私を膝に乗せながらいつも御祖父様は言いました。
それ故に、何かに追われて焦燥を感じたり、将来へ対する不安を持つということは私とは無縁で、高等部へ上がった最近、外部生の方々との交流を経て知ったことでした。高等部を卒業した後の進学先や、将来の就職先など、一般家庭にお生まれになった方々の気苦労は計り知れないものですね。
私の心からの友人である四条菫と矢代蘭。二人は、中等部の時に姉妹校から緑風学園に編入して来ました。初等部の頃通っていた学校は通学制だったらしく、寮生活には少なからず不安があったよう。今では活発すぎるほどの蘭がいつも菫の後ろに隠れて不安げに大きな目をさまよわせていたのを今でも思い出してクスリと笑ってしまいます。菫がお姉さんのように蘭をリードしていて、姉妹のいない私は羨ましくも思いました。
この二人は従姉妹同士ですが、性格はまるで対称的。
軽音楽部の蘭は授業が終わるや否や、一直線に音楽室へ駆けてゆきギターを掻き鳴らす奔放さが持ち味です。蘭のあらゆることへの興味や探究心は私の感性を豊かにしてくれます。
対して菫は、私と同じく文芸部に所属し、黙って物語の世界に心を馳せるおしとやかな性格です。知的で良家の娘の鑑ような所作や佇まいは学ぶものが多くあります。
トイプードルのようなあまりにも無邪気でキュートな蘭と、シャム猫のように気高く隙のない菫。家柄も申し分ない、自慢の友人です。
初等部の頃より、読書が私の趣味になりました。
出版社の最大手である月丘文庫のご令嬢、月丘杏珠さんが同学年で緑風学園に入学し、その際沢山の本が寄贈されたので、緑風学園の図書館は街の図書館とは比べ物にならないほどの品揃えだそうです。私が学園で過ごす十二年では、この内の一パーセントすらも読破することはできないでしょう。
有栖川家にも書庫はありますが、政治経済に関するものや文献が多く、あまり小説や文庫は数がありません。それらはほとんどホリデーでの帰省の間に読み切ってしまいました。
我が学園の高等部では、部活動への参加が原則義務付けられており、言わば七時限目です。私は当然、文芸部に加入しており、その時間を愛する本たちと過ごす有意義なものにしております。
三階建ての図書館の、一階の隅が私のお気に入りの座席です。棚いっぱいに並んだ本が、外の騒がしさを吸い込んでくれる。ノイズは排除され、淑やかな人だけが集まるこの場所で、うっとりするような恋愛小説に浸るのが至福。初等部からもう十年ほど入り浸っているのに、見上げる本棚の中で読んだことのある本はまるでひと握り。なんとなく悔しい気持ちと、終わりのない娯楽への高揚感。やはり放課後だけでは足りません。
本の世界に浸る至福の時間を過ごしていると、騒がしい声がこちらへ入ってきました。同じクラスの面々が、なにやらゆがんだ表情で醜い暴言を吐いている。
ああ、このサンクチュアリを汚さないで。
眉を顰め彼女たちを見やると、一人の子と目が合い、そして伏せられる。少しだけ、気分が悪い。何なのでしょうか、あの下品なレース。ブラウスや伝統的な腕章にまで。まるで幼稚園児の晴れ着です。入園式じゃあるまいし。はぁ、この学園にふさわしいとは到底思えません。
彼女たちが図書館の中心にあるデスクで談笑を始めたことにより、館内の静寂は死にました。どうして、図書館では静かにする、という常識も知らないのでしょう。一般家庭の娘はそのようなことすらも教えられないのでしょうか。可哀想に。あとで文加さんには伝えましょう。彼女は仮にも内部生ですから、お手本になるべきなのです。
制服のブレザーの腕章にある星の色と数で、クラスがわかります。私のクラスは緑の星が一つ。彼女らと同じクラスだと一目で露見してしまいます。
