【九】交錯世界のルクバート



 ——事件から一ヶ月が経とうとしていた。



 今回の件はアンチによるハッキング事件として世間には公表された。一つの演算装置に全てを集約させる脆弱性を指摘する声は多く上がった。ならばと新たな演算衛星を建造して分散化を図るという方向に持っていく辺り、政治屋というのは逞しい。


 アンチが当初計画していたテロ計画は、結局実行されなかった。百周年記念はつつがなく実行され、盛況の内に幕を閉じた。


 シェアトがラグランジュ5上に生成した名も無きプログラムの解析は今も続いている。シェアトが意図した様にそれが新たな「心」なのかどうかは、まだはっきりとはしていない。精神構造も感情の在り方も人間とは相当違っていて、意思疎通も覚束ない状態だそうだ。ただシェアトを介した交流だけは比較的人間に近い反応が得られていて、そこが突破口になると期待されている。


 そんな訳でラグランジュ5の演算能力の半分は今も復旧していない。だからマザーも「ラゴン」も一部機能が制限されている。特に演算能力を食う状況推論と自然会話での指示命令機能が使えないので、例えばタクシーを呼ぶにもアプリで直接かつ的確に指示する必要がある。


 これが意外と面倒だ。前は「タクシー」というだけで、タクシーに何をして欲しいのか、乗りたいのならどこへ呼んだらいいのか、全部ドラゴン君がやってくれた。それが今は出来ない。まるで「飯」と言えば夕飯が出てきた亭主関白の家から妻が三行半投げ付けていなくなった様な気分である。悲しい。


 まあそれもいずれ解消されるだろう。一世代前の演算衛星「ラグランジュ3」の再整備が進行している。それが再就役すれば、以前と同じ生活に戻れる予定だ。三ヶ月、いや半年ぐらいはかかるかも知れないが。


 次期ARSリング——オラクルの市場投入は見送られた。感情干渉機能は画期的だったが、今回の件で安全性に疑問符がついた。いずれ発売はされるだろうが、機能は幾分縮小したものになるだろう。オラクルの存在自体も非公開とされたが、アディル社の株価は何故か下落した。


 極星インダストリーは廃業した。今回の件は表沙汰にはならなかったが社長であるシェアトは未だ夢の中であるし、首謀者でもある。アンチとの繫がりも露見したので、ひっそりと解体された。


 ニハルがどうしたか、ルクスは知らない。廃業前に退職したことは聞いていたが、その後どうしたのか。メッセージアプリで連絡を取ってみたが、返事は無かった。あれか、ついに愛想尽かされたのか。当然だよな、殴られなかっただけマシだよと思いつつ、ルクスはちょっと寂しい。愛情の反対はキライではなく無関心という意味が良く分かった様な気がした。


 アトリアも退職した。宇宙軍に戻ったと思われるが、詳細は不明だ。問い合わせようにも、宇宙軍の諜報部所属である。真正面から問い合わせて、ちゃんとした返事が来るとは思えない。


 いや、ルクスは一度は問い合わせた。だが「そんな尉官は存在しません」との返答だった。最後にアトリアと会った時は「必ず戻ってきますっ!」とは言っていたが、さてどこまで信用出来るのか……。


 ちなみにアビーは今も通信管理局の監視下にある。刑務所には入っていないが、他とのやり取りは厳しく制限されている。軟禁状態ってやつだ。こちらには「いつかコロス」と言われているので、もう二度と会わなくていいなとルクスは思っている。




  —— ※ —— ※ ——




 今回の事件はルクスの経歴に大きく傷を付けた。長期の潜入捜査の末に、逆に利用されてラグランジュ5へのハッキングを許す端緒となったからだ。ルクスは(どうやら)通信管理局ではかなり上位の権限を有していたが、それは剥奪された。特に各方面に素性が割れたのが痛い。もはや潜入捜査員としては役に立たない。だからルクスは、通信管理局を退職することになった。


 まあだからといって「はいさよなら」とさっぱり縁切り出来る様なホワイトな業界では無い。通信管理局からの支援という名の監視の下、新たな職に就くことなる。




 ——宇宙歴百年九月七日。新オキナワ市外湾区画。




 カモメの鳴く音がする。猛烈な潮の香りが暑さを倍増させる。ここは赤道直下の洋上都市。暦上の秋になったぐらいでは涼しくならないし、海風が猛烈な湿気を運んでくる。古びた建物のそこかしこが錆色に塗装されていた。


