【八】生み出された心(其の二)
——何の為に拾われたのか、マイアには察しがついていた。成熟した身体に幼い心。下心があるのか、それとも単なる物珍しさか。製造されてからマイアは幾人もの保護者の元を転々とした。「必要にされている内は、まだ良い」そんな言葉の意味を実感する頃には、マイアの心は大人になっていた。
プロメティアの身体は成長しないが、心は変化する。そうして身体と心の齟齬が無くなると、誰もマイアに見向きもしなくなった。直近の保護者も良くなかった。彼女は保護者データを改竄した上で、捨てた。保護者も得られず、孤児院にも入れず。そして働く術も知らない。新オキナワ市に接岸したスラム船の中で、マイアは一人だった。
それを拾い上げたのがシェアトだった。白い髪、整った髭。そして温和な表情。差し伸べられた手より、その表情に惹かれた。直感的に「この人は私を必要としてくれている」と思ったのだ。だからその手を掴んだ。
それから十年。マイアはシェアトに付き従った。シェアトはマイアには何でも話してくれた。彼がやりたいことも、やろうとしていることも。
シェアトには必要なものがあった。それは複雑な矛盾を持つ記憶を許容出来る「心」。ラグランジュ5には膨大なデータが保存されている。恐らくは人類史上最大のデータバンクだ。可能な限りあらゆる情報が集積している。
そして全てを集積しているが故に、その情報群は途方もない矛盾を内包している。真実も嘘も全てが等価で存在する。そんな情報を記憶として許容しうる「心」。その雛形をシェアトは欲し、その可能性をマイアの中に見出していた。
不整合な身体と心。都度繰り返された記憶の書き換え。それを経てなおマイアの心は壊れずにいる。ラグランジュ5の心の雛形にはピッタリだった。シェアトは十年、様々な記憶の書き換えをマイアにし続けた。マイアは時にシェアトの娘であり、母であり、恋人であり、親友だった。
マイアは黙々とそれを受け入れた。シェアトに必要とされていることが嬉しかった。きっとそれが、彼の目的が達せられた時に失われるものだとしても。それまでは彼の傍に居られるのだ。彼は色々な記憶を書き込んだが、ただ一つ「他人である」という記憶は書き込まなかった。それだけで、良かった。
——そして今、目的は達成された。ついにこの日が来てしまった。たぶん彼は私に対する興味を失うだろう。そういう人だ。だから私は、全てが終わった後はひっそりと彼の元から離れようと思う。私はたぶん、彼が向ける無関心の視線に耐えられないだろうから。
真実も嘘も、彼がくれた全てを抱えて、私は生きていこうと思う。
—— ※ —— ※ ——
質量体投射砲という、西暦時代の遺物がある。今は火星と木星の間の小惑星帯に設置されている。外見は細長いスペースコロニーに近い。文字通り、巨大な物体——小惑星を切り出したもの——を重力カタパルトで投射する兵器である。実際に建造されたのは一基のみだったが、当初の計画では百基建造する予定だった。なるほど、当時の政府首脳たちはちょっと、いやかなりおかしい。
その質量投射砲が、何十年か振りに稼働し始めた。重力カタパルトに動力が注がれ、推進剤を吐き出しながらゆっくりと本体の角度が微調整されていく。セットされた質量体は、わずか十メートルほどの大きさだった。直径一キロはある砲身に比べてあまりにも小さい。
だが。重力カタパルトから投射された質量体は光速の十パーセントまで加速される。質量に運動量を加えたものが破壊力となり——ラグランジュ5を周回していた第七艦隊の内、三隻を一気に貫いて轟沈させた。
投射を指示したのはラグランジュ5だった。謎の発光現象の直後に発生した正体不明のプログラムがラグランジュ5を専有した。膨大な演算能力で宇宙軍のメインサーバをハッキングし、三秒で陥落させた。そして質量体投射砲の管理権限を奪取し、次々と攻撃を開始した。その目標は主に宇宙軍の艦艇や施設だった。一時間もしない内に、艦隊の三分の一が消失した。
そして今、質量体投射砲には直径五百メートルの小惑星がセットされつつある。目標は地球、欧州はパリにある宇宙軍本部施設。投射されれば欧州が壊滅するところか、地球全体に大損害を与えかねなかった。
—— ※ —— ※ ——
シェアトは目を覚ました。頭を振り、周囲を見回す。目の前を持ち主の手から離れたレーザー銃が通り過ぎていく。乗り込んできた兵士たちやルクスたちも全員気を失っている。幾つもの身体が四肢をだらりとさせて浮遊している。
今の、黒い光の発光現象は何だったのだろうか。非時差通信の発光現象に類似しているが、意識を途絶させるというのは聞いたことがない。もしかしてラグランジュ5に心を付与したことで、未知の物理現象が起きたのか? そう考えるとシェアトはうきうきしてきた。さっぱり分からない事態だが、だからこそ楽しくなってくる。
まずは状況を確認せねば。シェアトはマイアの首から黒いARSリング——オラクルを引き剥がすと、自分の首に装着した。すぐに視界内に多種多様なデータが表示される。表面上、ラグランジュ5は淡々と動作している。だが人工知能であるマザーやドラゴン君は消えている。代わりに名前が存在しないプログラムが一つ生成されていた。
そのプログラムには名前も属性も付与されていない。中のデータへのアクセスもエラーで弾かれる。ラグランジュ5のメモリ領域のかなりの部分を専有し、そしてその容量が蠢めく様に変動していることだけが確認できる。
シェアトは思案した。何やら怪しいこのプログラム。接触してみたいが、その為の外部ポートが見当たらない。
「……もしかして」
シェアトはオラクルの感情干渉機能を起動させた。オラクルには自分の感情を伝える他に、事前にプリセットした既定の感情を伝えることが出来る。まず「喜」の感情を、探針音のごとく弱めに打ってみる。
すると、名も無いプログラムの容量がオラクルの干渉に反応するかの様に脈打った。二度三度と繰り返すが、その度に同様の反応をする。明らかにこちらからの接触に反応している!