静寂のない図書館は私の居場所ではありません。本に栞を挟み、周りの方に仲間だと思われてしまう前に外へ。
緑風学園は、高貴な家柄の娘が集まる学園でありながらも一般生徒の受け入れも行っております。それは、様々な境遇の方と友好を深めるという名目の上、緑風学園の偏差値をその名に恥じない程度の位置で維持する必要があるからだと、中等部の頃にどこかでこっそりと耳にしたことがあります。
中等部の頃はほんのひと握りの生徒が学力入学を許されておりましたが、高等部では約半数の生徒が受験入学で、十六人いる私のクラスでも八人が高等部入学、二人が中等部の特待生で、良家に生まれた生徒はたったの六人です。
この学園が外部生を受け入れているということに、賛成すると同時にもっと選別すべきだともつくづく思うのです。中等部のころ入ってきた少女があまりに傲慢で野蛮で・・・。
三年前、中等部の入学式に内部生代表スピーチで参加した私は、門の前が賑わっているのを見ました。聞けば、なにやら有名人が入学するとか。寮内にテレビはありませんので、そのようなものに疎い私は少し外の世界に触れる機会に胸を高鳴らせました。
立花春華。ストレートの黒髪にぱっちりとした瞳、薄い唇はほんのりと桃色で、可愛らしい名前にふさわしい綺麗な少女でした。
彼女に話しかけたとき、すでに彼女は菫や蘭と仲良くなっていました。
『あなた名前は?』彼女たちは三人とも名前が左右対称だということで意気投合したようでした。私は左右対称ではありません。少しの疎外感がありましたが、有栖川に誇りを持っておりますので、堂々と自己紹介をしました。
彼女は自然に私と友人になりました。中等部の一年生の頃は、春華さん・菫・蘭と四人で行動を共にしたものです。
しかし、彼女の本質は歪んだものでした。授業中に脚を机の横に出し、机の下に隠した小さなお菓子を先生の目を盗んで食べる。シャープペンシルをカチャカチャと音を立てて振り、ペンケースに入れている爪やすりで爪を整える。休み時間であればともかく、授業中にそんな行動を取る人を初めて見ました。他の人が静かに黒板だけを見ていることに気が付かないのでしょうか。
知らない常識なら教えてあげればいい、そう思い指摘したのを境に、彼女の私への態度は一変しました。
最初は勘違いかと思っていましたが、話しているところに近づくと露骨に嫌な顔をされ、私の言葉は聞こえていないような態度を取られてしまう。肩に触れるとなにか汚いものが付いたかのようにそこを手で払い、机や壁に擦り付ける行為をみて私はとても傷つきました。
「なぜそんなことをするの?」
「こういう遊び、小学校では流行ってたんだよ」
蘭の問いに春華さんはそう教えました。ピュアな蘭はそれを信じ、あろうことか同じことをするようになりました。そこに悪意がないのはわかっていましたが、みぞおちがグッと重くなって喉の辺りに何かがせりあがってくるような感覚がして、そのたびに春華さんはクスクスと嗤うのです。人から悪意を向けられたのは初めてでした。
菫に相談すると、蘭に『あの子は悪い子だから、関わらないでね。関わると藍が嫌な思いをするから』そう伝えてくれました。
それ以来、私たちは春華さんとは距離を置くようになりました。向こうから悪意を向けてくるのに、こちらから離れると不満げで理解ができません。
一番許せなかったのは、中等部の時にあった毎年恒例のクリスマスパーティのこと。
私は御祖母様にいただいた純白のドレスを纏い、菫や蘭を始めとしたお友達に絶賛をいただきました。
春華さんはその日に限って私たちのもとにわざわざやってきて、まるで親しい友人かのように話しかけてきました。きっと心を改めたのだろうと思い、最初のうちは普通に会話をしていたのですが。