 ここ新オキナワ市では、海沿いの区画は一番家賃が安い地域になる。海に面していても綺麗な砂浜や海水浴場がある訳では無いからだ。高い防潮堤で覆われていて景観も悪い。人類が冥王星まで辿り着く現代においても、塩害への対応は苦慮している。茶色に錆び付いた自動車のスクラップの脇を擦り抜け、ルクスは一棟の建物の前へと到着した。


「ここか……」


 見上げると太陽が眩しい。ルクスは目を細める。三階建てのこぢんまりとした灰色のビル。一階は元商店だった様で、通りに面した部分がシャッターになっている。自動では無い。試しに持ち上げ様としたが、錆び付いていて動かない。溜息をつく。ここがルクスの新しい職場兼住居だった。


 シャッターに隣接するドアを開けると、すぐに階段があった。人一人分が通れるぐらいの狭くて急な階段だ。階段は真っ直ぐに三階まで続いていて、途中で二階へと扉が見える。


 ルクスは一旦三階へ上がる。三階がルクスの新居だ。2LDK、トイレ・バス付。一応広さだけは確保されているものの、間仕切りは安っぽいボール紙の様な素材だ。まあ一人で住むのだから防音性などは不要だ。ダンボールの箱が一箱、ポツンとおかれている。それがルクスの私物の全てだ。


 二階へと下がる。ここは職場兼事務所になる予定だ。来客用のソファーが一組と事務机が一つ、新品のビニールが掛けられたまま放置されている。パーティーションも数枚用意されている。これだけあれば、まあ問題無いか。来客用のスペースを窓際にするか、それとも自分の机を持ってくるか、しばし思案する。


 ここに出来るのは探偵事務所だ。名前はまだ無い。探偵、つまりあれだ。通信管理局が自由に動かせる便利な手駒である。きっと何か問題があったら真っ先に蜥蜴の尻尾切りされるんだろうな。そう考えるとあまり愉快な将来像は想像出来ないが、ルクスには他に選択肢が無かった。仕方が無い。


 相変わらず記憶は戻っていない。果たしてスパイ時代に自分が何をしていたのか。「マザー」に聞いても機密を楯に教えては貰えなかった。今のルクスにあるのは、身体に染みついた体術の心得ぐらいだ。記憶は大学卒業したばかりの小僧のまま。そんな男が一人で生きて行くには、ちとツライ。通信管理局からの、探偵になるという提案を受けるしか無かった。


「はあ」


 ルクスはビニールが掛けられたままのソファーに寝そべった。これからどうしたものか。胸中に不安がよぎる。昔のオレは、一人で寂しくなかったのだろうか。スパイとして転々としていていたというが、友達とかそういうのはいなかったんだろうか? それで寂しくはなかったのか……。


 ん? ルクスは上体を持ち上げた。何か音が聞こえる。かたかたという何かを叩く音。右と左と周囲を見回し、その音が奥の部屋に通じるドアの向こうから響いてくるのを見つけた。慎重に、ルクスはドアを開く。


「あら? やっときたのね。随分と遅かったわね」

「な……ッ」


 ドアの向こうに居たのは黒髪の美女、ニハルだった。眼鏡を掛け、髪は後ろにポニーテイルで纏めている。ワイシャツにタイトスカートと、まるでOLの様な出で立ちだ。そんな彼女は、低い駆動音を響かせている大型演算装置の前で、カタカタとキーボードを叩いている。


「おま……なんでここに?」

「もしかして何も聞いていないの? 通信管理局って案外適当なのね。やっぱり止めるんだったかしら?」


 キーボードを叩く手を止め、腕を組んで唸るニハル。ルクスは目を丸くして、その視線をニハルと大型演算装置との間を往復させている。


「通信管理局から依頼されて、貴方の業務補佐をすることになったわ。よろしくね」

「業務の補佐……って、探偵のか?」

「そうよー。もしかして貴方、このご時世にハッカーの一人も雇わないで探偵業するつもりだったの? お気楽ねー」


 ニハルが楽しげに笑みを浮かべる。ルクスは複雑な表情でそれを見つめる。


「……なんで、戻ってきたんだ?」

「迷惑だったかしら?」 

「いや、そんな……訳はないんだが」


 口ごもるルクス。不意打ちだった。思わず表に出てきた感情に戸惑う。ああ、そうだ。嬉しかった。自分はどうやら一人ではなかった様だった。ニハルは立ち上がり、ゆっくりとルクスに近づく。ふわりと薫る香水の香りに、今はとても安らぎを憶える。