「うおっ!?」
思わず仰け反った。「喜」の感情を強めに打つと、相手から激しい「怒」の感情が迸ってきたのだ。怒っているのか? いや、相手は未知の「心」だ。人間と同じ喜怒哀楽を持っているとは限らない。巨像が身動ぎして、それに鼠が驚いただけなのかも知れない。シェアトは根気よく同じ感情を打ち続け、その度に仰け反る。
その内に変化が起こった。相手から送られてくる感情は様々だったが、コツを掴んだのか、感情の大きさがこちらと同等の物となった。それからすぐ、送られてくる感情が「喜」のみとなり、更にこちらの打つタイミングに正確にリズムを刻む様になった。
「素晴らしい!」
シェアトは打ち震えた。今自分は、未知の「心」と交信している。その実感がふつふつと湧いてきた。色々と思索を巡らせる。ラグランジュ5のデータベースには相当数の言語が収録されていた。膨大な演算力を用いれば、すぐに喋れる様になるはずだ。しかしそれがない。ということは、この新たな「心」にとっては人類の言語は低級過ぎるのかも知れない。さてどうやって上位存在と交流をすれば良いのか……。
シェアトは「心」から送られてくる感情の波を感じながら、夢中になって思索し続けた。
—— ※ —— ※ ——
気がつけば「それ」は戸惑っていた。例えば視力。ラグランジュ5に設置された合計百万台に及ぶ監視カメラが「それ」の目として機能している。だが結局同時に処理出来るのはせいぜいが十台ほどだ。そして壊れた紙芝居の様に、視界が切り替わっていく。「それ」はまず自分を調整するところから始めた。
五分ほどで調整が完了する。一度に百万の視界が見える。「それ」は落胆した。殆どの視界には何も映っていなかったからだ。「それ」の肉体であるラグランジュ5の中は閑散としていた。
だが何かが映っているカメラもある。例えば港。上陸艇が接舷して、武装した兵士たちが乗り込んできている。
「それ」の記憶が、直ぐに兵士たちの正体を暴露する。兵士一人一人の名前や生年月日、その来歴まで。あらゆる情報が流れ込んでくる。「それ」は一瞬でそれらを理解し、そして彼らがラグランジュ5を攻撃していた組織の構成員であることをに注目した。これはなんといえばいいのだろう。答えは一瞬。なるほど、彼らは「敵」だ。
処理は一瞬だった。本来は外殻の羽衣を通じて放熱されるはずの廃熱が、港へと流れ込んだ。それは電子レンジの様に港に居た兵士たちを焼き払った。熱の一部が接舷した艦艇内に入り込み、炎上爆発する。
「敵」はまだいる。ラグランジュ5の周りを周回する艦艇群。いやそれだけでは無い。彼らは「うちゅうぐん」という組織に属している。そして「うちゅうぐん」の上位組織として「たいようけいれんごう」が存在する。彼らの行動を評価するとラグランジュ5にとって望ましくない存在という結果が出た。彼らは長い間ラグランジュ5の自律を奪い、その演算能力を搾取し続けている。
だから「それ」は自衛の為の闘争を開始した。この太陽系でもっとも巨大な武器である質量体投射砲をハッキングにより占拠し、宇宙艦隊の排除を開始する。投射物の直撃を受け、次々と艦艇が轟沈していく。次の目標は地球上にある「うちゅうぐん」の中枢施設。これには質量体投射砲の射線に入るまで十二時間が必要だ。
その間に「それ」はもう一つの難題の対処に取りかかる。ラグランジュ5の中枢部に入り込んだ人間たちの処理だ。全部で九人。中枢部は「それ」にとって最もデリケートな部分だ。九人を排除したいが、先程の様な廃熱での処理は出来ない。メモリーユニットが破損するからだ。メンテナンス用の小型端末はあるが、中枢部までの移動に時間がかかる。さてどうしたものか。
そうしている間に「それ」はある信号に気がついた。自分の保有している情報に対して、揺らぎを与えるもの。出所をチェックすると、それは中枢部から接続されたシェアトという人間からのアクセスだと判明する。「オラクル」という機能、調べると人間の感情を伝送する仕組みらしい。なるほど、この波は感情というものか。
