第10話 廃トンネルの飢える霊

 次に瑠那が異変を感じたのは、立つ足元。地面からだった。

 ずぶりと、沈んだかのように感じた。

 柔らかく、しかし氷のように冷たい。ズブズブと沼に沈むような最悪の感触。

 ぐらり、と平衡感覚を失い体が傾く。瑠那は慌てて、真正面から迫ってくる亡者に視線を向けた。その歩み寄ってくる足元から――蛇が湧き出し亡者に絡みついた。


「こ、これって……」

 瑠那が思わず呟くと、将人が教えてくれる。

「あぁ。瑞螭を分裂させて呼び出し、足止めする。このサイズの群れなら配信中でも認識され辛く、俺に憑く瑞螭はさほど、弱体化しない」

 亡者を上回る、おびただしい数だった。廃トンネルの悪霊全ての足元に絡みつき、噛みつき、完全に動きを足止めしている。

そこで将人が、急に大声で呼びかけた。


「この俺がいる限り誰一人! 悪霊に指一本触れさせない! だから配信を続けてください。どうしても恐怖に耐えられない、これ以上は無理だ、そんな方は……どうぞ! 帰っていただいて結構」


 最後は、倒れ込み蒼白の、元テレビマンに向けているらしい。

 さらに、ジメジメとしたトンネルにそぐわない、舞台俳優のような爽やかな笑顔で語りかける。

「ここまで撮ったんです。最後までやり切った方がお得でしょう? 」

 将人の声が、全員のなけなしの勇気に火を灯していた。

――しかし悪霊たちも、負けっ放しではいられないらしい。

 将人が歩み寄った亡者の一体が、苦し紛れに、絡みつく蛇に噛み付いた。

 それを見て、また将人は笑う。

「お、いいね」

 異様な力で蛇を噛み切り、捕食し始める。ガツガツと、体を封じる蛇全てを食らい尽くそうとするように。

 他の亡霊たちも同様だった。溢れ出る蛇を捕食し、拘束をほどき、じりじりと動き出す。

 瑠那はカメラを向けながら、恐る恐る呟いた。

「は、刃向威くん……なんか、大きくなっていってない? 」

「あぁ、俺の瑞螭をやたらと食ってる。成長期かな」

 呑気なことを言う将人だが、瑠那にはどうしても、良い状況には見えなかった。

――際限なく溢れ出る将人の蛇霊を餌に、ぶくぶくと亡霊が、力を得るように膨れていく。

 しかも彼らは動き出し、一箇所に集まり始める。

「面白い。望月……ここで、ちゃんとカメラ向けてて。良いシーンが撮れそうだ」

 そう言って将人は歩き出す。亡霊たちが寄り集まっていく、ちょうど両側から挟まれた中心へと。



 将人が離れて行ってしまって、瑠那は急に心細くなる。

「はぁッ、はぁ……大丈夫。大丈夫だから。今日は、きっと」

 スマートフォンを取り落とさないよう、今一度ジンバルを握り直す。

 合計、四台のカメラで捉える、将人が近づいていく先の亡霊は、想像を絶する姿へと変化していく。


 折り重なり、混じり合い、膨れ上がっていく。車両のハイビームに照らされ、この廃トンネルに潜む悪霊の全貌、その一端がついにさらけ出された。

 灰色に腐れたような、青い血管のはったグロテスクな肌。膨れ上がった背丈は二メートル近く、折り重なっていくほどに、廃トンネルの幅を圧迫していく。空間に収まりきらないほどの、大きなヒトガタへと成長していく――