「記憶が戻らないんだったら、また作ればいいのよ」

「そういうものか?」

「それで妥協してあげるわ」


 二人の指先が一度、二度と触れる。ルクスの指先がニハルの手首から腕、肩へと触れていって、頬を撫でるようにして止まった。目を閉じるニハル。ルクスはゆっくりと顔を近づけていく。唇と唇が触れあう。


「せんぱーいッ! おはようございまーす!」


 ドアがばんと大きな音を立てて、金髪童顔の女性が元気よく現れた。アトリアだった。少し汗ばんだTシャツとデニムのスリムパンツ。手にはスポーツバックが握られている。ルクスとアトリアの視線が交差する。アトリアは目を細め、そしてにっこりと笑顔を浮かべた後、白いスニーカーで容赦無くルクスの腹部を蹴り飛ばした。潰れた蛙のような声を出してルクスが床に転がる。


「あらアトリア。おはよう」


 何事も無かった様にニハルが挨拶をする。アトリアが頬を膨らませる。


「ニハルさん、さっそく休戦協定を破るなんてヒドいです!」

「あら? お互い手を出さないという約束だったはずよ。今のは「手を出された」のよ」

「そういうの屁理屈だと思います」

「この程度の腹芸も出来ないなんて、本当に貴方営業に向いてないわね」

「いいんですー。今度は営業じゃありませんから」


 んべっと舌を出すアトリア。よろよろと立ち上がったルクスが尋ねる。


「アトリア……お前もなのか……宇宙軍は、どうした?」

「はいー! 宇宙軍から極秘裏に連絡要員として派遣されましたアトリア・エレクトラです!」


 極秘裏に派遣された元間諜とは思えない明るさでアトリアが答える。ルクスは薄ら笑いを浮かべる。なんだこの探偵事務所、宇宙軍まで関わっているのか。


「先日の事件。横の繫がり、通信管理局と宇宙軍の連携不足が招いたと思っているんでしょうね」

「そのテストケースって訳か、なるほどね」


 ルクスはしぶしぶ首肯する。まあ確かに治安維持という共通の目的を持っているのだから、互いにもっと交流はあってしかるべきだ。


「あ、そうそう。アビーの連絡先も預かっているわよ」

「なぜ!?」

「『上手く使え』ってことらしいわよ」


 なんか一気に状況が怪しくなってきた。これはもしかしてテストケースという名の厄介払いなのではないか? そう考えると、ちょっと胃の底が痛くなってきた。


 まあどちらにしろ。ルクスはここから始めるしか無い。一応予算は付くらしいが、表向きそう資金を流入させる訳にはいかない。つまり事実上の独立採算制とのことなので、頑張ってお仕事しないといけない。少なくとも三人分は稼がないと……。


「あ、そろそろお昼御飯ですよね。あたし、お弁当持ってきました!」

「あら奇遇ね。私もよ」


 アトリアとニハルが同時に弁当箱を取り出す。各人二個ずつ、合計四個の弁当箱が並ぶ。三人しかいないのに。ルクスはアトリアとニハルを交互に見つめる。ルクスが二個食べるのは当然、問題はどちらに先に手を付けるのか? という無言のプレッシャーがルクスの脳裏で響く。


「ちなみに、パンにご飯を塗るのは却下だからね」

「うっ」


 先回りされてしまった。この場合の最適解は何だろうか。ドラゴン君に聞いても、答えは返ってこない。新設された探偵事務所。さっそく難題に直面していた。ルクスは窓の外に広がる青空を見ながら、昔の自分に怨嗟と、ちょっとだけの感謝の思いを送っていた。



【完】


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交錯世界のルクバート 沙崎あやし @s2kayasi

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