春華さんの落としたハンカチを拾って差し上げようと屈んだ瞬間、彼女はあろうことか真っ赤なノンアルコールワインを私の頭から溢したのです。それも、グラス一杯分すべて。
御祖母様にいただいたドレスは一度しか着られずに駄目になってしまいました。
無視や汚物扱いは放っておけば害はありませんが、大切なものを汚されたり盗まれたりはさすがに許容範囲を超えています。
生きている世界が違うのだと思いました。本の中に出てくる恐ろしい悪役のようでした。現実にもあんな人が本当にいるのです。私は彼女を改心させる魔法も説法も持っていません。救いようがないと思いました。
教えてあげたことは正しいことですから、後悔はしていません。彼女が高等部まで上がってくることができなくて、本当に良かった。
いくら頭が良いとしても、有名だったとしても、学園の品格を落とすような子が入学するのは本末転倒と言えます。
別棟の図書館から本棟の教室へ延びる、臙脂色のレンガ道。色が違えど、実家の庭とよく似ていて安心します。ですが、コの字型の本棟の真ん中にある池が、どうしても好きになれないのです。そこを通ると中等部の時の忌まわしい記憶が蘇る。それ故に、いつもぐるりと校舎を回り込んで教室に戻ります。
「藍ー!」
振り返ると、図書館の方からトイプードルが駆けてきました。彼女の声を聞くと心の中に花が咲くような気持ちになります。
「蘭、そんなに走ると危ないわ」
素直に走るのをやめ、ぎこちない早歩きでこちらに向かう姿は愛くるしくて仕方がありません。おさげに結ばれたくせっ毛がふわふわと揺れているのも、トイプードルを連想させる理由の一つでもあります。
「藍、なんか嬉しそうね」
「蘭を見ると嬉しくなるのよ」
そう言うと、もともとの笑顔にさらに光がさしたようなきゅるきゅるとした表情を浮かべる。頭を撫でたくなる愛くるしさです。
「そうなの?私も藍が嬉しいと嬉しい!」
「蘭の笑顔を見ていると幸せが飛んでくるわね」
〈幸せが飛んでくる〉は、胡蝶蘭の花言葉。名前の通りだ。
本当に、無垢で素敵な子。蘭のようなかわいい妹がほしい。御母様におねだりしてみようかしら。少し考え、ボッと顔が熱くなりました。それは駄目ね、破廉恥だわ。
ふと、スカートのポケットに違和感を覚えました。朝受け取ったままにしていた山吹色の封筒です。それを取り出し開いてみると、二つ折りの便箋に《十八時半に裏庭のベンチ》とだけ、簡素な文章が書かれていました。
学園に嫌気がさしたことはありませんが、少しばかり刺激が足りないと思っていました。
これは私と相手の二人しか知らない、ひそかな楽しみ。こういう内緒のやり取りみたいなのは、心が高鳴ります。まるで小説の中みたいで。
「藍、チャイム鳴っちゃうよ」
「そうね、戻りましょう」
無邪気な手が私の手を握る。スキップをしながら私の前を行く彼女の速さに少しだけ駆け足になる。彼女といれば私まで陽気になったような気になって、心が弾む。きっとはたから見たらはしたないでしょう。それでも、今はこの心の高鳴りに身を任せたいのです。
本日は、家庭科の調理実習です。こんな機会でないと料理を学べませんので楽しみにしていました。家庭科係の菫が、ガトーショコラとスイートポテトパイにしたいと提案したらしく、菫らしからぬ気の入れようでせっせと準備をしていました。
その姿はまるで、好きな人に向けて一生懸命になる乙女のようでとても可愛らしく、私も彼女の集大成とも言える今日を楽しみにしておりました。
――バシャーンッ
菫の用意したレシピを見ながらチョコレートを砕いていると、大きな水音が聞こえて手が止まりました。音のした方を見ると、頭からぽたぽたと水を垂らした西田さん。その後ろで、青い顔をした菫が口元を押さえ絶句していました。