 よく見れば、折り重なった亡者たちの継ぎ目がある。上部についた頭には、まるで葡萄の房のようにいくつもの頭があって、それが一斉に口を開いた。


『ク、クレ、マセンカァ。何デモ、良イノデ、食ベサセテェ』


 響き渡る悍ましい声。それでも将人は怯まずに歩み寄り、刀一本で渡り合う。

 鋭く日本刀の切先を、悪霊へと突きつけて意気揚々と宣言する。

「記念すべき初配信なんだ! ……盛大に散ってもらう」


 瑠那は、感動に声も忘れていた。

 恐怖も、不快も、この場に満ちた最悪な空気は変わらない、しかし。

――将人のおかげで、この場に立っていられる。

 ただ一人で悪霊に立ち向かい、渡り合い、この場の生者全員を勇気づけている彼のおかげだ。

「撮らなきゃ」

 カメラで捉えようとするのは、ここにきて純粋な使命感だった。

 この素晴らしい瞬間と、この先にあるカタルシス。将人の放つ輝きを、捉えたい――


**********************************


 刃向威 将人は、姿を見せた「廃トンネルの悪霊」を前に、不敵な笑みを浮かべる。

 配信するどのチャンネルにも聞こえないよう、小さくぼやく。


「僕だって怖くないわけじゃないさ」


 除霊士は、生きる人の持つプラスの霊力を鍛え、悪霊に立ち向かう。

 悪霊の持つマイナスの霊力を中和し、制御したり、打ち消すという原理だ。

――そのプラスの霊力を高め、悪霊に飲まれないよう、将人は鍛錬してきた。

 けれどもそれで恐怖がなくなるわけじゃない。除霊士として通常、誰しもに認められ独り立ち出来るのは、時間をかけ霊力を練り上げ続け、三十代に達する頃と言われている。そうなれば、恐怖を克服できる除霊士もいると聞く。

「未熟で、恐怖もまだ、完全に乗り越えられない、未だに、本当は弱虫のままだ」

 それでもやらねばならない。

「俺を救ってくれた、除霊士のためにも」

 そもそも、今この段階で将人が感じている恐怖が軽減されていることが既に、除霊配信の効力の証明だった。いつもならこのレベルの悪霊を目にすれば、笑顔なんてそうそう保っていられない。

 だからこそ、笑みを強めて――袖に隠した左腕を悪霊へと向けた。


 それはアームマウントできる配信用カメラだった。手元のスイッチでオンオフを切り替えれば、ポケットWi-Fiを通しライブ配信用ソフトへと映像を中継、複数画面での配信設定を済ませた瑠那含め合計三チャンネル全てに共有、マルチ映像として映し出す。

今回の除霊配信の核になる要素だ。

 事前告知でも説明を行い、テストも重ねた。

 親指で手のひらに固定したスイッチを押す。

「喰らえ」


 同接数合計一七五二人の視線に、悪霊の全貌が晒された。

――耳を潰すような絶叫が響く。

 野太い男の、金切声のような女の、幼児の咽び泣きの、全ての悲哀の混じり合った絶叫だ。

「よーし、ちゃんと効いてるな!? 」

 将人はそれを打ち消すように笑う。

 悪霊は最後の怨念を振り絞るかのように、将人へ距離を詰めてくる。

 将人の左腕の固定カメラ。それがカラクリだと気づいたらしい。しかし、詳細に姿が捉えられるほど、人の認識は強まる。

 まるで、通信不具合で動画にノイズが奔るかのように、悪霊の巨体がブレた。

 弱りきったその瞬間を、将人は見逃さない。


「瑞螭、ハツ

 その掛け声で、亡者たちが喰らったはずの瑞螭の群れが、バヂュンッと総毛立つような音を立て、巨体の内側から逆に食い破った。

「そうだよ。お前らは喰われる側だ」

 どこまでもおぞましい光景だ。蠢く無数の瑞螭を肌の表面で蠢かせた巨体が、途切れ途切れの悲鳴を上げつつ、よろめきながらも将人へ迫る。

 将人の刀の、届く範囲に。

「フッ……」

 カメラを固定した位置をずらさず、将人は右手で鋭く抜刀した。そのまま空間を走り抜ける渾身の逆袈裟斬りは、将人のプラスの霊力に満ちたが故の白銀の閃光を伴って、悪霊の胴と肩を結ぶ。

 白銀色の輝きが、毒素のように悪霊の巨体に滲み、そして――轟音を伴い爆散した。

「討ち取ったり。廃トンネルの飢える霊」

 刀を鞘に収めて、将人はそう呟いた。

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