第2話 第二場面

 もうずいぶん透明な視界になった。朝が、そして昼になっていくのだろう。小魚が跳ねるように進行方向を変え、ヒトデが鈍く海底を這い、海藻がただただ身を委ねて揺らめいていた。海面からボチョンというくぐもった音が聞こえた。

 石は海面をリズミカルに叩き、海中に落ちていった。波の順接とか摂理とかに従ってはいないその石。それでも海面にできる波紋の鎖。あるはずのない石が突如として海面から海底へ進行していく。それらを宇宙の誕生の換喩としたら言い過ぎになるだろうか。人は自然の順調を少しも介さずに、ただ戯れに石きりをする。弾む回数にがっかりし、歓喜し。人が突如として、その歩行中、何者かによって石を体内に突っ込まれたら、意に介さないなんてことはできもしないのに。

 石きりで海底に落ちた石のせいで潮流に変化が及び、結果として波打ち際が海浜の住居者に「もし津波が来たら」という不安の予兆を感じさせるようになることもあるのだ。

 そんな人が想像でやきもきしながら海を、波を見続ける中、石きりで海底に沈んだ石をカニが足で転がしているのを、人は知らない。

 身が浮上していく感じがした。波の音が徐々に聞こえてきた。海浜にはにぎやかさはもうなく一人の背中が見えた。身が波よりも早くスーッと前進した。みるみるうちに波打ち際まで、それこそ動く歩道の状態で、あるいは僕がすでに届けられる物であるとするならばベルトコンベアーの状態で漂うことなく進んだのだった。

 耳元で声がした「起こしたのは誰だ」もう壮年になろうかという男の低い声だった。誰もいない。気配もない。けれどもそれを不気味だとは思わなかった。かえって僕はその声に同意する心持でもあった。一方で「これで自由になれる」やはり男の声がした。先ほどとは違い、少しだけ若い軽い声がした。誰もいない、気配もない。不気味だとは思わなかった。同意する気持ちもあった。うっすらと「そうなんだけど、本当に自由かな」と汗が一つ伝うのを感じた。拭った。それが海の滴かもしれないと思い直したのは汗にしてはねっとりしておらず、ジトジトした潮の感じがしたからだった。

 ふと足元を見ると、不自然に小石が少ない砂地があった。ないわけではない。角ばった石はある。それでもそこに立てば、半径数十センチには、そう平たい石がないのがわかった。僕は石きりができないと悟った。

 声がもう一度した。男のようで、女のようで、けれども口調はやはり男のようで。そうだな、女性声優が男のキャラを演じるような。その声はこう言った。

「できれば、帰れたのにな」

 そうだなと達観した。あきらめたと言ってもいいかもしれない。

 僕は石切りをしてくれる人をそれから数日間浜で待つことにした。

 ある夕方だった。藁を焚き、団子やナス馬・きゅうり馬を乗せたお盆を置き、鉦をたたき始めた。

 少年というよりはガキと呼んだ方がいい子供が、肩が壊れるのではと心配するくらいの勢いで海へ向かって石を投げた。サイドスローから投げられた石は海面を三段跳びの選手よりも軽快に、トビウオよりも無機質に飛び跳ね、そして海に落ちて行った。僕の身体が動き出した。帰れるという実感ではなかった。言うなれば「行ってきます」という心境だったろうか。鉦が止み、子供は親に急きたてられて走って行った。

 僕は手を振って海の中に沈んでいった。

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石きり 金子ふみよ @fmy-knk_03_21

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