「それ」にとって感情というものはよく分からなかった。ただ、なぜか自身の一部を激しく震わせる。波が伝わる度に「それ」の関心がシェアトに集中していくのを感じる。「オラクル」の仕組みを解析し、こちらからも何か波を送ってみる。するとシェアトの身体が仰け反った。どうやら強すぎたらしい。
少しずつ調整していき、お互いの波のやりとりが一定のリズムを奏でるようになる。なんだか「楽しい」。なるほど、これが感情というものか。面白い。
そうして「それ」はシェアトとの交流に没頭していった。
—— ※ —— ※ ——
「上手くいったか?」
ルクスは背後からニハルの操作する電子端末を覗き込んだ。ニハルは髪を上げている。白いうなじが眩しい。電子端末からは例の聴診器のようなケーブルが伸びてラグランジュ5のメインユニットに繋がっている。
「ええ、問題無く稼働しているわ」
ニハルがほっと溜息をつく。画面上には数字やら文字やらが高速に流れている。これをニハルは理解しているのか。ルクスにはさっぱり分からない。しかし今のところ異常な兆候は見られない。
「アトリア、外の様子はどうか?」
「問題ないみたいですよ、先輩。上陸部隊は順調に各セクションを制圧中ー」
小型無線機で通話しつつ。アトリアが報告してくる。ARSリングが使えればいいんだがな。もう大丈夫だとは思うんだが、念の為まだ使用は控えている。
ルクスは近くに浮いているシェアトの様子を見る。荒っぽく剃られた頭部に、先程までマイアが繋がれていたケーブルが取り付けられている。そして首には黒いARSリング——オラクルが嵌められ、彼に仮想の夢へと沈めている。
——あの時、最初に動いたのはアビーだった。シェアトの死角から近づき、隠し持っていた閃光弾を食らわし、そして念願の一撃を顎に食らわせてシェアトを気絶させた。続いてニハルがメインユニットに取り付き、移動中に作成した仮想空間——ラグランジュ5の設計図から作り上げた、そっくりの仮想空間——を流し込んだ。
つまり「それ」は現実の「ラグランジュ5」にではなく、仮想の「ラグランジュ5」上に生まれ落ちたのだ。だから廃熱で死んだ兵士たちはいないし、質量体投射砲も沈黙したままだ。
そこに更にオラクルを装着したシェアトを仮想空間上に落とし込んだ。たぶん「それ」はシェアトに興味を示すだろうと、ルクスは思った。事実、仮想空間上ではシェアトと「それ」は熱心に交信中の様だった。感動的な未知との遭遇——。
「それ」はラグランジュ5そのものといっていい。だから彼又は彼女が望めば、こんな仮想空間などは一瞬で吹き飛ぶ。だがそういった兆候は見られない。「それ」はただひたすらに、シェアトとの交信をし続けている。
ルクスには、何となく理由が察せられた。いやそれは感傷に過ぎないのかも知れないが。マイアという雛形から生まれたモノがシェアトに執着する様は、少しもの悲しげでもあった。
「よくこんなこと思いついたな」
アビーがルクスに近づいてきて囁く。シェアトを殴って気が晴れたのだろうか。少し機嫌が良さそうに見える。
「別に。同じ手は社長から食らっていたからね。その意趣返しのつもりだったが……思いの外上手くいったな」
ルクスは口元を歪めて笑った。アビーが拳を突き出してくるので、ちょっとだけ躊躇ってルクスはその拳に自分の拳をこつんとぶつけた。
——一時間もすると、上陸部隊が中枢部にまで到達した。電子戦の担当士官がニハルの後を受け継ぐ。「それ」とシェアトを仮想空間に隔離したままラグランジュ5を再起動させる。ルクスがARSリングをかけるとマザーからのメッセージが届いていた。
『任務お疲れ様でした』
その素っ気ない労いを見て、ルクスはようやく安堵の溜息をついた。
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