「成瀬さん何をしているの!」
先生の声が静まり返った教室に響く。菫が家庭科室の隅にある掃除用具入れから雑巾用のモップを取りに走っていきました。
「ゲームオーバーだ」
同じ班の正田弥生さんが、口角を上げてそう呟きました。彼女は芋虫のような太い指でチョコレートの欠片を拾い上げ口に運ぶ。あなたと仲のいい西田さんが酷い目に合っているのに、どうしてそんなにも面白そうなの?私は大切な菫が楽しみにしていた調理実習が台無しになってこんなにも憤慨しているというのに。彼女の不健康なほどにふくよかな顔を、気づかれない程度に睨む。びしょ濡れの西田さんは家庭科室を出ていきました。
濡れたまま歩き回る西田さんの後には水滴がぽつぽつと垂れ、菫がそれを拭いて回ります。何人かは手伝っていましたが、菫のあのような悲しそうな顔、私は初めて見ました。
「チーム編成ガチャ爆死乙~」
正田さんはその間もよくわからない言葉を口走りながら、チョコレートをつまみ食いしていました。
「あんまり甘くなかったの」
調理実習が終わり、蘭と菫と三人で教室に向かいます。蘭が三角巾をくるくると振りながらスイートポテトパイの感想を話していますが、菫は少し上の空です。
「お砂糖が少なすぎたんじゃない?」
菫がすっとお手洗いのほうに向かったので、私たちもそれに続きます。
「そうねぇ、レシピ通りのはずなんだけれど」
「だけどあんな騒ぎがあったら、お菓子の味よりもそっちが頭に残っちゃうわ」
菫が呟きました。こんな暗い顔で終わるはずじゃなかったのに。先ほどの騒動の当事者やそれを楽しんでいた正田さんに苛立ってきました。
「本当に、ああいったのは嫌ね。ほんと、困った人たちだわ。外部生の方々って、どうしてあんなに野蛮なのかしら」
こんな生きている世界の違う人たちを、どうしてこの学園に受け入れる必要があるのでしょう。外部入学なんて制度がなければ、こんなことにはならなかったのに。中等部からずっと、私たちは彼女たちのせいで不利益を被っている。
ここは由緒正しき緑風学園です。育ちのいい令嬢だけが通う聖域でいいのです。身の丈にあった場所に、あなたたちも帰りなさい。
《十八時半に裏庭のベンチ》
放課後、手紙にあった十八時半・裏庭のベンチで、手紙の主が待っていました。
挨拶や世間話もそこそこに、機密取引のようにずっと楽しみにしていた代物を受け取り、いそいそと部屋に戻ります。彼女とは少しだけ時間をずらして戻るのが、密会の重要なポイント。ああ、楽しい。
部屋に戻ると、おっとりとした大きな垂れ目を眠そうに瞬かせながら菫が待っていました。彼女は読んでいた本をぱたんととじ、あきれ顔で言いました。
「藍、どこに行ってたの?」
「なんでもないわ。どうかしたの?」
菫の表情を伺うともうさっきのように暗い顔はしておらず安心しました。やはり、本には人の心を安心させる力もあるのでしょう。
「藍が言ったんでしょう?おすすめの本があるって」
「そうだったわ!ちょっと待って」
私としたことが、すっかり忘れていました。菫の読む本は古いものや難しいものが多く、あまり私の好きな種類のものは読まないようなのです。なので、きっと菫も好きになるようなとっておきを共有しようと思っていたのでした。
「これね、切なくてとてもいいのよ。『忘れじの 行く末までは 難ければ 今日を限りの 命ともがな』という感じ」
「やだ、本の内容を先に言うのはやめてよ。楽しみが減ってしまうわ」
「ごめんなさい、つい」
菫はすこし膨れた顔をした後、口元に手を当てふふふとほほ笑む。豪快に笑う蘭とは全然違いますが、グレーがかった瞳の色がよく似ています。そんな彼女たちの切れぬ繋がりが時々羨ましくも思うのです。
「わざわざ取りに来てくれてありがとう」
「構わないわ、これを届けに来たついでだから」
菫が指した机を見ると学園のロゴが入った封筒が置かれています。机の真ん中にまっすぐ。きっちりしている菫は無意識のうちにそのように置いたのでしょうが、そこに気品が表れています。
「内部生の分は全部あるわ。あとは藍だけ」
「ありがとう。頼ってしまってごめんね」
全員分集めて先生に提出する必要がある明日締め切りの読書感想文。国語係の私の仕事なのですが、菫が集めておいてくれたようです。さすが菫。
「いいのよ、調理実習のアンケートを集めるついでだから」
「待ってね、私もアンケートを出すから。と言っても、お菓子の味より衝撃的なことが起きちゃったものだから、どうやってそのことに触れずに感想を書こうか大変だったわよ」
「そうよね、他の子にも言われたわ。何人かはそのことに関しての苦情を書いていたりして。困るわよね、それは事前に対処できるものじゃないもの」
冗談交じりに言うと、菫は眉をハの字にひそめ憂く。その表情に少し微笑みがあったので、きっともう心に整理がついたのでしょう。人に愚痴をこぼしたりせず、自分の中で整理をつけていつも通りに戻ることができる菫は、やはり私よりも少し大人びていて憧れてしまいます。
「ところで外部生の分は集めてないけれど大丈夫?」
「ええ、由愛さんが集めておいてくれるわ」
「そう、よかった」
斜向かいの部屋に戻っていく菫を見送り、先ほど受け取った秘密の封筒を開けた。
有栖川 藍 Fin.
談話室は他の部屋とは違い、柔らかなカーペットが敷き詰められ、真ん中のローテーブルを囲むようにクッションとソファーが並んでいる。教室や、ベッドやデスクのある各自の部屋と違い、行動位置が低い分、例えるならばキッズルームのような気軽さを感じさせた。
そこに色違いのパジャマを着た三人の少女がいる。まだ十九時過ぎだというのに、すでにもう寝る前のような格好だ。そのラフさが、談話室の雰囲気にはマッチしていた。
「くみ、宿題みせてや」
のんびりとした関西弁で、赤いパジャマの深谷舞は言った。声をかけられた黄色いパジャマの牧野くみは、今取り掛かっている課題から顔を上げ、既に完了したプリントを舞に差し出した。
「私もみせて」
それに便乗して、青いパジャマの千原由愛が身を乗り出した。くみは、いいよ、とほほ笑む。
「由愛は頭いいんやから自分でやりや!」
「だってくみほどじゃないもん、時間かけるくらいなら見せてもらった方がいいでしょ」
舞と由愛はプリントを宙にひらつかせながら押し問答している。それを見て、くみは困ったように眉をひそめた。
「おつかれ」
部屋に、二人の少女が入ってきた。
「お疲れ様」
弓道部の部活終わりにそのままこの部屋に直帰したのであろう、制服姿に重そうなリュックを背負った片桐慧と月丘杏珠だ。舞たちは二人に軽い挨拶を返し、二人も自然に会話に参加する。
「何もめてんの?」
慧の飽きれ交じりの問いかけに、由愛が舞への抗議を繰り返す。
「えーずるい!私も写させて」
杏珠は体を滑り込ませ、舞の持つプリントをパッと奪った。
「真那が来たら怒られちゃうから、写すなら今のうちね」
慧も便乗する。
十六人で構成されたこのクラスは、大きく四つのグループがある。この談話室は、三色パジャマのテニス部三人と、慧・杏珠の弓道部二人、そして中等部特待生入学の橋本真那の六人が占領していることがほとんどだ。
真那は軽音楽部のため、部活が終わるのが遅い。頭のいい彼女は宿題を写すなど言語道断と、彼女たちを叱るが、鬼の居ぬ間に洗濯といったところか、ローテーブルを囲んで五人は黙々と宿題を写し始めた。
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